エピローグ(Ⅰ) 異邦の剣聖と、皇国の決意【★挿絵有】
ランスロットを失いつつも、レエテ一行の次なる目的が定まっていた頃――。
その主たる標的である本人、サタナエル“短剣”ギルド将鬼、ロブ=ハルス・エイブリエルは――。
すでに大幅に距離を移動し、コルヌー大森林の南端にまで差し掛かっていた。
2mの巨体に似ず俊敏でタフな彼は、かなりの速度で走り続けていたのだ。
途中、鋭敏な耳で天守閣が崩れる音を聞きつけていたが、すでに自分が居なくなった後の決着がどうなろうと、彼には知ったことではなかった。
ひとまず考えていることは、ローザンヌに居るゼノンを訪ね、共闘を申し入れることだった。
計算では、いずれかのタイミングでフレアも来訪するはず。
もしも、サロメが敗北していた場合――甚大な被害が組織にもたらされ、 ロブ=ハルスもフレアに責任を問われることになるが、その場合の対処も十分考えてあった。
何にせよ彼は自分の身さえ保証され、快楽を貪ることができれば他はどうなっても構わないのだ。
場合によっては、それなりの地位を手に入れている娘、副将レーヴァテインですら自らのために利用するであろう。
と、軽快に走り続けていたロブ=ハルスの足が、ピタリと止まった。
そして、両の腰に下げられたジャックナイフを即座に取り出し構える。
次いで目を細め、鋭く言葉を発する。
「――どこの、どなたですか? 先程から私を付け回しているのは分かっているのですよ。
只者ではないでしょう。私と歩調を合せながらも、膨大な殺気を極小に抑えている気配を感じます。こんなことができる者は、大陸でもごく少数なはず。
姿を現しなさい」
数秒、沈黙が続いた。
そして次の瞬間! 後方の樹々の間から、一つの影が飛び出してきた。
恐るべき速度と重量感をもって迫るその相手の、先端に光る金属を確認したロブ=ハルス。
ギリギリで見極め、圧倒的な技術でそれを自らの刃に受け、後方に受け流した。
と――その相手が、流されることを予測していたかのように、即座に体を移動し、しかと地面を踏みしめ――。流された刃を、恐るべき速度で返し再び襲いかからせたのだ。
「魔影流刀法 “水平燕返し”!!!!」
通り過ぎたはずの刃が、反射されたかのように自分に返ってくるという予測しない動きに、ロブ=ハルスは戦慄した。
渾身の反応力で、反対側のジャックナイフをもってこの脅威の刃を受ける。
しかし、凄まじい剣圧。受けた刃ごと押し切られ、刃が眼前に迫る。
「おおおおおお!!!!!」
気合でどうにか押し留めたが、刃はロブ=ハルスの左頬にわずかに食い込み、傷を作っていた。
仕損じたと見極めた襲撃者は、一旦後方に飛び退り、距離をとって構えた。
息を荒げながら、ロブ=ハルスはその襲撃者を見た。
男だった。身長は自分とほぼ同じ2m弱。体格はやや引き締まった、おそらく100kg前後の体重。しかし引き絞られた筋肉は、シルエットから読み取れる。
身体を覆うのは、黒地に赤色の縁取りの金属を貼り合せた、独特の甲冑。その上から、たしか「羽織」という独特の形状をした漆黒の上着をまとっている。
髪は黒く、極めて長く、後ろで高く結わえて腰に届くほどの位置まで垂らしている。年齢は30代後半か。貌つきは細面だが極めて精悍で、引き結ばれた口、高い鼻。細く鋭い目は射殺されるほどの殺気を放っている。
手に構えるのは、一見して分かる見事な大業物の、両手持ちブレード。構えの仕方は、右足を引き体を右斜めに、剣先を後ろに下げた 「陽の構え」だ。
「わが燕返しを防ぎよるとは、恐ろしイ、腕前よナ……。貴様、サタナエルでも大将に当たる者だろウ?
