第八話 甦る、忌まわしき悪夢
中原に足を踏み入れるやいなや、即時の刺客――それも思いもよらぬ、いち国家正規軍勢の襲撃を受けたレエテ一行。
これまでのサタナエルによる襲撃と異なり、通常の人間による攻撃。単に力の強弱でいえば圧倒的に弱く、難なく撃退が可能な敵である。
だが、今回の数であればともかく、数万の大軍にまで膨れ上がってくればまた事情は異なる。
さらに今一つの要素。まだそれでも生命を奪うにためらう理由がない、外道の集団であるサタナエルと違い――。操られているとはいえ、軍人であるとはいえ、国に仕え家族を持つ善良な市民でもある一般人を殺すことには強い良心の呵責が伴う。
ことに彼らに狙われる原因であり、かつ一行で最強の戦力であるレエテ。どうしても先刻の殿役のように、最も重い殺戮の責務がのしかかる。
事実、最初から大将の首が取れれば良いが、そこにたどり着くまでに数百もの人命を奪わねばならなかった。致し方ないとはいえその結果も重くのしかかり、沈痛な面持ちのまま馬の手綱を握るのだった。
「シエイエス……」
レエテが、隣に馬を進めるシエイエスに向けてつぶやく。
「どうした?」
「事情は、理解してる……。今エストガレスが、完全にサタナエルに操られていること。きっとこの先も軍勢が襲いかかってきて、ずっと戦って退けなきゃいけないっていうことは。
だけど私、彼らを殺したくない。……お願い。どうにかして、あなたの知恵で彼らとの戦闘を避けてはもらえないかしら……?」
シエイエスは、うつむくレエテの様子をじっと見つめた。彼も、辛い立場ではある。ナユタが冷静とはいえない現状、一行を生かす軍師の役目を一身に背負う身。
レエテは守りたい愛おしい恋人ではあるが、あまりに強い戦力であるゆえ、守る側として戦闘面で頼りにせざるを得ない。
だが、辛い立場を押し付け続けることもしたくはない。シエイエスは力強い眼差しでレエテに言葉を返した。
「わかった、レエテ。俺の力の限り、お前をエストガレス軍との戦闘から遠ざけるよう努力する。
そして一刻も早く、目標であるロブ=ハルスや、ゼノンのもとにたどり着けるよう知恵を絞る――」
最後まで言葉を発する前に、シエイエスはレエテの驚愕の表情をその眼に捉えた。
レエテの後ろに続くルーミスとキャティシア、ナユタとホルストースの表情も、同様だった。
彼らが見ているのは、いま現在馬を使って駆ける中原の幹線、フリア街道の先だった。
この先を進めば、中原の農村、ミラオン村に行き着くはずだ。
おそらく1kmとは離れていないその場所。振り返ったシエイエスの視界に展開されていたのは、広大な畑の只中にたたずむ、のどかな農村のあるべき姿ではなく――。
紅蓮の業火によって炎上し、黒煙を天に巻き上げる家と集落の、驚くべき姿だった!
「――!!!」
即座に、手綱を叩き、馬を全速力で走らせる一行。
近づくにつれ、木や藁、草木や動物、そしてもう一つの――生物が焼ける匂いが、無情にも鼻につく。
一行が簡素な門を抜け村に入ると、そこにはまさしく地獄絵図そのものが眼前に広がっていたのだった。
村は、おそらく100戸ほどの規模だったと思われた。
周辺に広がる小麦とトウモロコシ畑を育て収穫する農民の、古くから受け継がれた集落だろう。
その丸太や木板で作られていたであろう家々は、赤々と燃え盛り、まさに消し炭となる一歩手前。
多くは無残にも崩れ去っていた。
肌に突き刺さる熱の痛みはもちろんのこと、門をくぐる前に嗅いだあらゆる臭気が、相も変わらず一行の嗅覚を揺さぶる。
ことに――最も脳に焼き付いて離れぬ、「人間」の灼ける匂い。
家々の間に倒れ伏す、無数の死体。うつぶせに、仰向けに倒れている者もいた。男だった者、女だった者。老人だった者、青年だった者――幼子だった者。一切の区別も、容赦も慈悲もなく、無残な殺戮を丹念に施されていた。
折り重なる死体の下敷きになった――女児の哀れな断末魔の表情を目にしたキャティシアが、涙を溢れされて貌を覆った。
「ひ、どい――!! 何て――! 何のために、誰が、こんなことを――!」
貌を大きくしかめ、額に冷や汗を垂らしたホルストースが、これを受けて言葉を発する。
「――軍の仕業じゃ、ねえな。死体はどれも切り傷一つねえみてえだし、建物も積み上がった農作物も、まったく荒らされちゃあいねえ。むしろあまりに、不自然だ」
ルーミスが噛み締めた歯の間から押し出すように、言葉を継いで補足する。
「そう、だな――。どの死体も、歩く姿勢だったり人と会話する姿勢だったり、子供なら遊んでる姿勢。そのままの姿で倒れている。逃げたり抵抗した様子ならともかく、普段の生活してる状態から突然、火に巻かれて即死したかのような状況。いや、この苦痛の表情からすると――。突然、指一本動かせなくなった状態で、生きながら焼かれるという地獄だったのか。兄さん、こんなことができるのは、おそらく――」
ルーミスはシエイエスに言葉をかけようとして、それを止めた。
シエイエスの、あまりに常軌を逸した様子を見て。
彼は、馬上で、身体を硬直させて震えていた。目尻が裂けそうなほどに目を見開き、貌は蒼を通り越して白かった。大量の汗を流しながら、紫色の唇は傍目にも明らかなほどに大きく震えている。
