第九話 宿敵たる道化師【★挿絵有】
怒りに支配されたシエイエスによる宣戦布告を受け、シオンは侮蔑の表情で顎を上げ言葉を返す。
「その怒り……。真実は私やカルカブリーナ様に対してではなかろう。自分、に対する罪の意識の裏返しではないのか?」
「…………!!」
「全ての物事は、順序立って成り立っている。あの村……ラペディア村の住人に手を下したのは確かに我らサタナエルだ。だがその原因となったのは間違いなく、貴様が変異を村人に見られる失態を犯したことだ。それさえなければ、あの者らに死が訪れることはなかった。
そして今――その貴様がレエテ・サタナエルに与し、かつ情交の相手となったことへの報復として今度はミラオン村にその災禍が訪れた。
シエイエス。貴様の怨念は、己に対する罪悪感を分かりやすい悪にぶつけているだけの、罪深い『欺瞞』にすぎぬ」
シエイエスの憤怒の表情に、目に見えて「恐怖」の色が浮かび始めた。
自分が犯した過ちで大量殺戮が行われたという事実に対する、大きすぎる罪の意識。一人の人間に背負いきれる業ではない。そこから逃れるため様々な理由を作り、サタナエルへの怨念に逃避していた。しかし今、事実を改めて突きつけられてしまった。
それを真に自覚することは、恐怖でしかなかった。正気から狂気への引き金に、なりかねなかった。
シエイエスは、首から下げたアメジストのペンダントに震える左手を伸ばし、強く握りしめていた。彼の心の拠り所、行商人の若者から託されたペンダントに。
(ヴィンド――!!)
彼のみが知る、若者の名前を心の中で強く叫ぶシエイエス。
普段なら、この定形行動によって心を整理し、冷静になることができていた。
だが――。あまりに生々しい悪夢の再現、仇敵そのものが目の前に現れ心揺さぶられる現状。もはやそれは、シエイエスの精神の許容量を超えていた。
彼の肉体は、狂気に陥ることから必死で逃げるために悪夢を片端から消し去ることを選択した。
「うっ――! うおおおおおお!!!! シオンーーッ!!!!!」
理性を捨てて襲いかかろうとするシエイエスを見定めた、ナユタの強い「指令」がレエテに飛ぶ。
「レエテ!!! 奴を止めな!!! 力ずくだ!!!!」
恋人の苦悩の様子を、胸が潰れる思いで見ていたレエテは、はっと我に返った。
そしてギュッと唇を噛みしめると、自らの馬からシエイエスの馬に跳躍し飛び移った。
そして結晶手を解除し彼の背後から、うなじに向けて神速の手刀を繰り出した。
それは見事に延髄を捉え衝撃を与え、完全に意識を失わせた。
魂が抜けたように、目を閉じて馬上に倒れ伏すシエイエス。その背中に手をおいたレエテは――。彼を攻撃したことによる心の痛みと、彼の精神を蹂躙した憎き相手への怒りをこめて、シオンを睨みつけた。
「許さない――! シオン・ファルファレッロ、そしてカルカブリーナ・サタナエル。私がお前らの相手になろう。罪のない人々を殺戮したこと、シエイエスを傷つけたこと――全て万死に値する!!!」
レエテの姿は、一瞬にして馬上から消えた。そして次の瞬間には、シオンが立っていた家屋の手前に姿があり、一気に助走の勢いで跳躍していた。
7mを一足飛びに跳躍する驚異の動き。しかも、疾い。
自分の身体が焼かれるのも厭わず、間を置くことなく、右手に出現させた結晶手で繰り出される、死の刺突。
シオンにとっては、ほぼ一瞬で眼前に現れた恐るべき敵。だが彼は冷静だった。
「“聖壁”」
結晶手に合わせて強化させた防壁により、防がれる攻撃。だがレエテの強撃は、止まらない。速度と威力を弱めつつも、なおもシオンの胴体を貫こうと結晶手が迫る。
しかしその攻撃は――側方からの、ぞっとするような邪悪な闘気の攻撃によって停止させられた。
いつの間にか肉薄してきていた、カルカブリーナ。長過ぎる腕によって、驚くほど遠くから届くその結晶手の攻撃を、やむを得ず防御するレエテ。
カルカブリーナは邪に歪んだ口から、称賛の声を発した。
「わお!!! 凄い、すごいねええ、レエテ・サタナエル!!! とんでもない強さだ。サロメを倒して、更に成長したってとこかな!? やんなっちゃうねえ~~!!
