第二十話 カンヌドーリア国境戦線(Ⅱ) ~開戦
その頃――アヴァロニアより200km以上西に位置する、永世中立国リーランド首都ラームッド郊外。
リーランド=カンヌ街道を東上する、騎馬の一団。
追手の追撃を振り切るように、全速力で駆け抜ける5騎6人は――。レエテ・サタナエル一行であった。
ゼノンの陰謀による、リーランド議長レジーナへの、ラ=ファイエットの正体暴露の一件。これに巻き込まれたことでのラームッド脱出劇は――成功裏に終わった。
シエイエスの情報と戦術の的確さ、ホルストースの鮮やかな殿役が成功の決め手であった。
完全に追っ手を振り切ったと判断したシエイエスが、手を上げて馬のスピードを下げるように全員に指示する。
そして振り返り、云った。
「皆、危機は去った。見事な動きだった。これでカンヌドーリアとの国境までは、トラブルなく行軍できるだろう。
特にホルストース、お前の動きが最も見事だった。敵を圧倒する攻撃、引き際を心得た鮮やかな手並みには感服した。ご苦労だったな」
ホルストースが笑みを浮かべながらこれに応える。
「なあに、お褒めに預かり恐縮だが、お前の戦術が最も見事だったことに皆異論はねえと思うぜ。この調子でカンヌドーリアまで頼むぜ、シエイエス」
そして、中列にいるルーミスとキャティシアが話し始める。
「よかったわね……ルーミス。シエイエスさんのこと」
「ああ、ありがとう……本当に安心したよ。オマエも、怪我はないか、キャティシア?」
「ありがと――大丈夫よ、フフッ!!」
自分を気遣う恋人の様子に、こみ上げる嬉しさを抑えきれず、馬を近づけてギュッとルーミスの手を握るキャティシア。
それを後ろから見て、レエテの馬に相乗りするナユタが鋭い目を向けため息をつく。そして若干の悪意を伴った台詞を継ぐ。
「やれやれ……いいねえ、若いってのは。ああも人目を気にせずイチャつけるんだからね。ルーミスの奴も奴だ。デレデレしちゃってさ……! 今まで散々良い子ぶってクールに振る舞っときながら、あんだけ若い子に云い寄られたらあのだらしないこと。ちょっと幻滅だよ、まったく」
それが、自分も意識せずに恋愛感情を抱く男の恋人への、嫉妬心とは気づかず不快感を持て余していたナユタだったが――。
自分の前で馬の手綱を握るレエテの様子がおかしいことに、ハッと意識を向けた。
レエテは、息を荒げていた。ハァ、ハァ……と苦しそうに息を継いでいる。後ろから見ても肩が震え、そのうなじには大粒の脂汗がにじんでいる。
「レエテ……! 大丈夫かい? その……相当、『痛い』のかい……?」
ナユタも、知っている。レエテがドラギグニャッツオで自分の結晶手を切り落とし、それを自分の右足に埋め込むという強行手段をとったことを。それがもたらす影響について、懸念していたのだ。
レエテはナユタの声に、無理やり作った笑顔で振り向いた。
「大丈夫よ……っていっても、無理があるわよね……。
うん……痛いわ、ものすごく……! 気が遠くなりそう……。右足を、獣に食いちぎられ続けているよう……!
