第二十一話 カンヌドーリア国境戦線(Ⅲ) ~六万 対 一
内戦の火蓋が間もなく切って落とされようとする、その頃。
現在はノスティラス領となったドゥーマにほど近い――エストガレス王国北部の地方都市、アレン。
ドミトゥスが王を僭称した際、他の多くの都市と同様、アレンは即時「新王」への帰順を明確にした。
そして新政府がアレンに通達したのは――。混乱に乗じたノスティラスの侵攻を警戒し、備えることだった。
昨今のノスティラスは国内の混乱に見舞われているが、中原進出の野心を隠さない皇帝ヘンリ=ドルマンが、この機会に何の動きも見せないはずはない。
ドミトゥス――というよりはサムデラなどの将軍達の判断で、守護に相応しい軍勢と、名将が送り込まれていた。
現在その、北部国境線に沿って展開する2つの軍。
一つは、北部方面師団2万。若いながらエストガレス屈指の勇猛さを誇る、師団長ジェリウス・マキシマスが率いる。
今一つは、国王直属、遊撃軍団4万。中央軍団の一部に属し、マーレー・ガルシャスフ中将がこれを率いる。
いずれも王国内でも剛毅で鳴らすパワー型の軍勢であり、遠隔地での守護を行うには最適の存在だ。
ジェリウス師団長は、6頭立ての無骨な戦車の上で仁王立ちしていた。腰に下げられた得物から察するに、その戦法は戦斧二刀流。
魔工具である単眼鏡を用い、北の方向に目を光らせる。
すでに数日前から、皇国内での不穏な動きは察知されている。大規模な戦に臨む準備を進めているのは、間違いない。
後はそのタイミングが、何時なのかという問題だけだ。
先程から――何やら遊撃軍団のほうが騒がしい。
大きな歓声と、小規模な動きのようなものを音で感じる。しかしながら、マーレー中将はエストガレス軍でも有名な熱い名物男であり、時折意味もなく鬨の声のようなものを上げたり、兵にも気勢を上げるよう要求することがある。いつものそれだろうと考え、視線すら向けることはしなかった。
しばらくしてジェリウスが単眼鏡を下げ、ふと眼下に広がる自軍に視線を落とした、そのとき。
何やら、軍勢を真っ直ぐになでる、一陣の風のようなものを感じた。
その一線上だけ、旗がこちらに向かって一斉にはためいていた。
次いで――驚くべき現象が起きた。
ジェリウスの戦車にほど近い位置に控える2名の大隊長のうち――。
右の1名が――突如その首から血を噴き上げた!
次いで切り落とされたと思われるその首があえなく、地に落下していったのだ。
「なっ――!!!」
ジェリウスが驚愕の表情で単眼鏡を上げると、瞬時に左側に控える大隊長も――同じく噴血を上げて絶命していた。
周囲の兵たちですら、何が起きているのか理解できていない。突然命を奪われた上官を目にし、狼狽えたようにどよめくのがやっとだった。
ジェリウスも一瞬思考が停止したものの、異常事態に対処すべく兵に命令を下そうとした。
「我が軍につ――」
発されるはずだったその怒声は、即座に止まった。
己の首筋に当たる、鋭利な刃付きレイピアの感触を、感じていたからだ。
同時に背後から、息のかかるほどの至近距離で、ジェリウスの耳元に囁く声。
それは、彼にとって極めて聞き覚えがあり、また一度でも聞いたら忘れられぬ強烈な印象を持つ、「あの男」の声。
「反応が遅いぞジェリウス。すでにマーレーめは、余の刃の露と消えたわ。
次は――お主の番だ」
「ダレン――! ジョス――」
ジェリウスが最後までその名を云い切ることは許されなかった。
レイピアの刃は、恐るべきスピードと正確さをもって、一瞬にして彼の頭部を胴から永遠に切り離していた。
