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サタナエル・サガ  作者: Yuki
第九章 血の宿命と、親子
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エピローグ(Ⅱ) 狂気の信仰――地獄への序曲

 皇国に風雲急をつげる大きな動きが始まっていた頃――。


 その侵攻先として名指しされた、アトモフィス・クレーター“本拠”にある、“宮殿”。


 世界最強の要塞であるここの主、“魔人”ヴェルは、居室で玉座に腰掛けていた。

 物思いにふけるように口を引き結び、厳しい表情で、両眼を閉じていた。


 その彼の鋼の岩山のごとき肉体に、突如大蛇が絡みつくように膝に乗り、しなだれかかる淫靡な女が、一人。

 ヴェルの筆頭愛人にして、“将鬼長”フレア・イリーステスだった。


 フレアは、全身を紅潮させて、乳房を露出させ、ヴェルの首に両手でぶら下がっていた。

 そして、潤んだ両眼で貌を彼に近づけると、その唇に自分の唇をねっとりと押し付け、舌を出して彼の口内に侵入した。


 そしてしばらく、ヴェルの唇を貪っていたが、一向に彼がその気にならないのを見て、不満そうに唇を離した。唾液が糸を引く自分の唇を舐め回した後、ヴェルに甘えたような言葉をかけた。


「もう……つれないですわね……私はしたくてたまらないのに……。やっぱり、心が沈んでらっしゃるのかしら……?

うまく利用するだけの対象だったとはいえ、曲がりなりにも貴方を産み落とした実の母親、その死。貴方ほどの男でも、やはり哀しみは感じるものでしたの……?」


 ヴェルはギロリとフレアを睨みつけ、目を逸らすと低く言葉を発した。


「ふざけたことを抜かすな。この頂点の存在たるヴェルが、女々しい感情などに支配されることは決して有りえぬ。

サロメが死んだと聞いても、特段感じることはないが……。無念であったろうな、とは多少同情する。このヴェルが、あやつと同じ標的、同じ女に殺意を燃やし、いかなることがあろうとそれを達する思いでおるゆえな」


「それを達せられなかった無念はあるでしょう。しかし、何であろうとサロメはしくじったのです。

万全の戦力、そして己自身の“純戦闘種”としての絶大な力の全てを解放したにも関わらず――。現時点でそれに劣る実の娘の、逆襲を許したのですからね」


「ああ。または、あの女がその血を目覚めさせ力を発揮したか。俺と同じくこの世で最強の二つの血を併せもつあの女が、相応の試練を経たことで完全に目覚めを得たのであれば、あるいは」


「……たしかに。だからこそ、私はあの女を組織最大の脅威だ、警戒せよと云い続けてきました。けれどまあ、仕方ありませんわね。七長老どもは、真実を知らぬのですから。

レエテ・サタナエル。あの女が“魔人”ヴェルと同じ血を持つ、双子の妹であるという――今や私達と、ゼノンしか知らぬ真実の秘密を」


「……」


「ご心配なく。秘密は万全ですわ。この事実が七長老に知れればとてつもなく面倒な事態を引き起こします。貴方がレエテを自らの手で殺害することの、大いなる妨げになるでしょうから。

貴方の頭の中から離れぬ2人の女。ただ一人愛した女、マイエ。そしてそのマイエの奪取を妨害し、命を絶たせる原因となった憎き仇――実の妹、レエテ。

もう、幸運にして舞台は整いつつあるでしょう。存分に、復讐を遂げられるがよろしいかと。同じように貴方への復讐を狙うあの女に対して」


「……云われずとも、その積りだ。

ところで先程の話だが、七長老どもは遂に決断したのだな。サタナエルを『秩序の守り手』から、『秩序の破壊者』へ転換することを」


「ええ。そのとおり。だからこそ、手始めに第二席次(ディエグ・ドゥ)と“幽鬼”どもがノスティラスを挑発に向かったのです。次の手立てを我々に任されましたので、ゼノンに使いをやり、命じましたわ。存分に、破壊者として暗躍せよと」


「愚かしいことだな。それしか手はないのだろうが、己らの保身のための醜い戦い、気乗りはせぬな」


「そうかもしれませんが、この戦いには貴方の神魔の力が必要ですことよ、ヴェル。

七長老どもはわめくだけで大した力はない。攻め立てる一国の軍勢、何人かの強者を一人で踏み潰せる絶対の存在は、貴方しかいないのですからね」


「分かっている。頂点に立つ存在は、這い登ろうとする愚か者どもに思い知らせ、ひれ伏させる義務がある。

いかなる時も俺は覚悟ができておる。この世に絶大な恐怖を与える、“魔皇”となる覚悟がな……!」



 

