表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サタナエル・サガ  作者: Yuki
第十一章 反逆の将鬼
241/315

第二話 失意と絶望の雌伏から……【★挿絵有】

 この地上で最も危険な災厄が、遂に光当たる人間の世界に降り立った、ちょうどその同時刻。


 

 エストガレス王国北部、アンドロマリウス連峰の玄関口にある小村、セルシェ。


 移ろう大陸の季節に関わらず、常に降雪と寒風の吹き下ろす寒空の下にある、人口500人の村。



 極まれにやってくる、連峰内への逃亡や越境での追手を振り切る目的の罪人悪人以外、訪れる者のいない寂れた村だ。


 しかし今現在――。かつてはその罪人悪人達がこぞって駆け込んでいた案内人ガイドの山小屋。

 数ヶ月もの間、無人の様相だったその場所に、人がいる気配を、村人たちは感じ取っていた。


 かつて村人達と一切の交流を持とうとしなかった、メイガン・フラウロスという偏屈で不気味な主人。そしてその家族と思われる、年月によって人数の変動した幾人かの男女。たびたび出入りしていた、人間を超越した雰囲気を持つ恐ろしげな法衣の人物たち。

 それらのいずれでもない、異なった人間たちが、滞在していることを感じ取っていたのだ。


 

 その人物らは、山小屋から少し離れた、連峰を一望できる景色の良い平野に集まっていた。


 この日は最近では珍しく、抜けるような青空の広がる晴天であった。降雪も、冷たすぎる風も吹かず、穏やかな陽が降り注いでいた。


 人物は、4人。いずれも防寒の毛皮とスパイクに身を包んだ出で立ちではあるが――。


 ホルストース・インレスピータ。ルーミス・サリナス。ナユタ・フェレーイン。そして――レエテ・サタナエル。

 サタナエルより「レエテ一派」として付け狙われる人物達のうち、囚われの身となったシエイエス・フォルズを除く4人の人物たちであった。


 彼女らの前には、一つの墓標が、あった。


 豪華ではないが、とても丁寧に造られた、可愛らしい墓標だ。角の丸くとられた木材で組まれたハーミアの聖架。そこに掛けられた、白と桃色の布。毎日替えられているであろう、高山植物たる薬師草の黄色い花。


 故人の生前の趣味を丹念に再現した、愛情にあふれるその墓は――。

 王都ローザンヌで、16年という短い生涯を散らした、キャティシア・フラウロスのものだった。


 



 それより1週間前。

 王都ローザンヌでの“法力ヒリング”ギルドおよび将鬼ゼノンとの死闘を制し、結果に反した失意の様相で南門“創始者の門”をくぐった一行。

 失意の原因は、無論その場に居ないシエイエスの拉致と――。悍ましい悪魔ドミノ・サタナエルの最悪の裏切りの発覚。そして――キャティシアの死に他ならなかった。

 彼女の遺体は、ルーミスの両腕にしっかりと抱きかかえられていた。


 そのときすでに王都の南平野に展開していた20万のノスティラス皇国軍は、王都より現れたのがレエテ一行だったことで彼女らの勝利を知り、喜びに湧いたが――。

 レエテらの失意の状況を訝しみ、詳しい事情を聞いた皇帝ヘンリ=ドルマンは一転、レエテらの傷心を労い仲間の死を悼んだ。


 彼や皇国の首脳陣は、レエテらの対サタナエル戦への助力を内心密かに期待していたのだが――。

 一行のリーダーであるレエテの、最愛の人物シエイエスを人質に取られているその現況。

 事情を汲んだヘンリ=ドルマンは、快くレエテに向けて云った。


「状況はよく、分かったわ、レエテ。貴女達はすぐに、できるだけ人目に触れない場所へ行って身を隠すのよ。キャティシア・フラウロスを葬ってあげられる場所にね。

妾はすぐに貴女達の影武者を立て、補給のため向うカンヌドーリアに同行すると嘘の情報を流し、サタナエルに居所を気取られないように取り計らうわ。

――いいのよ。礼には、及ばないわ。貴女達は十分過ぎるほど、エストガレスと、大陸の人々を救う大仕事を成し遂げた。ゆっくりと心と身体を休めるべきよ。その権利、いえ義務が貴女達にはある。

