第十八話 皇国の侵攻、王女の邂逅
一方、北の大国、ノスティラス皇国。皇都ランダメリアでは――。
サタナエル幹部“七長老”らの大胆不敵な襲撃を受け、宣戦布告と同義の反撃を行った皇帝ヘンリ=ドルマン。その勅命により進められていた「大遠征」の準備。
ついにそれが相整おうとしていたのだった。
そう、大陸で数百年起きたことのなかった、数十万レベルの軍勢の激突。
それに匹敵する大戦争の火蓋が切って落とされようとしていた。
遠征の目的地は――大陸の最果て、アトモフィス・クレーター。
そこで待ち受ける敵は――たった数百名。大陸の上帝、暗殺集団サタナエル。
だが、史上最難攻の天然の要塞に潜み、一人が1000人以上の兵に匹敵するという伝説クラスの死の暗殺者たち相手には、まだ足らぬ戦力かもしれない。
しかもクレーターに隣接する、サタナエルの傀儡国家といわれるエスカリオテ王国にも、看過できない軍勢が存在している。正面からの正攻法では、確実な勝利は得られない。
出陣式に向けて揃いつつある、精強なるノスティラス皇国軍。
ランダメリア城塞の前に広がる、1km四方もの大広場は、目もくらむような大軍勢で埋め尽くされていた。その数おそらく――5万。
それも、ここに集っているのは皇帝ないし将軍クラス直属の精鋭たちのみ。実際には、皇都郊外も含めれば――20万という、途方もない数の軍勢が集結していたのだ。
武器も、火薬も補給物資も、兵站も――途方もない国費をかけて全て揃えきった。
あとは――練りに練った作戦とともに、事を実行に移すだけだ。自分自身の出陣宣言とともに。
「いよいよだな……ドルマン。ついに、サタナエルと雌雄を決する時がきたようだ」
城塞のバルコニーから、万感の物思いにふけっていたヘンリ=ドルマンは、背後からかけられた声で我に返った。
「カール……」
そう、声をかけたのは彼の従兄にして元帥、カール・バルトロメウス。その後に続いていたのは――。ミナァン、レオン、キメリエス、ロヴェスピエールといった、現在の皇国において随一の英雄たちだった。
「貴殿らも、よくやってくれたわ。これからが、まさに本番。かつて大陸で何者も挑まなかった大業に、我らは挑もうとしている。
元よりいかに少しばかりの安定を享受することができようが、それは家畜として羊飼いに飼われるだけの屈辱と、裏で幾万もの犠牲が血を流す欺瞞のもとに形成されているもの。それがサタナエル支配の実態。
それを払い、正すことを現実のものとし、その重要さに気づかせてくれた我らが英雄――。
レエテ・サタナエルの後に続くのよ」
皇帝の力強い言葉に士気が高まり、貌を紅潮させたり頷いたりする面々とは対象的に、冷ややかな目で肩をすくめる皇弟ロヴェスピエール。
「もはやここまで来た以上は、止めはせぬが……。それがしは皇都に残る守護を選択させてもらう。やはり今もって、この機での大戦の決行という兄者の考えには賛成できかねるゆえな」
「貴男はそれでいいのよ、ピエール。常に冷静な反対意見は国家に必要なもの。
ただ、戦の機とは、慎重論の中には得てして存在しえないのも事実。妾は、蛮勇と云われようがあえてこの機会を選択するわ」
そこへミナァンが、妖艶な声で皇帝に尋ねる。
「陛下。先だっての勅命の折には、大陸は概ね平和でした。しかしながら現在、状況は大きく変わっておりますわ。
千年王国となるともいわれたエストガレスが、よもやの王位簒奪によって瓦解寸前。サタナエルが我が国の動向を見極めて方針転換したのが大きな原因ですが……。そんな中で我が皇国としては当初の予定どおり、ドミナトス=レガーリアを通行するのでしょうか?」
ミナァンの問いに、ヘンリ=ドルマンは我が意を得たように口角を上げた。
「よくぞ聞いてくれたわね、ミナァン。流石だわ。その疑問に単刀直入に答えれば、回答は否よ。
我ら皇国は予定を変更し、まずエストガレスに赴き、そこを南下する」
「……!!」
「まだ情報収集中だけれど、我が皇国はオファニミス王女に与し、かの内戦に介入する予定。もしも王女が勢力の結集に成功しているならこれと同盟を組み、亡命するということならその旗頭をもって、いずれにせよ僭王ドミトゥスを討伐する。さらにこれを影から操る将鬼ゼノン・イシュティナイザーとそのギルドを一網打尽にする。
こうなれば、サタナエルも黙ってはいない。妾の目論見では、この作戦によって“魔人”ヴェルらサタナエルの主戦力をエスカリオテにまで引きずり出し、要塞に籠もられるリスクを解消できるかもしれないと見ている。いずれにせよ諸卿、実戦はすぐに訪れるということよ。覚悟なさい」
そして帝冠を身に着け直し、紫のマントを力強くなびかせながらバルコニーの最前列に向かって歩みを進めるヘンリ=ドルマン。
余裕の笑みをもって最後に一同を見やる英雄に、全員が決意と忠誠の眼差しを送った。
「さあ、宣言するわよ。大戦の開始を。我が兵にこれを告げればもう、後戻りはできない。余も不退転の決意で望む。この封じてきた力も全てを解放するつもりよ」
*
ノスティラス皇国の本気の布陣が完成する、少し前――。
エストガレス王国、南西の衛星国カンヌドーリア公国国境付近。
オファニミスは、長い悪夢から、覚醒した。
そして木漏れ日差す、巨木の根元に、敷物の上で横たわっている自分を自覚した。
