第三十話 王都決戦(Ⅳ)~戦闘者の矜持と、残酷な死の宣告
王都ローザンヌでのレエテ一行と“法力”ギルドの前哨戦は、現在レエテ一行が敵を圧倒していた。
その原動力は当然ながら初手で6人を斃し数人に重傷を負わせたナユタ、そして二度に亘り激痛を抱えた足での蹴りなどで縦横無尽に攻め込み、11人を葬ったレエテの力によるものだ。
しかしそれ以外にも、場で最強の使い手、ギルド序列3位といわれる副将シオンを引き離したシエイエスの功績もある。シオンに代わり、現在指揮を担当する立場の序列4位の副将ロフォカレ。彼を斃せばギルド員は統制力を失い、より弱体化するはずだ。
ルーミスはそれも意識してはいるが主には、宿敵ながら敬う対象であるドナテルロを侮辱された怒り、一刻も早くキャティシアのもとにたどり着きたいという想いを原動力にし強敵に相対していた。
一旦距離を取りにらみ合う両者。現在ダメージを受けているのはロフォカレの方だが、まだ反撃に十分な余力は残している。
彼は不敵な笑みを口角に浮かべ、ルーミスを挑発する。
「ルーミス・サリナス……。貴様、それだけの力、一体何のために振るっているのだ?」
「何?」
「俺は、全てにおいて、ゼノン様お一人のためだ。神の思す真理を見抜き、腐りきった権力と愚人を一掃し、正しき神の王国を興す。あの方の偉大な理想のため。シオンや、ここに居る誰もがそうだ。
引き換え、貴様は何だ? 父と母を殺した我が組織に対する復讐、それはまだ良いだろう。だが貴様にそれ以上にあるのは――。己を見失い、女どもに対する愚にもつかぬ恋愛だの、性欲だのに支配されそれを糧とするという、呆れた愚昧さ。怒りに燃え“背教者”となった神の使徒の姿は、すでにない。それ以上の信仰と法力の昇華も望めん。惜しく、あまりにも愚かしいことだ」
「――オレに云わせれば、そのような理解しかできんオマエの方が惜しく哀れな存在だがな。
神は、感情も人間性も捨てた人形の信仰など求めておられない。間違いを犯し、喜び怒り泣き、愛情を知る子らを愛でる『愛』。それが神のご意思の根幹。オレは、最も神の使徒として誇れるのは今の自分だと思っている。
そしてオマエに、オレの復讐心の何が分かる? 皆への情と同じくらい、それを忘れたことなど一度もない。オマエらサタナエル、何よりロブ=ハルスの悪魔を――地獄の底に叩き落とすのが、オレの悲願!!!!」
叫ぶと、ルーミスは攻撃を開始した。
真っ直ぐにロフォカレに向かって走ったかと思うと――。直前で突如足先を前に突き出す形で仰向けに倒れ込み、高速で前方にスライドする。
彼がバレンティンで目にしたレエテの技、スライディングだ。
「なっ!!!」
ロフォカレは驚愕し、反応を遅らせながらもギリギリで対応した。両手に光球を出現させ、迫ったルーミスの前で炸裂させる。
ゼノンやルービン姉妹が使用したのと同種の、接触せずに中距離で法力を相手に流し込む強力な上級技“光弾”だ。触れれば法力を食らったのと同じ過剰活性により、身体が破壊される。
だがこれを読んでいたルーミス。彼の全力の耐魔を右義手に集約、増幅させこれに対する。強力なロフォカレの法力を全て散らすことはできず、左肩の一部が破裂、出血するダメージを受ける。が、それに怯まずに――左手を伸ばし、ロフォカレの右脛の血破点に法力を流し込むことに成功する。
「ぐ……き、貴様……!!」
ルーミスが距離を取ったのを見て、慌てて体内の法力の中和にかかる。今ルーミスが彼に法力を打ち込んだのは、下肢の神経を破壊する血破点。すぐに対処せねば半身不随となる。それに対応する右腿の中央の血破点に法力を流し込む。
しかし――その瞬間、ロフォカレの身体に異変が発生した。
中和されるどころか、異常な痛みが全身を駆け巡る。特に、先程“鉄山”を喰らった胸部の痛みが激しい。明らかに、神経の暴走、異常血圧により血管・細胞が崩壊しようとしている。
「ご……おおおおおおっ!!!! ルーミス……貴様、貴様あ!!! ぐぬおおお!!!」
「かかったな――。先程“鉄山”でオレが打ち込んだのは、オマエも知ってのとおり神経節を正常に戻す“副交感孔”という何てことない治療孔だ。
しかし我が父アルベルトが最近、法力事故検死の中で偶然発見した。“副交感孔”の効果が切れる前に“静下肢孔”に強い法力が流れると、全神経の暴走を引き起こし、死に至ることを。
父さんの遺産、そしてそれを可能にする技を教えてくれたレエテの力の、勝利だ」
