第三話 白豹騎士団【★挿絵有】
コルヌー大森林をおよそ2日かけ南下した、レエテ、ナユタ、ランスロットにルーミスを加えた4名連れの一行。
その間ナユタの目利きで貴金属になりそうな鉱石を入手したり、レエテの力で希少な動物を狩って毛皮を得ることに成功し、さらに路銀を増やす目処はたった。
目標は、法王府の北部kmほどの地に在る人口1000人ほどの村、ダブランだ。
法王府は、国ではない。大陸最大の宗教ハーミア教の総本山として、独立自治区の位置づけにある都である。
ハーミア教の成立は文献によれば約1500年前であり、その後時期をおいて約1200年前、この地に法王府は成立した。
当時法王府のある地域を支配していたのは、デミストリア帝国の2代前、ローデシア王朝。
以来その土地を支配する国は代替わりせども、常にハーミア教の威光によって永きの間変わらずその姿を維持してきた。
法王府の中心に位置するのが、教義の最奥たる法王庁、である。
さすがに、建築物こそ1200年前と同様ではないが、その内部における制度は成立時より変わってはいない。
頂点に位置する法王、そして直下の大司教、複数存在する司教、その下の司祭、教旨――。
教えを司る役職があり、彼らはハーミア教の流布する博愛の精神、そして唯一神たるハーミアへの帰依を民衆すべてに浸透させる役目を担うのだ。
彼らが生活を営むにあたり、法王府の狭小な土地はそのほとんどが宗教儀礼や信者の活動のための施設で占められており、所謂都市の機能はあまりに貧弱だ。
それに代わり、周辺の町や村にそれらの機能を分かちもたせ、それら物資・労働交換を布施による莫大な資金によって行うのだ。
幾つもあるそんな町村の中で、ダブラン村は日用品、雑貨、服飾を担当する。職人達も住人として製品をつくり、それ以外にも別の土地から取り寄せた物資を法王府に供給する。
1000人規模の村では存在しえない、高級極まりない宝飾や織物を扱う商人、それらを精錬し仕立てる職人が在住しているのだ。
陽が南に高く上る正午すぎ、一行はダブランの手前で休憩した。
直射日光を避け、もうすっかり背は低く本数も少なくなった広葉樹の根本の岩などに、思い思いに腰をおろす。
そこでナユタは蔦の紐で結わえたズタ袋を手に持ち、一人距離をおいて離れて座ったルーミスに近づき、話かけた。
「ルーミス。あたしはランスロットと一緒にダブラン村に買い出しにいく。あんたたち2人は連れてける状況じゃないから置いてくよ。幸い、途中でいろいろ金になりそうなものを手に入れたから、とりあえずあんたから金をせびることはしないから安心しな」
「それは何よりだが……何でそれをオレに云うんだ? レエテに云ってさっさと行けばいいだろう?」
「ふふん……ルーミス、あんたさ、レエテのことが好きだろ?」
「!!」
予期していなかった言葉に、ルーミスが身体をビクッと震わせ、岩からずり落ちそうになりながら驚愕した表情でナユタを凝視する。
ナユタはニヤニヤと含み笑いをたたえながら続ける。
「もちろん、何かは話さないがサタナエルに何らかの恨みをもってるとか、そんな事情がありそうなのは察してる。レエテに付いて何らかの行動を起こそうとしてるのは事実なんだろう。
けど……それと同じくらい感じるのさ。最初会ってからこっち、あんたの視線は隙あらばチラチラとあいつを見、意識にいたってはずーっとあいつを向いてる。隠そうとはしてるみたいだけどその動きと表情からして……あまりにもわかり易すぎだよ……! あんたの年頃の坊やならいい女に興味が出るのは普通の事だしそれもだろうけど、まああんたのはどっちかといえば『恋』だよね。
大方コロシアムでレエテの姿を一目見て、脳天に電撃でも走ったかね? 身体が勝手に動いてすぐ追いかけずにはいられなかった、てとこだろ?