ぼんやりとした視界の中に、自分を心配そうに覗き込む数人の男女の貌が見えた。
それら人々が、自分が目を開いたことで瞬時にどよめいたのが分かった。
「ああ、王女殿下!! 良かった、目を覚まされた……。覚えておいでですか、私のことを。
私は御身の従兄であらせられる、ダレン=ジョスパン公爵麾下、“夜鴉”少佐、ダフネ・アラウネアにございます! 3年ほど前、ファルブルク城にてお会いたしました」
真っ先に自分の貌を覗き込み、喜びにうっすらと涙を浮かべる、白髪隻眼の美しい女性。
焦点は定まらぬが、彼女を見たオファニミスは、微笑みを浮かべて言葉を返した。
「覚えて……おりますよ、ダフネ。貴方の凛々しい姿とブレードの珍しさに興奮していたわたくしに、その場で見事な抜刀術を見せてくれました……。貴方が、貴方がたが、わたくしを助けてくれたのですか……?」
その問いに応えたのは、視界にいる“夜鴉”の男女らではなかった。
オファニミスの視界にはいない、別の女性の声だった。高く澄んだ少女のような声質だが、その言葉遣いは際立って粗野だ。
「そういうこった、オファニミス王女殿下。アンタはゼノンの馬車で国境まで来た後、体力の限界を超えて走り続けた。そして力尽き、街道で倒れていたのを保護した。アタシらはアンタを、探していたからね。ずっとさ」
オファニミスは、完全に鉛直方向になるほど真上を、見上げた。
そういえば――自分が頭を預けているのは枕ではなく、明らかに白く柔らかい女性の太ももだった。しなやかに柔らかくなるほどの、見事な筋肉。そして若干の直射日光の逆光となって見えづらいが、自分を膝枕してくれているその女性の貌。20代前半と思われるその年齢の割には可愛らしい、口から八重歯の覗く童顔。三つ編みにした独特の髪型の金髪、その上の黒い大きな帽子。
現在の“夜鴉”司令官である、その女性。
「初めまして、だな。アタシはシェリーディア・ラウンデンフィル。つい最近、ダレン=ジョスパン公爵殿下に仕えることになり、“夜鴉”司令官を拝命した。
アンタには心象悪いだろうが、実は元サタナエルの将だった身分。レエテ・サタナエルのように――復讐のため完全に組織を抜け、今は奴らを殺す側に回った。だから安心してくれ」
オファニミスは力なく微笑み、云った。
「そう……ですのね……。普段のわたくしなら、それを聞いてもっといろいろなことを考えるのでしょうけど。
今のわたくしは、地獄から解放されたことと味方に出会えたそのことで、安堵を感じることしかできませんわ……」
「そいつはありがてえな。しばらく余計なことは考えないほうが身体にいいし、アタシたちも助かる。
ただ、一つ早急に問いたださなきゃならないことがある、王女殿下」
「何でしょうか……? シェリーディア・ラウンデンフィル……」
「アンタはこうして無事地獄から命を拾ったわけだが、これから一体、どうしたい?
アンタほどの才女だ。分かっているだろうが選択肢は3つ。1つ、ノスティラス皇国へ亡命する。2つ、カンヌドーリア公爵の元で反ドミトゥス勢力を結集し、正々堂々と戦う。3つ――世界に絶望してここで命を断つ。そのいずれかだ」
「……貴方、仲々面白いお方ですわね、シェリーディア。気に入りました。
わたくしの希望を申し上げれば、現時点では2つ目の選択肢を選ばせて戴きますわ。カンヌドーリア公爵の元へわたくしを連れて行って頂けますか?
……ある意味、3つ目の選択肢も魅力ですけれど、わたくしを信じその行動を心待ちにしている臣民の期待を裏切る訳にはいきませんもの」
「了解した。じゃあアンタの回復を待って、カンヌドーリア首都、アヴァロニアへの入都を目指すことにする。
その後も、アタシたちに何なりと遠慮せず希望を云ってくれ。アンタの従兄、ダレン=ジョスパンにそう命令されているからね」
王族の自分にも礼をとらず、屈託なく話すこの女性を、オファニミスはじっと見た。
その態度に似ず、にじみ出る知性。サタナエルの将であったというその言葉に偽りのない、実力を秘めた空気。女性として極めて魅力的なスタイルと豊満さに満ちた身体。
「一つ訊いていいですか……シェリーディア……貴方は……。ダレン=ジョスパンお従兄さまの……『良い女』なのですか……?」
その言葉にぎょっとしてオファニミスを凝視し、見つめ返したまま、完全に言葉に詰まったシェリーディア。
「やはり……そうなのですね。貴方からかすかに香る、香と香水。
香は、お従兄さまが自室でしか焚かない種類のもの。香水は――特別な方と一緒のときにしか使われない特注のもの。常に共に側にいた女性でなければ、決してしない香りですから……」
シェリーディアは、ビクッと身体を震わせて、貌を赤らめた。
そんな――「特別な存在」? 自分の人格など歯牙にもかけない天上人のような男だと思っていたが、もしや……? そんなことが?
「……良いですわ……。わたくしも、もう子供ではない。いつまでも憧れを抱き続けることなく、成長しなければならないということですわね……。今、試練のこのときが、お従兄さまから卒業するいい機会かもしれない。
有り体に云って、すごく妬けるのは事実ですけれど。今後ともよろしく頼みますわね、シェリーディア」




