第六話 決死の南下
大陸中に名を轟かせる女傑――生ける伝説、レエテによる堂々たる降伏勧告。
天下のエストガレス王国正規軍に向けて放たれし凛と響き渡る大声は、大軍の隅々まで響きわたった。
勧告はシエイエスの授けた作戦だが、格調高い口上の内容自体はレエテの本心からのものであり、嘘偽りはない。それだけに、仲間にとっても身を震わせるほど神々しい姿となり――。レエテの信奉者であるキャティシアなどは、手を口に当て、目を潤ませてその姿に魅入られてしまっていた。
エストガレス軍には、目に見えて動揺が走った。
軍勢から見て、敵は人外としか思えぬ超人戦闘集団。しかもまだ6人いるうち2人しか、その力を見せていない。
このまま戦えば、自分達の命の保証はない。本能的な危機感が軍勢の中に満ちた。
しかし――。後方に控えていた、ある一騎が進み出てきた。一際豪華な鎧兜、胸に輝く勲章から察するに、この軍勢を率いる将であろう。
筋骨逞しいその中年騎士の将校は、遠目で見ても貌を青ざめさせ震えていた。最大限レエテらに近づかなくてよい距離まで中央付近まで進み出ると、悲鳴のような叫びで軍勢を鼓舞した。
「ひ――怯むなあああ!!!! 耳を貸す必要など無し!!!! 敵は大陸に仇なす大罪人なり!!!! 退くことは許さぬ!!!! 逃亡せし者は一人の例外もなく『国王陛下』より死罪が申し渡される!!!! 不名誉なる死よりも、名誉ある死を覚悟せよ!!!! 陣形を崩すな!!!!」
将校の下した命令は――非常に有力な情報をレエテ一行にもたらした。
まず第一の情報は、どのような儀を経てかは分からぬが、ドミトゥスがすでに国王に即位しているということ。
第二の情報は、この急遽ニイスに集められたであろう国境警備隊の軍勢に退却は許されていないこと。退けば死罪という、脅迫に近い命が下されていること。
レエテ一行の実力を熟知するサタナエルが、そのような馬鹿げた命令を下すとは考えにくい。
数千の軍勢など、駒にも考えていないであろうからだ。
なれば、ゼノンからレエテ南下の事実を告げられたドミトゥスがその臆病さゆえに、突発的に狂気的に下した命令に相違なかろう。
哀れなのは彼ら軍人たち。だがレエテらはそのような事実があっても、依然としていたずらに無益な殺生を行う意志はない。
シエイエスは、仲間に号令を下す。
「ルーミス!! ホルストース!! キャティシア!!!」
声をかけられた3名は、一斉に動き出した。
彼らの任務は――撹乱と前列の馬の沈黙。および逃走用の馬の確保だ。
まずルーミスが勢い良く前列前に飛び出した。その身体は、とうに血破点が打たれ、筋力がみなぎっている。
当然、右手の義手“聖照光”も準備万端だ。それを前方へ突き出す。
突如、5本の指全てが前方に向かって驚異的スピードで伸びる。
オリハルコンとイクスヴァで構成された鋭利な指先は、20m先にいた前列の5頭の馬の首筋に刺さった。血破点を捉えたのだ。
「過活性!!!」
即座に流し込まれた法力によって、馬の筋肉は膨張し、完全に正気を失った。
5頭の馬は滅茶苦茶に暴れまわり、騎乗する騎士を振り落としたばかりか――。何人かを踏み潰して殺し、かつ向きを反転させて軍勢に向かって突っ込んだ。
通常の馬数倍に価する筋力で行われる、友軍に対する体当たりの威力は凄まじく、ことごとく騎馬も歩兵も弾き飛ばしながら軍勢の中央に向けて駆けていく。
やがて、後続の集団の中にいた射手たちが、一斉に弓を構えて矢を放とうとする。
それを見極めたホルストースが、矢にも勝るスピードで前方へ飛び出す。
すでに力を充填させきったドラギグニャッツオは、風元素瑪瑙にも魔力が充填されていた。この世のいかなる鎧も紙のように切り裂く、アダマンタイン製の振動する刃。超一流の戦士としての卓越した体捌きと怪力で、縦横無尽にそれを振り回し始める。
「打たせるわきゃあねえだろが!!! 雑魚どもがあ!!! 攻撃してくんなら容赦はしねえぜえええ!!!!」
アタッチメントで伸長した3mの業物を振る、リーチを加えた直径8mもの「竜巻」が発生した。
サタナエル相手には隙だらけで使用できない技だが、通常人が相手ならば存分に威力を発揮する。