心配せず、大船に乗った積りでいなさいな。貴女の復讐相手を奪うのは忍びないけれど、フレアや“魔人”ヴェルはこのヘンリ=ドルマンとノスティラス皇国が必ずや、その威信にかけて仕留めて見せるわよ」


 レエテも、ノスティラス皇国軍に加われれば復讐相手を一気に仕留めるチャンスと理解してはいたが、決定的に手を封じられてしまった上、何よりも必要な「気力」が一切失われてしまっていた。


 自分でも口にしていることの内容がぼんやりとしか捉えられない、心が乖離したような状況だった。ルーミスも同様だ。ナユタらがどうにか取り成しやり取りが成立している体たらくだ。ヘンリ=ドルマンの好意に唯々諾々と身を委ねる以外、今の彼女らにできることはなかった。


 

 そうして移動する皇国の大軍勢を見送った一行。

 

 ナユタの氷結魔導によって薄く冷凍状態にされていた、キャティシアの遺体。彼女を葬る場所は、思案してみてもただの一箇所しか有り得なかった。


 もちろん彼女にとって、祖父メイガン・フラウロスという悪魔による虐待を受け続けた悪夢の場所ではある。しかし生まれて16年をほぼそこで過ごし、キャティシアという人間を育んだ自然とともにある、ふるさとと呼ぶことのできる唯一の場所。そして初めての、自分達一行との出会いの場所。


 ここセルシェ村の山小屋しか、有り得なかったのだ。



 

 

 キャティシアの眠る墓の前で、ひざまずき花を取り替えるホルストース。


 生前の彼女とは相性が最悪で喧嘩が絶えず、悪態を突き合う騒々しい関係だった。しかし数々の戦いを共にし、お互いを深く知るごとに徐々に信頼関係で結ばれ、悪友ともいうべき絆が生まれていたのだ。


 ホルストースは王都でキャティシアの遺体を前にしたとき、絶句した後に――その死を悲しむあまりに男泣きした。

 そしてセルシェで彼女を葬ったあとも、最も甲斐甲斐しく墓の世話を毎日欠かさなかった。この

日も――。言葉を返さぬ彼女に語りかけていた。


「……毎日云ってるけどよ。もうお前とケンカできねえのは、ほんと寂しいな、キャティシア」


 地面に手を当て、言葉を続ける。


「今だから云える、で申し訳ねえけどよ……純粋でまっすぐで、いい女だったよ、お前。ルーミスと幸せに、なってほしかったなあ……。

あの時――遺跡を後にしたときにされた、妙な質問。それが、お前の救いを求める心のサインだったって俺が気づいてやれてれば……。違った今が、あったかもしれねえのに……」


 今日まで何度も反芻してきた悔恨を胸に、ぐっと目を閉じて薄く涙をにじませるホルストース。


 その肩にそっと手を置いて、ナユタもまた、墓標に語りかける。


「キャティシア……あんたにはひどいこと云っちまったこともあったかもしれないけど、素直で可愛げのあるあんたが、大好きだったよ……。それに、アルケイディアでの命の恩人。今のあたしがあるのは、あんたのおかげだ。

仲の良かったランスロットと一緒に、天国で長いこと待っててくれ。あたしも、意外と早くそっちに行くかもしれないしね……」


 そして目を伏せるナユタ。墓標を前にして悲しみを新たにした彼女らの背後から――活力のある、一人の女性の声がかかった。


「――さあ二人とも、しんみりするのはそこまでにして。今日も、やることは盛り沢山よ。

それとも、今日はあなたが一日、部屋でめそめそしているつもりなのかしら、ナユタ?」


 それは何と――結晶手を両手に出現させた、レエテだった。


 すでに胸をそびやかして立ち上がっており、目には活力がみなぎり、今にも飛びかからんばかりの戦闘体勢だ。

 とてもではないが、一週間前に失意のどん底にあった女性と同一人物とは思われない。


挿絵(By みてみん)


 それを聞いたナユタは――不敵な笑みを浮かべて立ち上がり、両手に魔力を充填させ始める。


「ほお~~? その大層生意気なセリフは、いったいどの口から出てきてるんだい?

