エピローグ(Ⅱ) 神を愚弄する、もう一人の悪魔
最悪の裏切り者にして悍ましき悪魔ドミノ・サタナエルと、レエテによる邂逅と一戦が閲兵広場で行われてより、およそ3時間後。
ローザンヌ城もその周囲も、今は完全なる静寂に包まれていた。
生者の存在は、ない。存在するのはただ、死者のみ。
ローザンヌ城内部、エントランスホール。
下階の謁見の間も含め、将鬼ゼノンとレエテの神代の激闘が行われた戦場。
もはや壁も柱も崩れひび割れ、軋む音を立てながらさらに構造物として損傷を広げているようだった。時折、石壁が天井などからはがれ、石畳に落ちている。
謁見の間には、僭王ドミトゥスと、流星将ラ=ファイエットの遺体。
そしてこのエントラスホールに横たわっている、遺体は――。
レエテの鍛錬の結晶、結晶足によって上半身をほぼ二つに裂かれ、敗北したゼノンのもの。
断末魔の表情に凝り固まり、すでにその内部の魂は、地獄に落ちていっているものと思われた。
しかし――。奇妙な事態が、起きていた。
上半身裸となった身体の前面に、バックリと口を開けていたはずの、巨大な傷口。
それが明らかに、小さくなっていた。
もはや、単なる斬傷となんら変わりないレベルまでに、塞がっているのだ。
よくみると、徐々に、さらに塞がっていくのが分かる。
それに伴って――土気色になりつつあった肌の色が、白く、やや赤みを帯びてきていた。
傷が塞がると、その筋肉の張り詰めた逞しい胸が、上下し始めたのだ。
さらに時間が経って、ついに――二つの碧眼がゆっくりと、開き始めた!
その口から呼吸も回復させると、遺体であったゼノンは完全に「生き返り」、上体を起こした。
そして軽く頭を振る。血流が回復したばかりで、頭痛がしているようだ。
そして、かすれた言葉を、発する。
「……どうにか……命を、拾ったか……。
危なかった……。レエテの結晶化した足が、心臓と脊髄のどちらかでも致命的に傷つけていれば、僕の命は完全に、なかった。
脊髄が無事だったことで……“仮死冥凍法”で生命力を封じ込めることができ……。
脳も心臓も無事だったことで、“血破点開放”を機能させられた。
さらにいえば、メイガンが生き返った事実を知っていながら……。僕の死を疑って完膚無きまで止めを刺さなかったレエテの詰めの甘さにも、救われたか……」
そして、ややよろめきながらも、しっかりと石畳を踏みしめて立ち上がったゼノンの背後から――。
突如、人間の、声がかかったのだった。
「――なるほどな、この状況はそういう、事だったか。
激闘の末、レエテは見事、お主に勝った、ゼノン。息の根も止めた。しかしお主は卑怯にも奥の手を使い、死んだふりをして怯えながらレエテをやりすごしたと。
絶対支配者サタナエルの将鬼にあるまじき、見苦しい姿よな」
驚愕に青ざめたゼノンが振り返った、その先には――。
立っていた。そこに今、最も居てほしくない存在が。
声ですでに、分かっていた。
不吉な影のような、長身痩躯。濃い青を基調とした、貴族軍服。黒い手袋をした右手に握られた、両刃付きの鍛造オリハルコン製レイピア。
柔らかく整えられた洒落た髪型の、金髪。その下に覗く、感情のない不自然な笑いを貼り付けた貌。
その普段ほぼ閉じられている目だけは、今は開いて三白眼が露わになっている。
王国第4位王位継承権者、ファルブルク公爵、ダレン=ジョスパンその人であった。
「少々、タイミングはずれたが、良い時にここへ立ち寄れた。いや、お主に感謝すべきかな、レエテ。
お主がこやつを仮死状態にしてくれたからこそ、余はこの機会を得た。わざわざゼノン、お主を探す気などなく、今はさっさとファルブルク城に帰還するつもりだったからな、余は」
一瞬、明らかな動揺と――恐怖を貌に浮かべたゼノンだったが、さすがに彼のこと。瞬時に平静さを取り戻していた。
「なんとも――計ったような偶然、というしかないね、ダレン=ジョスパン。
結構、会うのは久しぶりじゃないか? いろいろ、最近の武勇伝は聞き及んでいるよ。
まさか、ノスティラス皇国軍を通すために――。北から順番に手当たり次第に軍を潰していくなんていう、強引極まりない手を使うなんて思わなかったよ。君一人の手によって、合計10万もの軍勢が、瓦解させられた。……一人で、10万、だよ? もはや神魔の域というしかない。脱帽だよ」