けど――まだまだボクには及ばないよお!? ヴェルに次ぐ、一族男子No.2のボクにはねえええ!!」
その大上段から振り下ろす攻撃の衝撃力で、炎で脆くなっていた家屋の屋根に、亀裂が入った。
そして一気に崩れ落ちる家屋から、跳躍して逃れる三者。
着地したカルカブリーナは、レエテに対しさらなる言葉を次ぐ。
「ホント怖いじゃん……。ボクはね、昔『本拠』でさ、キミの大好きなマイエ・サタナエルにコテンパンにやられてトラウマになってるんだ。ボクよりも長いリーチ、一族から見てもバケモノな身体能力。……ああ恐ろしい。万が一にも、キミがあんなモノに化ける前に芽は摘み取っておきたいと思うよ――」
云い終える前に、上空から迫る危機を察知し、カルカブリーナは結晶手を振った。
2本の剛矢が、粉々に粉砕され、散った。
カルカブリーナが目を細めて見ると、その先で、身体の筋肉を膨張させながら剛弓を構える少女の姿。
キャティシアだった。
さらに、眼前に突如巨大な氷の矢が迫った。
ナユタが放った、氷結魔導の攻撃だ。
カルカブリーナはこれも見極め、体格に全く見合わぬ神速の動き――身体をくねらせるおぞましい動きではあるが――によってこれをかわした。
空を切り、背後の炎に包まれる倉庫の前面に炸裂して一瞬で凍結させる、氷矢。
「おいおい~~、外野は大人しく見物してて欲しいなああ――」
云いつつ彼がシオンの方を見やると、彼にも攻撃が及んでいた。
動きを開始していたのは、ルーミスだ。
レエテが乗り捨てた白馬に“過活性”を放ち凶暴化および操作。
そして自身も、馬を駆ってシオンに向けて突撃していく。
すでに、ルーミスの身体は血破点打ちを完了している状態。同時攻撃を仕掛ける気だ。
眼前に仁王立ちするシオン。彼もまた、いつの間にか血破点打ちを完了していた。
まずシオンに襲いかかったのは、筋肉の膨張した凶暴なる白馬。
そのまま突っ込んでこられれば、通常なら踏み潰されるか、弾き飛ばされた衝撃で死に至る危険な状況。
しかしシオンは涼やかな表情のまま、静かに前進する。
そして一個の暴風のように進撃する白馬に肉薄し、淡い光を放つ両手で正確に前足に触れた。
その瞬間、白馬は硬直したように突如として停止した。
そして、ゴキ、ゴキ……という鈍い大きな音とともに、前足があらぬ方向へ曲がり、浮き出た血管は破裂し――。悲鳴の甲高いいななきを上げながら、熟れて地に落ちた果実のように身体を崩壊させていく。
攻撃を完了したシオンの背後に回り込んだルーミスは、“聖照光”を構えながら襲撃を開始する。
おそらくは自分よりも格上の“背教者”を相手に、どこまで攻撃が通用するかわからないが――。
その背中の血破点に渾身の法力を打ち込むべく、風圧をも発生させる速度と強靭さで、右手を突き出す。
だが何と――。シオンは全くルーミスの姿を見ることなく、正確に彼の攻撃の弾道を捉えていた。
半身だけ振り返り、難なく右手でルーミスの右手首を掴み、攻撃を止めた。
ルーミスは驚愕の表情で叫んだ。
「なっ――馬鹿な! いくら身体能力が優れていても、こんな動き――!! オマエ、オレの動きを『予知』できていたとでも云うのか!?」
「フッ、概ねその言葉は正しい、ルーミス・サリナス。貴様も法力使いなら、血破点をつなぐ経の流れをある程度見ることができよう。私はな、その経が充填している気脈を完全に読むことができる“予視”の使い手。およそ三手先に予定された動きまでは予知することができる。
それをゼノン様に買われ、ダレン=ジョスパンの相手に選ばれた程のな!!」
言葉とともに、シオンは一気に右手を捻り、体を崩させたルーミスの身体を完全に一回転させる。
宙を舞い、受け身を取ることもできずに、ルーミスの身体はしたたかに大地に激突した。
「ぐっ――はああっ!!」
「ルーミス!!!」
ルーミスの苦悶の唸り声に、キャティシアの悲鳴が交錯する。
「素質はあるようだが、まだまだだな。
私もな、法王庁の元司祭。貴様がまだ生まれる前、誰あろうアルベルト・フォルズ殿に師事していた。あの方の絶大な魔力の素養を受け継いでおるならば、それに恥じぬ闘いを見せて見よ」
一方レエテは着地後、カルカブリーナへの攻撃の機会を伺っていた。ナユタの攻撃が空をきった直後、一気に彼女は走り出していた。
助走を付け、その勢いを以てぶつけることのできる唯一の大技を繰り出し襲いかかる。
「“円軌翔斬 水平の型”!!!」
円弧を描く結晶手が、円盤となって襲いかかる脅威の技。しかしこれを認識したカルカブリーナの表情はまったく動かない。十分すぎる余裕を持った様相だ。