私、傷がすぐに回復する身体だから瞬間の痛みには強くても、ずっと続く痛みに慣れてないってことがよく分かった……。
う……うう……痛いわ……痛い……痛い……助けて……お願い……なんとかして……ナユタ」
苦痛に歪み、涙までにじませるレエテの様子に、ナユタは顔面蒼白になりオロオロと動揺した。
レエテは魂を分けたとさえ思っている親友で、誰より大事に思っている。彼女が大変な状況に陥れば、それは自分のこと以上に非常事態だ。時には突き放すこともあるが、差し迫った状況となれば話が違う。
「シ――シエイエス――!」
手を上げて、一行を停止する合図をシエイエスに送ろうとしたナユタだったが、当のレエテに手で制止された。
「レエテ――どうして!?」
「……ごめんなさい……つい、弱音を漏らしてしまったけれど……。前言撤回よ。こうなることが分かっていて、私自身が選んだ道。大丈夫……耐えてみせるわ……。それどころか、この痛む足を岩に打ち付け、敵への攻撃手段として使い――“結晶足”として完成させてみせる、必ず――!」
そうして、むしろより強く鐙へ右足を固定するレエテに、ナユタは感極まるものを感じてぐっとこみ上げてくるものがあった。
そこで、どうにか彼女の気を紛らわそうと、ナユタは話を変えた。
「そういえば――。カンヌドーリア公国はあんたの母方のルーツでもあったんだよね、レエテ」
「え……ええ……そういえば、そうだったわ……。母さ……サロメの故郷。残念ながら――カンヌドーリアにとってはサロメは忌むべき犯罪人なのだけどね……」
「それでも……祖父さんや祖母さんももう居ないとはいえ……。自分の母親が生まれ育った生家がもしあるんなら、行ってみたいじゃあないか? あんたの親戚、なんていう人間がいないとも限らないし!」
「……そうね……行ってみたいわね、ぜひ……! ふふ、ありがとう、ナユタ。なんだか楽しみが一つできて……すごく気持ちが軽くなったわ」
その生家は、まさに犯罪の惨劇の舞台となった場所でもあるゆえ、今はどうなっているかわからないが――そんなことはどうでも良い。凄絶な出生をもつレエテにとっては、それでも非常に貴重な場なのだ。
彼女の気が紛れたその様子に笑みを浮かべ、会話を続けるナユタだった。
*
一方、まさにそのカンヌドーリアの首都アヴァロニア。
自称ではあるものの、大々的な即位宣言を行ったオファニミスに対し、国王としての体裁を整える諸々の手続き等の作業。そして――差し迫った危機に相対する準備が進められていたのだった。
臨時ではあるが、国王を名乗る以上、政府と軍が必要になる。
協議の結果、宰相はカンヌドーリア公爵、元帥は軍人最年長のイーニッド師団長、参謀はドイル海軍司令が務めることとなった。
それら首脳が額を突き合わせて臨む軍議には――。本来、階級上は特例中の特例だが、オファニミスのたっての希望で“夜鴉”の面々も加わった。
「現状――我々が得ている情報によれば、このカンヌドーリアに迫っている敵勢力は、大きく2つ」
圧倒的身分の上級貴族にも物怖じせず、“夜鴉”の実質統括者、ダフネ少佐は告げた。
「まず一つは、ローザンヌより迫る、サムデラ大将率いる中央軍団。その数5万。そして今一つは、一旦何故か中原を目指した後に取って返し、北西方向より迫っているフリルギア師団長率いる西部方面師団2万。これら2勢力は進路も確定しており、ほぼ同時にアヴァロニアに到着することは間違いございません」
卓上の大きな地図を指で指し示しながら、ダフネは続ける。
「これに加え――注視せねばならぬのが、ドイル司令の所領シェアナ=エスランを隔てた隣国、エグゼビア公国。かねてよりカンヌドーリア公国と不仲であり、オファニミス『陛下』も敵視してきた経緯から、ドミトゥスに臣従しているのは確実。この挟撃には十分警戒すべきかと考えます」
特殊部隊としての諜報力を背景にしたダフネの客観的見解を聞き、一同は険しい表情となった。
分かってはいたが、改めて聞けば聞くほど状況は悪い。絶望的と云っても良い。
そして、これに輪をかけるような凶報を告げたのは、シェリーディアだった。
「それだけじゃあない。最も危険な要素として、サタナエルの存在を抜きに戦略は立てられねえ」
その粗野な言葉遣い、まったくどこの馬の骨とも知れない胡乱な女にも関わらず存在感を振りまくシェリーディアに、何人かの将軍らは不快そうに貌をしかめた。
