第十三話 地獄の王都(Ⅳ)~狂信の破壊神
自分とオファニミスを拘束しようと近づいてきた、一個小隊を標的にして――。
遂に赤き悪魔は、動き出した!
砂煙を舞い上がらせる激しさで大地を蹴り、瞬時にその姿が消える。
そして兵士の目前に現れ、黒い革手袋をした両手を一閃する。
鋭い風切り音とともに鈍い音がし、一気に6人の兵士の頭部が吹き飛ばされた。
金属片と脳漿とぶちまけられた大量の血が宙を舞う様を、後続の兵士たちは一瞬呆けたような貌で見上げた。が、次の瞬間、その全員の視界が永久に暗転していた。
1秒間。30人の兵士を屠るのに、ゼノンが必要とした時間。
頭部を失い絶命した屍達の中心に立つゼノンは、さらなる力の解放に取り掛かる。
「――“血破点開放”、“過活性放出”!!!!」
通常、法力を肉体活性に転化する“背教者”であれば、異形と思えるまでに筋肉と血管が膨張する。それに比べゼノンは、見た目にはほぼ転化前と変わらない。
しかし――ゴキ、ゴキ……バリ、バリ……という、数十m離れていても大きく響く異音が、肉体内でそれ以上の急変、化学反応が起きていることを証明する。
次いで、身体から、手から放たれる、昼光色の光。
法力がもたらす発光には違いないが、有りえぬほどにまばゆい、強い光。
当てられれば、回復や安らぎなどとはほど遠い、恐るべき現象がもたらされることは明らかだった。
「――神に反逆せし堕落者ども!!! 滅びよ!! 死ね!!! 死に絶えよ!!!!」
明らかな興奮状態に陥った、狂気の表情。おぞましい狂信の意志の全てを解放し、悪魔はさらなる虐殺に赴く。
旅団の本体に向けて、両手を広げて迫る。完全に想定外の魔物の出現、異常事態にうろたえる軍勢だったが、流石は大国のエリート中のエリート軍人達。それでも統制を乱すことなく戦闘状態に入る。
「弓兵!!! 放て!!! それに続いて、重装歩兵中隊、前進せよ!!!」
冷静で的確な指令のもと、攻撃開始する軍勢。
まずは100人規模の弓兵が放つ一斉射撃が、ゼノン一人に襲いかかる。
ゼノンはほぼ白目を剥いた鬼気迫る状態で、一旦急停止した。そして広げた両手に法力の球を充填させる。その大きさは半径2m以上という馬鹿げたものになり、2つの白球を眼前で衝突させる動作を行った。
すると、内包した巨大なエネルギーとともに、球は一つになってゼノンを取り囲むように10m以上の大きさに展開。
まるで鋼線の束のようになって襲いかかってきた、的確な射撃の死の矢を消滅、あるいは弾き飛ばす。
マグマに溶けるように蒸発の音を発して消滅させられる武器。球の外側ぎりぎりに到達したがゆえに、衝撃力で大きく弾き飛ばされるものもあった。
そしてこの動作の間に間合いを詰めてきた中隊に対して、ゼノンは体内に充填した力を一気に解放する。
「ゴミクズどもが……! この神同然の存在に歯向かったことを、地獄で後悔せよ!!!」
白球を発生させた両手を一閃すると――死の嵐がそこに現れた。
膨大な生命エネルギーの塊であるその球にわずかでも触れた瞬間、過剰な活性を施された人体はたちどころに破壊される。同時に、膨大な魔力により物理エネルギーをも内包したそれは、鎧や剣、槍といた金属もことごとく粉砕、弾き飛ばす衝撃力を有する。
ゼノンの周囲に立つ、数十人レベルの人間は――濡れ手で力一杯殴られた、紙の風船でできた人形も同然だった。為す術ない破壊をほどこされ、それに吹き飛ばされた人体も破壊力を持ち、衝突しただけで頭部や胴体を破壊された。
それでいて、人間を彼方に凌駕する身体能力。体捌き。力点を捉えた攻撃。目にも捉えられない素早い動き。いくら動き回ってもスピードの衰えない、超常的体力。
この戦いを上空から見ているものがあれば、白銀一色の軍勢の色を、下方から少しずつ赤く塗りつぶそうとする大きな白い2つの点のように見えたことだろう。
止めることなど、できない。人間には。そう思わせた。
背後に血の海を形成しながら迫りくる赤と白の悪魔。血をかぶった優雅な金髪、絶世といえる美貌は見る影もなく魔王そのものだった。
オファニミスは、呼吸が浅くなり胸が苦しくなり、激しい目眩のする頭を抱えて大きく息を継いだ。
これほど、とは。人間を虫けら扱いする、上位の存在、魔物。いくら言葉での伝聞、想像を張り巡らせたところで、現実の前には塵に等しい。神や悪魔を目にしたことなどないが、実際に居るのならば、目前の存在こそそれに当たるのだろう。どんな人間の知恵も勇気も、努力も営みも数の力も、この存在に対抗できるとは思えない。
できるとしたら――。この神魔の存在たちと闘い、実際に勝利し殺害してきたレエテ・サタナエルのみであろう。オファニミスは心の中でレエテに強くすがり、狂気に陥りそうな目の前の殺戮劇からかろうじて正気を保っているのだった。
ホラズム大佐は、この異常事態に流石に冷静さを失いつつあった。
情報だけは、聞いている。サタナエルという組織について。人間とは到底思えぬ超常的戦闘能力を誇る、死の暗殺者集団。目前の敵はその中でも、“副将”“将鬼”とやらいう、突出した実力を持つ存在に相違あるまい。
だがそれを知ったからと云って、何の役に立つものでもない。
彼は優秀な軍人、司令官であり、戦力が未知数の極少数敵に相対する現在の戦法に、なんら間違いや不足はない。ただひたすら、相手が化け物であり全ての手が通用しないというだけなのだ。
彼も例に漏れず、退却は許されていない。その時点で、配下ともども戦場で殉死する覚悟はできている。
しかし、軍人のプライドとして、犬死にだけはできない。祖国に、主君に、同胞に貢献する何らかの結果を残さなければならない。
そう考えた彼の決断は早かった。すぐに手を上げ、指令を発する。
「左翼、右翼に命ずる!!! 正面の男は中央に任せ、うぬらは馬車を襲撃せよ!!!