まったく元聖職者ともあろう者が。そういう意味でも隅におけない“背教者”だよね、あんた。んん?」
「!!……!……!」
経験豊富な大人の女性ならではの視点で、腕組みしながら横目で責め立てるナユタに対し、顔を真赤にして気色ばみながら口をパクパクさせるルーミスだったが――。強い羞恥のあまり一切言葉を発することはできなかった。
その様子が、この知性鋭く高い能力を誇る少年をして、ナユタが指摘した事柄が概ね事実であることを証明していた。
「安心しな。これをレエテに教えるほどあたしは無粋じゃないさ。レエテもね……頭は賢いんだが、なにしろまだまだ世間知らずでね……。しょうがないんだけど。あんたの気持ちなんてまだ云っても理解できないレベルだと思うし。
だから、邪魔者は消えてやるから若い2人で仲良く語って、あんたの知識をあいつに授けてやってくれるかい? そうやってるうちに、意外とあいつの意識もだんだんあんたに向いてきたりすると思うよ?」
そういって高らかに笑いながら、手を振ってナユタ――と肩でいやらしく目を細めニヤつき、ルーミスを見やるランスロットははるか彼方へ去っていった。
それから数分がたって――離れて座っていたレエテが、おもむろに立ち上がり、ルーミスに近づいて来た。
「……!」
「ルーミス、ちょっと良い?」
そう云って、ルーミスの脇にあった切り株に腰をかけた。
今まで気になって仕方のなかった存在が、自分とたった二人の空間に、これだけの至近距離で、自分ひとりに対して話しかけてきている。
ルーミスの心臓は早鐘のごとく鳴った。
「な……何だ?」
「あなたとはもう3日ほど一緒にいるけれど、最初会ったときと比べてあきらかに顔色がずっとおかしいし、なんだかとても体調が悪そうに見える。法力使いのことは詳しく知らないけど、その力でも直せない何かの病気で、それを私達に隠しているということはない? ちょっと心配で」
おそらくナユタがこれを聞いていたら、腹を抱えて笑いだしただろう。それは病気なんかじゃない、「あんた」のせいだよ、と。
ルーミスの心臓が、また大きく鳴った。そうナユタの云う通り、彼はコロシアムでのレエテの美しく戦女神のごとき姿を目前にし、一目で恋に落ちてしまった。それだけでレエテの後を追わせるには充分だったが、実際に会って言葉をかわしたとき、そのあまりのギャップの優しい言葉にさらに心が高鳴ったのだ。今のように自分の心配をしてくれる度に、嬉しさでどうしようもなく、ますます心が高鳴るのを必死で抑える自分がいる。
「そんな……心配はいらない。今まで何でも一人でやってきたから、こうして群れで他人のペースに合わせることに慣れていないだけだ……と思う。ただオマエの云うことも一つ正しいのは、法力は万能でなく、治すことのできない病気は多いということだ」
「そうなんだね? どうして?」
首をかしげてレエテが尋ねる。そうして身体を動かすたび、香水もつけていないはずの彼女から漂う甘い香り――にルーミスは目眩を覚えていた。
「……法力は、基本的に細胞を活性化させる術だ。だから外傷を治癒することは最も得意とし、これが法力使いに期待される最大の能力。もちろん病にも効果のあるものはそれなりに多い。疲労過労から来る内蔵のダメージ、血流の詰まり、免疫の不活性などだ。
しかし例えば癌などの己の細胞が異常を起こしたもの、過敏反応など細胞を活性化させることが不利益となるもの、効果が薄いものは多種多様にある。法力で救えない人間がこの世の半分、といっていい。これもオレが法王庁に失望した理由の一つだが」
「そうか……初めて知ったよ、ありがとう。けど法力も、世界の半分を救えるというなら、とても胸を張って誇れる技術だと私は思うけれど」
「……、そう、とも言えるかもな。けれどもオレは――」
その言葉を最後まで発することは――ルーミスには許されなかった。
彼の眼前にレエテの左手が一瞬で現れ、その手に握られていたのは―― 彼に向かって放たれた一本の鋼矢だったのだ!
