第三十二話 王都決戦(Ⅵ)~僭王への鉄槌
一方、時をやや遡ること30分ほど前。
王都中心、ローザンヌ城。
最奥部の謁見の間で、エストガレス王国僭王ドミトゥスは、この時もしがみつくように玉座に座していた。
彼にとっての人外である訪問者、将鬼ロブ=ハルス・エイブリエルと剣聖アスモディウス・アクセレイセスはファルブルク領に向けてすでに出立。
ゼノンは先刻、「大事な客人の出迎え」があるからと、謁見の間を後にしていった。
ドミトゥスは、この玉座に座して「自分は王位正当継承者だ」と云い聞かせてでもいなければ生きた心地がしないほどに、時が経つほどに精神的に追い詰められていった。
もう、とっくに後悔していた。魂の底から。こんなことに、手を出すべきではなかった。王座というものに、これほどの重圧、責任、覚悟、思考、決断、行動が求められるものだとは思ってもいなかった。しかも、父王を弑逆しての王位簒奪。平和裏に王位を手にしても耐えられぬものが、これほどの業を背負ってしまっては――。ちっぽけな桶の中に、湖水を全て入れようとするようなものだ。器が小さすぎて溢れるどころの騒ぎではない。次元が異なりすぎる。
戻れるものなら、戻りたかった。簒奪を行う前に。不遇を囲い、いくら陰口を叩かれ軽んじられようが、安全な場所で不満を募らせていただけの以前の状況はもはや天国と云って良い。
「もう、嫌だ……逃げたい……。母上……エレオノーラ母上、どうか予にお救いの手を……。
予がこのような性質になったのは、貴方が予を存分に甘やかしたからだ……。父上同様、予がこうなった責任は貴方にもあるのだ。今すぐにでもここへ来て、予を救って頂きたい……」
片手で肘掛けを引っかき、もう片方の手の親指の爪をかじりながらつぶやく、ドミトゥス。
その耳に――。突如、聞き覚えのある、人物の声が入ってきたのだった。
「愚かなり……ドミトゥス。私が認識していた以上の、愚物だったな、貴様は。
10の子供でも、もう少しは己を持ち考え行動し、それに責任を持てよう。この期におよんでまだ、己の非を認めず、アルテマス陛下や慈悲深きエレオノーラ妃に責を押し付けるか。父を殺し数十万の自国の民を死に追いやった殺戮王よ。ゼノンよりも、貴様の方が殺した数は上。少しは『自信』を持てぬものか」
ハッと恐怖の表情で貌を上げたドミトゥスの前に立っていたのは――。
最上位騎士の白銀鎧に身を包み、肩に長大な斧槍を背負った短躯の男。
背丈などは全く問題にならぬほど、脅威の殺気を周囲に放散させる、大陸屈指の戦闘者。
エストガレス王国元帥、シャルロウ・ラ=ファイエットだった。
「――ラ=ファイエット!! どうやって、ここへ……!?」
「修練場に一度も視察に来なかった貴様は、私の真の武力すら知るまい。1000の軍勢も単騎で屠る私がその気になれば、通常の警備兵を皆殺しにすることなど、毛を払うほどの労力ですらない。
サタナエルも、レエテらを相手取るために出払っている。ゼノンさえいなければこんな城、施錠のない屋敷と何ら変わらん」
業火を放つような魔の殺気を放ち一歩を進めるラ=ファイエットに、ドミトゥスは弾かれるように腰を浮かせて立ち上がり、後方に後ずさった。
「もう、貴様も知っているだろう? 温厚な人格者と云われていたシャルロウ・ラ=ファイエットは、私の仮の姿。私の正体は、ルーディ・レイモンドだ。己の信念のためには、一切の良心の呵責をもたぬ殺人者。貴様の惨めな生を終わらすことに、なんの逡巡もない。
我が主、ダレン=ジョスパン殿下と、オファニミス陛下の栄光のため、という信念のために、な」
「ま――待て――!」
「聞け!!!! ドミトゥス・アライン・エストガレス!!!!」
石壁を揺らすがごとき裂帛の一声に、貌を白くしたドミトゥスがビクンッと身体を震わせる。
「いくら命乞いをしようが、降伏しようが、なまじ背を向けて逃走しようが、私は貴様を、殺す。
何をしても、無駄だ。貴様が死から逃れる術はない。かつて私はリーランドでそれを実行した。何万人もを相手にな。
したがって勧告する。最期の最期ぐらい、偉大な王家の嫡子としての誇りを示せ。すなわち、戦って果てよ。