墓ができあがった途端、部屋に閉じこもって……。『誰とも話したくない』とかメソメソシクシク、暗ーく小娘みたいに泣き虫さんしてたヘタレが偉そうに云ってくれるじゃあないか。

こいつは、手加減なんてできそうにないねえ」


「云ってくれるわね。望むところよ、ナユタ。

おかげさまでね。私に『鞭』をくれて、この鍛錬と、気持ちを鎮める術を伝えてくれたあなたが、私を引き上げてくれた。

今日こそはあなたの最強魔導、防いで見せるわよ!」


 叫ぶと、やにわに結晶手を振り上げてナユタに襲いかかるレエテ。


 ナユタの両眼が瞬時に光り、背後に自分の身体に合わせた厚さ30cmもの氷壁を作り出す。


 レエテの結晶手がそれを粉々に砕くのと同時に――。


 ナユタは振り返りざま素早く腰のダガーを抜き放ち、本気の爆炎魔導をレエテに向って放つ。


魔炎業槍殺スペエレデスフェウエレ!!!」


 ダガーから発される超高温の集中業火。


 至近距離で自分に向けて放たれるそれに、神速で両手を交差させて耐魔レジストをはかるレエテ。


「うううううおおおおおっ!!!!」


 己の魔力を全力で収束させるレエテだったが――。


 その衝撃力により、後方へ10mほども吹き飛ばされ――。


 着地し貌を上げたときには、両腕、腹、首、貌に重度の火傷を負った状態になっていた。

 美しい貌の半分が、見るも無残に焼けただれた状態となる。


 ナユタは、それに対し大声で叱咤しながら、猛然とレエテに対し接近してくる。


「集中が甘いんだよ!! そんなんじゃ、フレアどころか“魔導ソーサル”の副将あたりにもやられるよ!!

云ったろ! あんたの潜在魔力はあたしに匹敵する!!! 防げるはずなんだよ!

教えたようにやるんだ。『面』じゃなく、無数の『点』を意識して壁を作れ!!!」


 そして急停止し、広げた両手を一気に前に出す。


魔炎旋風殺フェウエレストレム!!!」


 作り出された二本の業火の竜巻が、うねりながらレエテに迫る。


 レエテはナユタの言葉どおりに、再度の耐魔レジストを試みる。


「――!!!」


 今一度集中をし直す。ナユタから厳しく教えを受けたものの、超一流魔導士の彼女の技術をすぐに実践しようとするのは至難の業だ。

 耐魔レジストをただ展開するのではなく、毛穴の一本一本から押し出すように「数」で放出させるのだ。

 これまで幾度となく失敗を繰り返してきたが、今なら――できる気がする。


 そして、静かに形成された耐魔レジストによって、身体の外側に見えない防壁を形成する。


 押し寄せた魔炎旋風殺フェウエレストレムは――確かに成功した耐魔レジストによって、弾ける火花となって霧散した!


「――やった!! やったわ、ナユタ――」


 一瞬喜びのあまり集中力を途切れさせたレエテの側面から――。


 今度は、別の攻撃の気配が押し寄せてくる。


「――安心してるヒマはねえぞ!!! 次は俺だ、レエテ!!!!」


 ホルストースだった。彼もまたナユタと同じように、味方であるレエテに殺気すら放ちながら本気の攻撃を繰り出してきていた。


 神代の槍、ドラギグニャッツオ。アダマンタイン製かつ魔石の効力を持った、この世のいかなる物質でも防げない絶対破壊力を持つ最強の武器。


 結晶手すら破壊する危険きわまりない攻撃を、連邦王国の“不死鳥の尾”での闘い以来初めて手加減なしで向けてきている。

 

