第三十六話 蠱毒の花(Ⅰ)~明かされし、支配と真実
ルーミスの絶叫は、レエテに矢を突き刺したまま硬直していたキャティシアを即座に振り向かせた。
同時にルーミスは――。精神の甚大なショックが“肝疽”の効果を促進したのか、ダメージゆえに遂に立っていることもできなくなり、その場にがっくりと膝を着き動けなくなった。
この状況下においてそれを悟られぬように、辛うじて表情だけは闘気をみなぎらせてダメージを隠した。
だがもう――。立ち上がって闘うことができないのは、動かぬ事実として自覚されていた。
あとはもう、訪れる死を待つのみ。
そしてすがるような表情で、キャティシアを見た。
どうしてだ。キャティシア。これだけの長い間、オレ達を騙して、いたのか。
レエテを殺す、その目的を実現させるためだけに。
そして――。嘘、だったのか。オレを、愛してくれている、と云ったその言葉も。
(好きです!! あああ愛してます!!! 私とお付き合いしてください!!!)
(夢みたい……!! 本当に嬉しい!!)
(カワイイ……本当にカワイイんだから!! 大好き!!!!)
愛おしい数々の言葉、弾けるような笑顔、内面の純粋な魅力――。
オレが感じていたオマエ、オレが愛したオマエは、幻だった。そう、云うのか。
イヤだ――。嘘だと――。
嘘だと云ってくれ。
死に際に、こんなの、あんまりだ――。
オレは幻影を見ていた事実を突きつけられ、弄ばれたその相手に、嘲笑われながら死んでいくのか。
――――いいや。
そんなはずは、ない。
オレが知るオマエは、違う。そんな女じゃない。
オマエはオマエなんだ。オレが信じたキャティシア・フラウロスは、オレが見てきたオマエそのものこそが、真実だ。
絶対にだ。応えてくれるはずだ、呼びかけに――。
「キャティシアアアアアアーー!!!!!」
確信に満ちた、ルーミスの叫び。それはキャティシアの耳に届いたのか。
キャティシアは、大敵を仕留めた興奮からなのか極限まで息を荒げ、悪魔のような険を刻み、恐るべき様相となっていた。
しかし――。
ルーミスの叫びを聞いた後、その表情は、鬼のような形相から、一気に極限の恐怖を表す表情となり――。最後に、哀しみの表情となり、大粒の涙が、その眼に浮かんだ。
「キャ……ティシア?」
「ルーミス……。私……私……!!
――ダメ!!!! ダメええええええっ!!!! やっぱり、私には、できない!!!!
できないいいいいいいっ!!!!!!
レエテさんを殺すなんて……私には、できません!!!! 統括副将――お祖父様!!!!」
そして矢を真っ直ぐに抜き取り、腰から地に崩れ落ちる。
傷口から鮮血を上げて倒れかかってくるレエテを、血破点をすでに打ったその肉体で確実にささえて地に横たえる。
レエテはすでに気を失っているが――。その豊かな胸は上下し、辛うじて呼吸をしていた。
キャティシアはゼノンやメイガンの思惑どおりに行動し、見事暗殺を遂げようとする場面にまで至った。
だがどうやら、ぎりぎりの土壇場で命を奪うことができず――。凶器の矢をレエテの心臓の中心からややずらし、重傷を負わせるに思いとどまってしまったようだ。
キャティシアは泣きじゃくり、倒れ伏したレエテに抱きついた。
「許して!!! 許して!!! レエテさん!!! 私やっぱり、あなたのこと誰よりも――尊敬してて……!!! あなたは私にとって大好きな、優しい、姉さん!!! 大事な、家族……同然の……!! 人!
殺せない!!!! 殺せないけれど……!!!
裏切ってた!!! ずっと!! ずっと!!!! うああああああ!!!!」
大声で泣き、血まみれのレエテの胸に貌を伏せるキャティシア。
「……キャ……ティシ……ア……」
血をごぼごぼと吐きながらキャティシアに悲しみの表情を向けるレエテ。その視界に――。
恐るべき憤怒の形相で、キャティシアの背後に仁王立ちするメイガンの巨体が、あった。
その肉体は、すでに血破点打ちを完了しているようだった。
「愚か……者が……!!! この期に及んで、情を移し過ぎ、仕損じおるとは!!
たしかにお主は、演技ではなく本心から標的に寄り添えるよう、連峰の自然の中で純粋に育ててはきた。
だがキャティシア!! その純粋さを最大限に利用しお主には、魂の底から儂とゼノンにだけは逆らえぬよう――強力極まりない『教育』を施してきたはず。
改めて命をくだすぞ、“法力”ギルド、キャティシア・フラウロス。
今ならば、この女は一切抵抗できぬ。もう一度、その矢を手に取り、レエテの心臓の中心に、突き刺すのだ。
逆らうことは許さん。神の、ゼノンの意志だ。このメイガンの、絶対の命令だ。
今すぐ、執行せよ!!!!」
メイガンの絶叫に、キャティシアは文字通り腰を抜かし飛び上がった。
そして貌色を青黒く染め、死の絶望ででもあるかのように、恐怖の表情でぶるぶると震えた。
そして首を横に振りながら、震える手で矢を手に取る。両手で掴む。
彼女の意志とは無関係に、身体が動いているようだ。極限の恐怖で。どうやら、メイガンはキャティシアに対し、物心ついたときから彼に逆らうことを一切許さぬ、教育という名の手ひどい非道な虐待を施してきたようだ。それが手に取るように分かった。
「キャティシア……キャティシア、やめてくれ……。お願いだ、レエテを殺さないでくれ……。
罪を、犯さないで……目を、覚ましてくれ……」
「どうしたキャティシア!!!! 何をグズグズしておる!!!
