第二話 王都の陽明姫と流星将【★挿絵有】
エストガレス王国――。
ハルメニア大陸随一の大国にして、また最古の歴史を誇る国である。
その成立はおよそ500年前のデミストリア帝国滅亡時まで遡り、当時の地方諸侯であり反乱軍の指揮をとったマーカス・エストガレスが興したものである。
彼が興した王家の血脈は、現在に至るまで綿々と受け継がれ、現在の第47代国王アルテマス・エストガレスⅡ世の代に至っている。
総人口は約1000万人、大陸の南海岸線から中原にいたる広大な領土、そして衛星国として持つ西のダリム、南のカンヌドーリア、東のエグゼビアの3公国の存在。農業に適した肥沃な大地と、最先端に発達を遂げた商業力豊かな都市群。北のノスティラス皇国との中原の勢力争いによって一時期の隆盛よりは射陽の傾向にあるものの、この王国の存在なくしては大陸の人々の生活は成り立たないと断言できるであろう。
その強大な国家の中心たる王都ローザンヌ。
人口は約100万人、ラ=マルセル川の流域に広がる、大陸有数の大都市である。
温暖で洪水の心配もない恵みの水には、無数の渡し船が行きかい、海に面する大港都市シェアナ=エスランへ物流を接続する。その人々の営みと賑わいは、やはりダリム公国デルエムのようなにわか作りの都と異なり、圧倒的な歴史と存在感を窺わせる。
そして城下町の中心に国家成立時より変わらぬ佇まいを保持する、大いなる石造りの芸術品、ローザンヌ城。
その正門が開かれ、一人の来訪者の訪れを告げる。
その来訪者は、6頭立ての馬車の後方、黒塗りの客車内に腰掛けていた。
足を組み、窓に肘を乗せたその手の拳で、頬杖を付く不遜なる態度。
柔らかな金髪の下のその目は相も変わらず、ほぼ閉じているかのように極めて薄く開いている。そしてその表情は、常に不自然なほどの笑みを絶やさない。
ダリム公国の剣闘大会展覧より帰国した、王族公爵にして第4位王位継承権者、“狂公”ダレン=ジョスパン・ファルブルク・エストガレスその人であった。
やがて城内の天守閣前にて馬車を降りた彼は、使用人の開ける巨大な扉を抜け、エントランスホールに入る。
一面に暗赤色の絨毯の引かれた、豪華絢爛たる階段をゆっくりと上り、長い回廊を一人歩く。
時折、行き交う使用人や貴族達が彼に気付くも、皆表情を凍りつかせて一礼して小走りで過ぎ去るのみで、声をかける者など皆無だ。
それらの反応は、自らをこの国の鼻つまみ者と云ってのけ“狂公”という通り名で呼ばれる彼が、正にその通りの恐怖感・嫌悪感・疎外感を人々に共通認識として与えていることを如実に証明するものだった。
しかし――どうやらそれは「全員」ではなかったようだ。静寂を破る一声が、突如としてダレン=ジョスパンの細長い背中に投げかけられた。
「お従兄さま!! おかえりなさい!!」
とてつもなく明るく元気な、高く澄んだ大声とともに、ダレン=ジョスパンが振り向く間も与えず背中に抱きついてきた一人の少女。
どうやらダレン=ジョスパンはこの少女の襲来を予想していたと見え、彼にはまったく似つかわしくない、困惑に満ちた表情で背後を振り返りながら少女を引き離す。
「オファニミス……。いつも云っている事だが、公衆の面前で淑女が男に抱きつくものではない。お主の尊き立場を考えれば、できれば『お従兄さま』というのもやめて貰ったほうが良いのだが……。」
「いやよ。謹んでお断り申しあげますー! お父様にも散々云われてますけど、わたくし、一度として従ったことはございませんことよ。人にどうこう云われる筋合いのことではないわ。あと、わたくしも何度も申し上げてますけど、わたくしのことは昔のようにニムと呼んでいただきたいのですけど!」
腰に両手を当て、胸をそびやかして口を尖らせるこの少女に対し、心底困り果てた表情でダレン=ジョスパンはうやうやしく礼をして云った。
「ご無礼致しました。オファニミス・ローザンヌ・エストガレス『王女殿下』。帰国のお出迎えにあずかり、恐縮至極にござりまする」
「まぁたそういう、わざとらしい態度を。お従兄さまも大概強情なんだから。でも、帰ってきてくれて嬉しい! 本当におかえりなさい!」
オファニミスは途端に相好をくずし、満面の笑顔を前につき出す。