 しかし――レエテはこれにすかさず反応し、バックステップによって刺突をかわした。そして身を低くした体勢から身体をひねり、右足による中断回し蹴りをホルストースの胴に向けて放つ。


 だがホルストースは完全にこの攻撃の軌道を読んでいた。次動作に移れる体勢であった彼の剛槍は即座に軌道を変え、垂直方向に向きを変えて柄の部分でレエテの右脚の蹴りを受ける。


 これにホルストースが、額に血管を浮き上がらせながら叫び叱咤する。


「何やってんだてめえ!!! 型が紋切りなんだよ!! しつこく云ってんだろうが!! 予備動作に『嘘』を混ぜろ!!! 飛ぶのか、中段なのか、下段なのか! 判断を迷わせるんだよ!!

それに、“結晶足”はまだ完全じゃねえんだろうが!!! 出てこなかったら隙だらけになるのは分かりきってる!! そんで今てめえは何を鍛えてんだったか!!??」


 ハッとした表情になったレエテは、腰を落とした状態で後方に身体をスライドさせながら、素早く吸い込んだ息を放つとともに――。発動した。全身全霊の、「声」を。


「破ァアアアアアアーーーーッ!!!!!」


 感情の発露による、「音弾」の威力にはまだ及ばない、「声」ではあるが――。

 意識的に放つ攻撃としては、以前よりも格段に威力を増していた。

 

 ビリ――ビリ――と空気を大きく震わせる巨大な音の脅威。ホルストースの体内は小刻みに震えダメージを受け貌は苦悶に歪み、耳と目からわずかながら鮮血を流していた。


「いい……じゃ、ねえか……! 確実に威力を増してるぜ……!! この音は、この世の……誰にも……“魔人”でさえも使うこたあできねえ、お前一人だけの恐ろしい武器だ……レエテ。耐魔レジストも通用しねえこの物理攻撃を、完全に使いこなしゃあ……お前は、無敵だ……!!」


 そう云って、持ち前のタフネスさを発揮して反撃にかかる、ホルストース。



 その鍛錬の様子をしばらく見守っていたナユタは、側面からの恐るべき鋭利な魔力を感じ、即座に氷壁を形成させた。


 その氷壁を打ち破り、姿をのぞかせた禍々しい、巨大な金属の、「手」。


 それこそはルーミスの、王都での“限定解除リミットブレイク”によって得た、右義手“聖照光(ホーリーブライトン)”による真の力。――“熾天使の手(セラフィグ)”だ。


「よそ見をするな、ナユタ。その場の感情で隙を作るのがオマエの最大の弱点。オレが相手になってやる。“血破点開放”の力によって無限継続するようになったオレの法力、かわしきってみせろ!!!」


 ナユタは、弟分の子供とばかり思っていた相手の途轍もないプレッシャーに冷や汗を流し、一度その紅い唇を一回り舐めた。

 そして同じく紅い髪を寒風になびかせながら、油断のない本気の魔導の構えを取った。


「ハッ、ルーミス。ちょっと強くなったぐらいで、一丁前に調子に乗るんじゃあないよ。感情に流されながら闘ってたあんたに云われたくないねえ。悪いが魔力自体はまだまだあたしの方が圧倒的に上。なに上からもの云ってんのよ。胸を貸してやるから、かかってきな!!!」

 