「や…………めろ。やめて……くれ」
優れた頭脳や肉体以上に、滅多なことでは動揺や恐怖の感情など表に出さない、冷静沈着な男。そのシエイエスの異常な様子に、レエテが心配でたまらずに声をかけた。
「ど、どうしたの――? シエイエス。大丈夫? 何があったの?」
それに応えないシエイエスに、レエテが近付こうとしたその時――。
眼前の燃え盛る建物の間に見える田畑から、一人の若い男が走り寄って来るのが、見えた。必死に、自分たちに向かって何かを叫んでいる。
そして30mほどにまで距離が縮まる。
同時にその言葉が、はっきりと耳に入ってくる。
「――助けてくれ!!! 助けてくれええええ!!! 死にたくない!!! 死にたく――」
男の言葉は、途中で強制的に遮断された。
その生命の終わりとともに。絶望を体現した表情のまま、背中から鮮血を噴き上げて前のめりに倒れ伏していく。
その背後に、長大で不吉な影のように立ち尽くす、一人の男。
異様な、風体だった。
220cmを優に越える、異様な高さの身長。極めて細長い手足、胴体。原色をケバケバしく使った、異様に派手な服装。フードからのぞく白銀の前髪。褐色の肌を覆い隠すかのような死化粧のごとき様相。
そして――血に染まった、右手の黒光りする「結晶手」。
シエイエスはその不気味極まる凶悪な姿に、恐るべき憤怒の形相で咆哮した。
「カルカブリーナ・サタナエル!!!! きさま――貴様ああああああ!!!!」
シエイエスが発した、その驚愕すべき名を聞いたレエテは、目を見開いて彼と相手の男――。自らと同じ一族のサタナエル“幽鬼”総長たる存在、カルカブリーナを見比べた。
「久しぶりいぃ! シエイエス・フォルズくんっ! いやぁ? 自分の世紀のヘマで、一つの村を壊滅させちゃったマヌケくん、と云ったほうが正しいかなぁああ~~!?」
その蜘蛛のように細長い腕を両側に広げ、もとより道化師のようなふざけた貌を嘲笑に歪めておどけて見せる、カルカブリーナ。
「おのれ……おのれ……」
歯ぎしりしながら呪詛を放つのがやっとのシエイエスに、さらに小馬鹿にした態度でカルカブリーナは続けた。
「どうだい、懐かしいんじゃないかい~~? 何年前だったか忘れたけど、あのエスカリオテ国境のちっぽけな村で起きた衝撃の出来事を、見事に『再現』してあげたんだからねぇ~~?」
そう云うと再び結晶手を振るい、倒れた男の死体を横薙ぎに切り裂くカルカブリーナ。
胴体が両断されんばかりに、より深く刻まれる。
「あのとき、最後の仕上げにボクが切り刻んだ村人ども。その中に、居たんでしょうぉ? 君と仲良くなった、善良な行商人の若者がさあ! 今刻んだこいつみたいに、背中を深々と斬られてねえ!
……おっと、トチ狂って襲いかかってくるのはもう少し待ってよねえ。分かるだろ? こうしてボクがここに居るってことは、当然『あいつ』も来てるってことがさ。挨拶させてくれよ!? じっくりとね!」
云われて、はっとした表情になったシエイエスに向けて、上方から別の声が降ってきた。
「カルカブリーナ様の、おっしゃるとおり……! 私にも、丁重に挨拶させて欲しいものだな、シエイエス・フォルズ」
落ち着いた声の主、それは正面の燃え盛る家屋の、屋根の上に仁王立ちしていた一人の男。
赤々と業火の燃える場所に、その男は涼しい貌をして立っていた。身体の周囲に、白く淡い光の玉が発生し、全身を覆い尽くしている。その光が、炎の脅威をことごとく弾いているのだ。
その様子はルーミスを大いに驚愕させた。それは、極めて強力な法力によってのみなされる、“聖壁”。今の自分には不可能な、高位の法力技だ。
それを証明するかのように、男の身体は法衣で覆われていた。ルーミスが身につけているような法王庁正式の戦闘用軽装鎧ではなく、簡単な儀礼に用いる簡易僧服だ。見ると白い鮮やかな刺繍が随所に施されている。魔力を増幅する、アルム絹だ。
身長は190cmほど。カルカブリーナのような異形のものではないが、非常に細身の身体。髪は淡い緑色。真ん中で分けたストレートで長く、肩まで伸びている。貌立ちは端正ではあるが、目庇が長く鷲鼻気味であるその特徴、あまりに思慮深く鋭い眼光により、云いしれぬ威圧感と静かな不気味さを感じさせる。
「久しいな。6年前、特殊部隊に所属し我らサタナエルについて嗅ぎ回っていた貴様は、旅先で偶然、よく似た名前の私に間違えられたことで――。この私にたどり着いた。そして潜伏していたあの村で失態を犯して村を騒がせた貴様と、それを見た村人ども双方を皆殺しにするため、私は動いた。
私の技“致死麻痺”で自由を奪った数百人の村人どもを、火を放って焼き殺した。
今現在の、この村のように、な。そうだったな……シエイエス?」
シエイエスは、歯ぎしりしながら馬上で身体を震わせ続けていた。そして血を滴らせた右の拳を開け、高々と法衣の男を指差すと、カルカブリーナに対して同様に怒りの咆哮を上げた。
「“法力”ギルド副将、シオン・ファルファレッロ――!!!!
何のために今、あの悪夢を、なんの罪もない人々に対して……!!!
俺は、貴様を、殺す……!!! あの時以来の怨念、必ず晴らす……!!! その身体、引き裂いて殺してやる!!!!」