左側から襲いかかるレエテに対し、両手の結晶手を構えるカルカブリーナ。しっかりと動きを見定め、2本の手を同時に振り下ろす。
鉱物の擦れ合う、独特の衝撃音を響かせ――。
長い腕の先の結晶手に抱きかかえられるような体勢で、レエテの動きは完全に止められていた。
「なっ――!!!」
逃れようとするレエテだったが、下方から同じく長い足で繰り出してくる蹴りが鳩尾に命中し、苦悶の様相となる。
「ぐっ、かはっ!!!」
よろめき着地したところで、再び振り下ろされるカルカブリーナの結晶手。それがレエテの身体の手前で弧を描いた。
「――え――?」
困惑するレエテが自分の身体に視線を下げると、絶妙な斬撃できれいに切り裂かれたボディスーツが左右に割れてめくれ――。豊満な両の乳房、臍、下腹部の一部が顕になった。
「う――ああ――!!!」
貌を真っ赤に染め上げ、うろたえながら手で身体を隠して後方に飛び退るレエテ。身体をよじらせながら怒りの視線をカルカブリーナに投げかける。
「な、何を――する――!!」
「いいね……そんなにも美しすぎる貌にくわえて、普通じゃありえないほどのはちきれそうに美味しそうなおっぱいと身体。この大陸一の上玉といっても過言じゃあないよ、キミは♫
それは置いといてキミさ、ボクを誰だと思ってるのかな~~? この性格なんでよく甘く見られるけど、そんな中途半端な攻撃じゃね、傷一つ付けられないさあ。ましてやキミと一緒で、首か心臓をやらない限り死なないんだよ、ボクは」
そう云った後、カルカブリーナは大げさにため息をついて見せた。
「そんな身体だけど悲しいことに、『寿命』は変えられないんだなあ~~。ボクはね、こう見えてじき29歳になる、一族でも年寄りの身なのさあ。もういくらも生きられない。だったら好きなよーーうに生きたいじゃない? やりたいこと、やりきりたいじゃなあい?
たとえばキミみたいな極上の女を奴隷に玩具に、あらゆるお楽しみをする。あらゆる○○を犯し尽くし、その後は切り刻んで楽しむ。それができたら最高だろうなあ~~。
ボクら“幽鬼”はどのみち、精管を切られて結ばれているから絶対子供はできないしい?」
レエテはおぞましさに身を震わせ、怯えたような表情になりながら後ずさった。
「……や、やめ…………」
「そうすれば、今のキミの愛しい人であるあのシエイエスくんにも、さらに甚大なダメージを与えることができる。一石二鳥さ。うん、そうだ、そうしよう。お爺ちゃんたちにも、そう云ってみよう。キミは今、ボクの玩具になることがほぼ決定したよ~~レエテ?」
「……い、や……」
貌を歪めて後ずさりし続けるレエテ。カルカブリーナは間合いを詰めようと踏み出したが、そのときシオンの鋭い声がかかった。
「カルカブリーナ様!! 来たようですな」
カルカブリーナが東の方角を見たのにならい、レエテもそちら側を見た。
街道の、向こうに砂塵が巻き上がっている。範囲が、広い。幅数kmにも渡るようだ。
音も、響いてくる。低く、響き渡るような――途方もない数の馬の蹄音。
本当にかすかにしか見えないが、間違いなく――恐るべき大人数の、騎馬と歩兵だ。
「エストガレス、軍――!!」
「そうさ。ちぇっ、いいところだったのになあ~~!
彼らはね、フリルギア将軍の率いる、西部方面師団2万の軍勢。さきほどキミらが相手した国境警備隊の寄せ集めとは、規模も実力もケタが違うよ。
ボクらは、彼らと合流する予定だったんだ。この後計画があってね。で当然、この村の残忍極まる殺戮はキミらレエテ一味の仕業、になる想定さ。
軍が到着する前に、逃げるといいよ~~。ネタばらしすると、サタナエルとしてはここでキミらを討ち取る想定にはない。いずれ最適な舞台が用意されるからね♫ それまでに、せいぜい逃げ回るがいいよ。いろんな追手の手を逃れながらねえ~~!!」
それを聞いたレエテは、迷わず一目散に踵を返して逃走した。そして遠目に、同じようにシオンから解放されたと思しきルーミスが騎乗するのを確認すると、一気に跳躍してシエイエスの馬に飛び乗った。そして身体が顕になるのも構わず、片手でシエイエスの身体を支え、もう片方の手で手綱を握った。
「皆!!! 逃げるわよ!!! エストガレスの大軍がここへやってくる!!!!」
そして南の方角に舵を取り、全速力で馬を走らせた。それにホルストースとナユタ、キャティシア、ルーミスの騎馬が続いた。
全員逃げるのに、必死だった。まさに迫る物理的危機である軍勢の進軍からもさることながら、様々な悪夢を喚起した、この阿鼻叫喚の場からひたすら逃れる、そのために――。