なんとしても中に居る下手人を捕らえ、その身柄を王城本部に引き渡すのだ!!!!」
さしも瓦解しかけたアスナベル旅団も、力強い指令で士気を取り戻した。そして冷静になれば行動は早かった。街路沿いの屋根に展開する弓兵たちが、一斉に馬車に向けて矢を放ったのだ。
先刻、ゼノンに向けられたのとほぼ同数、同密度の矢の束が、馬車を襲う。
オリハルコン製の特注馬車といえど、窓や側面の一部の素材は無防備。これほどの数の矢であれば、オファニミスに危険がおよぶのは避けられない。
しかし――。馬車の屋根に人形のように鎮座する、二人の少女、副将アーシェムとアシュラは完全に冷静だった。
「来ましたわね。アシュラ!! 行きますわよ!! 私たちの出番よ!!!」
「了解!! “聖壁”!!!」
ゼノンのような溢れ出る法力の力がそのまま防壁となるほどの絶技ではないが、シオンも使った法力として上位に当たる強力な防御技。
数は多いとは云え、一般兵の射撃を防ぐには十分に過ぎた。
馬車の周囲を覆い尽くす巨大な光球で、ことごとく鏃を弾き飛ばしていく。
そしてすべての脅威を払ったのを見計らい、次なる行動に出る。
姉アーシェムがオファニミスの防護のため残り、妹アシュラが馬車を飛び降り左右の敵を迎え撃つ。
即座に、己の血破点を打ち、強靭な筋肉の肉体と化す。ドレスの裾を荒々しく破り、まず右翼の敵に突っ込んでいく。
「そおら、喰らいな!! “死活性殺”!!!」
巨大な死の白球は、威力はゼノンに及ばないものの一度に数人の兵士を即死させるには十分。
彼女の敏捷性の高い身体能力と併せ、秒あたり小隊を壊滅させるペースで殺戮を続けていく。
超常能力を持つとは云え、大の男の兵士騎士たちが、年端もいかない小さな少女に一網打尽にされる様は不条理であり、怖気さえ震わせた。
やがて瓦解しかけるも、アシュラの猛攻をくぐり抜けた10人単位の兵士達が、馬車に殺到する。
それに、屋根の上から冷酷な視線を投げかけるアーシェム。
「それで、どうされるおつもり? この中におわすのは、下郎が目に触れてよいようなお方ではありませんわ。私が払って差し上げます。その虫けらのような命とともにね」
その宣告とともに向けられた掌から発される、死の白球。
「“死活性殺”」
またたく間に、身体を破裂させ、鎧を吹き飛ばされていく兵士たち。アーシェムは防護壁を緩めることなく、同時に攻撃を行っている。魔力の差か信仰心の差か、若干この姉の方が力が上回っているようだ。
そして――ゼノンの殺戮はとどまることなく続いていた。
上空からの視点でのキャンバスは、すでに半分が赤で塗りつぶされようとしていた。
将たるホラズム大佐の貌はすでに目前だ。
ホラズムは、恐怖に戦慄しながらも、後方に向けて指令を放った。
「我が軍に告ぐ!!!! 我が討ち取られることあらば、退却せよ!!!!
