第四十五話 史上最大の軍勢
遂に――。レエテ・サタナエルが仇敵の一角ゼノン・イシュティナイザーに勝利し、復讐を遂げた、その頃。
その闘いを含めた幾多の、神話のごとき激闘の舞台となった王都ローザンヌより、はるか西に200km。
ファルブルク公爵領。主人である領主ダレン=ジョスパン不在の中、そこは未曾有の戦乱と危機の只中にあった。
もとより500年のエストガレスの歴史の中でも、貴人の流刑地同然の意味合いで仕立てられた、寂れた地ファルブルク。
当然ながら、ドミナトス=レガーリアとの紛争以外にはその領土を巡った戦乱など起こりようもなく、ひたすら忘れられた場所であったそこに――。差し向けられた2万の大軍。それも、一流の大将軍が率いる中央正規軍が攻め込んでいたのだ。
その軍はアシュリーゲイ参謀本部長という、ドミトゥス派に与した軍属トップの中でもきっての頭脳派の戦上手を将に頂いていた。ダレン=ジョスパンという、押しも押されぬ王国一狡猾な男を相手取るための人選だった。
しかし――当の標的が不在で、側近のドレーク近衛兵長が指揮を執る1万ほどのファルブルク軍勢が相手であるにも関わらず――。
戦は、連戦連敗だった。
ダレン=ジョスパンが入念に準備していた戦術と、地の利を最大限に活かしたトラップの数々。
それらを忠実に、確実に実践するドレークの指揮の前に、為す術がなかった。
大敗することはなかったが、決して勝利することができず、足踏みし徐々に戦力を削り取られる状況だったのだ。
その戦況が変わったのは――今日。突如として王都よりやってきた、二人の男によってだった。
一人は、“将鬼”を名乗り、もう一人は、“剣聖”を名乗った。
ドミトゥスの命を受けたと云い張る彼ら。彼らが強引に戦場の最前線に立つやいなや、疲弊していた自分達中央正規軍は、赤子の手を捻る大人に変貌した。いや、人間を狩る、悪魔か。
まず“将鬼”を名乗るスキンヘッドの大男は、化け物のようなジャックナイフを両手に持ち、ファルブルク軍勢の中に躍り込み、瞬く間に戦場に血の竜巻を創り出していった。
その猛攻は、わずかに一人で1万の軍勢を恐慌に叩き込み、敵軍を我先にとファルブルク城への退却に陥らせた。
総大将のドレークを始め、5000の軍勢が城への退避を遂げた段階で、もうひとりの男、“剣聖”が動き始めた。
背を向けて逃げるファルブルク軍勢であったが、流石に訓練された正規の軍人で形成された集団。
しっかりと殿を務める兵士達が2000ほど、決死の覚悟で仲間を背に逃し、敵に相対しようとしていたのだ。
そこへ――中央正規軍から一人突出した“剣聖”。
彼は殺気を感じさせなかった。かといって、むき出しの闘気も発してはいない。静謐そのものといった「剣気」というべき秘められた莫大な力を内包したまま、人智を超えたスピードで踏み込んでいたのだ。
そして、その踏み込みのスピードを緩めることなく――。人間と人間の間を蛇行しながら、死の斬撃を繰り出す大規模な技は、発動していた。
「魔影流刀法――“熾岐颱風”!!!!」
絶対の強度を誇るブレードを、神域の技量で精密機械のごとく振り続ける技。まるで、人間の大群を神が上空から巨大なダガーで滅茶苦茶に切り裂いたがごとく、血の軌跡を描きながら散らされていく、人間たち。
数秒の間に、数百人――加速度的に屍体が増産されていく、軍勢の有様だ。人の成す業の及ばない、猛威を振るう理不尽なる人外の暴力がそこに展開されていた。
それを、ファルブルク城の城壁から確認したドレークは、恐怖のために全身を冷や汗が伝い落ちていくのを感じていた。
「なんだ……!!! なんなんだ、あのバケモノどもは!!!!
