第三十九話 蠱毒の花(Ⅳ)~「ずっと、一緒だよ」
再度、爆発的な膨張を始める、“聖照光”。
アルケイディアの魔工匠、イセベルグ・デューラーが、法力使いであった己の思いを託し製作した魔導義肢。この世で唯一の、法力に適合した義手。
イセベルグは単にそれを、法力の力でイクスヴァを制御できるように作り、どんな強さの法力にも耐えうる「可能性」という名の性能を与えただけ。使用実績がないのだから当然のことだが、このような驚異の姿を持つ殺人兵器に変貌するなど、僅かでも予想しただろうか。
膨張し、変形する。しかも、速い。先程は初めて発動したからだろうか、扱いなれていなかったが――。二度目にしてすでに、自由自在な発動と扱いを可能にしている。
肉薄する生命の危機を感じ、全力で退避しようとするメイガンの動作を――。
圧倒的に、上回った。
瞬く間に巨大な手に変貌――しかも先程よりも一回り大きい――し、正面からメイガンの上半身を覆うように「握る」。
両腕を自分の胴に押さえつけられ、巨大手の「中指」に頭部を固定され――。
そのまま足が浮くまで持ち上げられる。
その見事なまでに拘束された状況。それだけではない。その握る「力」。
統括副将の地位にいる、絶大な法力を誇るメイガンの、血破点打ちで強化された身体。それによる筋力がいっさい通用しない、あまりにも強大に過ぎる、力。
死にもの狂いで逆らっても、正しくビクともしない。
「ん!!! んんんんんーーっ!!!!」
貌を完全に巨大な指で塞がれ、声を出すどころか、呼吸すらできない。自分の貌に接するイクスヴァの状態は、メイガンのこれまでの人生で経験したことも、聞いたこともない感触。ひたすらに冷たく無機質な、金属独特の温度でありながら、液体と個体の中間であるかのような柔らかさであり、貌の凹凸や隙間を塞ぐように密着してくるのだ。怖気を震う不気味さであった。
ここから、法力を流し込むことも、窒息死を待つことも何をすることも、ルーミスの自由。先程の余裕から一転、完全に生殺与奪を握られたメイガン。
まだ、力を発揮していなかっただけだ。最初から、勝ち目など微塵もなかった。敵の目覚めた実力に加え、愛する者を奪われ、その尊厳を踏みにじられた怒りは力を倍増させていたのだから。
そしてルーミスは、最も単純で、残酷な方法でメイガンに死を与えるつもりだ。
それをすでに身体で感じ始めているメイガンは、声にならない恐怖の絶叫、断末魔を上げる。
「――――!!!!!」
次の瞬間――。
耳を塞ぎたくなる、おぞましい、音とともに――。
あえてあまりに単純な、残酷なまでの握力で握りつぶされた、人間の肉体は――熟れた果実のように赤い肉塊と化して、膨大な血とともに巨大な手の指の間からこぼれ落ちていった。
人間であることを放棄した残忍なる外道。ある意味それを体現するかのように人間としての原型を止めない、残忍極まりない死を迎えたのだった。
そして、生気の抜けた表情で肉塊を地に落とし、血まみれの義手を元の大きさに縮小させる、ルーミス。
即座に、目に涙をたたえ、彼が最も愛する存在のもとへと駆けていく。
「キャティシア――! キャティシア、キャティシア――!!!」
滑り込むように腰を落としながらキャティシアの側に辿り着いたルーミス。
そしてすぐに両手を彼女の胸に開いた、赤く巨大な孔に向かって両手を添え、自身最大の法力をかけ始める。
その法力の強力さは、キャティシア自身の法力では僅かに弱めるのがやっとだった出血を、即座に止めた。
だが――出血が止まったからといって、人間の命は必ずしも保たれない。
キャティシアの肉体は、致命的な傷によって生命の限界を超えている。不可逆のラインを超えたその身体に、いかなる強力な法力をかけようが、すでに再生力を失った細胞が傷をふさぐことはない。――ルーミス自身の、もう一人の愛する人間の死をもって、すでに知っていることだ。
僅かに最期の時を遅らせるだけなのだ。
「う――ううう、うううううーーっ!!!」
ルーミスは涙を滝のように流し、歯ぎしりしながら、ただ呻いた。
かつて父アルベルトを失ったときと同じ、いやはるかに悪い状況。
心臓が破れ、肺に孔が開いたキャティシア。時間が、ない。彼女に対しては、もうすでに会話も許されはしないだろう。
そのとき、息も絶え絶えながらも鋭い声が、ルーミスにかかる。
「抱いて、あげて――。キャティシアを……すぐに抱きしめて……あげて……ルーミス……!
あなたの……あなたの手の、中で……うう、ううううう……せめて……」
レエテだった。すでに乾いた己の血の池の上で、未だ起き上がれぬ重篤な状態だ。その眼は止まらぬ涙を流し、歪めた下唇を噛んでいる。
彼女も救わねばならないが――。今はレエテの云うとおり、己が最もすべきことは別にある。
ルーミスは、キャティシアの身体を膝にのせ、上から優しく覆いかぶさるように抱きしめた。
間近にある彼女の貌は、青く白い。両眼は閉じられていた。
それが、ややあって薄く、ではあるが頬に紅が差し――。
うっすらと、両眼が開いた。
「――キャティシア!!! オレだ、ルーミスだ!!
しっかり、してくれ……たのむ……たのむから……死なないで……くれ……!
オレを、置いていかないでくれ……」
貌をぐしゃぐしゃに歪めて、ついにルーミスは泣きじゃくった。
お互い、愛し合うことを決めたとき、両方か、どちらかか……。失うことは覚悟し合っていた。
だが今、自分がキャティシアを失うことになるのを自覚し現れた、それを全力で拒否する心の裡の発露。
彼女が自分の前から、永遠にいなくなる。
「いやだ。そんなの、絶対にいやだ……よ……。オレはずっとオマエと一緒にいるんだ……。好きなんだ……。離れたく……ないよ……。何でも、するから……。離れて、いかないで……おねがいだよ……」
年齢相応の少年のようになった、ルーミスの純粋な表情と心の底からの言葉。
それをキャティシアは、見て取ったのだろう。
眼尻から、一度は枯れた涙をまた噴き出しながら、幸せそうに、微笑んだ。
とても――。とても――。
その表情は、僅かな時間でも、何千何万、連ねた言葉よりも多く強く――。キャティシアのルーミスへの思いを、物語っていた。
そして、わずかに顎を、唇を上げる彼女。
ルーミスは、すぐに、そこへ、己の唇を近づけた。
そしてキスをかわし、強く強く、キャティシアの身体を抱きしめた。
最後の思いの全てを、彼女の魂に伝えようとするかのように。
やがて――。
唇の先から、徐々に、徐々にその体温が失われ――。
貌から、肩から、背中から――。全身が、冷たくなっていき――。
最愛の人の腕の中で、キャティシア・フラウロスは、息絶えた。
ルーミスは――。ゆっくり、ゆっくりと唇を離したあと――。
胸の奥から、慟哭の嗚咽をもらした。
「キャティシア…………キャティシア…………。
うう……ううううう…………ううううう…………」
その哀しき慟哭は、隣で同じく慟哭を漏らし続けるレエテの胸を引き裂き――。
彼ら二人以外、無人となった広場に、木霊すらせず――。
無情に、ただひたすらに広がって、いったのだった。




