第十話 地獄の王都(Ⅰ)~“参謀”
その頃――中原より1000km以上を隔てた場所、サタナエル本拠、宮殿。
急傾斜の険の中腹に建ち最上層部に位置する、七長老居住区。
基本は大理石で構成された、極めて豪奢で広大な造り。しかしながら、その骨格には――。甚大ではないとはいえ降り注ぐ、“放射能”という毒から身を守れるとされる、鉛が大量に層をなしているのだ。
“放射能”。この地、アトモフィス・クレーターを外界から隔てる決定的な防壁であると同時に、まかり間違えば内部の住人を立ちどころに死に陥れる絶対死の猛毒。
居住区に住む七長老は、最年少でも60を超える生先短い老人の集団である。しかしながら、彼らの生に対する執着は強い。それゆえ、自らの生存にあらゆる手をつくす。
また7人はいずれも、大幹部たる“将鬼”経験者であるうえ、老いてなお実力を保持する者も多くいる。
その中の一人たる、序列第三位、“第三席次”。
齢60以上になる老婆である彼女は、孫というにも等しい年齢の一人の女性を、居住区内の居室に迎えていた。
相手の女性の名は、フレア・イリーステス。
このサタナエルの最高実務指揮官といえる、権力の持ち主――ギルド“将鬼長”である。
サタナエル200年の歴史において、意思決定機関の七長老と、実働部隊であるギルドの折り合いは常に悪い。互いにいがみ合う中、ギルド史上最高の才媛といわれるフレアは、何かにつけては七長老に意見具申に訪れていた。その相手をするのは常に、長老唯一の女性である“第三席次”と相場が決まっていたのだ。
「フレア。今日はまた、一段とご機嫌麗しいようですね。どのような御用なのでしょうか?」
そう云いながら、ソファに腰掛けるフレアに茶を出す“第三席次”。
彼女が淹れてくるのは常に、ジャングルの群生地で育つ薬草をもちいた“薄青茶”。この世でフレアが最も嫌いな飲み物。明らかな嫌がらせだ。
子供じみているといえばそうだが、フレアの頭脳と弁舌、実績に対抗できる者は七長老にはいない。このような方法でも溜飲を下げなければ気が済まぬのだ。
「そうですわね……。常に申し上げたいことは幾つもあるのですけれど、今回お伺いしたのは、“参謀”についてお聞きしたいのが目的ですわ」
そう云いつついつも通り、こみ上げる吐き気をこらえて、眉ひとつ動かさない美味そうな表情で茶をすするフレア。それでもあまりの不味さに喉が若干痙攣するのは止められない。
それに満足そうな横目を投げかけつつ、“第三席次”は応えた。
「あなたの強情さも大したものですね。いつも云っているでしょう。あなたに教えられるほど、私も知ってはいないと。そこまでして知りたいのですか?」
「知りたいですね。ここ最近は、これまでに何倍にも増して。以前から私に指示を出して来ることはありましたが、組織の方針変更より後、その頻度が増しました。しかも、その指示の内容。僭越ですがこの私ですら、その情報網と深すぎる洞察、指示の的確さに舌を巻いています。
“第三席次”。貴方は七長老で唯一、“第一席次”とコンタクトできると云われている。その片腕である人物の情報を、全く知らぬとは云わせませんわ。
今日は何らかの情報を教えていただくまでは、ここを動かぬという決意を持ってきました。美味な茶を頂きながらね」
フレアの対面のソファで足を組む“第三席次”は、両手を胸の前で組みながら、憂鬱そうな深い溜息をついた。
年齢不相応なほど、背筋が伸びしなやかさを保った身体が証明するように――。彼女は数十年の昔、女性ながらに“剣”ギルドの将鬼を努めた女剣士。相手の強い意志は敏感に感じ取れるし、それを曲げられるものかどうかを判断するのも早かった。