 *


 ヴェルとフレアの、大陸を揺るがす事態をほのめかす重大な会話が行われていた、その頃――。


 アトモフィス・クレーターの、北西の方角数百km以上に位置する、遠きエストガレス王国王都、ローザンヌ。


 ローザンヌ城の地下深く、影の支配者サタナエル“法力(ヒリング)”ギルド将鬼、ゼノン・イシュティナイザーのアジトに向かう、一人の男。


 それはこの場所を最も多く行き来していた男、シャルロウ・ラ=ファイエット元帥では、なかった。


 松明を持ち、従者を一人も従えず、怯えきって腰がひけたまま震えて歩く、身なりは豪華絢爛だが貧相極まりない男。


 紛れもない、大国エストガレスの正当王位継承者第一位、王太子ドミトゥス・アライン・エストガレスの姿であった。


 彼は突然、サタナエルの使者の訪問を受けた。

 権威ある言葉でいくら脅そうとも、王太子たる自分にひれ伏さず、むしろ蔑み、有無を云わさぬ迫力と強引さを見せる戦闘者の男。すぐに女のように縮こまったドミトゥスは、その男に命じられて単身ここまでやってきたのだ。


 サタナエルなど、名前を聞いていただけで、どんな存在か知ろうともしなかった井の中の蛙であった彼。

 得体の知れない怪物の待ち構える予感に、泣き叫んで逃げ出したい気分だった。


 カマンダラ教の石像の仕掛けを動かし、中に入り――。


 その奥にある、書斎と書棚を備えたゼノンのアジトにたどり着いた。


 誰もいる様子がない。ドミトゥスは書棚の間を抜け、恐る恐る奥にある、巨大な礼拝堂らしき空間に出た。


 そして――そこに展開されていた光景が、松明に照らされ明らかになった瞬間――。


 ドミトゥスの目は極限まで見開かれ、瞬時に貌色は紫になり、身体中の力が抜け、床にへなへなと崩れ落ちた。

 恐怖のあまり、逃げることはおろか声を上げることすらできなかった。

 それほどの、狂気の光景が、そこにはあった。


 礼拝堂の奥には、当然そこにあるべきハーミアの聖架が、一際大きく光を放ってそこに鎮座していた。


 そしてそこで祈りを捧げる一人の男が居た。


 狂気の全ては――この男、一人から発せられていた。


 背を向けているため、貌は良く見えない。背中まで伸びる長く豊かな金髪を振り乱し、全身を使ってハーミアへの祈りを捧げているようだ。それだけならば、多少大仰ではあるものの、まだ普通の礼拝の風景といえなくもなかった。


 非日常を生み出していたのは、血だ。


 そこには血の匂いが充満していた。

 発せられているのは、男の全身から。この男は、常人離れした彫刻のように見事な筋肉に包まれた手足の長い身体を――。一糸も纏うことなく、素肌をさらしていた。全裸だった。

 その素肌の全てを覆うほどの、馬鹿げた量の人間の血を、全身に塗りたくっているのだ。

 

 血の出処は、探すまでもなかった。

 男の両側に倒れ伏すうら若い、2人の少女の死体。そこからほぼ全ての血液を抜き取ったものであろう。


「ああ!!!! 神よ!!!! 我が恋い焦がれる、狂おしいほどの敬愛を捧げし主よ!!!!

我が思いの全てを、罪深き贄を捧げし我が覚悟を、聞き届けられよ!!!」


 男は、一度猛烈な勢いで拳と額を床に打ち付ける。男の人智を超えた怪力と硬度を誇る肉体で、床がひしゃげる。周囲を見ると、どうやら定期的に繰り返されるその行為によって、あちこちにその跡であるクレーターが発生していた。

 そして今度は膝をつき、上体を極限まで反らせて天を仰いだ。そこで初めて、男の貌がドミトゥスには見えた。

 血まみれだ。ではあるが、男のドミトゥスでも驚愕に息を呑むほどの絶世の美男子だった。高く突き出た整った鼻の下にある口は、愉悦にゆるみ、涎を垂らしている。両の目は噴き出す涙で潤みきっていた。


「おおおおおお!!!! 偉大なるハーミアよ!!! 我が覚悟、どうか見届けられ給え!!!!」


 絶叫とともに、男は――信じがたい行動に、出た。


 まず右手で自分の脇腹をやにわに掴む。そして、恐るべき怪力でもって、皮膚を、肉を破り――。その奥にある肋骨を2本、折り取って自分の身体から摘出。

 次いで、左手の指3本を、自分の左目に突き入れると、躊躇なく眼球を引きずり出した!


 そしてそれを高々と聖架に突き出したかと思うと、渾身の力で自分のその身体の一部を握りつぶしたのだ!