そう、オファニミス・ローザンヌ・エストガレス。通り名を"陽明姫"。エストガレス王国第一王女にして、王位継承権第二位。弱冠17歳という若さながら、その頭脳、行動力、決断力は歴代王族でも群を抜き、王太子である兄のドミトゥス王子を差し置いて次期女王の座を国民全員が嘱望しているとまで云われる才媛である。
世界の名であるオファニムに因んだファーストネーム、王都を領土にもつローザンヌというセカンドネームが示すとおり、彼女の父である国王アルテマスⅡ世の溺愛ぶりも窺える。
背は155cmほどと、女性としてもどちらかといえば小柄なほうだ。スタイル自体も、細身で成熟しているとはいえないやや子供よりの体型である。その身体を包むのは、白地に青いフリルをあしらった極めて豪華絢爛たるドレスと、最高級の宝石で作られた装飾品だ。
髪は長い金髪にロールパーマをかけたと思われるくせのついた毛先。肌は抜けるように白い。またその貌は、あまりに満ち満ちた自信ゆえか若干釣り上がり気味ではあるが、流麗な細い眉と丸く大きく特徴的な蒼色の瞳、小ぶりだが形の良い鼻、整った唇と極めて美しい。ただし見るものには美しいというより可愛らしい、という印象を強く与える、一見してどんな人間も虜にしてしまいそうな強い魅力を形作っていた。
「さあ、聞かせていただきますわ。ダリム公国の剣闘大会のことを! わたくしは早馬の情報にてすでに聞いておりますのよ。そこに現れたサタナエルを名乗る強く凛々しい女戦士の闘いについて!
でもやはり実際にこれをご覧になって、その女戦士レエテ・サタナエルと言葉を交わしたというお従兄さまからぜひ生のお話で聞かなければと、わたくし今か今かとお帰りをお待ちしておりましたの。
わたくし、早馬の情報だけで、もう彼女のファンになってしまいましたわ。さあ、すぐにでもお話聞かせてくださいな!」
すでに、話ながら彼ら2人は回廊のかなりの距離を歩き、そしていつの間にやら開けた中庭に達していたのだった。
ダレン=ジョスパンはため息をつきながら、オファニミスに貌を向けた。
彼は国王の3人上にあたる姉、前国王の第一王女を母に持ち、オファニミスとは10以上年の離れた従兄の関係だ。したがってオファニミスの事は生まれた時から面倒を見、可愛がってきた。幼少より異常な行動が目立ったダレン=ジョスパンが近づくことを国王は嫌ったが、彼に似合わずよく面倒を見、こうして深く慕われるまでになったのだ。
それだけに、オファニミスの事は誰よりもよく知っている。もちろん根が無邪気な性格ではあるゆえ、レエテ・サタナエルへの強い興味は本心からだろうが、この賢すぎる少女がそれだけで話を聞きたがっているのではない事は解っているのだ。
「わかった。後でじっくりと自室で話そうか。たしかに余ならば誰よりも詳しくレエテ・サタナエルのことを語って聞かせられよう。
故に、しばし我が親友との会談の間だけ、席を外していてもらっても良いかな、ニム。
とても大事な話があるのだ」
「……久しぶり! わたくしのことをニム、って呼んでくださったのって、何年ぶりかしら……!」
感激のあまり両手で口をふさぎながら目をうるませるオファニミスをよそに、ダレン=ジョスパンの視線はすでに中庭に向いていた。
そこでは、一人の男が武技の修練に励んでいるところと見えた。
直径50mほどと見える円形の中庭の中心に佇んでいるのは、身長160cm強の短躯の中に、驚くべきほどの筋肉を張りつめた円形のような肉体をもつ――白い鎧で身を固めた男であった。
正方形に近い丸っこい頭の中心の貌は、さして美男子とは云い難いものの彫りの極めて深い、特徴的な貌立ちだった。年齢は30代半ばといったところか。
そして彼の容貌よりも人目を惹いてやまない、身長よりはるかに長大な長さ3mにおよぶ斧槍。
見た目のアンバランスぶりはすさまじく、とうていこの小男が扱える武器とは想像できなかった。
男の周囲には、直径50cmほどの鉄柱が10本ほど建てられていた。
男の気迫は静かだったが、確実に敵を想定したその鉄柱に向けられていた。
そして前触れ無く、男が動き出した!
一気に2mほど後退し、斧槍を前方の砂地に突き刺す。
そしてそれを起点・中心に跳躍し、円周上にある鉄柱に流れるような目にも留まらぬ蹴撃を繰り出す!