「何ともはや……。分かりました。今回は私が折れましょう。 全てを教えることはどのみち出来ませんが、可能な限りはお伝えします。そうするからには、組織の存続のために最大限その情報を生かしてくれることを望みますが。 まず……“参謀”は、『女性』です。そしてその実態は――」
そしておおよそ5分ほどに亘り、“参謀”についての断片的情報をフレアに伝えた“第三席次”。
情報を受けたフレアは、あまりの驚愕に眼鏡の奥の双眸を見開いていた。
そして乾いた唇を軽く一舐めすると、興奮気味の言葉を継いだ。
「何という……そのような事実だったとは……! それならば、納得がいきますわ。なるほど、それで『あのとき』あのような行動に……。サタナエル内で正体を現さなかった理由も得心がいきました。“第五席次”が連絡役なのですね。話を通していただけるのでしょうか?」
「通しましょう。ここまで話したからには、あなたも一度“参謀”に会われると良いでしょう。そして彼女の偉大な知恵とあなたの智謀を合せ、レエテ・サタナエル排除を実現することを望みます。 彼女は現在、エストガレス王国領内で暗躍している最中と聞きました。帰ってきたばかりで足労ですが、もう一度行ってくる価値はあるかと」
フレアは笑みを浮かべながら、豪奢な部屋の天井を仰ぎ見た。
そして策略を脳内でめぐらせ始めるのだった。
(はまったわね、“第三席次”。貴重な情報感謝するわ。これは私にとって一番目障りな目の上の瘤を排除する千載一遇のチャンス。いいわ。会って話して見極めてやろうじゃない。 貴方という女を。必ず私の方が上だと思い知らせ、その身に死をもたらしてやるわ。“参謀”どの……)
*
同時刻、エストガレス王国王都、ローザンヌ。
ローザンヌ城地下牢獄。その中でも群を抜いて厳重な警戒を施される、貴人専用区画。
牢獄でありながら、一定の装飾と壁、生活空間が確保された部屋といって良いその場所。おそらくは最上級の「牢」であるその場所の住人は、それにふさわしく王国でも最上級最高の高貴な立場の人物。
「う…………」
透き通るような美しい声の、小さな呻き声。ベッドの上で横たわる小さな身体の持ち主は、女性だ った。
極めて手のこんだ技術で結われた、光り輝く長い金髪。豪華絢爛なる装飾のほどこされた、空色のドレス。
抜けるような白い肌の、独特の魅力をもった可憐な貌立ち。
エストガレス王国第一王女、オファニミスの姿に相違なかった。
「ここは……!!」
意識を取り戻し、状況を理解し始めたオファニミスは、ベッドから飛び起きた。
目の前の大きなテーブルには湯気の立つ料理が並べられているが、それがもてなしの朝餉などではないことも、ここが迎賓館などではないことも理解していた。
この部屋の様子、外の物音一つ響いては来ない閉鎖的な空間情報。
間違いなく、ここは地下牢獄なのだ。
そしてここに自分を投獄したのが他ならぬ兄、ドミトゥス王太子であることを理解した瞬間――。
意識を失う前の、悪夢の光景がオファニミスの脳裏にフラッシュバックし始めた。
「ああ、あああ――お父様!!! ううう……うううう……」
叫び声を上げ、呻き声を上げてベッドに頭を抱えて倒れ伏すオファニミス。
そう、彼女の父、アルテマスⅡ世国王は――。嫡男たるドミトゥスの反逆の魔の手によってその生命を絶たれた。
君主としては知勇も決断力もない凡君であったアルテマスも、オファニミスにとってはひたすら甘いとさえいえる惜しみない愛情を注いでくれた良き父親であった。
その貌を思い浮かべ涙を止めることができず、子供のように泣きじゃくった。
(お母様が――。お母様が生きていらしたら、違う結果になっていたのかしら――?)
