第四話 猛き法の力【★挿絵有】
法王府北部、ダブラン村近郊の森林地帯。
コルヌー大森林の一部であるこの一帯は、ノスティラスへ向かうランダメリア街道からも大きく外れた人気のない場所であり、幸いにして旅人などが容易に迷い込んでくる場所ではない。
幸いにして――というのは今この瞬間より開始されようとしている、壮絶なる「戦争」に巻き込まれ無関係に命を落とす者は現れない、という事実を指している。
一方は法王庁大司教直属、庁内最強の呼び声も高い“白豹騎士団”の団長ドナテルロ率いる精鋭20名。
もう一方は元法王庁司祭にして“背教者”、ルーミス・サリナスと、現在矢によって肺を射抜かれた上心臓にも損傷を受け、一時動くことができないレエテ・サタナエルの二名。
一見、比べるべくもない絶望的な戦力差であり、ナユタとランスロットという強力な魔導士二名を欠いていることが悔やまれる状況だ。
臨戦体勢の白豹騎士団と同様、ルーミスもまた聖なる法力の力を両手に充填し、その掌には白い光球のようなものが形成されていた。
通常、法力使いが治療行為などの際にとる所作だが、これほど大きな光球を出すことはまれだ。まれ、とはそう、心臓が完全に停止した人間を前に、ショックで鼓動を回復する際ぐらいにしか使わないであろう強さに当たるものだ。
「天にまします我らが父ハーミアよ……。我が身に正しき行いを成す力を授けられよ……」
小声で早口に呟いたルーミス。そう、法力とはこの世界の誰もが身に宿す「魔力」を、唯一神ハーミアへの信仰心の精神的作用により浄化し使用する、広義の魔導といえる力だ。よって聖句を唱え己の信仰心を呼び覚ますことは、法力の増強へとつながる。
そして力を増した光球を向けた先、それは敵である騎士達ではなく――自分自身だった。
ルーミスは右手を左の腋上、左手を右鼠径部の各リンパ節付近に勢い良く叩きつける!
「グッッッ!」
変化は、一瞬で現れた。すぐにルーミスの両の腿・脹ら脛・上腕筋などの主要筋肉がボコボコと音をたてて膨らみはじめ、頸動脈と顔の血管が木の根のごとく大きく浮き出し、血液が沸騰し煮立つかのような反応が表出したのである。
「罰当たりな“背教者”が……。己の“血破点”に法力を流し込み、肉体を強制活性するとは。貴様はそれでどの程度力が増しているかは知らぬが、我が前には無意味!」
“血破点”とは、全身に数百存在する、人体の経節穴。ここに法力を流し込むことで人体細胞は異常なまでに活性化し、刺激の強さによっては極めて大きく破壊される。
“背教者”とは法力をある意味悪用したこの人体活性破壊術を、その理由如何にかかわらず鍛錬・使用に至る過ちを犯した者に、烙印とともに与えられる蔑称なのである。
じりじりと距離を詰めた白豹騎士団が――遂に動く!
左右から二騎一組ずつの騎馬が殺到し、それぞれ隊列でのランスの刺突にてルーミスを狙い――。正面より襲い来る一騎が、放物線状に跳躍しながら上空より雷のごとき刺突を繰り出す!
「遅い!」
ルーミスは叫び、やや右側に軌道を取りながら上空へ一気に跳躍する。
増強した筋力ゆえか、一気に4mは上空へと躍り出た。
緊急停止する左右の騎馬と、獲物を失った正面よりの刺客が着地すると同時に、ルーミスは右側で並列となっている騎馬の馬上に降り立つ。間髪を入れず右手で騎士の兜を掴み頭部へ、左手で隣の騎士の心臓付近へ、それぞれの血破点へ強大な法力を流し込む!
