第三十八話 蠱毒の花(Ⅲ)~心の還るべき場所【★挿絵有】
メイガンに敗れ、ついに致命傷を負わされたキャティシア。この世でもっとも愛する者のその絶望的無残な姿に――。
ルーミスの体内で爆ぜるまで増幅したのは、「哀しみ」だった。
全細胞の一つ一つを針で貫かれるかのような、限界を超えた魂の悲哀。それこそが鍵となり――。
ルーミスは“限定解除”を成し遂げた。
それも――ナユタもシエイエスも成し遂げなかったレベルの、急激な成長。
ルーミスが得てきた数々の試練。一行の中でも頭抜けた過酷な試練は、経験値として彼の細胞内に蓄積されていた。
それが今、完全に解放された。その力の強さのほどは、長く側でルーミスを見てきたレエテには即座に伝わった。
「ルー……ミス……」
ルーミスは、表情の読み取れぬほど暗く影を落とした貌の中で、眼だけをギラギラと光らせ、上目遣いに標的を射抜く。
そして、身体を側方に向け、落とした全体重で右足の震脚を大地に繰り出す。衝撃音とともに、金属の怪物と化した巨大な右手を――。
メイガンに向けて放出した!
「うっ!! ぬっおおおおおおお!!!」
数十年にも亘る、戦闘者としての知識と経験でも――見知らず想像すらつかぬ敵の状態と技に、思わず戦慄の呻きを上げるメイガン。
蠢く巨大な蟲のようだったその巨手は、一転して巨木の一本の幹のような極太の束になり、一直線に目前に迫ってくる。
やがて、イクスヴァの束同士が複雑に絡み合い、1m四方におよぶ巨大な掌と五本の指を形成。「手」を形作ったそれを眼にし、メイガンはハッと我に返った。
そう、あまりの異常な状態にすっかり失念してしまっていたが、ルーミスは“背教者”であり――。右手となっているのは、魔工匠の手で法力に最適化された魔導義手。
それをもとに形成された巨大な手は、ただの巨大な鈍器などではない。同時に、触れただけで法力を流し込まれる聖なる力の塊。ましてこれだけの魔力を凝縮した怪物、何が起こるのか知れたものではない。
まともに直接触れるのは絶対に避けなければならない。メイガンは即座に“光弾”を、己の前面に広げた両手から発する。
さすがに――No.2の法力使いにして統括副将。その光球の大きさは、並の者とは桁違いだ。
2m級の光球を前面に、ルーミスの巨大手を受け、同時に自らは渾身の脚力で後方へ跳んだ。
おそらく将鬼以上でなければとることはないであろう、最大警戒の防御。
それが功を奏し――。ルーミスの巨大手は光球に阻まれ停止させられた。
そしてすぐに――。風船がしぼむような勢いで、急速にイクスヴァを縮小させて右手を元に戻した。
だが、前進するルーミスの足は、止まらない。鬼の形相をまんじりとも崩さず、距離をとったメイガンとの距離を詰めてくる。
メイガンは、距離をとったところで、ルーミスの状態を観察した。
先程の化け物じみた義手の膨張は――。自分の法力エネルギーとの衝突によって、即座に元の状態に復帰した。
おそらくではあるが、実現するのに莫大な法力を消費するため、長時間もしくは何度も発現できるものではないのだろう。
光球によって弾くことができ、発動時間もあれだけ短いのなら、驚異の見た目に反し大したことはない。
また、その肉体はこの場に到着したときから血破点打ちの制限時間を超え、元の状態に戻っていた。にも関わらず、感じ取れる肉体の強さは、血破点打ち時のそれだ。
これは極めて認めたくないことではあるが――。
ルーミスが、“限定解除”によって――あのゼノンと同じ“血破点開放”を身に着けたことは、動かぬ事実だ。
法力によって治癒することの決してできぬと云われる、“肝疽”の破壊を無効化し、治癒したことがその証拠。
効果は己の体内に限定されるが――“肝疽”ほどの破壊力の強い血破点を破れる治癒力を持つのは、“血破点開放”以外にない。
それは恐るべき脅威に違いないが、己の有利は動かぬことをメイガンは知っていた。
かつて天才ゼノンが副将時代に自力で“血破点開放”を開眼したとき、彼ほどの男でもその力の全てを、すぐには発揮できなかった。
それには一月程を要した。そこで爆発的力を発揮されて将鬼の座を奪われるまで、メイガンの有利は動かなかった。
よって現時点においては、未だ己のほうが有利と確信できるのだ。
その結論に至ったメイガンは、またたく間に余裕を取り戻し、相手を見下した余裕の表情で構えをとった。
そして――自ら前に踏み出し、ルーミスに初撃を見舞った。
姿が消えて見えるほどのスピードで彼の手前で急停止。腰を落とした体勢からの、中段の右正拳をルーミスの顔面に見舞う。
あまりにもオーソドックスな、基本体術。だが単純ゆえに、そのスピードと破壊力は倍増されていた。
