第一話 この地上で最悪の、魔群
ハルメニア大陸最南に位置する王国――エスカリオテ王国。
そこは、大陸最大の半島たるアトモフィス半島の大半を占める広大な国土。森林は多いがそこそこ肥沃な大地、海に面しエストガレス王国やエグゼビア公国と国境を接する流通の便といった側面を持つ。国家として申し分のない要素を有する土地である。
そのような要素から古来より、その地には代々様々な独立国家が成り立ってきた。
エスカリオテ王朝が成立したのは、今から300年前のことだ。それまでの支配王朝イヴァーリスが形骸化したまま100年が過ぎた段階で当時の王が座を放棄し、実質支配していた有力諸侯の中で最盛を誇った女貴族、ベレンガリア・エスカリオテが女王の座についたのが始まり。
以来大王国エストガレスに膝を屈することなくこの地に君臨したエスカリオテ王国。
状況が変わったのは――成立してから100年が過ぎた頃だった。
王国の南端に存在し、数千年以上封印されていたはずの、アトモフィス・クレーターに続くとされていた隧道への岩壁。これを密かに破壊し内部に侵入、勢力を築き上げた謎の組織が王国に脅威をもたらしたのだ。
彼らは――自らを“サタナエル”と名乗った。
たった100人にも満たない勢力である彼らは、突如として首都ヴァーレンハイトに攻め寄せ、5万の王都軍を圧倒した。
そして最も大胆な方法によって国家を掌握にいたった。
軍を駆逐し城壁まで攻め寄せた彼らの中から進み出た、銀髪褐色肌の一人の女性。
自らを“クリシュナル・サタナエル”と名乗った、その絶世の美貌をもつ女性は――。
まるで、己の宅地に帰還するかのように非武装無防備で城門に近づき――。
突如左右の手に出現させた結晶手によって、当時は木製であった城門を斬り裂き分け入り――。
そのまま、襲いかかる城兵を虫でもはらう如くに虐殺しながら城に侵入。
謁見の間まで到達し、逃げ惑う当時の国王を容赦なく斬殺した。
その首を城門にて掲げ、高らかに宣言した。
(これより、エスカリオテ王国は我がサタナエルの隷属となる!!!! 労働力、建築資材、衣服、食料、あらゆるものを上納し続けよ。永遠にだ!! 国王となる者は常に我らが任命、我らの手足となり、かつ我らの存在の隠れ蓑となるのだ!!)
この瞬間、誇り高き独立国であったエスカリオテの歴史は終わった。
悪夢の中から現れ出た最悪最強の組織、サタナエルの完全なる傀儡国家となったのである。
以来200年、傀儡隷属国家としての努めを果たしてきたエスカリオテだが、鞭だけでは人は定着しない。飴として、サタナエルに従う者には最大限の富と名誉が約束され、国家としてもサタナエルの庇護という絶対の安全が保障された。
最初の50年ほどは小規模な革命の火が噴きあがることもあったが、やがてそれも無くなった。
以降、飼われる羊の身を甘んじて享受する主体性なき人々による偽りの繁栄のもと、人口400万の一大国家の「体」を成し続けていたのだった。
*
そして現在。
エスカリオテ王国首都ヴァーレンハイト。
人口50万の都市は、この日も普段と変わらぬ繁栄を享受しているかに見えた。
しかし――異変は、現れていた。
早朝より、怪しげな堅牢なる馬車が何十台と、城門と王城の間を出入りしている。
2週間以上前から軍がものものしい準備を始め、城壁の外が騒がしくなってはいたが、それと連動しているかのような動きだ。
馬車は――市民がたとえそれを目にしても、「見なかったこと」にし、「口に出してもならない」と200年もの間戒律で決まっている、特定の対象のものだ。
その中で――ひときわ大きな馬車が、王城までの中央大街路を走り抜けていた。
市民の全て、それも何十年とこの首都で生活している老人ですら、まったく見たことも聞いたこともない、豪壮で巨大な馬車だ。
馬は12頭立て、馬車の大きさは高さ5m、長さ10m、幅4mという馬鹿げているとしか思えぬ巨大さ。
装飾は一切ないが、オリハルコンと思しき銀に鈍く光る金属板による箱型の形状は凄まじい威圧感を見るものに感じさせる。
窓は大きいが、その中に乗っている人物を垣間見ることはできない。
光量が少ないこと、おそらく乗っている人物は一人で奥まった場所にいることによって。
だが窓の中からは、一般市民ですら肌で感じることができるほど――ドス黒く巨大な闘気、殺気が放たれていた。
そう、明らかに人間でない存在が居る、と確信させるほどの。
馬車は王城の正門を抜け、停止した。
停止した場所には、出迎えの一人の女性が立っていた。
小柄な、少女だ。150cmほどか。真ん中で分けたブロンドの長いストレートヘア。全身刃物のように鋭利な白銀の重装鎧姿。