それがし、イスケルパはアスナの出身、アスモディウス・アクセレイセスと申す者。
貴様の名を、聞こうカ?」
ロブ=ハルスは、男――アスモディウスの独特の訛った口調、そして名乗った極めて希少な出身地に眉を動かし、応えた。
「なるほど……合点がいきました。遠く海を隔てたイスケルパ大陸。ブレードという武器を伝来させた地であり、そこで発展した『抜刀術』、『剣術』は恐るべき威力を誇り、ハルメニア大陸でも幾人か弟子となった者がその使い手となったと。貴方がその祖たる剣聖であったという訳ですね。
私は、サタナエルの六ギルドが一つ、“短剣”ギルドの将鬼、ロブ=ハルス・エイブリエルと申す者。
貴方が私を狙った、その理由は?」
アスモディウスは構えを解かず体を変えて、言葉を返す。
「それがしは、ダリム公国のアルフォンソ・ダリム公爵に雇われタ。ダリム公は、私怨からエストガレス王国の公爵、ダレン=ジョスパンの命を狙っていル。
現在ダレン=ジョスパンは、貴様らサタナエルと敵対関係にあるらしいと聞いタ。そこで貴様らに協力しつつ、標的の元にたどり着く手引きをしてもらおうという算段ダ」
目の前の男のおそらく真っ直ぐな性格からして、嘘は云っていないようだ。それを聞いたロブ=ハルスは、ニイッと嗤いを浮かべると、構えとジャックナイフを収めて、両手を広げた。
「そうですか……。ダリム公の手の者とはね! 貴方の狙いは、良く分かりました。
協力しましょう。ブレードを、収めてください。私とともに、ローザンヌまで参りましょう。
そこに、貴方の求める道があります」
「交渉、成立だナ。わかった、ローザンヌまで、同行しよウ」
ブレードを鞘に収める、アスモディウス。
ロブ=ハルスは、内心ニヤリと笑った。剣聖というべき凄まじい腕を持ちながら、単細胞な武人肌の男。
必ず自らの利益に利用できると踏んで。
*
それから、一週間の後。
サタナエル将鬼、サロメ・ドマーニュ死すの報は、またたく間に大陸全土を駆け巡っていた。
この報は、大陸各国の首脳クラスの王族、軍人に衝撃を与えた。
200年の間、逆らうことなど及びもつかない超人的悪魔の集団として、各国首脳を思うがままに操ってきたサタナエル。その最高幹部、将鬼が3人も殺害されるなど、史上前例のない異常事態。
これはある意味、大陸で不文律となってきた秩序の崩壊の前兆といえるもの。その守り手の崩壊による戦乱の発生を意味すると同時に、組織への反逆の隙を感じさせるものでもあったのだ。
これにいち早く反応したのは――。各国首脳でも随一の英雄であり、もっとも反サタナエルのスタンスを明確にしている皇帝ヘンリ=ドルマンを擁する、ノスティラス皇国。
ドルマンは急ぎ統候や将軍クラスを招集し、ランダメリア城塞で緊急会議を開いていた。
出席者は皇帝のほかは元帥カール、暫定将軍位を与えられているドミナトス=レガーリアのキメリエス王子、ガリオンヌ統候オヴィディウス、新ミリディア統候オーウェン、新ノルン統候ガミディン、ラウドゥス統候ロヴェスピエール、そしてデネヴ統候ミナァン。
彼らを前にして、ドルマンは力強く云った。
「――諸卿。単刀直入に云えば、妾は、近々連邦王国に協力を持ちかけた上での、アトモフィス・クレーターへの侵攻を計画しているわ」
その大胆不敵な宣言を、招集された全員が予想はしていた。が、実際に耳にすると、あまりに大それた目論見であり、目を閉じて聞いていたカール、キメリエス、ミナァン以外の面々は青ざめ、どよめいた。
いや一人、憮然とした表情の者がいた。ドルマンと不仲で有名な腹違いの弟、 ラウドゥス統候ロヴェスピエールだ。兄に劣らぬ美形だが、彼と違い内面は男性であるようだ。
「兄者は、以前から非公式ではそのような事を云っておられた。今公式に決断した根拠は、3人目のサタナエル将鬼が討ち取られたという、単純な理由か?」
「そうよ、ピエール。単純な理由よ。戦力が半分になったのなら、もう大陸中の国家が立ち上がればあの組織の軛から自由になれる。我が皇国が覚悟を示し、その旗頭になろうという訳よ」
「賛成は、しかねるな。逆にいえば、まだ半分の勢力は残っているのだ。メフィストフェレスも蔓延は食い止めたとはいえまだ国内に残っている。我が国民に報復の被害が及んだら、責任を取れるのか」
ドルマンがこれに答えようとした、その時。
その場の全員が、背筋に感じた。恐ろしく冷たい、強大で邪悪な、醜悪な瘴気を。
間を置かず、会議室の外から、声が響く。
それも――バルコニーの、外から。
「フォッフォフォフォッ!!! 皇弟どのの仰せられる通りじゃ。女の心をもつ若き皇帝よ。悪いことは云わぬ。決意を翻すがよい」
耳に絡みつくような、厭らしい、大音量の老人のしゃがれ声。
その声の方向を見ると、声の主は姿を現していた。
その主は――恐ろしく年老いた、男性だった。
100歳を超えている、と聞いても驚かない。腰も背も曲がり、1mもないかのように見える上背。全身を黒いローブで覆い、フードの中から皺だらけの貌をのぞかせている。白く長い髭は足元まで伸び、落ち窪んだ両眼はしかし恐ろしい意志を炯々と放っている。