話が、違うぞ――!! 公爵殿下以外にも王国にあんな奴らが居て、しかも殿下不在の我が軍に、攻め入って来るなぞと!!!」
もはや逃げ惑うしかなくなったファルブルク軍勢を見送り、頭頂から爪先まで血で真紅に染まった剣聖、アスモディウス・アクセレイセスは――。
一時呼吸を整えるために、仁王立ちしたまま、両手持ちブレードを右手一本で斜め下方向へ振る。
瞬時に、付着した血と臓物の一部が緑の大地に降り注ぐ。
依頼主であるダリム公の標的、ダレン=ジョスパンをおびき寄せ得る餌、ファルブルク城はもう彼の目の前にあり陥落目前だ。
依頼の遂行とともに、報酬と、アスモディウスを満足させうる剣を究る道への一歩が伸びていることを実感できた、その時。
西の方角から――響き渡る、鬨の声。
非常に勇ましい、この王国では聞くことのできなかった、血湧き肉躍る、真の男どもの声だ。
目を向けると、街道の向こうから、徐々に姿を現してくる。
筋骨隆々の、鍛え上げた肉体を――。毛皮と革鎧で覆い、両手斧、もしくは両手剣を手にした蛮族の軍勢。
おおよそ1000人ほどで形成されると思われる、その軍は――。
近づくにつれ、威圧感を増してくる。
並の軍勢と、考えぬ方が良いようだ。そしてあれは――。やはり敵、なのだろうか――?
そう考えていた、アスモディウスの背後に近づいてきていた、“将鬼”の男――。
ロブ=ハルス・エイブリエル。
普段から上がっている口角を更に上げて、肩をすくめる彼。
「どうやら、あれがダレン=ジョスパンの奥の手のようですな――。
あれなるは、ドミナトス=レガーリア正規軍。この大陸でも最も勇猛な兵士であり、一人が50人の兵士に匹敵すると云われる精強なる軍勢。
加えて――ご覧なさい。先頭で、唯一騎馬にて近づいてくる、あの男を」
アスモディウスがロブ=ハルスの指差す先を見ると――。
彼の云うとおり、軍勢の総大将と見える男が、自ら先頭に立って騎馬で後続の猛者たちを率いている。
その姿は――極めて英雄然としていた。年齢は、若くはない。おそらく50代半ば。しかしそれを全く感じさせぬ、周囲に発散される精気。黒々とした髪と髭が特徴的な、精悍なる美男の容貌。手にしている、見るからに只ものではない超越的雰囲気を放つ白の大剣。それを最大限に扱うであろう、技量を感じさせる身のこなし――といった、尋常ならざる特徴を備えていた。
「あれこそ、ドミナトス=レガーリア連邦王国国王、ソルレオン・インレスピータ。奴は、手強い。我らとも十分立ち会える実力の持ち主。あの手に持ったアダマンタインの神剣とともにね。
それでいて、貴方も感じているとおり、後に続く兵士どもも並の者どもではないのです。我らの難敵となりうるほどではありませんが、非常に手を焼かせる存在なのは確実。
さらに決定的なのは、『あれ』です」
ロブ=ハルスが指差した先。後方を見やると――。
何と、友軍であるはずの王都軍が、一斉に退却を始めているではないか。
「どういう――事ダ?」
「彼らの主君であるドミトゥスに、危機が訪れ帰還命令がくだされたということ。私が思うに、もうすでに何者かに討ち取られていてもおかしくはありません。
これで、そもそもアシュリーゲイの軍勢を支援するという、我らの大義名分は失われました。よって私は、ここで手を引きます。貴方とも、ここで袂を分かつべきかと考えています、アスモディウス」
「……」
「ここで一人、闘いを続けるのも貴方の自由です。貴方の力なら、あれら敵軍勢を壊滅させることも可能でしょうが、お勧めはしません。なぜなら、貴方単独で一国の軍勢と揉め事を起こすなどという事態になれば――。国際問題に発展するのを恐れるダリム公から即刻縁を切られ、報酬をフイにすることになるからです」
「……なるほどな、良く分かっタ。それがしも、ここを引き際とするのが賢明なようダ。
目標への手懸かりを目前にしテ、というのは未練だが、致し方あるまイ」
そう云うとアスモディウスは、踵を返してファルブルク城と反対方向へ歩き始めた。
ロブ=ハルスは肩をもう一度すくめ、その後を追った。
(フフ……これで、私は無傷で安全な状況を確保したまま己の立場を守りきました。狙い澄ましたとおりです。
ゼノン……矢面の役回りを押し付けた貴方には、申し訳ないですが。おそらく今頃、ダレン=ジョスパンないしレエテに討ち取られているのではないかと想像します。悪くは思わないでくださいね……)
王都軍の退却、降って湧いた二名のバケモノの退散という、全ての脅威が去った事実を確認し――。城壁の上でドレークは、腹の底からのため息とともに、安堵のあまり城壁の上でかがみ込んでいた。
「良かった……本当に。ソルレオン陛下が間に合ってくれて、あのバケモノどもも城を諦めてくれて。生きた心地がせんかったわ……」
そしてソルレオン・インレスピータは、馬上で軍勢に停止を命じ、遠い西の方向、王都の方角を見やった。
「ダレン=ジョスパン殿下。約束は、果たしたぜ。ちゃんと国境の銀鉱脈の権利を連邦王国にくれる約束、果たしてくれよ? 云うこと聞いてやった半分以上はあんたじゃなくオファニミス殿下の貌に免じてなんだしな?