その可愛らしい貌立ちは、以前のような甘さや世を嘗めきったような澱が完全に払拭され、歴戦の戦士のそれに成長を遂げていたものの――。
エルダーガルド平原での激闘においてナユタに敗北し、フレアの手で救出されていた、“魔人”親衛部隊を率いる副将。
レーヴァテイン・エイブリエルの姿に他ならなかった。
その彼女に迎えられる存在とは、すなわち――。
2m四方の扉を重々しく自ら開き、地に降り立った、その存在。
2mを超える圧倒的巨体。およそ人間が付けうるものとは信じがたい、岩石の巨大さと鋼線の強靭さしなやかさを備えた筋肉を備える。それを包む漆黒と黄金のボディスーツ、マントという姿。
覗く身体も貌も浅黒い褐色、短く刈った剛毛の銀髪、この世で最も強靭な意志を秘めた黄金色の両瞳という身体的特徴。
ただ居るだけで、周囲の人間の心臓を握りつぶさんばかりの圧力、存在感を放出する、絶対的存在。
全サタナエル戦闘者の真の頂点――“魔人”ヴェルこと、ヴェールント・サタナエルが遂に、アトモフィス・クレーター「本拠」外へと降臨したのだ。
レーヴァテインはその圧力に物怖じすることは一切なく、ヴェルの目前に進み出て膝を付き、最上位の礼をとった。
「お待ち致しておりました、ヴェル様。我がサタナエルでも前例のない、総力戦に臨むがため、将鬼、一部の七長老、各副将、そして“参謀”が参集をいたしております。ヴェル様の勅命を受けるのを今か今かとお待ち申し上げておりますところ。
一刻も早く、謁見の間までご登壇ください」
ヴェルは威圧感に満ちた険に覆われた表情を変えることなく、レーヴァテインに一瞥だけをくれ、歩き始めながら低く声を発した。
「……よかろう、案内せよ。レーヴァテイン」
「はっ!!!」
その声とともに瞬時に立ち上がり、ヴェルの右前を先導し城内に進むレーヴァテイン。
城内は、エストガレスの影響を多分に受けた、意匠を重視した優雅な造りだった。規模はローザンヌ城ほど大きくなく、クリシュナル・サタナエル以来外敵の侵攻を受けていないため、堅牢さというには足らぬ建造物といえた。「本拠」の宮殿とは比較にならぬ小さな規模ではあるが、ヴェルにとっては何の価値もない情報であるようだった。
やがて目前に現れた大扉。前に控えていた兵士が恐怖に貌を引きつらせながら扉を開けると――。
そこには、大陸の歴史でも前例を見ない光景が展開されていた。
その間、謁見の間は、ローザンヌ城をも上回るほどの大きさを誇る。
理由は、そこに頂く主がエスカリオテ国王ではないからだ。
現エスカリオテ国王、ゲオルゲ・エスカリオテⅦ世は、謁見の間の中央の玉座にはいなかった。
彼の姿は中央から3つ外にある副玉座の前にあった。
40という、脂の乗った年齢にふさわしい、エネルギーと器量を感じさせる大柄な男だった。が、その姿は国王という座にあるまじき、最上位の平服礼の姿勢をもってそこに在ったのだ。
そして――その前の広大な間で、膝をついてヴェルを迎えるサタナエルの幹部たちの姿。
最前列に居たのは、最も戦力を残存している“魔導”ギルドの副将と思われる、アルム絹のローブをまとった魔導士たち7名。
その後ろに、“剣”ギルド、“斧槌”ギルド、“法力”ギルドの生き残りと思われる副将たち。グラン=ティフェレト遺跡で二つの敵勢力に念入りに掃討されてしまった“投擲”ギルドと“短剣”ギルドに関しては、残念ながらほぼ全滅の憂き目にあったようだ。
ただし――“短剣”ギルドに関しては、頂点に立つ将鬼だけは、生き残っていた。
その後方で膝を付く、ロブ=ハルス・エイブリエルである。
その隣には、ヴェルとは深い仲でもある将鬼長にして“魔導”ギルド将鬼、フレア・イリーステスの姿。
そして、フレアと寄り添うように膝を付いている、サタナエル一族の女が一人いた。
ヴェルの記憶の片隅で、マイエのコミュニティに居たという程度でしかない女だ。
すでに報告は受けているため、知っている。“参謀”としてこれまで姿を現さず暗躍してきた女だ。
サタナエル一族の女子という身分であることから素性を隠してきたが、ようやく表に姿を現すことを“第一席次”より許可されたとフレアより聞いた。
その最後部で、ヴェルに平服せず立っている人物が2人。
礼を取る必要のない立場――七長老だ。
一人は「本拠」の会議でいやというほど貌を突き合わせている男、痩せて貌色の悪い老人“第六席次”。おそらくは、ノスティラスでの「メフィストフェレス」蔓延失敗と、“幽鬼”の指揮を誤り総長、副長をともに失った責任であろう。だが“投擲”ギルド元将鬼という肩書であり、実力は侮れない。