「地獄へ堕ちろ! 経穴導破法!!」
「ぐああああああ!!!」
叫びと同時に注入された法力が、彼らの肉体をめぐり、内部より血管や筋肉を爆ぜるように破壊する。兜や鎧の隙間から血の噴水を吹き出させ絶命、落馬する騎士たち。
さらに間髪を入れず、左側にいた騎士たちの間に飛び、鐙の上の騎士の足を足場に、彼らの膝をそれぞれ掴み、両の手で再び経穴導破法を打ち込む。
膝が一瞬にして破壊、腿から下を失い落馬していく騎士2名。急所は免れたが、大量の出血を地に撒き散らしながら叫びをあげてのたうち回る。
一気に4騎を討ち取ったルーミスを前に、ドナテルロ団長の貌つきも変化した。
「ふん、腐っても百年に一度と謳われた神童にして、司祭として最年少の記録を塗り替えた男。その力が“背教者”として発揮されれば、やはり一筋縄ではいかぬな。サタナエルの一人を討ち取ったのも、事実とみえる」
さっと右手を上げると、彼の左翼にいた騎士たち10名ほどが一斉に動き、ルーミスを迂回するルートで一気にレエテを目指して移動しはじめる。
そして間髪入れずドナテルロもまた全速力で自らルーミスに殺到する。
「レエテ!! くっ……ドナテルロ、オマエという奴は!!」
「さあ! よそ見しておる暇はないぞ。私の力をそこの雑魚どもと同列に見るでない。貴様でも気を抜けば地獄へ真っ逆さまよ!」
云うが早いか、ドナテルロは雷刃のごときランスの突きを、着地していたルーミスに向けて放った。
跳躍し、回避するルーミス。そしてそのまま馬上へ向けて襲いかかる!
「小賢しい!」
叫ぶと、ドナテルロは突きを放った勢いを水平に曲げ、そのまま風車のごとく回転させる。
天方向へ強烈な空気抵抗が襲い、軌道を狂わされたルーミスは攻撃を中止し地に着地する。
「舐めるなよ、ルーミス。私は長く大司教猊下の懐刀として、数多くの“背教者”を葬ってきた者。その実戦経験もあるが、極限まで修練を積んだ、騎馬上における騎士の恐ろしさというものを貴様はまだ知るまい。
その血破点打ちによる筋力増強には、持って数分程度という時間制限がある。果たしてその間に貴様は私を斃し、後ろにいる女を救いに戻れるものかな……?」
血破点打ちの制限時間が迫り、騎士団最強の実力者を前にルーミスが危機を迎えているのと同様、レエテもまた危機を迎えていた。
彼女は地に伏した状態でどうにか、背中に身体を貫通する勢いで突き刺さる鋼矢を、失血を覚悟で引き抜いていた。最初鮮やかに吹き上がっていた鮮血はどうやら落ちついてきたものの、1本は肺を貫通、一本が心臓を傷つけているという内蔵への重傷は回復しきれていなかった。
馬相手なら使用したいところである、ダリム公国のコロシアムで用いた大音量の雄叫びは、肺が傷ついた今使用することはできない。
加えて心臓の損傷による機能不全は、普通人なら命はないが、レエテであっても身体能力の大幅な制限は本来免れない。
その回復時間を稼ぐ間もなく――、10騎の白豹騎士団別働隊は、レエテの目前に到着してしまった。
「レエテ・サタナエル、だったな。我が法王庁の偉大なる大司教ハドリアン猊下が、そなたの身柄をご所望である。首か心臓をどうにかせぬ限りは死なぬと聞いておるゆえ、そなたの両腕両足を全て切り落とし、一切の抵抗が出来ぬ状態で連行せよとの仰せである。今より執行するゆえ神妙にするが良い」
別働隊の指揮を任されているらしい騎士が、レエテに向けて云い放った。捕虜にするどころか人でなく物としてしか扱わないというに等しい、人道のかけらもない冷酷な宣言に、彼らを遣わした大司教ハドリアンなる男の聖職者の風上にもおけぬ人物像が垣間見える。
そうして4人ほどの騎士達が馬上を降り地に足を付けたその――瞬間!
レエテは地を這う低位置にて電光石火の速さで地面を転がった。間を置くことなく両手に出現させた結晶手を回転させ、一箇所に結集した人と、そして馬との足を――脚を――蹄を次々と刻み、または切断していく!