ルーミスは為す術無くそれを喰らい、一直線に後方へ吹き飛ぶ。倒れ伏すのはどうにか防いだが、石畳を陥没させてようやく踏みとどまる。
そこに大量の鼻血と、口からの血を何本かの歯とともに吐くと――。
反撃を繰り出すべく、ルーミスが前に出る。
これには一歩も場所を動かず余裕の構えで受けて立つメイガン。
己の手前で斜に置いた両足を震脚させて左拳撃を放つルーミスの攻撃を、右手で軽くいなす。
それに続いて繰り出される、怒涛の連撃。
肘、手刀、貫手、掌底。下段、中段、上段の蹴り。打ち上げる膝。
一瞬ともいえる間に十数発の攻撃を繰り出すルーミス。それは、これまでの彼の血破点打ち時のパワーはそのままに、軽量化せし身体を活かした倍するスピードによる脅威の連撃。
並のギルド副将レベルまでならば受けきれず、もはや再起不能なダメージを喰らっていてもおかしくない。しかしメイガンはそれらを笑みを浮かべた涼しい貌で受け流し、ときにガードせず強化した肉体で受けきってみせる。
そして連撃を終えたルーミスは、最後に低位置から身を翻し、“鉄山”を放つ。
それも、あえなく交差した両腕によって受け切られ、ルーミスは後方へ跳び距離を取る。
メイガンは含み笑いを漏らし、ルーミスに云い放つ。
「ククク……。どうやら、ここまでのようだな、小僧。
“限定解除”を果たし、“血破点開放”までも成しおったことにはまこと驚いたが……。
この統括副将メイガンに通用させるには、10年相対するのが早かったようだ」
そして一歩を踏み出し、さらに続ける。
「知りたかろうゆえ教えてやるが、儂があのセルシェの山小屋で、貴様らの前で『死んで』みせた方法は“仮死冥凍法”。
ある男が編み出した、脊髄の中心に生命力を凝縮し、呼吸も脳も心臓も血の流れも全て止めて完全なる死の見た目を作り出す方法。儂はあのとき、ザリムに命じ己を斬らせた。法力をかける貴様に合わせて徐々に生命活動を停止し、死んだように見せかけた。後でロフォカレらに掘り出してもらうまでの、土の中の感触は中々新鮮だったぞ。
そしてキャティシアの見事な演技に騙され、あやつを連れて将鬼討伐の旅を貴様らは続けた。
ああ、心配するな。あやつが隠し、ついた嘘はサタナエルの一員であることと儂に関することだけで、あとの姿は全てあやつの素だ。そうやって本心から貴様らを助け生き抜き、心から寄り添わねば真の信頼は得られぬゆえな。それはまこと、これ以上無い成果で成功した。
だが儂は、あやつの魂に絶対の服従を刻んでいた。儂とゼノンの元にたどり着くレエテに必ず同行し、その背後より討ち取れとのただ一つの任務。それも成功するはずだった」
そこで笑みを消し、歯ぎしりしながら怒りの言葉を押し出すメイガン。
「しかし――失敗した。それはレエテへの親愛と、ルーミス・サリナス。あやつの男となった貴様へのくだらぬ情愛。ひとえにそれが、それごときが十数年をかけた儂の労苦に勝ったということ。
極めて、腹立たしい、許しがたい事実よ。その溜飲は、貴様を叩き潰さねば収まらぬ。最も無残な死を与えてやろう。我が奥義によってな!!!」
そして――巨凶は、憎き少年に止めを刺すべく、踏み出していった。
それら闘いを横目で見つつ、キャティシアに語りかけ続けるレエテ。
レエテは胸の孔からの血が止まり、心臓の周囲の傷がふさがり始めている。
だがサタナエル一族最大の弱点の一つ、心臓は容易に治癒することはない。未だ身を起こすことすらできはしなかった。かつてルーミスを白豹騎士団から救ったときより重篤な症状であり、生命の危機に未だあることには変わりなかった。
「キャティシア……おねがい……返事を……して……」
すると――。キャティシアの右手から、握り返す力をレエテの手は感じた。しっかりと。
「……!! キャティシア!!」
そう、キャティシアはまだ、死んでは、いなかった。辛うじて。
うっすらと開いた眼を横に向け、唇をかすかに動かす。
そして握り返した手から、法力が送り込まれてくるのを、レエテは感じ驚愕した。
「キャティシア! あな……た!」
「レエ……テ……さん………」
その聞き取れないほどかすかな声は、肺に孔が開いているためだろう、空気の抜ける音を出しながら途切れ途切れだった。
「あ……なた…………しん……では……だめ……。生きて……」
自分を顧みず、レエテの身体を回復させようとしている。
その様子に、レエテの眼からさらなる涙が溢れ出す。
そしてキャティシアの手を持ち上げ、彼女のあまりに深い胸の傷に当てる。
白く淡い淡い光が、わずかながら傷に作用し、出血の勢いを弱める。
「ばか……バカ!! 私のことなんか……いい……! あなたは、あなたは……せめてルーミスが……ルーミスに抱きしめてもらう……まで、必ず……生きて……! でなきゃ…許さない……!
