第一話 嵐の前の静けさ
夜も更けたコルヌー大森林の中で安息と思われた場所。
野営を張るレエテ達の前に突如姿を現した一人の少年に、彼女達の警戒心は解けていなかった。
一方の――ルーミス・サリナスと名乗った少年は、レエテが遂に明かしたサタナエルの「本拠」の場所に、興奮を隠さなかった。
「なんて事だ! アトモフィス・クレーターだって? 冗談としか思えないが、だが合点はいくな。逆に云うなら確かにあの場所以外では、何百年もの間大陸の誰にも知られることなく存在できるはずがない」
「……」
アトモフィス・クレーターは太古の昔、天空より墜ちた巨大な隕石によりできたと云われる、数千m級の山脈で四方を囲まれた地だ。
その山々は、放射能と呼ばれる謎の毒に深く汚染され、一切の生物の侵入を許さない。
大陸でも文明成立以来、数千年にわたり触れること自体をタブーとして代々伝承してきた土地なのだ。
「あの内部も山々と同じように、汚染された不毛の地が広がるだけだとされてきたし、人が組織を築き生活していたとは信じがたいが――。目の前にそこから来たという人間が存在している以上受け入れるしかなさそうだ」
「気分よく喋ってるところ申し訳ないんだけど、あんたがさっき云ってた幾つかの事を確認させてもらってもいいかい、坊や」
立ち上がり警戒を解かないまま、ナユタが鋭くルーミスの言葉を制止する。
「まず一つ。法王庁の元司祭で“背教者”だっていう件。
あんたのような坊やが本当にそこまでの地位にいた聖職者だったとしたら、相当な天才、神童ってところだけど――。その小生意気な口の利き方から察するに、まあさもありなん、てところね。
だからそれはいいとして、“背教者”だったとしたら、ある筈よね。
聖なる教義に背いた者が、その証として焼き付けられる、首の後ろの烙印が。それを見せてくれたら、ちょっとは信用してやれるんだけど」
薄ら笑いを浮かべ、またしても肩をすくめながらルーミスは言葉を返した。
「オレはオマエとじゃなく、レエテと話がしたいんだが……まあいい、見せてやるよ」
云うとルーミスは、くるりと踵を返し、両手で首の後ろにかかる黒いマントを掴んで下へずらした。
その首の後側には――、まだ真新しいと見える、黒い烙印が深々と刻まれていた。
それは、人を救うべき法力を身につけながら、人を傷つける手段に用い道を誤った“背教者”を意味する2つの禍々しい古代文字だった。
「なるほど。“背教者”だってのが本当なのはよーく分かった。そこで二つ目の確認。あんたがサタナエルの刺客と闘い斃してきた、て話だよ。
――例えば烙印を押されたのをきっかけに、復讐のためサタナエルのギルドに加入し暗殺者の一員になったって可能性も充分にある。その身体に付いた血が本当にサタナエルの刺客のもので、あんたがあたしたちの敵じゃあない、て証明できるものは?」
「ないな。オレが殺した刺客らしき奴の死体のところに戻ってもいいが、危険だし、それも仲間を利用した策略だといわれたら充分な証明にはならない。
オレの言葉を信じてもらうしかない。第一、本当にオレがオマエ達を殺そうと近づいてきた刺客だったとしたら――わかるだろ?」
ルーミスの問いかけに、ナユタはややあって小さく頷いた。
「そうね。あんたが本気であたしたちを殺す気なら、こんな近づき方じゃあない。迷子の坊やのフリして泣きながら助けを求めて近づき、油断させて寝込みを襲う、だとか――。いくらでももっと確実な手段がある。
まあここまで話してて、その小生意気な口調は鼻につくけど、嘘をついてるとは感じられないしね。レエテ、どうする? こいつを連れてくのかい?」
ナユタの言葉を受けたレエテも、立ち上がりつつもすでに警戒は解いていた。そして頷きながら言葉を返す。
「そうだね。行きがかりとはいえ、もう追われる身になったというなら仕方ない。私達と一緒に行こう、ルーミス。
ただ……どうやら腕に自信はあるようだけれど、私はあなたみたいな子供を危険にさらしたくはない。今後刺客が現れたら私が相手をしてあなたを守るから、できるかぎり闘うことは避けると約束してくれる?」
目を真っ直ぐに見、艶のある声で優しく話しかけるレエテを改めて見て、ルーミスはハッとした表情のあと慌てたように顔を背けて視線をそらす。
「それが……、同行の条件だというなら、わかった。ひとまずそうしよう。だがここまで来て、法力使いの必要性も実感しているだろう? すぐにオレの力が必要になると思うがな……」
ナユタは、訝しむような微妙な視線をルーミスに投げかけた。
この少年のこれまでの言動や態度からすれば――。意図していないとはいえ自分の力を侮り、子供扱いを強いるともとれるレエテの言葉に対し、嘲笑を含んだ笑いとともに否定する反応をしてしかるべきだ。
それがなぜこのように素直な反応になり、何やら急に落ち着かない態度になったのか――。
ナユタの中で、何とはなしに一つの可能性が浮かび上がり、彼女の表情に妙な含み笑いが生じた。
「たしかに、そうだね。回復役は必要さ。あたしもさっきの闘いで結構な深手を負い荒療治をしちまったから、法王府に入ったら傷が残らないようにキレイにしてもらおうと思ってたのさ。せっかくあんたがいてくれるなら、後でお願いしていいかい?