「ヒッ、ヒッ、ヒイイイイイイイイイイ!!!!! アアアアアアアア!!!!!」


 たまらず、ドミトゥスが恐怖のあまり極限の絶叫を上げる。


 その声に、今ようやく訪問者の存在に気づいた男は振り返り、残った右目でギョロリとドミトゥスを見た。


 そして立ち上がり、鮮血をしたたらせながらドミトゥスに歩みよってくる。


「イヤあ!!!! 来ないで!!!! 来ないでええええ!!!!」


 恥も外聞もなく、女のような金切り声の叫びを上げ。ついに失禁して小便を垂れ流す、ドミトゥス。


 その彼の胸ぐらを、信じられないような怪力で持ち上げ、強引に立たせる、男。


 男は血に塗れ、目を失った左の眼窩から血を吹き出し続けながら、およそ似つかわしくない爽やかな笑顔をドミトゥスに向ける。加えてもっと似つかわしくない、サロンでお茶でも飲んでいるような耳に心地よい声と弁舌で言葉をかけたのだ。


「やあ。我が住処へようこそドミトゥス。待っていたよ。ちょっと、指定時間よりも早すぎたけれどねえ……。

僕はサタナエル“法力(ヒリング)”ギルド将鬼、“狂信者”ゼノン・イシュティナイザー。以後お見知りおきを。

どうだった? 僕の魂の礼拝の様子は? これをねえ、僕は週に一回、欠かさず行っているのさ。神に身を捧げようという清らかな乙女の血を身にまとい、さらには苦痛とともに己の身体の一部を毎回捧げる。神の第一の従順な下僕を自認する僕にとって、この程度のことは当然の行いさ。

……ああ、心配はいらないよー。『この程度の傷』、僕の“血破点開放”による超活性にかかれば、跡形もなく元に戻る」


 完全に、狂っている。このゼノンという男、“狂信者”などという枠を超えた、人ならざる怪物(フリーク)、魔の存在だ。あまりに耳清い声の流れが、却ってその言葉とともに極限のおぞましさをもって脳を舐め回されるかのようだ。

 

 そして、心配いらないという言葉は本当だった。ドミトゥスの見ている前で、ゼノンの失われた眼球と失われた肋骨は、激しい水蒸気と熱量を発生させながら、再生を始めていたのだ。

 2、3分ほどで、もう半分ほどが再生していた。もはや、精神だけでなく、肉体も魔王のものであるとしか思えない。


「早速だが、本題に入ろうかー? まず、僕は君におめでとうと云いたい、ドミトゥス。

君は秩序の破壊者として僕に殺される運命だったのに、組織が方針を転換したことによってむしろ最大の利用価値をもつことになったんだよ。

有り体にいうとねえ、この後すぐ、偉大なエストガレス王国は君のものに、なるんだ」


「え……え……?」


「分からないかい? 王位簒奪、ってやつだよ。君も内心じゃあ、夢として思い描いてたんだろー? ずっと、ずっとさあ。

自分を愛さず、のけ者にして妹ばかり評価し可愛がる父上、アルテマス国王をはい、『殺す』ー。

僕らが手を貸すことによってその行いは、王国一の厄介者“狂公”ダレン=ジョスパンと結託した、君の可愛い可愛い、優秀な妹オファニミス王女の犯行として全国民に知れ渡る。

さしものラ=ファイエットも彼らをかばいきれず追放されまーす。はい、後は王国全軍を君は手中に収める。中原を攻めるも、鬱陶しい3公国を統合するも、ノスティラス皇国と戦端を開く英雄となるも――全ては君の自由。忌々しい従兄たちをいたぶるのも自由だねえ。どうだい。夢のようだろう!?」


 畳み掛けるようなゼノンの誘惑の言葉を、脳に浸透するまでじっと聞いていたドミトゥス。


 その表情が徐々に冷静に、そして邪悪な愉悦に歪んでいくのが目に見えてわかった。


「……本当、なのか、それは……? 予に、本当に王国を、天下を?」


「本当だとも。それも明日や明後日の話じゃない。今日にでも、さ。

いや、楽しみだなー。僕もねえ、本当は秩序を守るなんて退屈な仕事、心の底から飽き飽きしてたところだったんだ。

盛大に、ぶっ壊そうじゃないか。500年の歴史も誇りも、法も平和も、人間の命も虫けらみたいに。

新たな破壊の歴史を刻み、そして僕は、僕だけの神の王国を作るんだ!!!」


 ゼノンの爛々と輝く、異常な狂気をはらんだ美しい両眼は――。

 これまで閉じこもってきた鬱憤を今にも晴らしたいとでも云うかのように、地上に向けて魔性の光を放っていたのだった――。




第九章 血の宿命と、親子

次回より、第十章 王国の崩壊、混迷の大陸

開始です。

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