難しいことは、何もない。私の再三の鍛錬の具申にもかかわらず、素振り一本すらしようとしなかった貴様でも――。真っ直ぐに剣を持ち上げ、私の脳天に向かって振り下ろすことぐらいはできるだろう。明後日の方向に外しても、構わん。堂々と敵に打ちかかったという厳然たる事実。それは、極めて尊いものだ。私は決して、その事実を無碍に葬ったりはせんと神に誓う」
ラ=ファイエットの有無を云わさぬ迫力に満ちた言葉を聞き、ドミトゥスの目は焦点が定まらなくなった。不規則に手を動かし、すり足で落ち着き無く床を足でまさぐる。
だがやがてようやく――。腰の剣を抜き放った。父王アルテマスの命を奪った、その剣を。
両手で持ち、切っ先をラ=ファイエットに向ける。その先端は数十cmの幅で左右に大きく震え、定まらない。
「よし……そうだ、いいぞ。そのまま振り上げ、私に向かって振り下ろすんだ」
震える足で一歩、二歩まで歩んだドミトゥスだったが……。
突然目を極限に見開き、剣を放り捨て、踵を返して隠し通路のある壁に向かって走り始めたのだった。
「ヒッ、ヒッ!! ヒイイイイイィィィィーー!!!!」
それを見たラ=ファイエットは――。恐るべき険を貌の全面に刻み、怒りを爆発させた。
「痴れ者、愚物ともいえぬ塵芥めが!!!! 地獄へ落ちよ!!!!」
残像を残す神速の踏み込みとともに、彼は瞬時にドミトゥスの背後に到達し――。
そのまま、斧槍の刀身を心臓の中心を違えず真っ直ぐに前方へ向けて貫いた。
「あ……あ……が……!!! し、死に……たく……な……がっはああ!!!」
身体の前後の孔から血を噴き流しながら――。稀代の狭小なる殺戮の僭王、ドミトゥスは倒れ伏し、息絶えた。
そのあまりに矮小なる器に見合った、ともいえる呆気ない最期であった。
それに一瞥をくれ、場を後にしようと踵を返したラ=ファイエットの目前――。
30mほど先の、赤い絨毯の上に、現れていたのだった。絨毯からせり上がってきたかのような、不吉な赤い衣装に包まれた長身をそびやかし、たたずむ一人の男が。
爽やかに見えながら、他人を蔑みきった笑みを浮かべる冷酷な表情。絶世の美貌。尋常ならざる闘気。
ラ=ファイエットの求める最大の標的、諸悪の根源サタナエル“法力”ギルド将鬼、ゼノン・イシュティナイザーの姿に他ならなかった。
彼は、わざとらしく両手を合わせて拍手をし、ラ=ファイエットに向けて言葉を発した。
「お見事。君ならやってくれると思っていたよ。ラ=ファイエット――いや、今こそこう呼べるね、ルーディ・レイモンド。もはや利用価値もなくなっていたゴミを片付けてくれて、本当に助かった。できれば、こんな屑の血で僕の手を汚したくなかったからねえ」
ラ=ファイエットは鬼神の形相で、右脇に斧槍の柄を抱えて右手を添え、刀身をゼノンに向ける構えを取った。腰は落とされ足は石床にめり込まんばかりに力が充填されている。
「白々しいな……ゼノン。貴様わざと席を外し、私とドミトゥスを引き合わせ、我々のやり取りをどこかで見ていたのだろう?
それが貴様の望み通りの結果となったのなら……今度は、私の望み通りの結果になるよう、貴様という真のゴミを処理することに協力してもらおう。私、ラ=ファイエットのこの斧槍で貴様の素っ首を落とす、その為の協力をな」
ゼノンは、ニイィ――と口角を上げて嗤い、3歩、前に出た。
この魔王がたったそれだけ――前に出ただけでも、その姿がまるで3倍にも膨れ上がったかのような錯覚を与える。ラ=ファイエットほどの強者でも、頬にびっしり針が突き刺さったかのような殺気に気圧されかかる。
「冗談、て貌じゃあないねえ。それじゃあ、以前僕のアジトで君の不意打ちを受けた、あのときの続きをしようじゃないか……。今度は、笑って済ますことはできないよ。あのときと違い僕らは今、明確な敵同士だからね。
初手は撃たせてやるよ、かかってくると良い。このゼノンの身体に傷を付けられるものならね!!」
しかしラ=ファイエットは――。その言葉が終わるのとほぼ同時に、動作を開始していた!
