第三十八話 眼殺の魔弓サロメ(Ⅴ)~天空の決着
シェリーディアとセリオスの同門対決に決着が着きかけていたころ、天守閣の構造物内を走って移動するシエイエスは、標的に追いつきつつあった。
標的、ゼグルスは一旦は構造物内に逃げ込もうとしたようだが、却って自分の首を締める結果になると早々に判断し――。自分の最大の武器「弓」を最大限に活かせる屋上で敵を迎えうつことを決断したようだ。
狭い最後の長い階段を上がり、光の差し込む出口から外へ出ると――。
そこは、天守閣の屋上。
遺跡内で最も高い場所である。この巨大な遺跡の全貌が見渡せ、その外に広がるコルヌー大森林、広大な北海の海面も見える。上空には浮揚虫の群れや、何体かのガーゴイルの姿も見える。
50m四方はある広い屋上の中央部。石畳の床を踏みしめ、“投擲”ギルド副将、ゼグルス・フェリシアーは矢を弓に番え、立っていた。
「来たな、シエイエス・フォルズ。
僕も、腹を決めたよ。決着をつけようじゃないか。見てのとおり、ここに長居をすれば上空に巣食う厄介な怪物どもがやってくる。そこでだ。対等の条件での『真決闘』をうける気は、ないかな?」
出口から歩み出て、数m踏み出していたシエイエスは、動きを止めて両手に鞭を構えた。
丸まっていた漆黒の双鞭は、風切り音を一つ響かせ臨戦体勢にまで長く伸びた。
「――また、古風な言葉を持ち出してきたな。ローデシア時代に流行した習わしを、同時期に栄え彼らに滅ばされたこの遺跡で、今の今やろうというのか。
仲々皮肉が利いていて面白い。受けてたってやろう」
「真決闘」とは、1500年の昔、ローデシア王朝に仕える騎士達の間で一時流行した習わしだ。
互いの合意のもとハンディキャップを用いて客観的な力量の差を埋め、その者のもつ純粋な精神力、集中力、判断力、対応力の優劣のみを競おうというもの。
単に競技という形でも行われたが、命をかけての真剣勝負もたびたび行われ、当然力に劣る弱者がこれを仕掛けることが多かった。当時の騎士道という思想信条から、力に勝る強者がこれを受けぬのは臆病者とそしりを受けることとなる。したがってこの決闘法の流行した時分はしばしば実力を超えた勝利が頻発し、低身分から成り上がった者も多かった。
今の状況でいえば、弓以外に強力な攻撃手段を持たないのに、敵に高度等しく近づかれてしまったゼグルスは弱者だ。不利な状況下ながら極めて冷静な判断力で、敵の性格を見極め断ることはないだろうと結論付け、話を持ちかけたのだ。
それは的中し、強者であるシエイエスがハンディキャップを負うことになる。
「よろしい。では僕からは2つ、ハンディキャップを要求する。
1つ、お前の魔導生物の干渉を禁ずる。2つ、僕が矢を発射し終えるまで、動作を禁ずる」
大きなハンディキャップだ。しかしそれならば、対等といえる条件を作り出すことができるであろう。
「わかった。了承しよう。すなわちお前が矢を放った瞬間が決闘開始ということだな、ゼグルス?」
「その通りだ。では早速、始めようか」
ゼグルスは、すでに番えていた矢を、まっすぐにシエイエスに向けた。
シエイエスは、両手を降ろして腰を低く落とし、カウンターを狙い動きを止めた。すでに両眼を閉じ、“沈黙探索”の構えだ。
だがゼグルスは、決して正々堂々と勝負を挑むような男ではなかった。
すでに彼は、シエイエスに罠を仕掛けていた。
シエイエスの背後、先程彼が出てきた出口上の石壁には、魔工具が取り付けられていた。
直径10cmほどの、白いドーム状の器具が、左右に2つ。
“針鼠”という名の、内部に無数の神経毒針を有する、シェリーディアの“魔熱風”に似た仕掛けだ。
安全装置を外した今の状態では、ゼグルスがの矢の戦端に仕込んだ強力な磁石に反応し、矢の射出と同時にシエイエスの背後から毒針を放つのだ。
シエイエスは変異魔導を操る一級の魔導戦士。目の前からのゼグルスの矢はかわされる可能性が高い。しかしこの距離で死角の固定砲台から放たれる、広範囲の毒の攻撃まではかわせない。当たれば勝利は確定。完璧だ。
(くはは……。まんまと術中にはまったな。これで貴様の死は確定だ。心置きなく、シェリーディアとレエテを頭上から狙い撃ちできるというもの)
勝利を確信したゼグルスは、狙いすました矢を、シエイエスの心臓に向けて一気に放った!