「バカな――!!! この俺が、こんな、こんな簡単に――!! 小僧ごときに! 認め――ぐはあああっ!!!!」
突如胸部が破裂し肋骨が露出するほど開口、動脈から噴水のように血を流すロフォカレ。目を剥いた無念極まる表情のまま、胸を押さえて倒れ伏し、そのまま絶命した。
「法王庁の情報を軽視してきたオマエらの弱点が、最新研究に対する無知だ。地獄に行くオマエは、天国へ逝った兄に鍛え直してもらうこともできず残念だったな」
ロフォカレの屍体に一瞥をくれた後、すぐにレエテらの後を追おうとしたルーミスは――。
「ドスッ」、という鈍い音を、自分の胸の奥から聞いた。
そして、独特の――強い法力が流し込まれる時の、ピリピリと痺れるような感覚。
ゆっくりと、驚愕の表情で振り返ったルーミスの目は――。
冷酷で、嗜虐的な光を放つ、年端もいかない美しい少女の目と合った。
少女の手が、自分の背中から法力を流し込んでいた。
いかなる手段か、警戒していたルーミスにも、少女の気配などは毛ほども感じなかった。なのにそこに居た。
彼にはすぐに分かった。完全に、やられたと。
「これ」を喰らってしまったのなら――「死」しか、ない。もう決して、助かることは、ない。
右上腹部に想像を絶する痛みを感じ、ルーミスは瞬く間に崩れ落ちた。
「――!!!! ルーミス!!! ルーミス!!!!」
遠くで、残る13人もの副将クラスらと戦いを繰り広げていたナユタが、倒れる自分に気づいて絶叫する声が聞こえてくる。
アーシェムは、密かにナユタ、ホルストースと交戦する戦場から離れ、自分の背後に忍び寄ってきていたのだ。
「か……は!! お……マエ……! なぜ……気配……が!?」
倒れたルーミスを冷ややかに見下ろしていたのは――ルービン姉妹の姉、副将アーシェム・ルービンだった。
フリルのついた可愛らしいドレスをまとった人形のような姿は、却って不気味な死神のような様相を呈していた。
「うふふ……この副将アーシェムが最も得意とするのが、全身を『静』の波動で包み気配を0とする技“虚無”。ゼノン様の技ゆえ知らぬでしょうけど。ロフォカレ副将に集中していた貴方は、視界でも私を捉えることができませんでした。
そしてお分かりのように、今貴方に打ち込んだのは肝臓の絶対破壊に至る、“肝疽”。心臓や肺に比べ、地獄の苦しみを経た後の絶対死が待つかぐわしい血破点ですわ。
あと、貴方の命は持って15分、といったところでしょうかね、うふふふふ……!」
応戦しながらこちらに近づいてきたナユタが、アーシェムの残酷な死の宣告を聞きつけ絶望の表情を浮かべる。
そして貌が青白くなり、目がみるみる潤み始める。
「――そ……。そん……な!!! そんな、バカなこと……そんな……そんな……」
そして背後に迫った敵一人を、追ってきたホルストースが背後の急所を突いて仕留める。
「――ナユタ!!! 気持ちは分かるが今は、今は戦いに集中しろや!!!」
ルーミスは、息を荒げて、どうにか膝と肘で立った。次に立ち上がろうとするが、右上腹部の絶望的な痛みで再び崩れ落ちる。鈍くとてつもなく重い、悪魔の手に握りつぶされ続けるような激痛だ。
肝臓の壊死が、始まっている。この臓器を失えば、人間は死に至る。
法力では、一度実効したこの強力無比な血破点の効果を打ち消す手段は、一切ない。
もう自分の生は、わずかしかない。自分の確かな知識が、それを否応無しに実感させる。
(……死ぬのか、オレは。
まだ、遂げていないのに。レエテの復讐の見届けも、オレ自身の復讐も、なにも……。
ロブ=ハルスが、のうのうと野放しになっているのに……)
右手の“聖照光”で街路の石畳を握る。強化された握力と、オリハルコンの五指によって粉々に砕かれる石。
(もう、遂げることは……できないのか……。母さんと、父さん……。ランスロットの居る天へ召されるのか……? それとも神に許されず、地獄へ落ち、殺してきたサタナエルどもと共に業火に焼かれるのか……?)
そして最後に、強い想いがこみ上げる。その想いの強さが、彼の足を動かし、地を踏ませ、身体を大地に直立させた。
(……何を、考えている、ルーミス……。こんなこと、覚悟の上だったろ? サタナエルと戦うことを決めた、その時から。今このタイミングで、来ただけだ。死の運命が。目的を遂げられなかったのは、オレの力不足のゆえだ。
そうだ……オレが居なくなっても、皆が、いる。必ず、オレの想いを、遂げてくれる。そのために最後まで力を尽くすのが、オレの成すべきことじゃないのか……?