オファニミスとドミトゥスの実母、王妃エレオノーラ・ジェニュア・エストガレスは10年前、オファニミスが6歳のときにこの世を去った。法力では手の施しようがない、癌細胞の病に侵されたのだ。
気高く美しく、知勇に溢れ、同時に慈愛に溢れた完璧な女性であったと聞く。オファニミスのおぼろげな記憶でも、その情報に間違いはない印象だ。国王は彼女であるべきだったという声も王国に広く在ったという。
その血を継いだのか才能に恵まれたオファニミスなどは、常にエレオノーラの再来、いやそれ以上ともてはやされたものだ。
しかしながらエレオノーラは、アルテマスのように子に対する愛情を偏らせることは決してしなかった。才気に全く恵まれぬドミトゥスにも常に公平に接し、惜しみなく愛情を注いだ。ドミトゥスはコンプレックスなまでにエレオノーラを敬愛していたといい、彼女の葬式では臣下の目をはばかることなく大声で泣き崩れたという。
そしてその時を境に、ドミトゥスの偏狭ぶりは加速していったと聞いている。エレオノーラが生きていたなら、ドミトゥスを真っ当な人間に導いてくれていたら――。あるいは違う結果になっていたかもしれない。
そう、サタナエルにそそのかされ、その木偶として反逆を起こすことを思いとどまるという結果に。
先程の一幕を思い出し、オファニミスはその驚異的頭脳でサタナエルに関する考察を始めていたのだった。
(そうですわ――。サタナエルが、大陸最悪の組織が本気で動き始めたということ。
バレンティンでレエテが復讐を口にしていた、六人の“将鬼”。彼女がその宣言にしたがい三人もの“将鬼”を見事に討ち取った現時点で、事態が変わったと見る以外にない。
先刻ゼノン・イシュティナイザーが云っていたとおり、奴らはわたくしをけしかけ、王国を傾かせ――。いいえ、あわよくば滅亡を狙っていると見るべきだわ。
先程云っていたとおり、きっとわたくしを逃がすためにゼノンは手を打ってくる。その前になんとか自力でここを抜け出し、ラ=ファイエットと、ダレンお従兄さまと合流し奴らに対抗しなければ。王国の希望を見いだせるのは、その方法以外にない。罪なき民を救うためにも、私が知恵と勇気を出さなければ――)
オファニミスは改めて室内を見回し、脳を最大回転させた。
この地下牢は過去500年、脱走者を許したことのない難攻不落の監獄。
本来唯一の脱出口であるこの扉、その先の回廊、長い階段、二重三重の鉄扉。全て厳重な警備が施される。おそらくサタナエルの手によって良からぬ立場に追い込まれているオファニミスに対し、愛すべき臣民であったはずの警備兵や看守らは容赦せぬだろう。
彼らを説得するにも籠絡するにも、あまりにも時間が足りない。
次に、搦手の方法だが、これも芳しくない。かつて王城内の図面を図書室で見つけ、興味本位で見たことがあるオファニミス。極めて優れた記憶力によってそれを全て暗記している彼女だったが――。
王城に通風孔の類はあっても、入り組んだ迷路のようなそれは、地上までの距離実に約500mある。また王城につきものの隠し通路も、何本か近くを通ってはいるが2mもの石壁を崩さなくてはならない。
頭脳は常人をはるかに凌駕していても、体力は人並み以下の、只の少女であるオファニミス。彼女では男の力を借りずして自力でこれらのコースを選択することは不可能だ。
達した結論は、このままやってくる敵を待ち、一旦その手引きに従うこと。王城の鉄壁の守りをクリアした後、言葉か目くらましか何らかの勢力の誘導か――。敵の手を逃れるすべを模索する。
そう決めた彼女は、再びベッドに臥せってひたすら、来訪者を待った。
1時間か、2時間か。
その時は、意外なほどに早くやってきたのだった。
ベッドの前の、出入り口である大きな鉄扉を優雅にノックする音が聞こえたかと思うと――。
オファニミスにとってはこの世で最もおぞましい、「さわやか」で「よどみのない」声が響きわたったのだった。
「オファニミス!! 僕だよ、ゼノンだよ。
約束どおり迎えに来たんだ。どうだい、今部屋に入っても大丈夫な状況かい――――?」




