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サタナエル・サガ  作者: Yuki
第九章 血の宿命と、親子
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第四十一話 母と娘

(マイエ、ビューネイ、アラネア、ターニア。あなた達の仇は、とった……。

見知らぬ命の恩人ロイスの、仇もとった。死んでしまったランスロットの魂に、報いた。

けど……けれど)


 そうだ。今回は、ただの復讐殺人ではない。

 娘の自分の手による、母親殺しだ。

 いかに相手がそれに欠片も値しない悪魔であろうと、死ぬのが当然の外道であろうと、その事実は変えることができない。


 苦渋の表情を浮かべ続けるレエテの背後に、ルーミスと、意識をすでに取戻していたシェリーディアが歩み寄ってきた。そしてシェリーディアがレエテの背に語りかける。


「遂に、やったな、レエテ……。見事だった。

ソガール・ザークの奥義をあのタイミングで。サロメも完全に油断し、逆転のきっかけを掴んだ。そして立て直しを許さず、一気に必殺の技の連発で畳み掛けた。

どうも、途中で何かに開眼したような……。“純戦闘種”としての目覚め、もあったのか?

いずれにせよ、アンタの完全勝利だ」


 ルーミスも、レエテの直ぐ側まで歩み寄って、すぐに腹と貌の傷に法力を当て始めた。


「レエテ……オマエの貌が苦しそうなのは……察する。

どうか、罪の意識を感じないでくれ。神は決して、オマエに親殺しだなどと罪を背負わせることはない。セルシェでのシエイエス兄さんの言葉も、思い出してほしい。

この悪魔の女だがオマエの母親でもある存在を、仮に一つの犠牲と見るにしても、死を悼むことで終わらなければならない。死を弔うべき仲間も……いる。そして前を向き、次にオマエがなすべきことへ目を向けて、欲しいんだ」


 レエテは、ルーミスの言葉を黙って聞いていた。聞き終わっても、何も、答えなかった。


 そしてややあって、ゆっくりと倒れたサロメに歩み寄り、その傍らでかがみ込んだ。じっと、サロメの貌を見る。

 全面血に塗れ、白目を剥き、断末魔を貼り付けた表情。

 憎くて、この世から消し去りたくてたまらなかった絶対悪の存在。なのに、胸の奥底から感情がこみ上げる。必死で止めたが、涙が、こぼれ落ちた。


 この女は紛れもなく、生まれて以後自分が想ってきた、自分を産んだ母親なのだ。

 この世で唯一の、自分と血が繋がった、女性。

 心根は子供のように純粋なレエテは、想いで胸が、打ち震えた。

 

 わかっている。自分でも狂気の沙汰なのは、わかっている。

 だがどうしても、止められなかった。何かを、自分の中に残したかった。幼い頃から思い描いてきたことを、一つでも実行したかった。


 レエテは、サロメの残された左手に両手を伸ばした。


 何も、答えてくれなくていい。反応がなくて構わない。

 ただ一つ、手を握らせてほしい。その温かみを、手に残させてほしい。


 そして緊張にブルブルと震えながら、レエテはゆっくりと両手を伸ばした。


「…………か、母……さん……。お母……さん。お母さん……!」


 「本拠」の家で一人、本の挿絵の女性に語りかけていた言葉そのままに、ぎこちなく呼びかけてサロメの手を取ろうとした、その時。


 瞬時に、サロメの両眼が見開かれ、凄絶な殺気をもってレエテを睨みつけたのだ!


 そして恐ろしい速さで左手が動き、レエテの両手を強く叩き振り払った。


「さ……わる、な!!! けがらわ……しい……!!! ……」


 心の底からの嫌悪感を現した言葉、そして表情のまま――。


 今度こそ完全に、サロメ・ドマーニュは息絶えた。


 

 レエテは、蒼白な表情でしばし硬直していた。


 そしてややあって、大粒の涙を流した、嗚咽を漏らした。


 最後の、ささやかな願いすらも、叶わなかった。当の母から、完全なる拒絶で阻止されてしまった。

 もう親子として、何の繋がりも、記憶ももつことはできない。永遠に、切り離されたのだ。


「う、ううう………うう~、うううう…………」


 レエテは貌を覆って、泣いた。泣きじゃくっていた。


 それを見守る2人は、目を閉じて貌を背けた。哀れで見ていられなかった。


 ルーミスは、記憶に残らぬ幼い頃母を失い、恋い焦がれた者として。

 そしてシェリーディアは、より近い立場、冷酷で身勝手な母親に同様に拒絶された者として。


 親の側よりも――子の側の方が、思いは何倍も強いのだ。相手がどんな人間だろうが会ったこともなかろうが、自分の親だという事実だけで極めて強い思慕を持ちつづける、掛け替えのない対象なのだ。

 レエテの哀しみを共有し、しばしそこに留まった3人だったが。


 異変が、始まっていた。

 最初に気づいたのは、シェリーディアだった。


「おい、聞こえるか? 

