第四十三話 狂信者ゼノン(Ⅳ)~血破点開放
重大な傷を負ったレエテとゼノンは、身を焦がすような殺意をたぎらせつつも、己の身体の修復のために停止せざるを得なかった。
レエテは右脛骨開放粉砕、右足崩壊という傷だ。しかしサタナエル一族の彼女なら、2,3分あれば動くに支障のない状態まで再生することができる。しかも現在は、覚醒したルーミスの有り余る法力を受けて生命力がみなぎっている。全快に近い状態まで持ち込むことが可能だろう。
対するゼノンは、左腕の開放骨折だ。
“血破点開放”が、強力な再生力を有することは彼自身が語る内容、レエテが目にしたルーミスの姿が体現はしていた。が、言葉だけでは伝わる訳もなく、ルーミスについては目に見えぬ死の血破点を消し去ったと云われても、本人でない限り実感はない。
しかし現在のゼノンの姿が、それを証明していた。レエテの場合は細胞そのものが一個の生命のように不気味にうごめいて生まれ、互いを繋ぎ合うという再生の仕方。ゼノンの場合は、さすが神の法力による技というだけのことはあり――。細胞そのものが白い光を放ち、淡くおぼろげに組織が構成されていくという、神々しい再生。
いずれにもせよ、サタナエル一族に全くひけを取らぬ、再生力だ。
そして、このにらみ合う僅かな時間の間に、ゼノンは見事に己を取り戻していた。
「レエテ。もう一つ、教えておいてやろう。
僕はね、キャティシアが首尾よく君を仕留めて僕の元にやってきていたとしても、即座に処刑――血の生贄に、するつもりだった」
「な……に……?」
「分からないか? 彼女はメイガンへの絶対服従を植え付けられてはいたが、標的に一切の疑いをもたせぬために純粋に、心から君らと親しくなるようにも仕向けていたんだよ?
そんな者を取り立て、将来にわたって組織に置いていたら、どうなる? 先程すでにそうだったんだろう? いつタガが外れて復讐や反逆を企むか知れたものじゃない。
つまりね、彼女のような存在は、『使い捨て』なんだ。最重要標的の獅子身中の虫として潜ませるための、一度きりの暗殺兵器。サタナエルはああいう存在を無数に育てている。メイガンもそのために種をばら撒いていた。代わりはいくらでも居るんだ。
キャティシア自身はそれを知らず、どちらに転んでも、生きることはできず死ぬ運命だった。
憐れだね。彼女本人も、そんな詰まらん存在に愛情だなんだと入れ込んで自己満足に浸る君らもさ――」
ゼノンの、死者を愚弄する鬼畜の言は、彼の予想通り――。
激昂に我を忘れ、黒い影となって殺到してきたレエテの攻撃によって、中断させられた。
「おおおおお!!!! おおおああああーー!!!!」
激烈な怒りとともに繰り出される、右結晶手。ゼノンはそれを冷静に見極め、再生した左貫手を当てて横に払った。次に繰り出された左結晶手の突きは、下方から突き上げた右手によって手首を掴み止めた。ならばとばかりにレエテが繰り出した、全筋力を駆使した強烈極まる頭突き。厚さ数十cmの鉄扉ですら飴のようにひしゃげさせるであろうそれを、ゼノンは自らの頭突きをもって対抗した。
完全に、大砲弾同士が激突した轟音を上げる、常軌を逸した衝撃。それに打ち負け、額から脳天までをザックリと割って出血を天に噴き上げたのは、レエテ。
瞬間的に脳震盪を起こし目の焦点が定まらない彼女。その宙をあおぐ右手を己の左手で掴み、もう一方の左手を右手で掴んだゼノンは、両手から一気に死の法力を発動させる。
「“白光雷槌”!!!」
送り込まれた異常活性により、レエテは白く包まれた身体の無数の血管から血を噴き出す。
消耗で繰り出せない“槍撃天使”に威力は劣るが、雷槌のような急激な信号を神経に貫かせるその強撃はレエテの全身に激痛を与えた。
「ぐうあああああっーー!!!!」
さらに、一旦両手を放すと、左手で右肩、右手で右腿に触れ、法力を送り込む。
“定点強化”だ。
色が変化したり膨らんだりはしないが、確実に強化されたその部分的爆発力で、ゼノンは放った。
石畳を5m円にわたり陥没させる右脚の震脚とともに繰り出す、水平に突き出した右肘の爆発的打撃技。
「“裡門”!!!!」
馬鹿げた強化を受けた全身の筋力をもって放たれる肘の突撃は、見事にレエテの胸部に炸裂しする。
到底、肉と肉の当たった音とは信じられぬ程の衝撃音を上げ、身体の前面をクレーターのようにひしゃげさせながら吹き飛んでいく、レエテ。