開始の、合図でもあるそれを見たシエイエスは、即座に動作を起こしていた。
両手の鞭を一気に始動させる。
矢を防ぐか、自分へのカウンターを放つだろうと見ていたゼグルスの思惑は、見事に「外れた」。
シエイエスは、何と――その鞭を斜め後上方――“針鼠”の方向へ伸長。
先端に刃のアタッチメントのついた鞭は、2つの“針鼠”を粉々に砕いたのだ。
「――なっ!!!!」
驚愕するゼグルスに構わず、今度は矢をかわす動作に入っていた。内臓を移動させた上で、狙われた心臓の位置に大きな「孔」を開ける。黒いスーツの下ががらんどうとなったシエイエスの胸を、衣服のみ突き抜けて後方へ虚しく飛んでいく、矢。
そして反撃の前傾姿勢をとったシエイエスの、後頭部を見てゼグルスは全てを悟った。
シエイエスの後頭部には、おぞましくも彼の両眼の玉が「移動」していた。白髪の間からぎょろりと突き出た不気味な目。音を聞くために目を閉じたと思わせ、自由に変形可能な彼の技で正確に背後の脅威を見抜いていたのだ。
そして間髪入れず、さらなる変形がゼグルスを脅威にさらす。
シエイエスの背中から、突如1本の逞しい腕が姿を現す。
ダレン=ジョスパンへの不意打ちで見せた、3本目の腕だ。心臓と肺以外の内蔵と筋肉を一時的に変異させて作ったその腕。怒涛の勢いで伸びたそれは、シエイエスの背中に下げられていた短剣をその手に握っていた。
そして繰り出される、歴戦の戦士の疾風の攻撃。ようやくゼグルスが反応できた時には全てが手遅れだった。
3本目の腕が握る白刃は、ゼグルスの喉笛を正面から貫いていた。
「……が……ごぶ……ううう! ……が、な……」
目を剥き、納得行かぬという無念の思いを貌の全面に表出させながら、ゆっくり崩れ落ち倒れ――。石畳の血溜まりの上で、動かなくなったゼグルス。
変形させた身体を、不気味な音をたてて元に戻すシエイエス。
その目の前で、血の匂いをかぎつけた浮揚虫が早くも群がりだし、ゼグルスの死体を喰らい始めていた。
「悪いな、ゼグルス。俺も、お前のような悪党の良心を信じるほどお人好しじゃない。罠を警戒したし、そのために、鍛え上げた変異魔導を駆使した。お前らの情報よりも、進化していただろう?
死体も残らんのは痛ましいが、卑劣極まる悪党の最後にはふさわしいと思うことにしよう」
そしてシエイエスは、足早に建造物内に戻りながら、声を張り上げた。
「クピードー!!! ここはもういい! お前は正門の方に戻ってザウアーと情報交換しろ! そして正確な情報を伝えてくれ!
俺はレエテを助けるため来たが、ひとまず目的は果たした。無事ルーミスが救出されていて、何故か経緯は分からんがドゥーマの統括副将とやらが味方になった状況なら、俺はナユタ達を助けに行かなければ!!」
「承知しました、シエイエス様。仰せのままに――」
透明なまま物陰に隠れていたクピードー。空の天敵たちがゼグルスに群れている間に、静かに、その場を離れていった。
*
一方、その頃の中庭。
ルーミスの“定点強化”という援護を受けたレエテ。
通常は“背教者”の秘術を法力使い以外に使用するなど論外であるが、賭けに勝ち、サタナエル一族であるレエテは耐えた。
そして強化した右足右手の筋力を駆使し、レエテはサロメに反撃した。
手応えはあった。この闘いが始まって初めて。
そして見事、要塞のごとき堅牢さを誇った最強の相手を、吹き飛ばすことに成功した。
必死の形相でサロメを見る、レエテ。
サロメは10m近く先まで飛ばされていたものの、壁に激突することはなく、両足で地に踏みとどまっていた。
しかし上体を曲げてうずくまり、左手で貌を押さえていた。そこからは夥しい鮮血が流れ落ちている。
やった。微塵も勝てる気のしなかったこの魔物に、傷を負わせた。
そう思った時。
サロメは貌から手を放してゆっくりと立ち上がり、上体を起こした。
その貌を見たレエテと、ルーミスは――。
巨大な氷の手で、心臓を無造作に掴まれ強く握られる錯覚に陥った。
恐怖に貌を歪め、思わず全身が震えた。
サロメの左頬は、大きくえぐり取られていた。
耳まで裂けるように皮と肉がことごとく剥ぎ取られ、真っ赤に血塗られた奥歯と歯茎が露出していた。
そして鮮血によって、貌半分は完全な赤色に染まっている。
恐るべき、正しく悪魔と表現するにふさわしい凶相だ。元の妖艶な美貌は跡形もない。
付けられた傷による凶相化もさることながら、最も恐ろしいのはその貌だけでなく全身から発する「狂気の怒り」だ。
恐るべき険が刻まれた貌の中で、炯々と光る眼光。張り巡らされた青紫色の血管。浴びるだけで殺害されそうな、殺気。
「この……糞……小娘が……。調子に乗りおってええええええ!!!!!
そうか、そこまで苦しみたいか!! 地獄の窯の底でのたうち回りたいか!!!!
いいとも……骨の髄まで後悔することになるぞ。よりにもよってこのサロメの美しい貌に巨大な傷をつけてくれたことを!!! 私に全ての手の内を出させたことをなああ!!!!!」
腹の奥底、魂を揺さぶられる弩級の迫力、狂気を感じさせる絶叫の後。サロメは勢いよく両腰のチャクラムを取り出した。そして即座に左手に握ったそれを大きく空中に放る。
それと同時に、右手のチャクラムを後ろ手に引いたままの独特の構えで、怒涛の勢いでレエテに殺到していったのだった。