 それから5時間あまり――。


 彼女らの「鍛錬」という名の本気の死闘は続いた。


 時間を見たナユタの終了宣言によって死闘が終了したとき――。気が抜けたように大地に崩れ落ちる彼女ら4人は、消耗しきっていた。


 火傷の上に全身に深い裂傷を負い、血まみれのレエテ。


 “熾天使の手(セラフィグ)”の力と、法力の攻撃によって白い肌を深々と削られたナユタ。


 爆炎魔導による重度の火傷、氷結による凍傷を同時に負ったルーミス。


 結晶手や「声」、怪力での打撃技によって内蔵破裂と骨折を起こしているホルストース。


 いずれ劣らぬ満身創痍だ。

 レエテは地にじっと身体を横たえて、自らの再生能力によって。 

 ルーミスはまず自分の“血破点開放”の再生能力によって。

 ナユタとホルストースは再生したルーミスによる法力の力によって。

 1時間ほどをかけてゆっくりと身体を癒やしていった。



 そして動けるまでに回復すると、それぞれが山小屋や周辺の山に赴き、夕餉の支度にかかる。


 レエテとルーミスは、薪の収集と獲物となる動物の狩りへ。

 ホルストースは料理の仕込みに。

 ナユタはホルストースのサポートと、以前のものぐさな彼女には考えられなかった掃除や食卓の整えなどの家事を。

 それぞれ分担した。



 日も暮れ、4人全員が食卓を囲み、夕餉が始まると――。


 昼間の殺し合いと同義の死闘――「鍛錬」を重ねていた同士とは思えない、和気あいあいとした楽しい、ときに弾けた盛り上がりを見せていったのだった。


「ちくしょうメイガンの野郎! クズ野郎だが仲々のグルメだよ! これでもかってぐらい高級な食材やら、何種類もの酒やら、砂糖以外にも黒糖やシナモンまで揃えてやがった! 腕のふるい甲斐があったぜ!! ありがたく使わせてもらったよ。

この芋蒸留酒アクアビット、最高だぜ。レエテ、お前も飲めよ」


 ホルストースがはしゃぎながら手にした瓶を向け、レエテも上機嫌で杯を差し出し酌を受ける。


「ありがとう。そうね、昨日飲んだシェリー酒も最高だったし、料理も……今日出してくれたステーキ、これローリエとローズマリーが効いてるのかしら? とっても美味しい!」


 その美貌に反し、ホルストースと比べてさえ3倍以上の量を食べる大食いのレエテは、次から次へと肉料理を頬張る。これを受けてナユタが愉悦の表情で賞賛の言葉を継ぐ。


「ああ……そうだねえ。メインもいいけど、ホルス、あんたお菓子もこんなに作れるんだって初めて知ったよ。このシナモンの効いたマフィン、最高! あたしは本当にいい男に巡り合ったよ」


 実は大の甘党であったナユタが焼菓子を頬張る様子を笑って見ながら、ルーミスが言葉を継ぐ。


「まったくだ。オレは昨日出してくれた蜂蜜ハニーのかかったパンケーキが最高だったな。上等な料理が当たり前の法王府でもお目にかかれない、最高の美味さだったよ」


 これらを受けたホルストースは、酔いも手伝ってさらに上機嫌になって云った。


「そうだろそうだろ!! この俺様の偉大さが良く分かったか、お前ら!! 料理ってのは人間にとって偉大なもんなんだ。それにこれだけの才能を授かった俺。どうだレエテ。だいぶ俺に惚れてきたんじゃねえか?」


「……ごめんなさい、それはないわ」


「ホルス!!!! あんた、また性懲りもなく!!! いい加減にしなよ!!!

レエテ、あたしが許可する。明日の鍛錬では、この浮気男の股ぐらに、あんたの結晶足を思い切り下からたたきこんでやりな!!」


「……ナ、ナユタ……。それは冗談とはいえ、あまりにも……。その……オレたちにとってむごすぎる……仕打ちじゃ……」


 ナユタが口にした地獄を思わず自分のことのように想像してしまい、身を縮こまらせて股間に両手をやるルーミスを見て――。不覚にも一番に吹き出してしまった、レエテ。

 それを皮切りに、ツボに入ってしまったナユタとホルストースが爆笑し、楽しい夕餉は続いていった――。



 

 その夜、レエテ、ナユタとホルストース、ルーミスの3室に分かれて就寝に入った一同。


 レエテは、横たわったベッドで、シーツの裾をギュッと掴みながら――。

 必死に耐えていた。押し寄せる悲しみと苦しみに。


「シエイエス――!」


 愛おしい恋人。その彼が今置かれている、淫らな仇敵の女二人に囲まれたおぞましい状況を――したくないが想像しそうになる。そして、彼の身を案じる以上に狂おしい嫉妬に身を焦がす自分が嫌になる。