老人は、一人の筋骨逞しい若い男性の肩に、乗っていた。
その男性は、褐色の肌、黄金色の瞳、突き立った白銀の頭髪をもつ――サタナエル一族だった。
レ=サーク・サタナエル。ハッシュザフト廃城でレエテを襲撃し追い詰めた、サタナエル“幽鬼”副長。
彼が老人を担ぎ上げたまま、何度も跳躍を繰り返し、数十mの高さにあるこのバルコニーまで上がってきていたのだ。
「――ご老体とはいえ、皇帝私領への不法侵入の罪には問わせてもらうわよ。何者なのかしら?」
「フォフォ……ワシはな、サタナエルの最高意志たる、“七長老”が一人、第二席次じゃ。こちらは、メフィストフェレス精製役を担った、我が実行部隊“幽鬼”、副長レ=サーク・サタナエルじゃて」
その台詞を最後まで聞き終えることなく――。
出席者の数人が、音もなく動き始めていた。
まずキメリエス王子とロヴェスピエールが、腰の剣を抜き放ち斬りかかる。
いずれも武人として英才教育を受けた、完璧な動きだった。
しかし、 レ=サークが右手に結晶手を出現させ、神速の動きで彼らの攻撃を弾いた。
二人は体勢を崩し、床に手をついた。
次いでミナァンが魔導の発動に動き出す。己の周囲に多量の雪の結晶を出現させ、座したまま、絶対零度に近い氷雪地獄を、現れた敵に収束させる。
「死花零雪波……!!」
浴びた者は瞬時に雪像になり死に絶える死の波動は、第二席次の手前に展開された達人級の耐魔、障壁の前に弾き飛ばされた。
「あなた!!!」
妻の叫び声に、夫が攻撃体勢に入る。ノスティラス最強の剣士、カール元帥が。
腰の大剣を抜き放ち、正中線の強力無比な攻撃を、第二席次の脳天に向けて放つ。
障壁で弾かれた多量の雪の結晶が目隠しになり、その剣撃は命中するかと思われた。
しかし――その攻撃は、横合いからのレ=サークではない別の結晶手によって、止められた。
そして異常な怪力で、カールの巨体は吹き飛ばされて床に落ちた。
その結晶手の持ち主、すなわちサタナエル一族の男は、異様な風体であった。
身長は220cmを優に越えている。極めて細長い手足、胴体。一族らしく軽装ではあるが、赤、青、黄色、緑、紫。原色をケバケバしく使った、道化師でもあるかのような異様に派手な服装。フードで頭の大部分は隠れるが、白銀の前髪がちらりと見える。その貌も、まるで褐色の肌を覆い隠すように、白一色でペイントされたうえに赤い隈取で目と口が彩られている。表情も読み取れないほどだが、その目の奥に宿る邪悪な心は、見る者に容易に読み取らせた。
「ようやく、来おったか! このたわけが!」
「ええ~!? せっかく助けたげたのに、怒られるのぉ~? やんなっちゃうなああ!!
こんな奴ら、皇帝除けば、雑魚ばっかじゃあん!! ボクじゃなくてもレ=サークで十分だったでしょうにい!」
己の叱責に身体をおぞましくくねらせる男を、貌をしかめて睨む第二席次。
「諸君、この男こそ、“幽鬼”総長にして最強の男、カルカブリーナ・サタナエルじゃ。
いかがかな? このクラスの将のみでも、我らには未だ十分多数におる。皇国の総力を上げても、太刀打ちできぬのが理解いただけたのではないかな?
お主らごときが、サタナエルを滅ぼせるなどと思い上がるのが、いかに身の程を知らぬかが!
フォフォフォ! 800万の国民共の命が、大事なのであろう? もう一度云う、悪いことは云わぬ、やめておけい」
その耳障りな台詞に、怒気をはらんだ皇帝がついに、立ち上がった。
「まだ……皇国の総力では、ないわ……。妾が、残っている。
この皇帝、ヘンリ=ドルマンがね!!!! 全員、耳をふさげ!!!
束高圧電砲!!!!」
その声とともに炸裂した、大雷鳴とともに――。
恐るべき高圧電流を収束した電撃の砲弾が、敵に向かって放たれた!
触れれば地上のいかなる物質も消し飛ぶ、超高度魔導。
しかし、不敵なる侵入者3名は、皇帝の攻撃が合図であったように――。
迷いのない身のこなしで、魔導攻撃をかわし、バルコニーの下へ身を躍らせ、逃走していった。
無人となったバルコニーから、放たれる雷撃災害。
数kmにわたって伸びていった後、自然消滅していった。
それを見て、衛兵に怒号をかけようとしたカールは、喉の奥でそれを引っ込めた。
――無駄だ。衛兵を何千人差し向けようが、彼らに傷一つつけることはできぬだろう。いたずらに被害を拡大させるだけだ。
ドルマンは、苦々しい、しかし決意に満ちた表情で、バルコニーの外を睨みつけた。
「あやつら……最初からこれだけを狙っていたんだわ。
皇帝である妾が、奴らに手を出せば一切の尻尾切りも、云い訳もできない。かつてフレアに警告されたようにね。そうせざるを得ない状況に持ち込んできた。
……ふん、これはすなわち、奴らもそれだけ追い詰められているのだということを証明するようなもの。
乗ってやろうじゃないか。妾、すなわち大陸の国家が勝つか、貴様らが出張ってきた妾を討ち取って皇国の息の根を止めるか。――戦争ね。殺るか殺られるか、だわ。
諸卿、見たわね!! もう、選択肢はないわ、覚悟を決めなさい!!
1ヶ月、いえ半月以内よ! 皇国の兵力の半分を、大陸の南端まで遠征させる準備を整えよ!! 手段は、問わないわ!!!」