そのブーツの底には仕込み刃があり、それによりことごとく鉄柱の――頸動脈にあたる上部の部分に横向きに切り欠きが刻まれる。
そして一周して着地すると、その遠心力を利用して斧槍を同軌道上に一閃する!
一瞬の後、斧槍を振り終えた男の周囲で、10個の鉄柱が同時に中心で斜め横に両断されて地に落ちた。
全ては、おそらくダレン=ジョスパンほどの者でなければ一切の視認ができないであろう一瞬のうちに行われたのである。
ダレン=ジョスパンは拍手をしながら中庭に降り、男に親しげに声をかけた。
「見事だ。相変わらずの美技、思わず見とれてしまったよ、ラ=ファイエット将軍。さすがは“流星将”の異名をもつ王国随一の豪傑だ」
「……どうやら無事お戻りになったようですな。ついでに申し上げて良ければ、そのご様子ですと首尾も上々だったとお見受けしますが。お帰りなさいませ、ダレン=ジョスパン公爵閣下」
振り返り斧槍を地面につきたて、男――シャルロウ・ラ=ファイエット将軍は膝をつきうやうやしく頭を垂れ正式な礼を取った。
「いやいや、お主と余の仲だ。堅苦しい礼儀はいらぬといつも云っているだろう。
……さあ、オファニミス、約束だ。少しで良いから席を外してもらっても良いかな」
回廊の上に残り、二人の男を見下ろす第一王女は、再度腰に両手をあて、口を尖らせた。
「仕方ないですわね……。ただし、さきほどの約束、きっちり守ってもらいますわよ。それからラ=ファイエット、わたくしあなたの事、まだ許していませんわよ。お従兄さまの後を追い同行を求めたわたくしの願いを、何やかやと理由をつけてフイにされましたから! 本当はしばらく口も利きたくない位なのですからね!」
オファニミスの言葉を、神仏のごとき安らかな笑顔で受け、ラ=ファイエットは静かに言葉を返した。
「平にご容赦ください、わが神聖なる主よ。全ては御身の大事を思ってのこと。ただ王女の思いはこのラ=ファイエット、常に聞き届けたいと本心より思っておりますゆえ、次こそは必ず」
「その言葉……何度聞いたかわからないけれども。まあ良いですわ。邪魔者は退散いたしますね!」
捨て台詞を残して、オファニミスはそそくさとその場を去った。
「やれやれ……あやつのお転婆ぶりは、いったい幾つになったら治ることやら。お主にはいつも苦労をかけてすまぬな、ラ=ファイエット」
中庭の端にある椅子に腰掛けながら、ダレン=ジョスパンがラ=ファイエットをねぎらう。
「いえいえ。滅相もない。恐れ多いながら王女は我が娘のように思っておりますし、この状況も結構楽しいものですよ。
ところで――、本題のお話を伺ってもよろしいでしょうか、な?」
向かいの椅子に腰掛けながら、ラ=ファイエットが眼光鋭く切り出す。
「うむ……。余がダリム公国の剣闘大会で見聞きしたこと、お主もすでに聞いて居るであろう?」
「ええ、一通りは。かなりの大事になりましたな……。まさかサタナエルから反逆者が出、それがこのようなテロリズムのような形で、世間にその存在を知らしめるような行いを強行してくるとは。反逆者の狙いがサタナエルを撹乱し、その戦力を削ぐことにあるのであれば、当然我が国に混乱をもたらすは必定」
「その通りだ。余もそれを深く懸念しておる。そこで、エストガレス軍随一の影響力を持つお主の力を借り、この混乱を収拾したいと考えている」
「と……、申しますと?」
「サタナエルの反逆者、レエテ・サタナエルを我が国で捕らえる」
「……!!」
「そしてその力を利用・探求し、我がエストガレスの力でサタナエルを一網打尽にする」
「正直なところ、正気の沙汰とは思えませんな……。捕らえるならば、サタナエルに反逆者を引き渡し、今後我が国に有利な状況を形成するのが得策では?」
「もちろん、それも重要な選択肢だ。が、まずは、反逆者を捕らえないことには話にならん。
協力してくれるか? ラ=ファイエット」
ダレン=ジョスパンは身を乗り出し、そのあまりに細く開いた両眼で ラ=ファイエットの貌を覗き込んだ。
ラ=ファイエットは感情を殺した表情で静かに答えた。
「もちろんですとも、公爵殿下。私は一度捨てた命を殿下に拾っていただき、こうして永らえている身。我が生命は殿下、貴方のものです。その願いが何であろうとも、我が生命、捨てる覚悟です。
私に考えがございます。ある信用のおける男を、密かに反逆者の元に送り込み、その作戦成就の端緒といたしましょう」