そして身体をダレン=ジョスパンに真っ直ぐに向けながら、隙無く構えをとった。
「いい機会だって? それはこちらの台詞さ。またとない千載一遇の機会を得た。
僕と君とは5年以上の付き合いになるが、常に君を殺す機会を伺っていたんだよ。
とてつもなく忌々しい存在だった。君のおかげでエストガレスの内情を100%はコントロールできなかった上、何よりオファニミスに近づくことができないようあの手この手を使われた。
それでいて君は、遊び場のファルブルク城をのらりくらりと守り通し、自分は自由にお楽しみを続けた。許せなかった。
決着を、つけようじゃないか。長年の因縁に。――覚悟は、良いか?」
ダレン=ジョスパンは、侮蔑の笑みを浮かべながら肩をすくめた。
「覚悟が必要とも思えんがな。もはやお主のような小物、余は興味はないのだが……。
その身を犠牲にしてくれたラ=ファイエットの魂に報いる義務が、余にはある。
エストガレスにまとわりつかれるのも鬱陶しく、何よりオファニミスの廻りをうろつかれるのは不本意だ。
相手をしてやろう。確認しておくが、ゼノン、お主は今万全の状態なのか?」
「無論!!!!!」
叫びだすが早いか、ゼノンは攻撃に移行していた。
「“裡門”!!!!!」
有無を言わさず繰り出される、怒涛の右肘の攻撃。
コンマ秒の速度で、ダレン=ジョスパンの立ち位置まで到達した死の突撃だったが――。
そこに標的は、すでに居なかった。
ゼノンはその状況を完全に予測していたと見え、攻撃動作から即、彼自身最大の技への準備を始めた。
喉と鳩尾に手刀を突き刺し、発動するあの形態へと。
「“血破点開放”、“鬼人霊統過活性”!!!!」
それにより、ゼノンは再び、変貌した。
赤い肌、命を持つかのような剛毛、白く輝く目、死の法力を放つ鬼の姿に。
いつの間にか、ゼノンの背後10mほどに姿を現していたダレン=ジョスパンが、云った。
「ほう……それがお主最大の技か。さすがは将鬼。人間がゴミのようにしか映らんであろう、絶対強者の姿。全てが強化されたのではあろうが……そこから、どうする気なのだ?」
ゼノンは獰猛に後ろを振り返りざま、10mもの距離を一気に縮める大技を放った。
「“神罰槍”!!!!」
レエテに放つことができず終わった、最強の突撃技。右の手刀を突き出し、身体を打ち出される槍であるかのごとくに標的へ打ち込み破壊する、兵器レベルの技。
その衝撃は、触れてもいない石壁と柱を大規模に破壊し、大きく崩れさせたが――。
またも、居るべき場所から、標的は消えていた。
そればかりか――。いつの間にか斬りつけられた両肩から、出血する。
「――ッ!!!!」
ゼノンはバリ……バリと歯噛みした。これも、予想はしていた。相手は、目では決して捉えられぬ動きを無限に続けることのできる化け物。こちらがいかに能力を強化しようが、追いつくことはできないのではないか、そう予期してはいた。
だが自分の最強の状態を持ってして、攻撃はかすりもせず、何と瞬時に二撃、身体に反撃を当てられていた。
予想を上回る、異次元の動きだ。
しかし――ダレン=ジョスパンの唯一の弱点は、「非力さ」。
現に余裕でゼノンの身体を捉えていながら、“血破点開放”による“聖壁”に包まれた彼の肉体にはかすり傷しか与えることができていない。
防御には、気を使う必要はない。あとはこちらがいかに攻撃を当てるか。それに集中するのだ。
それに関しては――ゼノンには策があった。
それを実行するべく、彼は次にダレン=ジョスパンが現れた右方向に向けて、再度放った。
「“神罰槍”!!!!」
通常の軍勢ならば、一撃で100人以上は即死させることができるであろう死の攻撃。それをダレン=ジョスパンはまたも姿をかき消すようにしてかわした。
ここで――白いゼノンの両眼が、鋭い光を放った!
標的の地点でかわされるよりもわずかに速く、次撃の動作に移行したのだ。
石畳を踏みしめた下半身の安定はそのままに、両手を一気に上空へ上げ――。
極大の“光弾”を発生させた手を、石畳に向けて一気に放つ!