下半身から全身の筋力と瞬発力を開放し、斧槍の先端を突き出す。まるで槍兵に施される教練見本の鑑のような、基本に忠実な、しかしそれでいてはっきりと人智を超えた速度と威力を誇る強撃。「あのとき」と同じ、心臓に向かって真っ直ぐに放たれる。
法力の障壁は、基本的には点の攻撃を本来苦手とする。
法力使いに対する初手としては、申し分ない――はずだった。
しかしゼノンは、何と――。防御を前提とした構えをすら取らず、両手を左右に広げたまま、むしろ前方に距離を詰めてくる。
通常であれば狂気の沙汰としか思えない。だが最高の形で入っていったラ=ファイエットの斧槍は、ゼノンの左胸の部分にあった何とも云えぬ奇妙な、柔らかいような手応えを持つ何かによって絡み取られるように停止した。
ラ=ファイエットが刮目して見ると――。その場所にあったのは、やや灰色に濁った、濃縮した“聖壁”と呼ばれる法力使いの障壁であった。
そのまま絡み取られるように感じたラ=ファイエットは、急いで刀身の先端を引っ込めた。
そして驚異的跳躍力で7mほど後方へ退避する。
ゼノンは、喉の奥から湧き上がるようなクッ、クッ、という嗤いを漏らし、ラ=ファイエットに云い放つ。
「ククク……。小手調べなんだろうけど、同じ手は通用しないよねえ。ましてあのときと違って、僕は臨戦体勢だ。攻撃、防御、陽動、回復。ありとあらゆる動作が今は可能さ。この大陸の法力使いで、唯一僕のみが使用できる、この“血破点開放”の効力によってね」
そしてゆっくり、ゆっくりと歩みを進め始める。
「そも法力とは、同じ魔力を根源としながらも、魔導とは似て非なるものだ。
その最大の差異は、術者の信仰心が術の糧であること。一途に神を信仰する純粋なる心が、魔力を光の力として増幅し、理論上どこまででも強力にできる。……信仰心が、我がハーミアだけでなく、ドミナトスの野蛮なる邪教でも通用してしまうのは忌々しいところだが。
何にせよ、僕が大陸最強の法力使いである、所以。それはひとえに、僕がハーミア第一の下僕であり次元の異なる信仰心を有するからに他ならない!!!」
そして急激に踏み込み速度を速めたゼノン。
(――見えん!!)
ラ=ファイエットが驚愕する。そして残像を残しながら立ちどころに眼前に現れたゼノンは、斧槍の刀身に近い柄を無造作に掴む。そして信じがたい怪力によって、決して軽くはない筋肉の塊であるラ=ファイエットの身体を――。柄を起点にしてたやすく持ち上げる。さらにそのまま、石床の上に勢いよく叩きつける。
「――ぐううはああ!!!!」
したたかに背中を強打し、血を天に向って吐く。それだけでは飽き足らず――。
ゼノンは柄を再び持ち上げ、今度は旋回させて振り回す。柄をリリースすると、遠心力の加わった恐るべき力によって、15m先の石壁に叩きつけられた。
石壁は轟音をたてて崩れ、壁の周囲に掛かっていた絵画やレリーフや武具の類が音を立てて床に落下していく。
ダメージは大きいが、ラ=ファイエットもダレン=ジョスパンの肉体改造によりいくらかの強化を受けた身体だ。内蔵も深刻なほどには被害を受けていない。
(馬鹿げたパワーだ……。前々から疑問だったが、通常法力使いが使用する血破点打ちを使わず、なぜ奴はそれ以上の身体能力を常時有しているのだ?)
斧槍を杖代わりに使い立ち上がったラ=ファイエットの心を見透かしたように、ゼノンが応える。
「不思議かい? そうだろうねえ。これこそが、“血破点開放”の第一の力。
血破点打ちはねえ……瞬間的なエネルギーは膨大だが、大半は開きっぱなしの血破点から熱などのエネルギーに変わって放出されてしまい、損失が大きく制限時間もある。
対して僕の体内は、一切の損失を発生させることなく、常に24時間血破点打ちのエネルギーが駆け巡っている、といえば分かりやすいかな?
細胞そのものにエネルギーが浸潤しているから、醜く身体や貌が膨れることもないし、どんな時でも超人的パワーを持つ。サタナエル一族を凌ぐほどのねえ!!!」
そして、ダメージを残すラ=ファイエットに向けて、次撃を打ち込むべく迫るゼノン。
ゼノンの明かした事実が間違いなければ、法力使いの弱点と呼べるものを全て克服した究極の術者が、この男だ。
未だ死角を見いだせないまま――。ラ=ファイエットは攻撃に対抗するため、彼の本領を発揮する、長槍と短躯を活かした攻撃に移行するべく構えを変化させるのだった――。