とりあえず、座って話そうか」
ナユタはルーミスを焚き火の近くに招き寄せ、3人はそれぞれ岩に腰を掛けた。
「まあサタナエルの事情も聞きたいし、ルーミス、あんたの事情ももう少し聞いておきたいところではあるけど、ひとまずこれからのことを話そう。
レエテ、あんたはこれから法王庁に向かいたいと云った。その目的は何なんだい?」
レエテは、ふっと遠い目をしながら云った。
「目的は――、法王庁の司教である、アルベルト・フォルズという人物に会うことなんだ」
その名を聞いたルーミスの肩が、ビクッと震え、一瞬レエテを凝視した。
「そうだよルーミス。君ならそいつを知ってるはずだよね?」
ナユタの肩にいて沈黙を破ったランスロットの問いに、ルーミスはかぶりを振った。
「いや……面識はあるという位で、それ以上のことは特にない」
「ふうん……で、レエテ、あんたがそのアルベルトって人物に会いたい理由は?」
「アルベルトは、もしかしたら私の力になってくれるかもしれない人物なんだ。
彼の父親はクリストファー・フォルズといい、私の恩人、マイエ・サタナエルに外界の情報や人間としてあるべき姿の全てを教えた人。つまりは間接的に私にも全てを教えてくれた人、ということになる」
ナユタが、訳がわからない、といった表情で口を挟んだ。
「ちょっと待ちなよ。その男は当然、『本拠』にいた人間、てことになるよね。と、いうことは……」
「そう、クリストファーはサタナエルであり“法力”ギルドの“将鬼”だった人物。ひそかにマイエと接触し、サタナエルの女子達に人道的教育を施し、できれば救おうとしたんだ。
そもそも彼がギルドに入ったのも、彼の強大すぎる法力に目をつけたサタナエルに、娘や孫を人質にとられ強要されたからだと聞いてる」
「なるほど。そのクリストファーの伝手で、もし外界に出ることがあったときは自分の息子アルベルトを頼れ、と聞いてたってところだね。だけど、たぶんクリストファーって男はもう……」
ナユタの指摘に、レエテの表情が曇った。
「そう、彼はもうこの世にいない……。女子達との接触が発覚し、その咎により10年前にサタナエルの手で処断されたという話だ。
だから、アルベルトにクリストファーの死を伝えるのも私の役目。
もう一つは、サタナエルに身内を奪われたであろう彼が、クリストファーの遺志を継いで私の行動に力を貸してくれる可能性にかけて説得する。もちろん、彼の身に危険がおよばない範囲で、だけど。
私は誰の力も借りない、と云ったけど、法王庁の人間となればサタナエルも手を出さないし、法王府にいる限り安全だから」
「わかった。それじゃ、夜が明けたら出発しよう。法王府の郊外にダブランという村があるはずだ。まずはここで物資をそろえよう。ルーミス、あんた金は持ってるかい?」
ルーミスはナユタの問いに、落ち着きを取り戻したかのように笑みを浮かべて答えた。
「当たり前だろう。投獄を逃れてきた身ではあるが、司祭を勤めてきた者として充分な資産があった。いまのところこの先も路銀に事欠くことはない程度には持っている」
「じゃあ、悪いけどその金で、まずあたしたち2人の衣装を買わせてもらうよ。
途中のとこでいろいろとあって、あたしはこんな薄着だし、レエテに至っては裸に毛が生えたような格好なんだ。あんたのような坊やには目の毒だろ、いろいろと、ね」
意味ありげなナユタの視線の向こうで、それを聞いたルーミスの貌が一気に赤く染まった。
「まあお尋ねものになってるあんたを、おいそれとは連れてけないし、選ぶ権利はあたしにあるから、ダブランにはあたしが一人で行ってくるよ。
その間にルーミスは、どうやったらレエテとアルベルト司教を引き合わせられるか、考えといてよ。
さて、どうしようかねーレエテ、あんたの衣装。楽しみだね、考えるの。あーもちろんローブ以外、の格好でね。あんたは貌を隠しちゃいけない立場だしね」
「楽しそうだね、ナユタ。僕にもちょっとぐらい考えさせてもらえないかな……」
いいように仕切られる現状に不満げな表情のルーミスをよそに、盛り上がるナユタとランスロット。
それは、嵐の前の静けさ――。激闘を前にしたひとときの平和であったと、後々彼女らは思い知ることとなるのであった――。