「“極大過活性放出”!!!!!」
それは、大地に叩きつけた“光弾”を大爆発させ、触れただけで身体が破裂する死の障壁を自分の周囲上下3mに発生させる大技だった。
サタナエル一族のレエテには効果が薄まるため使用しなかった。しかし本来、ゼノンが持つ中で最大の迎撃技であるのだ。
いかに人外の動きを誇る化け物であろうと、攻撃を当てようと近づいた瞬間の至近距離の反撃に対して退避行動はとれない。
今まさに自分に肉薄し、攻撃を企むダレン=ジョスパンへの最大のカウンターだ。
しかし――己の手の“光弾”が、あと僅かで地面に到達する、その前に――。
突如、ゼノンは脳天から背中にかけて熱いものを体内に感じた。
やがて、訪れる人生最悪の悪心、めまい、己が己でなくなる、感じ。
(なん……だと……まさか……。そんな……。
いや……だ……まだ……神よ……あなたの……もとに……は……)
薄れゆく意識で、生への執着を示したゼノン。
しかし、いまわの際にわずかに見えたのは、闇の中から自分の身体を掴み引きずり込もうとする、無数の、血まみれの手であった――。
魂を失った、ゼノンの肉体はうつ伏せに地に倒れ伏していった。
その頭部は、脳天から後頭部、脊髄の真ん中あたりまで、縦に刃物で深々と斬撃を受けていた。
仮死状態となる奥の手をもつゼノンでも、決して生き返ることはできぬ、完全な死の一撃。
ゼノンの赤い鬼のような容姿は、法力を失ったことで見る見るうちに元の白い肌と肉体に戻っていった。
その背後に、死神のように直立する、死の一撃を与えた相手、ダレン=ジョスパン。
彼が闘い終わったあとの癖である、斜め下にレイピアを振る動作をすると――普段は一滴の血もつかぬ刀身から、大量の血が剥がれて石畳に落ちていった。
「さすがに、血をつけずに終わることはできなかったか。
ゼノンよ。お主の戦術眼、悪くはなかった。たしかに、その法力の爆発が完成しておれば余は命がなかったかもしれん。
だが知っておろう。魔導もそうだが、大技であればあるほど、発動直前にできる僅かな隙は大きくなるもの。そのときお主の身体を覆う障壁もまた、コンマ秒レベルではあるが消える。
余はそれに正確に合わせ、お主の急所を完璧に捉えた。余にこの動きができる時点で、お主は残念ながら相手ではなかったということだ。
心置きなく、地獄へ旅立つが良い。お主が嫌悪していたソガールらとともに、せいぜい鍛錬に励め」
そしてその場を後にしようとしたダレン=ジョスパンの背後から――。突如声が聞こえた。
「――う……!!! あ、ああああ……!! ゼ……ゼノン! そんな……!
貴様……ダレン=ジョスパン……か!!!」
ダレン=ジョスパンが振り返ると、そこに居たのは――。
逆だった髪をもつ、サタナエル一族の、男。
カンヌドーリア国境戦線において、格下のはずの“夜鴉”ダフネ・アラウネアの抜刀術のもとに破れ――。その後無事だった頚椎と心臓をもとに肉体を再生、敗戦となった戦況と、長であるカルカブリーナの敗北と死を知り――。
ゼノンら“法力”ギルドと合流するべく王城へとやってきていた“幽鬼”副長。
レ=サーク・サタナエルの姿であった。
彼からして大きく格上の強者であるゼノンが、無残に殺害されたこの状況。
しかも、その相手は完全に無傷。加えて悪名高い化け物、ダレン=ジョスパン。
闘って勝ち目など、ない。己の生命の危機に、恐怖に打ち震えたレ=サークは――。
「うっ、ああああああ!!!!!」
サタナエル一族としての、戦士としての誇りの一切をかなぐり捨てて、踵を返して全力で逃走した。
ここは室内であり、彼の跳躍力を活かすこともできなかったのは――不幸ではあった。
それを見たダレン=ジョスパンは、身も凍るような愉悦と興奮の表情を貌に表出させた後――。
瞬時に、姿を消した。
そして次の瞬間、逃走していたレ=サークの肉体は、目から上の頭部、両腕、両足が分離し――。
鮮血を噴き上げて、石畳に肉体の断片を散らばらせていった。
ダレン=ジョスパンは、ゆっくりとレ=サークの胴体の部分に近づき、手近にあったタペストリーを切り裂いて布を調達し――。背負って運べるようにしっかりと包んだ。
「これは、これは……。カラスが落とした金貨というべきか。思わぬ最高の戦利品を得た。
なんと、サタナエル一族、それも高位の男が目の前に現れようとは――。神、いや悪魔の贈り物というべきか。
うまくいけば、これで余の長年の研究も成果を見るかもしれぬ。ククク……!
こうしてはおれぬ。出来るだけ早くファルブルクへと帰還せねばな――。
ヘンリ=ドルマン。ソルレオン。お主らも余の書状の求めに応じ動いてくれてはおるだろうが……。
こうなった以上は、もっと時間を稼いでもらわねばな。レエテも含め、1か月はサタナエルと事を構えてくれるよう、さらなる手をうたねばなるまい……。ククククク……ハハハハハハーー!!!」
ダレン=ジョスパンの悪魔の哄笑は、適度な広さのエントラスホールに最大限に木霊し――。
これより起こる、さらなる大陸にふりかかる災厄を、予言するかのような不吉な余韻を響かせたのだった――。
第十章 王国の崩壊、混迷の大陸
完
次話より、
第十一章 反逆の将鬼
開始です。