周囲の兵士の目に、崩れ落ちる将の身体と――。戦場に不釣合いな、青を基調とした貴族服を身に着けた金髪痩身の貴公子の姿が一瞬捉えられ――そしてすぐに消えた。
先程と同じ、一直線に軍勢を薙ぐ一陣の風が、反対方向に吹いていった後――。
後に残されたのは、統率可能な将を全員失った、茫然自失の兵士の集団、烏合の衆のみであった。
そこから1kmほど離れた草原に、突如瞬間移動のように姿を現した、その貴公子。
内戦に陥ったこの王国で、間違いなく重要な位置を占める王位継承権保持者にして、“狂公”の異名をとる男――。
ダレン=ジョスパン・ファルブルク・エストガレスの姿だった。
彼は、おそらくこの世で最も効率的な――かつこの世で彼一人だけが可能な方法で6万もの軍勢を無力化した。それを成し遂げた得物、血の一滴すら付着していないレイピアを一度水平に振り、ゆっくりと鞘に収めた。
そして軍勢を振り返る。明らかに狼狽し、動揺の悲鳴を上げて崩れていく大軍勢。
いかに訓練された職業軍人であろうと、全ての指揮官を失っては、一人もしくは数人単位にまで分裂し散り散りになって退却する以外にない。
それを満足そうに眺めたダレン=ジョスパンは、異常に口角を上げ笑みを浮かべながら、内心つぶやくのであった。
(フフ……。本来お主の手助けをしてやるのは誠に不本意ではあるがな、ヘンリ=ドルマン。これで、お主の行く手を阻むものは無くなった。心置きなく、我が王国へ。今は、両手を上げて招待しよう。むしろ、お主の皇国軍が暴れまわってくれるのを余は望んでいる。
後は、軍を壊滅させながら南へ向かうか……。カンヌドーリアの決着には、おそらく間に合わぬな。オファニミス、お主の才覚と――。シェリーディア、お主の強さ。どうにかそれらで乗り切ってくれるものと、余は信じておる。頼んだぞ……)
ほとんど瞑られた、表情を読み取ることが難しいその目。しかし確実に憂いを含んだその眼差しは、まっすぐに真南の方向へと向いていたのだった――。
*
そして、約一昼夜の後――。
カンヌドーリア公国首都アヴァロニアを出立する、軍勢。
師団長のイーニッド、ニヴァス。デイモス・ダルシウス伯爵の3軍勢が結集した2万の兵団であった。
北西の方角に向けて進軍を開始している。標的のフリルギア師団長率いる西部方面師団2万と、雌雄を決するためだ。
歩兵と騎兵、戦車兵の混合部隊。その状態は必ずしも万全ではなく、傷ついた身体に包帯を巻き立てた負傷兵が多く含まれている。
だが彼らは――ここに至るまでドミトゥス派の軍門に下ったり、逃亡したりしていない、志高くオファニミスへの忠誠心高い精鋭たちである。肉体は疲弊していようと、その精神――士気は極めて高いものであった。
この軍勢に、“夜鴉”は帯同していた。歩調を合せ、また非常時にはすぐ別の戦場に移れるよう、騎乗しての移動だ。
その一員、ビラブド・フェルナンド中尉が、前を行く指揮官、シェリーディアに問う。
「シェリーディアさんよ。この先の戦場で俺たちがやり合う、サタナエルの相手の目星はついてるのかい?」
シェリーディアは帽子を指で上げながら、ビラブドを振り返って応える。
「はっきりとは分からねえ。だが――“法力”ギルドを中心とした3、4人ぐらいの規模だろうとは考える。そしておそらくはその中に、頭抜けた強者“幽鬼”総長が含まれてると見てる」
「その根拠は?」
「そいつらに司令を与えてる頭、将鬼ゼノンや七長老の目的は、オファニミス派を潰すことじゃねえ。あくまで、ドミトゥス派との激突で王国軍全体をできるだけ消耗させること。その過程でできるだけ多くの国民の命を巻き込むことだ。だから2つの戦力は互角に近い必要がある。