彼女の身体は、エントランスの壁に激突し粉々に破壊、石床すらも陥没させ、下階である元の謁見の間に落ちていった。
瓦礫とともに落ちた先は、ゼノンが持ち込んでいたハーミア聖架の脇であった。
レエテは一瞬の間ではあるが、戦意を喪失しがっくりとうなだれた。
これまで対峙した将鬼の中でも、最も接近戦に特化し圧倒的な体術を誇る敵。狭い射程、その中で培ったであろう圧倒的隙のなさ。“魔人”との鍛錬量を誇示するその自信に偽りはない。そしてまた、それを最大限に生かす、空間を制限する狭い戦場。
これまでにレエテが身につけ、数々の敵を葬ってきた大技の数々。“螺突”、“円軌翔斬”、“投石”、“死十字”。それらは、到底放てる状況にはない。
加えて、限界を突破し超えたと思っても、さらに上を行かれる底の見えない地力。機転を利かせて繰り出す攻撃も、総じて通じない。
私には、無理だ……もう、イヤだ……。
現実からの逃避を望んだ精神は、一時過去への深い思いの中をふわふわと漂った。
(キャティシア……)
*
それは、エストガレスへの入国を果たした直後、ニイス近郊の廃屋敷での休息中の時のこと。
レエテは朝、シエイエスとともに入っていたベッドの中で、うるさくドアを叩く音に起こされた。
着衣を身に着け開けたドアの外には、ニヤニヤと笑うナユタがいて、嬉しそうにルーミスとキャティシアが結ばれた事実をばらしてきた。
レエテはそれを聞いて心から喜び、朝食の支度に外へ出ていたキャティシアの元へ行った。
獣肉を仕込もうとしているキャティシアの後ろ姿を見て、珍しくイタズラ心を刺激されたレエテは、急激な大声とともに彼女の両肩にすばやく触れた。
「――わっ!!!!」
「ふぁっ!!?? ひゃあああああ!!!
――な、なんだレエテさんか――。びっくりさせないでくださいよ、もう!」
本気で驚くキャティシアの貌をニコニコして覗き込み、レエテは云った。
「キャティシア。聞いたわよ? ルーミスに、告白したって!
しかもそれが、うまくいったのよね? 良かったわね、本当に!
私、うれしくてうれしくて……あなたに一言云いたくて来たの。おめでとう!」
それを聞いたキャティシアの貌が、一瞬にして真紅に染まった。
「ナ、ナユタさんたら……もう! そこまですぐに、レエテさんに云わなくても……。
私、レエテさんにはちゃんと報告したかったのに。
……ええ、そう、なんです……。夜、勇気を出して彼の部屋に行って……。か、彼に好きです、て伝えました。そうしたら、彼も実は私のことが気になってたって……。付き合って、くれって……」
そのときの様子が再現されたのか、目を潤ませ、涎が垂れそうなほど口元を緩ませるキャティシア。
レエテは喜びと同時に猛烈な好奇心に目を輝かせ、彼女に笑顔で詰め寄った。
「……!! それで? それでそのあとどうなったの、ねえ?」
「そ、それは……。お付き合いすると同時に、ルーミス……の方から、自分への敬語はやめてって……。あと、今後どんな危険があるか分からない同士だし、皆に関係は隠さないようにしようって、決めて……」
「そういうことじゃなくって! そうじゃなくって!」
「レ……レエテさん! 落ち着いてください! やめてくださいよお!」
*
その後、ぽつりぽつりと様子を語るキャティシアの話が終わったあと、彼女とならんで石に腰掛けていたレエテはうっとりとため息をついた。
「いいわね……。とってもいいわ。あなた達の、関係。私、これからも応援してる。
なかなか大変だろうけども……彼にしっかり甘えて、幸せになってね。ルーミスはとってもシャイだし……きっと年上のあなたからでもそうしたほうがいいと思うわ」
あなたも、人のことはいえないですよと思いながら、その言葉に一理ある事は認めるキャティシア。
「そう……ですよね。そうします。『いつ何があるのか』分からないし……。できるときに一杯おしゃべりして、彼に私をしっかり見てもらえるように、甘えてみますね。
どうかなあ? これから何年もお付き合いを続けて……いつか、いつか……。け、結婚なんかできたりして……彼の子供を産むことができたら……幸せだろうなあ……。
……!! ご、ごめんなさい……レエテさん……私。 今、すごく無神経なことを、云って……」
