第四十話 眼殺の魔弓サロメ(Ⅶ)~因縁の帰結、恩讐の果て
もはや、勝敗は、決した。
絶望。この言葉が平易に思えるほど、いかなる希望もない、絶対的な敗北。
たった一人の規格外の魔物の力によってだ。レエテは為す術なく無念の死を迎え、次いでシェリーディアがいたぶられ殺される。ここに留まれば自分も、同じ道をたどる。ルーミスは血液が不足した脳で、厳然たる事実を受け止めた。
サロメが手に握った、巨大な弓。本来の使用目的とは異なる、振り下ろす鈍器としての使用。しかし最硬金属で構成されたそれは、強力無比な武器としてレエテの急所、頚椎を粉々に破壊するであろう。
死神が、レエテの肩に手を触れている。魂に手をかけ、抜き去ろうとする、その瞬間のこと。
サロメは、気がついてしまった。
膝を着き、身体を丸めて地面に両手を着く、レエテ。そう見えていた。
しかし、今接近して、見えた。レエテの両手は、着いているのではなかった。
――地面に突き刺されていたのだ。激烈な膂力を、「前上方」の一点に向けたまま。
地面をストッパーにして、蓄えられていたのだ。すなわち、その事象の意味するところは。
奢った。勝ち誇った。気がつくのが、あまりに遅すぎた。
サロメでも、視認も反応もできない――恐るべき「その技」の射程距離に入ってしまったのだから。
そしてレエテは動き出した。この世で最も速い、動きで――。
「――黒帝流断刃術 “死十字”!!!!!」
地面のストッパーから結晶手の先端を外した瞬間、レエテの両腕は、「消えた」。
そして次の瞬間には、目前のサロメの太腿から腹部にかけて、赤い「X」状の十文字が描かれた。
高々と振り切ったレエテの結晶手が現れた瞬間、十文字の極めて深い傷は、サロメの下半身から猛烈な鮮血を噴出させた!
「ぬぐ――あああああああああ!!!! 貴様ああああ!!!!」
サロメが無念の咆哮を上げ、腹を両手で押さえて後ずさる。
その傷は、完全に内臓まで達している。恐らく手を離せば、かつてのレエテと同じく腸がこぼれ落ちるであろう。
地獄に送った仇敵の、最大の秘奥義。一度喰らって自分のものにしていたレエテだったが、自分の技量と短すぎる射程範囲では使用状況はあまりに限定される為、忘れ去っていた。
が、千載一遇のこのチャンスに遭遇し、稲妻のように閃いた罠が的中したのだ。
その天才的戦闘センスは、父方サタナエル一族のものか。それとも、母方“純戦闘種”の血によるものなのか。
サロメに致命的な傷を負わせたレエテだったが、自身も甚大なダメージを負った上での、超大技の発動。
ようやく立ち上がったものの、立っているのがやっとの状態だ。
「ルー…ミス!!! お願い……! 私にもう一度、“定点強化”を!!!」
レエテの背後でそれを聞いたルーミスは、一度うなずくと即座に彼女に近づいていった。
一方サロメは、痛みと多量の出血にふらつきながらも、背のマントを引き破り、自分の腹に強くサラシのように巻きつける応急処置を行った。
ひとまず、内臓の流出を止め、多量の出血をやわらげることはできた。まだ、やれる。まだ動ける。自分は最強の“純戦闘種”。死にぞこないの小娘一人地獄に送るのには十分すぎるほどだ。
すでにチャクラムは手から失ってしまった。失策だが、自分には十分すぎるほどの武器が幾つも残っている。中でも、“眼殺の魔弓”の代名詞である“神鳥”が。
息を荒げながら背中から3本の矢を取り出す。そして正面を向くと、敵はすでに攻撃の体勢に入っていた。
先程と同じく、右半身に“定点強化”を受けたレエテ。この法力技は、法力使い以外の対象には細胞に激烈な負担をかけて破裂させてしまう。発動時間が非常に短いことと、サタナエル一族の不死身の肉体によってこれに耐えられているレエテでも、最後のチャンスだ。
サロメは腰を落とし、3本の矢を“神鳥”に番える。彼女も致命的傷を負い、大技を繰り出せるのはこれが最後のチャンスだろう。すなわちこの状況で放つのは――“倍弦弓射三連”以外にありえない。
レエテへの処置を終えたルーミスは、意識を失っているシェリーディアのもとへ駆け寄った。
彼女は、目を閉じて仰向けに倒れ、浅い呼吸をしている。脳の急激な酸欠により意識を失っているだけだろう。
これを処置するには、両方の肺を活性化して酸素供給を早めてやるのが早い。それには胸に両手を当てる必要があるため、上に突き出た巨きく美しい乳房を揉みしだくような形になる。ルーミスは貌を真っ赤にし心臓をどきつかせるも、男としての欲望を抑えるように目を閉じて一気にそれを行った。
レエテは、力を溜め、動き出す寸前の構えだ。彼女には、法力の制限があり、時間がない。一気に、決めるしかない。
ついに、レエテは動作を開始。走り出した先は――なんと反対方向の、石壁だった。
そして跳躍すると渾身の右足の蹴りで壁に衝撃を加え、その反動でサロメに向かい――。身体を丸めて水平方向の高速回転を加え、突き出した結晶手の軌跡で円盤のような回転体となった。
親友アリアの技をアレンジした――まるで、仇敵レーヴァテインの技そのもののように。
「“円軌翔斬 水平の型”!!!!」
迫りくる殺人兵器に対し、サロメも動作を開始していた。
出血と激痛、思うように任せぬ下半身を、あまりにも壮絶な精神力で完全に制御。身体が万全な時と何ら変わらぬ状態で、3本の矢を二重の弦にセットする。
さらに、筋肉に血管を浮き上がらせる渾身の怪力で、通常の1.5倍まで後方へ弦を引き絞る。
そして先刻、レエテの頭部を破壊した死の砲撃が、ついに発射された。
「“倍弦弓射三連”!!!!」
面の攻撃力を持つ巨大な弾丸の狙いは、正確無比だ。真っ直ぐにレエテに向かってくる。しかしレエテも、これをかわす気はない。真っ向勝負を挑む気だ。
ルーミスに授けられた、増強筋力。そして今一つは――。
(アリア……もう一度、私に力を貸して!)