巻き込まれた者は、容赦なく切り刻まれ、命を散らす、死の竜巻。剣でも盾でも、防ぐことは一切叶わない。
「おらああああああ!!!!」
射手の馬を数頭同時に両断し、軌道を上に振れば馬上の騎士ですら切り刻む。踏み込み前進するスピードも相まって、肉塊を生産する殺戮の嵐と化すホルストース。数百の軍勢の只中に飛び込んで、それをことごとく殺し尽くす恐るべき力だ。
当然ながら、なすすべなく鮮血を噴き上げて瓦解していく友軍を見て、士気を崩され怯む軍勢。
しかし彼らは、退けば権力者により死罪が言い渡される追い詰められた身。後ずさりながらも攻撃体勢を整え、中隊長と見える幾人かの将校が前進を命じようとした、その時。
彼らの喉を貫く、正確無比な矢の射撃。
3人の将校が、馬上から崩れ落ちていった。
狙われていたホルストースが振り返ると、そこには血破点打ちを完了した肉体で弓を高速かつ正確に発射していたキャティシアの姿があった。
「いつも悪りいなあ、キャティシア!!! 助かったぜ!!!!」
ホルストースの大声の直後、シエイエスの指令が飛び交った。
「よし、もう十分だ!!!! 各人、馬の確保に尽力しろ!!! ナユタ!!! そのサポートに回れ!!!! レエテ!!!! 申し訳ないが殿はお前だ!!! あらゆる脅威を沈黙させつつ、自分も馬を確保するんだ!!!!」
そしてその後、自らも仲間を支援するべく前衛に出ていった。
シエイエスが集団戦に用いる戦法。それは射程ギリギリまで近づき、刃を取り付けた漆黒の双鞭を水平に振り、馬もしくは騎乗兵の頸動脈を正確に寸断するやり方。
サタナエルが相手では急所を捉えることが困難な場合が多いが、常人では数十人のそれを一気に捉えられる。
落馬していく騎士に目もくれず、鞭を手元に回収する前にシエイエス最大の能力である変異魔導により、攻撃をかわしつつ背中の第三の腕も駆使しつつ敵数十人を討ち取っていく。
そしてナユタは、未だ一行の中で異質といえる強烈な殺気を放ちつつ、馬の確保の障害となりそうな無傷の数百の中隊に向けて、爆炎魔導を放つ準備に入る。
同時のタイミングで、ルーミスが一気に4m以上の高さに跳躍し、2騎の馬上を片足ずつで踏みしめて乗る。“聖照光”の指先により馬上の騎士の血破点を打ち、彼らの急所を破壊。落馬させる。
次いで一方の馬にまたがり、もう一方の馬の頭部の血破点を打って運動を操り、その馬をキャティシアのもとに向かわせる。
その時――。
キャティシアに意識が向いたルーミスが、完全に、自分に矛先を向けた小隊の存在を見逃した。
小隊から、十数本の槍が投擲され、一斉にルーミスの背中に迫った。
それに誰よりいち早く気付いたのは――ナユタ、だった。
彼女は目を見開き、自分の危機でも表さないような余りに必死の狼狽ぶりで、充填していた爆炎魔導を己を顧みずにルーミスへの脅威に向けて放ってしまった。
「危ないルーミス!!! ルーミスう!!!! 魔炎旋風殺!!!!」
生じた直径3m、高さ5mの火炎旋風2本は、恐るべき速度でルーミスの背後に到達し、彼にあわやのところまで迫ってきていた無数の槍を、跡形なく焼き尽くし消滅させてしまった。
しかし、本来の目的とは異なる用途に魔力を放ち、決定的な隙を作ったナユタの背後には――。
彼女の大魔導によって殲滅させられるはずだった中隊が、間近に迫っていた。
――大いなる失態だ。ルーミスほどの使い手ならば、大声で警告を発すれば十二分に自分で対応ができたというのに。
極めて危険な状況だ。ナユタは大陸最強クラスである魔力を取り去ってしまえば、極めて非力な肉体の一般女性にすぎない。一国の軍人という屈強な男を相手に白兵戦で立ち向かう術を持たないし、馬を奪うことも、自らの脚で逃げきることもできはしない。
しかも――実はナユタは乗馬が大の苦手であり、手綱を握ることができない。
現在のシエイエスの作戦でも、他の誰か可能な仲間が彼女を拾って乗せる想定であったぐらいだ。
よってナユタは常にそれを考慮して、絶大な攻撃力を常に己の防御と安全に回さねばならぬし、十分に自覚もしていた。なのにいとも簡単に自ら隙を作り自らを危険にさらしてしまった。
手に魔力の充填を始めるも、すでに死神の鎌の到達を許した状態。
頬に大きな冷や汗の雫を流し、貌を青ざめさせるナユタ――。