その気になりゃ自分含む20人近いサタナエルを投入し、それだけで完膚なきまでにオファニミス派を潰すこともできるがそうはしねえはず。優秀な最低限の手駒で戦局を操る気だ。
そして人数は抑えるが『決定力』は欲しい。自分が行けねえ以上、それに匹敵する大駒が必要。現状その役目を担うのに相応しいのが“幽鬼”総長ってわけだ」
「そいつは――将鬼とやらの下だったあんたよりも、確実に強いんじゃないのか?」
「――まあな。だが絶望的な差ってわけじゃない。十二分に勝機はある」
それを聞いたダフネが、不敵に笑いながら云う。
「いいさ。上等じゃないか。シェリーディア、お前にはその総長とやらの相手に専念してもらおう。
それ以外のサタナエルの奴らを、私達は仕留めればいいんだろう? 面白い。そいつらが現れたら知らせてくれ」
「知らせるまでもねえかな。一人で何十何百って斃してる、明らかにバケモノな奴がサタナエルだ。総長がいればアタシが見つけて、すぐに向かう。あとの奴は――アンタ達に叩き込んだ、各ギルドの特徴とその対処法を思い出してもらい、一人でも多く斃してくれ」
話しているうち――軍勢の行軍が、止まった。
それが何を意味しているのかを、将兵は理解し表情を緊張させた。
そして歴戦の強者であるダフネも、人外の強敵に挑む緊張で武者震いした。遺跡の戦いでは将鬼級の化け物に当たってしまい不覚をとったが、今回は同じ轍を踏む気はない。
そう、軍勢の進む先――1kmほどに現れたのだ。
目指す敵――西部方面師団2万。かつては味方だった強力無比な軍勢が。
相手も、こちらの姿を認めて行軍を停止している。にらみ合いの状態だ。
中原の広大な平原での激突となるため、大規模な合戦となる。互いの指揮官が命令を出し、陣形の配置を行っている。
おそらくは、“ドゥーマの反攻”においてラディーン・ファーン・グロープハルトの配下として共に戦った合戦経験者、イーニッド師団長が統率していると思われた。
結果ドミトゥス派、西部方面師団が選択したのは、左右の勢力を突出させ、中央を後方に下げた形の「鶴翼の陣」。敵に負傷者が多いことを見越し、包囲し殲滅する構えか。
オファニミス派、連合軍が選択したのは、矢印のように中央を突出、左右翼を下げ、さらに真っ直ぐ残存兵力を後方に伸ばす「鋒矢の陣」。極めて高い士気を活かし一気に突破をかけるため、将であるイーニッド自ら先頭に立ち陣に切り込む。そして後方の遊撃部隊にはニヴァスを配し、密かに後方に廻り敵将フリルギアを打ち取る構えだ。
シェリーディアはこれを見て取り、素早く“夜鴉”に指示を出した。
「互いに一歩も譲らねえ、いい陣形だ。あっちが鶴翼の陣なら、戦況をコントロールしやすい左右翼の部分にサタナエルはいる。うちらはひとまず中央部に入って進撃し、左右に潜む奴を見つけて戦に持ち込む。アタシが最初に総長を見つけるから、アンタらはそれと反対方向に展開しろ」
この指示に面々が頷くと同時に――。
合戦の開始と同義となる、フリルギアの攻撃開始の命令が下されたと見え――。
敵軍が、鬨の声を上げ地響きを上げ、一気に攻め込んできた!
これに対し、イーニッドが全軍に怒号を上げた。
「全軍、攻撃開始!!!!! これより我らは未曾有の戦に臨み、これに勝利する!!!!!
我が女王、オファニミスのために!!!!! 真のエストガレス王国のために!!!!!
命を捧げよ!!!!! 魂を捧げよーッ!!!!!」