だがオファニミスたっての希望でここにおり、しかも大きな信頼を得ている女のようだ。そうである以上、疑問を口にしたり妙な詮索をすることはできなかった。
「今回の内戦は、将鬼ゼノン・イシュティナイザーが全ての糸を引いている。奴が率いる“法力”ギルドは、サタナエルでも突出した人材の厚さを誇る。
そしてまた追い詰められた奴らは、隠密を至上とする集団、“幽鬼”の全面投入にも踏み切ってるハズ。アレを率いる総長副長といった奴らも、文字通りのバケモノ。
いずれも一人が数千人の兵力に匹敵し、しかも一人だからまっすぐに大将の首を取りに行けるという卑怯な存在。軍隊にとっちゃあ天敵みてえなもんだ」
初めて聞く用語ばかりで聞き取りづらいが、その内容の危険度合いは、場の全員に存分に伝わった。一様に貌を青ざめさせる。
オファニミスは厳しい表情で目を閉じ、シェリーディアに問うた。
「シェリーディア。貴方はその『バケモノ』達の中でも、トップクラスの実力をもつ戦士だったと聞きます。貴方と“夜鴉”全員で、どれぐらいのサタナエルを相手取れますか?」
「そうだな。戦場の中でとなると、いいとこ5、6人までだろうな。しかもそのうち一人にもし――総長もしくは将鬼が含まれていた場合、アタシはそいつの相手にかかりっきりになるから、もっと許容量は減るな」
「わかりました。その時はその時です。いずれにせよわたくし達一般人には相手のしようがないでしょう。サタナエルのことは、貴方に一任しますわ」
「陛下。私に一つ考えが」
手を上げて発言したのは、ドイル司令だった。
「サタナエル、の動きは別として――。一般兵力で最大の規模を誇る5万の中央軍団についてですが、我々の海軍で陽動および分断を図りたいと考えております」
「――なるほど、良い考えね。彼ら中央軍団は必ず、あの大河ラ=マルセル川を渡河せざるを得ない。そこに小型軍艦を乗り入れ砲撃をしかけ、撹乱し前後の分断を図る」
「さすがは陛下、そのとおりにございます。それに加え、一部艦隊をローザンヌにも向かわせ、奴らの一団を王都に引き返せざるを得ない状況に追い込んでやります」
「頼みましたわ。これでおおよそ、目処はついたようですわね」
オファニミスは決然と立ち上がり、右手を突き出して力強く、云った。
「これより、準備が整いしだい、我軍は城外に展開する。ドイル率いる海軍は中央軍団に。奴らは撹乱・分断の上、こちらに辿り着いた勢力に対しては籠城で持ちこたえる。城の守りは、公国軍全軍。
イーニッド、ニヴァス、デイモス軍は結集して西部方面師団の撃破にあたれ。“夜鴉”は引き続きシェリーディアの指示に従い、サタナエルへの対処に専念せよ!」
*
そして一同が解散し、未曾有の内戦の決着をつける大戦の準備に動き出した。
一旦身支度のため自室に戻ろうとしたオファニミスを、カンヌドーリア公は引き止めた。
「オファニミス……お主には、話しておこう」
「大おじ様……どうされたの? 一体何のお話ですか?」
「実は数日前――儂のもとに一通、早馬での書状が届いてな。
差出人は、ダレン=ジョスパン公爵殿下であった」
「……!! お従兄さまから!?」
「書状には、これから起こるであろう非常事態と、儂に対処してほしい行動が克明に記されておった。
そのときは半信半疑であった儂だが、まさしく予知予言であったがごとく、書状に記されたとおりになった状況を見て、行動に出た。殿下が予言したまさにその方々が儂の加護を求めてくるのに対して、受け入れ体制を整えた。そしてこれまた予言のごとく、御身がこの公国へ来られた。
女王に立たれるに必要な道筋と準備も、実は数日前から整えておったのじゃよ」
「そう……だったのですね……」
「まこと、恐ろしい御方よ。儂は以前からあの御方が好きではなかったが、その神のごとき知略、才覚は認めざるを得ぬ。そして――意外にもオファニミス、そなたを想うその心が本物であることを思い知った。
儂も見直したし――あの御方によく感謝なされることじゃ」
オファニミスは自然と涙ぐみながら、笑顔で返事を返していた。
「ええ……ええ、勿論ですわ。ありがとう、お従兄さま、“夜鴉”のことだけではなく、そんなことまで。本当に……。感謝してもしきれませんわ。
同時にオファニミスも、守られるだけではなく、強くならなければ。
そして必ず、お会いして、一緒に戦いたい。お従兄さま――」