 そして、キャティシア喪失の悲しみ。


 ――何より、愛していた存在に裏切られ、その穢れた手でもたらされた災厄で愛するもの達の命が奪われ、自分を含めた者へ苦しみが与えられ続けていた衝撃の事実。



 忘れられるはずなど、なかった。とても眠れるような状態ではない。鍛錬による肉体の疲労困憊と、大量の酒による酔いがなかったら。




 1週間前、レエテはそれらの衝撃に押しつぶされている状態だった。

 キャティシアを手厚く葬るまではまだ保たれていた理性も、それが終わった時点で糸が切れてしまった。


 そして山小屋の部屋に閉じこもり、自分の殻にも閉じこもらざるを得なかった。


 しかし――。そのレエテの窮地を救ったのは、ナユタだった。


 彼女は声もかけずノックもせず、いきなり強引に魔導で部屋の扉を吹き飛ばし乱入すると、レエテの胸ぐらを掴み上げ、何度も何度も彼女の頬を平手で叩いた。そして云った。


(いい加減にしなよ? 今までは、まだ同情するだけで良かった。あんたを甘やかしておいてやれた。

けど、もう状況は変わった。将鬼はあと2人になった。その後はヴェルだけだ。ここまで来ちまったんだよ。そしてこっちの状況を見りゃあランスロットに続いて、キャティシアまでもが犠牲になっちまった。シエイエスだって、囚われちまった。「重み」が違うんだ。

メソメソしてるヒマは、ないんだよ。とっとと出てきな。やることは山のようにある。

まずは、鍛錬だ。これからは“魔導ソーサル”ギルド、その後はたぶん首領級のやつらとの連戦だ。今のあんたとあたし達じゃあ力不足。これから昼間は毎日、あたし達同士、遠慮会釈ない「殺し合い」をやる。それぐらいやらなきゃダメだ。たとえ誰かが死んじまっても、恨みっこなしだ。そいつはこの後の戦いを生き抜けない、弱者だったってことだ。

そんで夜は、何もかも面倒なことは忘れて楽しくパーッとやるんだ。死人や囚人に遠慮なんざいらない。いまのあたし達の心の方が大事だ。ホルスに美味い料理出してもらって、あんたも大好きな酒をたらふく飲むんだ。

わかるか!? 肉体と心を鍛えるんだ! ひたすら強くするんだ!! あたし達は人間でいたいなんて甘いことを云ってた! だが、すでにもう違う。あたし達はすでに、何と言い訳しようが弱者を喰らい強くなっていく悪鬼、修羅だ!!! 弱さは、捨てろ。どこまでもどこまでも――どこまでも強くなる!!!! それだけ考えろ!!!!)


 もはやそれは、ナユタが自身に云い聞かせ鞭打つかのごとき、魂の叫びになっていた。


 それを聞いたレエテは、変わった。皆もだ。以来毎日、墓参りと鍛錬と回復と宴会を繰り返す日々を過ごした。その間は、強くいられた。心を麻痺させることができた。


 ただ――唯一、この一人になる夜だけは、例外だ。いかに強がろうが麻痺させようがない。苦しみに襲われる。それはナユタとホルストース、またルーミスも同様だった。唯一この時間が、弱い「人間」に戻る時間だったのだ。


 もうそれで、いいと思う。人間の心は表に出さずに残す。あとは、強くなる。ナユタの云うとおり、この世で最も恐るべき犠牲を喰らい、成長し続ける修羅として。今は順調に確実に、強くなっている。シエイエスを取り戻す約束の日まで雌伏し、その後の最後の死闘に向けて――。弱点を克服し、武器に磨きをかけ、強くなり続けるだけだ。


 それを胸に思い返し、レエテは耐えきれぬ疲労と、酒の効果によって――。

 深い眠りに、落ちていったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