キャティシアは貌を青ざめさせ、レエテに謝った。
そう……レエテは、その「何年か」も生きられるか分からない定めの身。レエテにとっては結婚も、子供を産むのも育てるのも完全な夢の話だからだ。
レエテは微笑んで小さく首を振り、キャティシアの手に自分の手を添えた。
「いいのよ。私、たぶん自分がそれをできない分、あなたに託しているのかもしれない。あなたとルーミスが幸せになってくれて、まして結婚や子供なんて……実現してくれたら、私は自分のことのように、いえそれ以上に嬉しいわ。
がんばってね、キャティシア」
「レエテさん……! ありがとうございます! 私、がんばります!」
「何か困ったことがあったら、私じゃ頼りないと思うから、そういうことなら何でも知ってるナユタに相談するといいと思うわよ」
「そ、それは……! ちょっと、刺激が強すぎる相談相手じゃないかって……」
冷や汗をかくキャティシアを小突いて笑いあい、談笑しつづける二人。
*
――レエテは思う。今考えると、無神経なことを云っていたのは、自分の方だった。
キャティシアは、幸せな時間が長く続かないことを、この時点で知っていたのだから。
裏切りという終着駅は、間近に迫っていた。自分が死ぬかも知れないことも、予感していた。
けれども――ルーミスにどんな思いをさせるか知れなくても。自分を抑えることができないほど、キャティシアはルーミスを愛していたのだ。想いを伝えてしまったのだ。
どんなにか、無念だったろう。そうでなければルーミスに会うこともなかったかも知れないが、サタナエルに利用されてさえいなければ――。幸せな未来はいくらでもあったに違いない。
キャティシア・フラウロス。幸せを享受すべき、子だった。素晴らしい人だった。
だがその未来は、永久に閉ざされた。正当な理由ある正義などではなく、狂った卑劣な外道の組織の手によって。元より未来のない闇の中で、利用されるだけされた上で。
*
「キャティシア……!!」
ローザンヌ城謁見の間。
現実に戻ったレエテは、涙を流していた。血の、涙だ。
(許せない……。許せない!!!
よくも、殺したな……。キャティシアを……私の……大事な、『妹』を……!!!
奪っては、いけないものを……お前ら外道は、私から奪った。
その報いに相応しいのは、死、あるのみ)
「……コロ……ス!!!」
石造りの大広間に響き渡るような大音量の歯ぎしりとともに、レエテは立ち上がった。
怨念は、後から後から噴き出してくる。愛した者との掛け替えのない時間が甦ったことで――戦意を失いふ抜けた状態から一転、これまでで最もどす黒い殺意に支配された姿となった、レエテ。
完全ではないが、受けた傷も再生しつつある。
自分を追ってこないということは、あえて再生を促す余裕を見せつけているということだ。仇敵は。
奴のもとに戻る。そう決意して、元の戦場である上階に戻ろうとしたレエテの視界に――。
ある光景が映し出された。
それは、正面真っ直ぐの視線の先にあった、青銅の像。
王冠と玉衣に身を包んだ、今は亡き国王アルテマスⅡ世を型どった等身大の像だ。
その、下の部分。ちょうど右足の、爪先部分に――。
突き刺さっている、巨大な刃物があった。
それは先刻、激闘の末にゼノンに敗北、死亡したというラ=ファイエットの得物。
斧槍の刀身だった。闘いの中で根元の柄部分から折れて飛んだ、刀身の切っ先が、像の爪先に刺さっていたのだ。
「……!!」
それは、異様ではあったが、通常であれば偶然の産物と見做し意識の外に排されるところだ。
しかしレエテには、引っかかった。そう、何らかの、メッセージのように感じられたのだ。
目を細め、刀身と――。地にへばりつく、赤い無残なラ=ファイエットの遺体を見比べていたレエテは――。やがて、その目を見開いた。そしてラ=ファイエットの方を見る。
「ラ=ファイエット将軍……。あなたは、『それ』を誰かに伝えようと――。
分かった――ありがとう。
すでに地獄へ旅立ったであろうあなたの遺志は――。私が、受け取った。
覚悟をもって命を散らしたあなたの遺志。決して、無駄にはしない!!!」
そう、云うが早いか――。
レエテは渾身のバネの力で、上方へと跳躍していった。
己の、そして今は命を失った者たちの全てを背負い、悪魔に再び相対する、その為に――。