「来る!! 危ない!!!」
大声を発したレエテが、ルーミスに飛びかかりその体を抱きかかえて数mの距離を一気に飛ぶ!
そのコンマ0.5秒後、一気に浴びせかけられた数十本もの鋼矢が彼らの元いた大木の根本周辺に突き刺さった。
そのうちの二本が、レエテの背中に深々と突き刺さっていた。
位置的にどうやら心臓をかすめていると見え、さしものレエテもがっくりと膝を付く。
「くっ……」
「レエテ!! 大丈夫か!!」
一旦地に腰がついたものの、瞬時に体勢をととのえたルーミスが、レエテに向けて叫ぶ。
なんという不覚――。自分らしくもなくすっかり浮かれてしまった結果、放たれた矢にも気づかず女性に命を救われ、またその動作に自分がついていけなかったことで怪我までさせてしまった。
大事な女性を傷つけた、その襲い来る敵に対し、己へのやり場のない怒りをも込めてルーミスは叫んだ。
「オマエら――! 出てこい!!! 鋼矢の紋で、居るのは分かってる“白豹騎士団”! 何ならオマエもいるのか? ドナテルロ団長!」
その声に反応し、彼らから百m弱先の森林の茂みから徐々に姿を現したのは、白馬にまたがった約20騎ほどの純白の鎧に身を包んだ騎馬隊だった。
よく訓練され、非常に静かな足音で歩行する馬の鞍にまたがる重装鎧の騎士は、全員が弓を構えており、一斉射撃を行ったと見える。
鞍にはもう一つの武器――長槍がかけられ、彼らは弓から徐々にその武器に持ち替えていった。
そしてその集団の中央に、明らかに格上と見え得る勲章を胸に縫い付け、豹のレリーフの入った兜を冠った人物。
年齢は20代後半か。非常に高い鼻と尖った頬骨をもつ武人然とした背の高い男だ。
「相も変わらず、生意気な――。司祭であったときからその才を奢り、年上への礼儀をわきまえぬ貴様のような小僧には、いつか教育をほどこしてやろうと思っておった、ルーミス。“背教者”となった今、その命をもって貴様を教育するに、何ら枷はないというもの」
口を歪めながらその人物――ドナテルロ団長は云い放った。
ルーミスもそれに冷徹な笑みで応えた。
ずい、と前に出るものの、14歳という年相応の背格好の彼と、威風堂々たる20騎もの騎士団とが並んだ状況は――。猛獣の群れの前の、あわれにも捕食されかかるウサギにしか見えない。
しかしながらこちらも威風堂々たる態度を崩さないルーミスは、相手を指差しながら言を放つ。
「法王庁所属最強を誇る聖騎士、白豹騎士団の団長御自ら精鋭を率いて向かってくるからには――当然狙いはオレじゃないんだろうな、ドナテルロ団長」
「左様。貴様ごとき“背教者”の小僧風情を追うために、この私自らが出向く訳がない。狙いは後ろにおるそのサタナエル反逆者の女よ。貴様は全くのついでだ」
「さすがは、『大司教猊下』、お目が高い。自らの地位のためとなると、相変わらず何にでも血眼になられる。いまやこの大陸で最も高額で売買、いや金では買えない価値を持つといえる人身を手中にし、それを武器に次期法――」
「黙れ! それ以上の猊下への侮辱は許さぬ! 今すぐ我が長槍の露と消えよ、小僧!!」
言葉を遮り宣戦布告とともに長槍を突きつけるドナテルロ団長。
ルーミスは静かに、両の手に白く光る法の力を充填し始めていた。