皆……皆……オレの大切な、仲間だ。本当に、ありがとう。
ホルストース……オマエは最高の男だった。色々教えてもらった。
ナユタ……本当に世話になった。とても色香があって……オレは一時たぶん、オマエのこと、好きだった。凄く気になってた。どうか、幸せになってくれ。
兄さん……先に逝くオレを、許してくれ。そして必ず、ロブ=ハルスを斃し復讐を遂げてくれ。
レエテ……オレにとって、オマエに出会えたことは最高の宝だった。本当に最高の女性だった。兄さんと、幸せに……少しでも長生きしてくれ。
そしてキャティシア……オマエはオレを……生まれ変わらせてくれた。人生で最高の、幸せをくれた。本当に、愛している。今オレが成すべきことは――オマエの力になること、生かすこと、それ以外にない! 今、行く。最後は……最後にせめて、オマエと一緒に……居させてくれ!!!)
そして、ナユタとホルトースは、一瞬、確かに見た。
自分達を振り返るルーミスの貌に浮かぶ、死相を。そして向けられた――。心からの、はにかんだような笑顔を。そして最後に――苦しげな唇が動いて示す、その言葉を。
「――ありがとう――」、確かに、そう云っていた。
そして激痛を抱えた身体とは思えぬ足取りで、王城へ向かったレエテとキャティシアの元へと走り出していった。
ナユタは――身体を震わせて涙を溢れさせ、ルーミスの行く方向に手をかざして絶叫した。
その死の後ろ姿に、ようやく自分の裡に潜んでいた想いが、電撃のように表出したのだ。
「――ルーミス!! ルーミス!!! いやあああ!!!! 死なないで!! お願い!!!
あたし――あんたのことも――あんたのこと――好きなの!!! 愛してるの!!!
いやよ、いやあああ!!! 死なないでよ!!!! ルーミス!!!!!」
取り乱すナユタに、鉄のように硬く重い、ホルストースの叱責の絶叫が飛ぶ。
「黙れ!!!!! ナユタ・フェレーイン!!!!! ここは戦場だ!!!!! 気をしっかり持ちやがれ!!!!!」
それはホルストースとは全く思えぬほどの、強く厳かな叱咤だった。ナユタは傍目にもわかるほどに身体をビクッと震わせ、泣きながらも魔導の構えをとった。
ルーミスの姿が完全に見えなくなったのを横目で見、アーシェムが再びナユタらと相対する戦場に戻ってきた。そして、侮蔑しきった表情でナユタに云う。
「うふふ……まあ何てみっともない。貴方みたいな年増の女が、あんな年下の少年に『愛してる』だなんて、ナユタ・フェレーイン。しかもそんなに取り乱すほど。“限定解除”を果たし、力は化け物クラスになったようだけど、精神的には取るに足らない愚かな女。ゼノン様より英才教育を受けてきた、私たち親衛部隊の策と連携の前には無力――」
アーシェムの台詞は、突如神速で迫った死の槍の先端によって、中断させられた。
恐怖の表情で間一髪危機を逃れた彼女は、後方でよろめきながら何とか体勢を整える。
そして――。その視界に捉えた悪鬼のような憤怒、射殺されそうな禍々しい気を放つホルストースを見て、青ざめ目を見開いた。
「ああん……!? もう一度云って見やがれや、クソガキ……!! 俺の大事な女が、何だって!? てめえみてえな性根のネジ曲がった、小便くせえクソブスが、その小汚え口から、何て云いやがった? あああああ!!?? 大人舐めてんじゃねえぞ……!?
よくもよお……。やってくれやがったな、俺らの大事な、仲間をよ……!! ルーミスの命はなあ……てめえなんぞのゴミみてえな命じゃかけらも贖えねえ……!!
てめえら全員、塵になるまで潰してやらあ!!! 覚悟しやがれ!!!! おお!!??」
「ひいぃっ……!」
その殺気のあまりの恐ろしさに、震えて悲鳴を漏らすアーシェム。
次いで、徐々に魔導をみなぎらせ始めたナユタが――。
涙を流しながら、地獄の底へ通ずるのではないかと思うほどの空虚で瘴気をはらんだ瞳で敵を見据え、呪詛の言葉を発した。
「そう……潰す……殺す……。
許さ……ないよ……てめえ……。よりにも、よって……ルーミスを……ルーミスの命に手ぇかける……なんて……!
ぶち殺す!!!! 今すぐ地獄へ落とす!!!! キレイに凍らしたりはしないよ……最強の炎で、熱で、焼き尽くすか、溶かすか!!!! ルーミスより何倍も苦しい!!! 無残な死を与えてやるよ!!!!」
そしてこの後――アーシェムらは魂の奥底から後悔することになるのだった。
悪魔の組織の一員である自分達よりはるかに恐ろしい、魔王の雌雄を激怒させてしまったことを――。