ついで、“第二席次”。齢100歳を超えるとされる枯れ木のような老人だが、ローブが歩いているように見えるその姿は意外に矍鑠としている。元“魔導”ギルド将鬼という伝説的実力者であり、純粋な戦力として参加したと見える。
ヴェルはそれら配下に一瞥をくれただけで、王者にふさわしい足取りで真っ直ぐに歩き、謁見の間最奥部にある中央玉座に腰掛けた。
彼のその動きに合わせて一同が向きを自分の方向に改めたところで、第一声を放ったのだ。
「我がサタナエルの手足たる、精強なる戦闘者どもよ。
残念なことだが、我がサタナエルは史上類を見ぬ存亡の危機にある。すなわち、半分以上の戦力をすでに失い、図に乗った敵勢力どもの侵攻を、『本拠』手前まで許しているというこの状況のことだ」
余計な口上の一切ない、真実を単刀直入に斬りつけるように発する言葉。
低く静かなその声。しかしその内包する迫力と威厳は、超人的戦闘集団の幹部級の一同をして肝を冷やすほどの強力きわまるものだった。
「これに関し、誰ぞそれぞの失態なぞと責任追及をする気は、俺には毛頭ない。尊き時間に血を流させる、愚昧の極地たる行為ゆえな。
全ての責任は、“魔人”たるこのヴェルにある。俺はサタナエルを守りきり、無数に存在する俺の子、ないし“屍鬼”の中から次の“魔人”を選びだせれば、自らを処刑する所存だ」
その決然たる宣言に、その場のほぼ全ての人物が驚愕にどよめいた。――フレア、ロブ=ハルス、ドミノを除いて。
「現在、まず我らに立ちはだかるは、かねてより我らに反抗的であった“紫電帝”ヘンリ=ドルマン率いるノスティラス皇国と聞く。フレア、状況を報告せよ」
ヴェルの言葉を受け、フレアが報告のための発言を始める。
「はっ。ノスティラス皇国軍ですが、“狂公”ダレン=ジョスパンの手引きによって無傷で20万の軍勢の王国内通過に成功。エスカリオテ国境に展開しつつあります。一旦はローザンヌ城に向かいましたが、残念ながら将鬼ゼノンが戦死した事実を敵当事者たるレエテ一派より受け、奴らとともにカンヌドーリアまで補給のため西征。
あと1週間以内には、エスカリオテ国境を完全に捉えた布陣を展開するでしょう」
「分かった。現時点で、ノスティラスに与する勢力として把握できておる者は?」
「現時点では、エストガレス軍はゼノンとここに居るロブ=ハルスの功績によって無力化。ドミナトス=レガーリア連邦王国軍のみ、それも国王ソルレオン・インレスピータ自らが率いる1000の軍勢のみが与する模様にございます」
「それら、敵総勢力の中での特記戦力を列挙せよ」
「まずはその、神剣アレクトを振るう連邦王国国王ソルレオン。ノスティラスでは、魔工兵器団を指揮しているという魔工匠イセベルグ・デューラー。“三角江”の四騎士のサッド・エンゲルス、ランドルフ・シュツットガルト、レオン・ブリュンヒルド。氷雪魔導の使い手、デネヴ統候ミナァン・ラックスタルド。その夫で高名なる剣士、元帥カール・バルトロメウス。そして最大の大敵――大陸最強魔導士、皇帝ヘンリ=ドルマン」
これを受け横合いから、“第二席次”が口を出す。
「フォフォフォッフォ……。フレアめの云う通りじゃて。あの女男皇帝、このワシほどの者から見ても次元の異なる大化物じゃ。あやつ一人に何人殺られるか。敵も、実質他の連中はあやつのサポートに徹するであろうとワシは見ておるよ」
返事はしないが、耳はしっかりと傾けたヴェル。次いで――声をかけた先。
「――“参謀”ドミノ・サタナエルとやら。俺は貴様とは初見と云って良いが、これまでの智謀知略、功績に関してはフレアの使いより耳にした。ともに、レエテ一派の此度の戦への介入阻止にも功績あったようだな」
それを聞き、ドミノは一歩進み出て礼を取り、不敵な笑みのまま口上を述べた。
「これは、身に余る光栄なお言葉をいただき、恐縮至極。微力ではございますが、私がかつてレエテと浅からぬ縁あったことと、奴の男も利用し、かように奴を無力化することに成功いたしました。ご安心をいただければと」
それを聞いたヴェルの表情に――僅かではあるが変化が起きた。
変化を目にしたフレアが、瞬時に貌を青ざめさせて震え、より深く平服する。
ヴェルの愛人でもあり彼という人物を良く知る彼女は、その変化が何を意味しているか――熟知し、しかも心底、恐れていたからだ。
「も……申し訳ございませぬ、“魔人”ヴェル。私どもは良かれと思っての……ことと……」
「黙れ」
ヴェルのあまりに静かな、しかし有無を云わさぬ言葉で遮られる、フレアの口上。
「全くもって、要らぬ世話よ。この俺が、レエテらの存在ごときで危機に陥る弱者と侮ってのことか?