「ぐあ!!!」
「ぎやぁぁぁあぁ!!」
血しぶきを上げ、大多数の騎士と騎馬を戦闘不能に陥らせ地に堕としたレエテは、多量の返り血で真っ赤に染まったその姿で、鬼気迫る表情で立ち上がる。そして目前に居る白馬の両前足を掴み、その怪力で自分を中心に馬の巨体を一気に振り回す!
「な、何をおぉぉぉ! ぐあ!!」
騎馬していた騎士は数m先の地面に首から落下して動かなくなった。馬の巨体を激突させられた3騎は、その衝撃で馬の首、騎士の鎧、兜に覆われた頭部をそれぞれ一瞬にして破壊された。
「ルー、ミ、スー!!!」
まだ損傷した肺から切れ切れの怒声を発しながら、レエテが次なる驚愕の動作に入る!
2本の脚を掴み高速で回転させられ、虫の息の白馬を、さらに宙に浮かせ回転させる。そして眼にも止まらぬ高速回転となったところで、一気にその岩のような巨体を投擲する。
馬の巨体は――、真っ直ぐに十数m以上の距離を飛び、そして――。
ドナテルロの白馬に激突した!
「ぐあ! な、何だと! そんな馬鹿なことが!」
ドナテルロは一気に地に放り出され、着地する。
「ドナテルロ!!」
そこへルーミスが殺到し、右手をドナテルロの頭部へ突き出す。
一撃必殺の殺傷力をほこるその手を、間一髪でランスに込めた耐魔で防ぐドナテルロ。
「くっ、来い、貴様らぁ!」
ドナテルロの呼びかけに応じ、背後で待機していた6騎が彼に殺到し、そのうち一騎がドナテルロの身体をすくい上げ騎馬の後ろに乗せる。
馬上にて退散の構えとなったドナテルロは、ルーミスに向けて驚愕の表情のまま云い放つ。
「なんという……化け物だ。あのようなものを捕らえるには、我らも準備があまりに不足していたようだ。甘かったな……。だがルーミス……! ゆめゆめ勘違いするなよ。貴様は私に勝ってはおらぬ。此度我々はあくまで、あちらのサタナエルが生み出した一個の化け物に敗北したのだ。
必ずこの雪辱は晴らす、忘れるでないぞ!」
云い捨てて、白豹騎士団の6騎7人は、退却していった。
ルーミスにより4騎、レエテにより10騎の計14騎を失った彼ら。レエテ捕縛にも失敗し戦果は「大惨敗」というべきだが、彼女のダメージも決して小さいものではなかった。
別の血破点への法力注入により活性化を解除したルーミスは、すぐにレエテのもとへ駆け寄った。
彼女は地に横たわり、大きく衰弱していた。ダメージで悲鳴を上げる身体を押して、気力だけで全力の身体能力を発揮しさらなるダメージを負ってしまったのだ。
「レエテ、大丈夫か!? しっかりしろ! 無茶をしすぎだ。オレのせいで負ったダメージでこんなことになって……、本当にすまない」
「いい……んだ。私はもう……仲間が、親しい人が目の前で殺される、ことに……。二度と、耐えられない。私も油断してた。もっとしっかりしていれば……あなたを闘わせることもなかったのに。こちらこそ、ごめん、なさい……」
「謝るんじゃない。そんなのはおかしい。なぜそうして自分で全部抱え込んで、傷ついていく道を選ぼうとするんだ」
「あなたも……ナユタと同じことをいうんだね……。やっぱり、私は……」
最後まで云い切ることなく、レエテは気を失った。
ルーミスは狼狽した。滅多なことでは死なないサタナエル一族ではあろうが、心臓に先程の無理で傷が開き、最悪破裂などしているようなことがあればその限りでなくさすがのレエテも死ぬ。
そんなことは、させられない。しかしナユタと合流しようにも、今はこちらから動くことはできない。だが白豹騎士団との戦場となったこの場所には、いつドナテルロの再度の手が及ぶかわからない。
おそらくベストの方法は――。血破点打ちを今一度使いレエテを安全な場所に運び、そこでルーミス自身の力の続く限り法力により彼女の治癒力を手助けすることだ。
心は決まった。彼は消耗した身体を押して、再び法力を両の手に結集させた。
本話から登場の“法力”による人体活性破壊の描写は、名作北斗の拳のオマージュです。