このまま……しぬ……なんて……ゆるさない!」
そう――。
鬼気迫るレエテのその言葉は、キャティシアの死が、避けられぬ確実なものだという事実を示していた。
王都へ入る前、ルーミスから皆に授けられた法力の知識。
その中の一つ。
外傷の強力な治癒や造血を可能にする法力でも、決して救えぬ傷の種類。
その中の最たるものの一つが、脳もしくは心臓への致命的破壊。
キャティシアの傷を見たレエテは、確認していた。
肋骨の奥に見える、半分の心房が破裂した、心臓を。
殺意をもったメイガンがそれを仕損じるはずはなく、キャティシア本人も喰らった瞬間に自覚していた。
かつてのアルベルト司教や、命を拾ったナユタをはるかに超える、死の傷だ。
たとえ自分の死を吹き飛ばした“血破点開放”を身に着けたルーミスが駆けつけても――他者のこの傷を救う手立ては、ない。
もういくらもない時間を、法力の力で、せめて伸ばすのだ――。
「レエテ……さん……わたし…………どこか……でこうなるの……うすうすわかって……ながら……。
がまん……できなく……。ルーミス……に……きもちを……云って……。
すご……く……もうし……わけ……くて……。
わたしが……しんだら……だれ……か……としあわ……に……って……つたえて……。
わたし……さいご……に……あい……してもら……て、ほんと……にしあわ……せだっ……た。……ありが……とう……って……かなら……ず……つた……」
レエテはキャティシアの頬に手を当て、言葉を遮った。
そして家族のように想ってきた自分の仲間の死に対し、こんなにも無力な自分を呪い――押し出すように言葉を絞り出した。
「しゃべらないで……。もう……しゃべら、ないで……。
わたしじゃなく……ルーミスに、抱きしめて……もらうの……かならず……。せめて、せめて、目で、肌ででも……気持ちを……伝えなさい……。うう…ううう……! あなただって……ぜったいに……そうしたい、でしょ……! おねがいよ……せめて、そうしてよ……そうでなきゃ……イヤよ……あまりに……かわいそう……かわいそうよ……ううう……」
地に涙をこぼし続けるレエテを見て、仰向けのままのキャティシアの両眼からも、眼尻からとめどなく涙が流れ落ちた。
(ルーミス……。ルーミス……!!!)
メイガンは、すでにルーミスの眼前、射程距離に入っていた。
絶好のタイミング。もはや外しようがない。仕損じようがない。
短躯の敵に合わせて腰を落とし、光球をまとわせた右の貫手をルーミスの鳩尾にヒットさせ――。死の法力を流し込む。
それは正しく、弟子ゼノンがラ=ファイエットを地獄に落とした、あの技。彼が授けた、最大の奥義。
「“槍撃天使”!!!!」
そして、彼自身の最大の法力が敵に打ち込まれ、時間差であまりにも無残な死をもたらす――。
「はずであった」。
違和感はすぐに感じた。
突き刺した貫手の周囲の敵の肉が、固い。膨大な法力が送り込まれず放散――いや一部は、内部に吸い込まれているかのように感じる。
驚愕の表情で何条もの冷や汗を流すメイガンが、恐る恐る目を向けた先に――。
怪物は恐るべき怪異の両眼を向けていた、己に。それが湛える殺気の凄まじさは、老練な一流の暗殺者たるメイガンをしても、初めて向けられるほどの巨刃だった。
そして怪物が口を開く。
「『良い攻撃だったぞ、メイガン。
だが手加減してやってもこの体たらく。蚊でも刺したか?』
どうだ、己の口上をそのまま返される、気分は……!!
キサマはな……決して許さん。殺す殺さないじゃない……。殺す上で潰すか潰さないか、だ……。
キサマのような悪魔が受けるに相応しい、残酷な死を与えてやる!!!!!」
そしてついに恐怖に貌を青ざめさせたメイガンの目前で――。
再び、加速度的に、死を暗示する膨張を始めたのだった。
イクスヴァが。それを内包する、ルーミスの右手、“聖照光”が――。