……石だ。石がたぶん、崩れる音だ。

今までの闘いのダメージが蓄積して……限界を迎えたんだ。

……まずい。おい、レエテ!! 逃げるぞ!! ここで崩落に巻き込まれたら、まず助からねえ!!!」


 叫びとともに、レエテに近づき脇を抱えて立ち上がらせた。

 レエテはなおも、未練の視線をサロメの死体に向けた。


(復讐の対象としてでなく……悪魔の、存在としてでもなく……母として。私はあなたの娘として、云うわ……。

さようなら)


 すでに中庭を覆う高さ50mの石壁が次々と崩落を始めていた。


 1m、2m四方の石の塊が、次々と中庭に降り注ぎ、芝生の地にめりこみ、花壇を粉々に破壊していく。


 積み上がる石の中に、まずセーレの遺体が見えなくなり――。

 次いでサロメの遺体も、完全に、大量の石の崩落の中に、埋もれていったのだった。



 *


 崩れ行く天守閣からの脱出を果たし、正門を目指し街路を歩き続けるレエテ、シェリーディア、ルーミス。


 レエテはそこで、天守閣を振り返り、貌を歪ませた。


「シエイエスは……大丈夫、かしら」


 それにルーミスが答える。


「大丈夫だ。兄さんに関しては心配はいらない。必ず、生きて脱出している」


 それを聞いて、シェリーディアはレエテに云った。


「レエテ。アンタの仲間についても羨ましいが、あんなにアンタの事を想ってくれる、いい男がいるのもすごく羨ましいな……。

今のアタシの男は、自分の都合ばっかりで、アタシのことは道具にしか見ちゃいないからね」


 そう口にしたシェリーディアは、一つ思い出したことを口にした。


「そういやあ……。アタシは、ダレン=ジョスパンの地下研究施設の全貌を、見せられた。

思い出すのも吐き気のする場所だったが、一つ驚いた研究成果があったんだ。

レエテ。アンタらのその結晶手は、一族がもともと持ってたものじゃなく、後で埋め込まれて細胞と一体になった可能性が高いらしい」


 レエテはやや目を見開いて、シェリーディアを見た。


「埋め込まれた――? 無理やり後から、鉱物か何かをこの手に入れられたとでもいうの?」


「ああ。ある世代でそれが行われ、あとは代々血統レベルで受け継がれるようになったんだろうと。さっきのセーレの別人格は蹴り技主体の奴だったが、例えばアンタもその気になりゃ足を結晶化できたりすんじゃねえかなと思ってな。それか身体を鎧みたいに固くするとか」


「……」


「バカなことを云うな!! レエテを実験動物と同列にしてものを云んじゃない! ふざけたことを……」


「そういう視点で見りゃな。だが、サタナエルは、まだ3人の将鬼も、幽鬼も、魔人も残ってる。七長老もだな。

魔人は云わずもがな、サロメより強い奴も、中にはいる。そんな奴らを倒さなきゃいけねえなら、少しでも戦闘力に寄与する方法を考えるのは必要じゃねえか?」


 ルーミスは押し黙った。正論だ。死地を乗り越え、ギリギリの闘いを続けていけば、レエテの命も危うい。さらには今回のように、仲間の中にも、尊い犠牲が出ることも避けられなくなっていくだろう。


 

 そのようなやりとりをしている内、大街路にまでたどりついた3人。


 そこには――“夜鴉(コル=ベルウ)”の面々、そして――レエテの仲間たちが集っていた。


「――皆!!!!」


 レエテとルーミスは仲間達の元へ。シェリーディアは“夜鴉(コル=ベルウ)”の元へと駆け寄っていった。


「ランスロット!!! ランスロットはどこなの!?」


 レエテが叫んで近づくと、ホルストース、キャティシアは目を閉じて道を開けた。


 その先には、悲痛な表情でうつむきながら拳を握りしめるシエイエス。


「シエイエス!! 無事だったのね!!」


 すぐさまシエイエスに抱きつくレエテ。シエイエスは、低く押し出すようにつぶやいた。


「ああ……。だが…………ランスロットが……」


 レエテがシエイエスから離れ、振り向くとそこには――。


 幽鬼のように佇む、一人の女性の姿。


 ナユタ、だった。


 生気を失った目と、青白い貌。普段彼女が放っている生き生きとした活力は、どこにも感じられない。

 そして――そのほぼ全裸の上からマントのみらしき姿、アクセサリーの外れた乱れた髪と体液の痕、すえた男の匂い――。それらの状況から、彼女に起きた一つの衝撃的事実を察したレエテは、両手で口を覆って打ち震えた。


「――ナユ――タ!!」


 ナユタに続けて押し寄せた、二つの地獄。それを理解したレエテは、胸が押しつぶされた。


 そして、その両手に押し抱くように乗せられた、小さな存在――ランスロット。


 本当に、小さかった。魔導生物といえど、精神は人間。これまで一人の人間として接してきたときは感じなかったが、リスを変異させて生み出されたその身体は本当に――小動物としての、大きさでしかなかった。


 それだけ、ランスロットという「人間」の存在は大きなものだったのだ。

 その人間としての感情を表し続けていた両の目は、固く閉じられていた。おそらく死後硬直が始まっていると見え、身体は丸まっている。


「ランスロット――!!!」


 レエテは感情を抑えきれず叫び、その小さな身体にそっと触れた。

 

 冷たかった。彼が操っていた氷のように。それが無情なる、永遠なる別れを否応にも実感させたのだった――。

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