が……それにしても恐れ入るよ。これだけの計略を、自分が居もしない中で準備だけで完璧に成功させるたあ――相変わらずのバケモンだよ、あんた。
まあそれは置いといて……バカ息子。今頃、てめえはレエテに付いてこの王国のどっかに居やがんのか?
てめえの望みでそんな危ねえとこに居るとはいえ……気をつけろ。死ぬんじゃねえぞ……」
*
所変わり、王都ローザンヌ。
南門内大街路上で、大激戦に入った末、30ほどからなる“法力”ギルド一団に辛くも勝利したレエテ一行。その闘いを生き残った、ナユタとホルストース。
副将アーシェムの卑劣な手によって、彼女と相討ちし致命的な重傷を追った、ホルストース。
激闘が終了してより30分ほど。
ナユタに介抱された ホルストース は――。なんと、生きてしっかりと上体を起こしていた。
出血に貌は青ざめ、負傷の激痛に息も絶え絶えではあったが、瀕死の状態は脱していた。
胴の左半分を削り取られる瀕死の傷を負ったホルストースは、昏睡状態に陥った。ナユタは、ホルストースとの死別を一度は覚悟した。涙でぐちゃぐちゃになりながら、彼を抱きしめて叫ぶしかなかったが――。そのとき、ふとその頭を突き抜けた、ある考え。
これほどの重傷に使う状況など訪れなかったゆえ、思いつきもしなかったが、可能な筈だ、理屈では。常人は難しいが、ホルストースの体力は並の域ではない強靭さだ。希望は十分にある。
まず彼女は、ホルストースの下半身の鎧を脱がせ、その太腿にダガーを当てて肉を削り取った。
すぐに返り血で全身が真っ赤になったが、必死のナユタは気にしない。すぐに、削り取ったあとの傷を掌に集約し調節した爆炎魔導で焼き、出血を止める。
そして20cm四方に削り取った肉をホルストースの左脇腹の開口部に当て、まるで職人が鎧を加工するときのように境目を爆炎魔導で焼き、つなぐ。
傷は赤黒い火傷となり、塞がれた。呼吸を続けたホルストースは、ナユタの呼びかけに目を覚ましたのだった。
「わああああ!!!! よかった!!! ホルス!!!!!
生きてくれた!!!! ほんとに良かった……!!! 愛してる……愛してる!!!!」
泣き叫んで熱烈なキスを交わしてくるナユタを、やんわりと引き離したホルストースは、かすれ声で云った。
「……すまねえな……ありがとよ、ナユタ。何とか大丈夫そうだが……落ち着いてくれ。傷に、響くからよ……あ……痛ててて……。
たぶん、とりあえず、て状態……だから、法力を受けねえとヤバイ……手え、貸してくれ……」
立ち上がるホルストースに必死で手を貸すナユタ。非力な彼女には、2m近い大男の彼を立ち上がらせるのは本来不可能だが、ナユタは死に物狂いだった。火事場でしか発揮できないような力を発揮し、その巨体を立ち上がらせ、腕を自分の肩に回して支えた。
ホルストースは脇腹の傷だけなく全身に負傷し、重傷を塞ぐために片足腿の筋肉を削ってしまったため、歩行も支えてもらって歩くのがやっとの状態なのだ。
そして二人はその状態で、王城の方向に向けて歩きだした。
「しっかりしてよ、ホルス……!!! 必ず、あんたに法力を……!