友軍や本部には、ホラズムの命令であったと告げるのだ!!!! 諸君の無事を、祈る!!!!」
そして決死の鬼気迫る表情で、馬上のランスを手に取り構え、愛馬に鞭をくれ、ゼノンに向かって突進してきたのだった。
「悪魔め、かかってこい!!!! この俺が相手だ!!!! エストガレスのため、同胞のため、お主を斃す!!!!」
騎士として歴戦を踏んだ男の、超一流かつ必殺の刺突。常の敵であれば、あえなく肉塊と化していたであろう。
しかし、相手は人間と呼べる存在ではなかった。
ゼノンは涼しい貌でそれを見極め、右手を突き出すと、ランスの先端を素手で握って止めた!
「なっ――!!!!」
急停止したランスを握っていたホラズムのみ残り、慣性を残したままの愛馬は、主人を置き去りにして走り去っていった。
3mものランスを握ったままのゼノン。ランスの柄につかまるホラズムの巨体ごと片手で旗のように軽々と持ち上げる様は、あまりに非現実的で、そうされている本人にも全く実感を与えなかった。
「笑止――! 部下を救い英雄を気取るか? まあ僕にはありがたい状況。かかってこないのであればその者らをあえて殺しはしない。ただ君には、敗軍の指揮官に相応しい華々しい死を与えてあげるよ!!」
そう云うとゼノンは、その魔物的膂力の全力をもって、持ち上げたランスを振り――。
そこに捕まるホラズムごと、街路の石畳に叩きつけた!
グシャアッ!!! という極端に不快な衝撃音とともに――。まるで叩き潰されたハエのように、一瞬で血と肉片に姿を変えたホラズム。
それを見ていた、配下の連隊長、大隊長たちは、残った配下に必死の指令をくだす。
「た――退却!!!! 退却だ!!!! 旅団長殿の命令だ!! ただちに退却せよ――!!」
そして這々の体で来た道を逃亡していく、残存兵たち。
ゼノンは満足げに周囲を見回した。
数えたわけではないが、2000の旅団のうち6割以上にあたる1200人以上を、彼はこの短時間で虐殺したと思われる。たった一人で。
完全に脅威が去ったのを見極めて、白球を消滅させ、歩いて馬車に戻るゼノン。
原型を留めぬ死体と血の、まさに海の中を歩いてくる赤衣の美男子。
完全に現実から乖離した、狂気の図だった。しかも歩く間にその肉片を蹴り飛ばし、まだ原型をとどめる頭部を踏み潰したりしながら、近づいてくるのだ。
オファニミスは窓からその光景を確認し、嫌悪感と恐怖にこみ上げる吐き気を必死にこらえていた。
「ゼノン様。お見事でした」
アーシェムが馬車上から主に声をかける。
ゼノンは衣服だけなく、全身を朱に染めた禍々しさの極致の貌で、彼女に言葉を返した。
「久しぶりに良い運動にはなった。君らもご苦労だったね、アーシェム、アシュラ。
さてオファニミス。邪魔者も去ったことだし、出発しよう。まだここで別れてしまっては、君を脅威から守ることができないからね」
*
その後、馬車で移動すること1時間ほど。
その間、先刻と同じ向かいに座ったゼノンが発するあまりに濃密な血の匂いに、吐き気をこらえ続けたオファニミス。
やがて停止した馬車から、降りるように促された。
「ここは――いったい、何処ですの?」
オファニミスの力無い問いに、ゼノンは微笑んで応えた。
「ここは、カンヌドーリア公国との国境だ。君が降りたその先は、すでに公国だ。
ここからは、歩いて南西に向かい続けるんだ」
オファニミスは、憔悴しきった目を向け、云った。
「わたくしに……馬車も馬もなく、一人で歩いていけとおっしゃるの?
とても無理ですわ……。きっと途中で行き倒れてしまう……」
「心配はいらないよ。僕の見立てでは、公国軍か、ダレン=ジョスパンの手の者のいずれかがすぐに君を見つけてくれると見ている。必死で君を探す彼らのどちらが先に見つけるかは、神のみぞ知ることだ。
そこから先は、君の好きにするといい。ただ一つ、その生命を大事にしてもらうほかに、僕が君に要望することはない。ただ、自ずと選択肢は限られてくると思うけどね――」
その言葉を聞き終えたオファニミスは、ドアを開け馬車を降りた。
そして街道の石畳を踏みしめた瞬間――。
ドレスの裾を両手で掴んで、全力疾走で走った!
「はあっ、はあっ、はあああ…………。はあああ、はあ、はあ、ああああああ!!!!!」
涙を流し、息を荒げながら、半狂乱で走っていく。
一刻も早く、逃れたかった。この悪夢の中の悪夢から。
どうにかして、忘れ去りたかった。とにかく全力で逃げなければ、頭がどうかしてしまいそうだった。
「はあ、はあ、助けて!!! 助けて、お従兄さま!!!! 助けて、レエテ!!!!
わたくし、わたくし怖い!!! このままでは、本当におかしくなってしまう――!!!!
助けて、助けてええええええ!!!!!」
オファニミスの悲痛な絶叫は、街道を囲む誰一人いない草原と、吸い込まれそうな青い空の中に、無情にも吸い込まれていたのだった――。