生まれてからずっと一緒だった、大事な親友。その姿を、強く思ったレエテの背中に、一筋の電撃のようなものが走った。
やれる。今の私なら、いかなる魔技の前にも、屈しない。
そしてついに、魔の3連弾と、激突。
凄まじい衝撃だった。身体がバラバラに、五体四散するかに思われる激烈な力。
だが、意地でもレエテは、作り出した回転力を止めなかった。
先端から削り取り、衝撃を側面に逃し――。
そしてついに、面の攻撃力を1本の力のみ削ぎ落とすことに成功。その一本によって右胸下から右脇腹までを完全に持っていかれ、激痛、バランスの欠如、回転の停止の危機に見舞われるも、決してレエテは動作も、気力も止めることなく、むしろ増強させた。
そしてサロメの身体を捉え、真っ直ぐに向かうレエテ。
この距離・想像を凌駕する敵のスピードでは、サロメといえど次弾の射出は不可能だ。弓を近接武器として防御用に持ち替え、迎撃の体勢に入る。
ここで“神鳥”にぶつかれば、アダマンタインの硬度によってことごとく結晶手とレエテの肉体を破壊されてしまう。だから、レエテの行動は決まっていた。
頭で考えたわけではない。身体が勝手に動いている。想像を絶する、戦闘センスだった。彼女は回転しながら、結晶手に――。先程まで自分の腹に深々と刺さっていたチャクラムを握っていたのだ。
見事、“神鳥”と激突したチャクラム。高度鍛造オリハルコンで造られ、真円形状をしている独特のこの武器は、アダマンタインとの激突に瞬間的に耐えた上――。その形状でもって、レエテを「受け流させ」た上で粉々に砕けた。
そして“神鳥”をも突破したレエテは、かわそうとするサロメの努力むなしく、彼女の利き腕である右腕に回転攻撃を命中させた。
いかに女として人類最強であろう腕の筋肉を持とうとも、まともな結晶手の斬撃には耐えられない。
虚しく――サロメの殺戮の象徴であった右腕は、切り落とされ、宙を舞った。
「――っ!!!!!」
サロメは無念と激痛に貌を変形させるまでに歪ませるも、流石は超戦闘者。自分の背後に着地したレエテに対処するため、即座にふりむいた。まだ左腕で掌底も放てる。拳撃も蹴りも放てる。反撃は可能だ。
そこで、レエテが取っていたのは――。“螺突”の構えだった。すでに熟練したレエテは、一連の動作を神速で実行できるようになっていた。構えを視認した次の瞬間には、すでに攻撃は放たれていた。
“螺突”を止められるのは、先刻のように力を溜めている構えの段階のみの話だ。ましてや両腕を押さえなければ意味がなく、片手になったサロメにそれは不可能だ。この距離ではかわすこともできない。もう、発動してしまった技へのカウンターに切り替えるしかない。
直進してくる黒い死のドリルに対し、すれすれの場所をすり抜けてストレートパンチを届かせるべく攻撃を放つサロメ。もう出血により目眩がひどくなっている。これが繰り出せる攻撃として最後となろう。
軌道も、タイミングも申し分ないサロメの拳だったが、大きな誤算があった。
初めて目の当たりにした“螺突”の威力は、想像を彼方に超えていたのだ。
その強力すぎる回転力により、サロメのストレートは外側に大きく弾かれ、体を大きく開く結果となった。
そこへ――絶好の体勢に崩した敵に対し、最高の状態で“螺突”は炸裂した。
サロメの鳩尾に、ドリルの先端が触れたかと思うと――。
瞬時にその胴体を貫通。回転の威力で内臓を爆散させた!
爆発的に飛び散る、多量の鮮血と、内臓の一部。レエテも頭からそれを浴び、サロメ自身も――蒼白な死の表情を自らの血で染めていた。
「――ば――かな――。
わたしが――ぶれ……はい……くす……だと……!
みと……ぬ………のろ……われろ……き……ま…………ず、ヴェ……が……ごく、へ……」
その途切れ途切れの低い呪詛の声を吐き出した後――。
サロメの両眼は白く引き剥かれ――。
そのまま仰向けに、まっすぐ倒れていった――。
「ハアッ、ハアッ、ハアッ、ハアアア……!!!」
そのまま全ての力を使い果たしたように、地にへたり込むレエテ。
これまでのカタルシスに満ちた、天を見上げる動作ではなく、下を向いて貌に険を刻んでいた。