ルー……。いや……キャティシアが、きっと居るはずだ。あいつに法力をかけてもらわないと!
絶対に、死ぬんじゃないよ!」
話すうちに、死が決定していたルーミスのことを思い出しそうになったがぐっと堪え、必死の力で健気にホルストースを支えながら、ナユタは歩き続けるのだった。
*
また同じ頃、エストガレス王国、中原。
ラ=セフィス湖のほとりに広がる、風光明媚とさえいえる風景。大陸全土の食料庫といえるほどの、果てしない作物の畑がどこまでもどこまでも広がる、最大の面積を誇る平原。
広大な穀倉地帯を、行軍する、大軍勢の姿があった。
その軍勢の身につける鎧、手にした武器、掲げる御旗。
それらはいずれも、エストガレスのいかなる軍勢とも異なるものだった。
紫の錫杖を型どった、御旗。独特のデザインと色合いのそれは、本来この場所を行軍していてはならない軍勢のもの。
隣接する敵国、ノスティラス皇国の――皇帝ヘンリ=ドルマン自ら率いる、サタナエル討伐の巨大軍勢の、姿だった。
その数――は推定20万。
ハルメニア大陸でも、500年前のマーカス・エストガレスの王国建国時以来、結集した記録は皆無な規模。
街道に収まりきらず、一部は平原に大きくはみ出すように行軍していく。
上空から見れば、まるで移動する一つの町であるかのような軍勢の中心に、紫の巨大な輿があった。
無論、その主は――。
皇帝、ヘンリ=ドルマンだった。
12頭立ての馬車の上に乗る輿の上で、ヘンリ=ドルマンとカール元帥は軍議を重ねていた。
固定された軍机の前で、椅子に足を組んで腰掛け、カールが口を開いた。
「まあ――見事なものだな。
我らが国境を越え、ここまで南下するまでの間、軍になど一度たりとも遭遇せん。戦乱で一般人も通行しておらぬから、まるで無人の野を往くかのようだ。全く想定外で拍子抜けするが――喜ぶべきことなのだろうな。
お主は、不満か? お主が最も嫌悪する対象、ダレン=ジョスパン公爵殿下の手引き、とあっては?」
それに向かい合って座るヘンリ=ドルマン。口を引き結ぶ難しい表情ながら、その貌をゆっくりと横に振った。
「いいえ――。感謝しているわよ、奴には。露払いどころではなく、綺麗に掃除するごとくに障害を取り払ってくれてね。だからって、好きになることは金輪際ないけど。
いずれにもせよ、エストガレスを通過するには旅行気分で大丈夫なことは保証されたわね。
カンヌドーリア国境での激戦は、レエテらの活躍でオファニミス派が勝利。残されたドミトゥス派軍勢は散り散りになり、エグゼビア公国も矛を引っ込め、鳴りを潜めた。もう王都のドミトゥスは丸裸で何の力もない」
「ああ、そうだな。同時にオファニミス派も力を失い、同盟しても助力は期待できないところが痛い要素ではあるがな」
「それは、致し方ないこと。我が軍の損害がゼロであったことで相殺できているとしましょう。
けどそれに伴って、思った以上の被害が王国に出てしまった。戦後我が国はエストガレスを援助せざるを得ないようね……まあオファニミス殿下が王となってくれるのなら、助力は惜しまないけど」
「……だな。それで、どうする? このままエスカリオテ国境まで進軍するのか?」
カールの問にヘンリ=ドルマンは鋭い目つきで、東の方角を見据え、答えた。
「いいえ……我が軍は王都ローザンヌを目指す。南の平野に展開するべく進軍するわよ。
レエテらがローザンヌに向かったという情報は掴んでいる。彼女がゼノンと“法力”ギルドを始末しているのならともかく――。もしも破れ、奴らが野放しになっているのならこれを放置する訳にはいかない。
また、王都ほどの要衝ならば、ゼノン以外の将鬼や“法力”ギルドが結集していてもおかしくはない。
レエテと連携して、サタナエルを潰す。そのために、妾は王都を、王城を目指す!!」