折檻を受けたいのか? 罰を与えられたいのか? 焼き鏝でも、斬るでも潰すでもよいぞ。地獄の苦痛、回復、また地獄の苦痛。その繰り返しを味わいたいならいくらでも味あわせてやる。役立たずのクズと、生まれてくる価値のない蟲以下と罵られたいならそうしてやる。
早く殺らぬか、たわけが!!!!」
ルーミスの声を打ち消すメイガンの非道なる言葉に、再びキャティシアの身体が跳ね上がった。
怖い、恐ろしい。
かつてルーミスに語った、「私はお爺ちゃんの云うことを聞かないお転婆だった」との話は、真っ赤な嘘であった。
キャティシアの幼児時代の記憶――。
自然の中で存分に遊ばせてくれ、普段はとても優しい好々爺の祖父が――。
何かわがままや、逆らうことを僅かでもすれば、地獄の悪魔に豹変した。
幼児のキャティシアに、大人でも耐えられぬ苦痛を、肉体と精神に与えた。
そして強力な法力で回復させ、また次の日は何事もなかったかのように振る舞う。
それを身に刻み、絶対に逆らわないようにしても、云いがかりをつけられる。怯えて不自然に振る舞えば、それも云いがかりの対象になる。
当然にキャティシアは、祖父の前では作り笑顔で取り繕い、内心いつ虐待されるかビクビクしながら生活するようになった。祖父の云いつけを守らなかったり、命令を聞かないことなど、夢にも考えなくなった。その恐怖から逃れるため、できるだけアンドロマリウス連峰を駆け回り、自然の動物たちや植物とふれあい、小屋から遠ざかった。癒やしをもとめた。
無論――それでも門限を破ること、ましてや逃亡することなど絶対に、できない。
今も、そうだ。
自然の中に癒やしを求めた中でも、祖父の影に怯えたように、一時解放されレエテの仲間として冒険と転戦を繰り返した素晴らしい日々の中でも――。祖父の存在への恐怖を忘れたことは、なかった。そして祖父が虐待のたび口にする、将鬼の名を、存在を。忘れたことはなかった。
その骨の髄まで染み込んだ恐怖は、キャティシアの意志とは無関係に彼女の身体を動かす。駆り立てる。
それが――。魂は拒絶しつつも、レエテを背後から襲う、先程の攻撃に繋がった。
そして今も、意志とは無関係に、その手に握られた矢は振り上げられ、レエテの心臓を狙う。
振り下ろす自分の身体に恐怖し、それを拒絶する恐怖の貌のキャティシア。
そしてそれを、振りおろそうとする、まさにその瞬間。
キャティシアの脳裏を駆け巡る、皆の声。
(あんたはどうやってお父様に逆らえたの?)キャティシアの心からの問いに答えた、悪友ホルストースのシンプルな答え――。
(親父を許せねえ事実を知って、頭ん中が怒りで一杯になったら、自然に身体が動いてた。そんだけだが?)
自分が統括副将ベルザリオンの魔の手から救ったナユタが、心の底から自分を案じた言葉。
(やめろ!!! キャティシア!!! あんた自分が―― )
知恵と器を尊敬する男性、シエイエスが、自分を讃えた言葉。
(キャティシア……お前には、精神的にも随分助けられた。お前は自分が思ってるよりも、とても頼りになる、強い子だ。これからも皆をささえてやってくれ )
優しい姉と慕うレエテの――。オファニミスの(貴方にとって仲間とは?)という問いへの答え。
(何よりも――掛け替えのない、存在。友人、いや家族として守り抜き、いつまでも共に有りたいと願う、存在)
自分に人生最高の幸せをくれた、ルーミス。
(オマエが“背教者”に……申し訳ないと思ってるし、本当は、こんな闘い方をえらんでほしくない )
(こんなオレでよければ……側に、居てくれ)
「うっ!!!! うあああああああああっ!!!!! ああああああ!!!!!」
正気と狂気の境の絶叫とともに、キャティシアが矢の先端を向けた先は――。
祖父、メイガンだった!
キャティシアは“背教者”の剛力でもって矢を投げつけた。恐るべき速度で襲いかかったそれを、メイガンは難なく右手で掴んで止めた。
そして前髪が後退して広がった額に、びっしりと青黒い血管を張り巡らした邪悪な貌で――。
歯ぎしりしつつ、キャティシアに云い放った。
「この……出来損ないが。奴隷の分際で儂の貌に、泥を塗りおって……!!
もう、良いわ。貴様はもう、要らぬ。この場で儂が貴様を片付け、儂自身の手でレエテが再生する前に止めを刺してくれるわああ!!!」
立ち上がり、それに相対し、構えをとるキャティシア。
これまで逆らうことなど想像もできなかった上帝。そして絶望的な戦力差の相手に対し――。
身体を震わせながらもキャティシアは、初めて己の強い意志を両眼にたぎらせ、邪悪なる己の祖父を睨みつけた。
「わ……私は、もう、“法力”ギルド、サタナエルの一員なんかじゃない……。
私は……レエテ一行の一員、キャティシア・フラウロス。
私は、レエテさんを、ルーミスを、守る。そのために……統括副将メイガン・フラウロス。あなたと、闘う!!!!」