しかも奴は、俺にとって愛する女を奪った、仇敵。それを知る貴様がこのような愚策に出るとはな」
「お……お赦しを……グッ!」
フレアが苦痛の悲鳴を上げる。すでに玉座から立ち上がっていたヴェルが、右手に出現した結晶手でフレアの左肩を深く抉っていたからだ。
鮮血が、床に落ちる。いかに苦痛も快楽にするフレアでも度を超した深い傷と痛みだ。過去に夜伽の場でもヴェルを怒らせた幾度かの時にされた仕置だ。
ヴェルは結晶手を抜くと、即座に次の行動に出ていた。
「だが最も不愉快なのは――貴様だ」
ヴェルの右腕は、瞬時に、「消えた」。その場に居る、誰も捉えることができない、異次元の速度で。
そして次の瞬間、異変は――ドミノに現れていた。
「――え――?」
呆然とするドミノが、異変を感じた右腕を見ると――。
自分の身体から、真っ直ぐにずり落ちていた。肩からの胴体部分まで含む深い範囲で、切り落とされたのだ!
「――!!!! ――は――ぐっ!!!!!」
歯を食いしばり、激痛に耐えるドミノ。そして周囲一面が血の海となる中、慌てて自分の右腕を拾い再生するべく、己の傷口に押し付ける。
しかし――マイエに次ぐ戦士として、しかも裏でサタナエルとコネクションを密かに持っていたドミノは過去これほどの重傷を負ったことはなく、痛みに耐えるのには全身全霊を必要とした。
その目前には――。ドミノほどの怪物に気づかせずに腕を切断した、ヴェルの姿。
斬った武器は――関節を外し延長した右腕の先の結晶手だった。
よりにもよって、ドミノが最も憎悪し念願の地獄に落とした相手、マイエの技であった。
「……!!!」
その場のほとんどの者が、貌を青白く変色させ、恐怖していた。いずれも、サタナエルという人智を超えた超人戦闘組織の中でトップクラスの強者であるにも関わらずだ。
国王ゲオルゲなどは、すでに修羅場に耐えきれずにその場に卒倒していた。
ヴェルは眉間に険を刻み、静かに云った。
「フレアらがこそこそ影でなにやら動いていたこと自体は、1年前より気づいておったが、興味は全くなかった。此度初めて、詳細に貴様の卑劣きわまる行為につき聞いたのだが――反吐が出る。
憎しみを持つこと、己の利益を追求するは構わぬ。敵をたばかり騙すも構わぬ。
だが、経過はどのような手段を用いようが、結果は己の手で得るもの。貴様は手を汚さず他人にそれを全て委ねた。他にも、弱きものから標的にしていった、卑劣な行為。マイエに対し生きている時は追従し、死してよりその屍体を刻む、唾棄すべき醜さ。
実力は認めるゆえ此度の戦列には加えてやるが、これ以後二度と、俺の前に姿を現すな。現れれば、容赦はせぬ」
ドミノはぜえ、ぜえと息を荒げながら、ヴェルを睨み返すのが精一杯だった。
万全でも、逆らうことはできない。先程の一撃、圧倒的だった。自分ほどの実力者をして、何をされたか分からない瞬時に、あれほどの攻撃を鮮やかに入れられた。今は加減をされただけで、彼がその気になれば首も心臓も一撃で飛ばされていただろう。
怒りよりも、畏怖が先行した。やはり、“魔人”。はるか高みに居ることを認めざるを得ない。
「では、これより以後、早急に戦術を練る。今後、与えられた責を忠実に果たせ。
サタナエルの生存、大陸の覇権の維持に務めるのだ。失敗は許されぬ。このヴェルの目、耳、手足となるのだ。俺は必ず、ヘンリ=ドルマンを討ち取って見せるゆえな」
その、当然至極とばかりに放たれた、魔皇の自信に満ちた言葉。
場の強者全てが、その強烈さに平伏するしかなかったのだった――。




