第三十七話 眼殺の魔弓サロメ(Ⅳ)~戦闘の天才【★挿絵有】
サロメとレエテの対話が行われていた、その間に――。
もう一つの激戦も、佳境を迎えていた。一方は、長く組織の中でもてはやされ続け出世し、もう一方は、腑抜けた本人格の影に潜み、来るべき時に備えて丹念に育てられ続けた、対照的な2人の天才女子。
その己のプライドと存在意義を賭けた、闘い。
元“投擲”ギルド統括副将、シェリーディア・ラウンデンフィルは、いかなる戦闘技術も短期間で高いレベルをもって己のものにできる、全方位に突出したテクニシャンだ。
それに加えたずば抜けた頭脳と戦略眼、カリスマをもってギルドに君臨してきた。
あえて弱点を上げるなら、若干の器用貧乏というか、突き抜けきった能力を持たないという点。
“投擲”ギルド副将、セリオス・イルマは、“純戦闘種”として人類の枠を超えた、全方位に突出した身体能力を誇るファイターだ。特に蹴り技を中心に瞬間的に発揮するパワーは絶大。
理論でなく感覚で戦闘技術を身に着けた彼女は、他の者では撃ち出すことすら難しい二刀流自動クロスボウ、“乱雨”を完璧に使いこなす。
あえて弱点を上げるなら、感覚先行で頭脳が優秀でないこと、魔導が全く使えぬという点。
互いに白兵戦も遠距離射撃もあまりに突出している、似た者同士の闘いのため、他の戦闘では見られない独特のオールレンジの激戦が繰り広げられた。
互いに譲らぬボルトの撃ち合いが展開されたかと思えば、次にいずれかが距離を詰めると、一転して拳、蹴り、刃の乱打戦に突入する。
かと思うと、超接近戦の合間に、互いに隙を見ては遠距離攻撃であるボルトを打ち込む。
あるときは手や刃で振り払い、軌道をずらすことで近接射撃をかわし、あるときは一方が射出したボルトをボルトで撃ち落とすという、人智を超えた絶技が当たり前のように展開される。
闘いの帰趨を制するであろう超接近戦。その中でも強烈な攻撃が、セリオスの放つ脛の剣連撃だった。
下からも、上からも、側面からも、変幻自在に繰り出される剣撃。その圧倒的手数に加え、脚という腕に数倍する筋力の器官を最大限に用いた技は、将鬼の攻撃威力にも匹敵するであろう。
「どおしましたああああ、シェリーディア!! さっきから、防戦一方になってきてませんかああ!
そりゃそうだ! いくら技術で上回ってようと、手数もパワーもあたしの方が圧倒的に上ですからあ!!!
そろそろ決めていいですかねえ。あたし、野郎とのノロケまで披露してくれたあの牛女、虫唾が走るんですよ!! サロメ様に殺される前に、小ぎれいなツラを蹴り倒してやりたくてね!!!」
叫びと同時に、最も威力の高い中段回し蹴りを放つセリオス。
刃で受けたシェリーディアだったが――。そのまま“魔熱風”自体が威力を止められずに彼女の豊かな胸にめり込み、体ごと、火山弾のように後方に吹き飛ばされていった。
石壁に激突した後、吹き飛んだシェリーディアを追い、間合いを詰めていたセリオス。
両手を突き出し、“乱雨”を連射する相手の構えを見て、即時身を翻すシェリーディア。
そして直後、彼女がいた場所に、人形を形作るように石壁を破壊していく無数のボルト。
完全に漆喰までも破壊された壁は、3m四方にわたって崩落する。
身をかわしたシェリーディアは即座に、魔導へと攻撃を切り替える。“魔熱風”の
刃の戦端に炎を発生させ、それをねじりながら後方へ引く。反対の左手は大きく突き出し、腰は落とした状態だ。
そして全身の力を一気に開放し、ねじりを戻しながら回転する刃の先から螺旋状の炎の束を撃ち出す。
「赤影流断刃術、“紅蓮槍 螺突の撃”!!!!」
それはかつて、ハッシュザフト廃城の攻防でナユタが行ったのと同じく、レエテの“螺突”の型を盗んで魔導の威力を高めたものだった。炎系魔導は物理攻撃と連動させやすく、すなわち“螺突”とも親和性が高い。一度眼にして瞬時にそれを見抜いた、シェリーディアの高い技術センスのなせる技だった。
セリオスの、魔導への適性は未知数。あるいは、形勢逆転への鍵になるかもしれない。
炎の束を前に、耐魔を収束しはじめるセリオス。
「なあ! めんなあ!!!」
炎を身体の前面に受け、1mほど身体をスライドさせられる、セリオス。
かつ、腕の一部を焼きながらも――左後方へ炎を弾き飛ばした。
「……」
「どうですか!? フレア様みたいな化物ならともかく、少なくともあんた程度の魔導だったら耐魔できるってことはわかってもらえましたかねえ? サロメ様と同じく、あたしにも、死角はありませんよ。これで手詰まりでしょ!?」
左の掌を上げ、勝ち誇って見せるセリオスに、シェリーディアは話しかけた。いや――正確にはセリオスではなく――。
「……アタシの声が、聞こえるか、セーレ? 聞こえたら、返事をしてくれ」
その呼びかけを聞いて、セリオスは侮蔑の表情でシェリーディアを見た。
「はあ!!?? セーレ!? 奴と何を話したいってんですかあ? 今生の別れでも云いたいってんですか。残念ですけど、人格の強さはあたしがはるかに上位だ。一度現れちまったら、たとえ主人格であろうが、あたしの許可なしにあいつが『出てくる』ことなんてできやしませんよ。んなことも――」
「だったらとっとと出せっつうんだよ!!!! クソ女なぞお呼びじゃねえ!!!!
セーレを!! 今すぐ!!! アタシの前に出せやああああ!!!!」
激烈な凶相で、突然自分を怒鳴りつけるシェリーディアの鬼神の迫力に怯え、身体をビクンッと震わせるセリオス。すぐに、自分がそのようになったことの屈辱で怒りの表情に変化するも、渋々とセーレの人格を発現させる。――貌の、右半分だけだったが。完全に入れ替わってしまうとセリオスも元の奥底に戻ってしまうのだろう。
左がセリオス、右がセーレという恐ろしく歪な表情の差は、ある一種の醜さと哀れさを醸し出していた。
「…………あ……シェリーディア……統括……副将」
「セーレ! 気がついたか」
「どうして……私を起こすんですか? この状態は、私にとってすごく辛いんです。
セリオスに支配されながらだから。もう、私に、構わないで……眠らせておいて」
「その前に、聞かせろセーレ。アンタは、どうしたい? アタシに、どうして欲しい?」
短い質問だったが、セーレはその意味を即座に理解したようだった。
右目を閉じ、一つ青色の息を吐くと、静かに彼女は云った。
「そういう、ことですか……。なら、話は簡単です。
私を、私『達』を、殺してください、ここで」
「んだとお!? てめえ、セーレ……!!」
左側で、目を右側に寄せて歪んだ口から言葉を発するセリオス。
「私はもう、疲れました。
サタナエルに連れてこられて、サロメ様に地獄の責を受け、セリオスが出てきて、単独任務で数えきれないほど人をたくさん殺しました。
辱めも、身体にいっぱい受けました。もう、楽になりたいんです」
「セーレ……」
「もうこれ以上、人を殺したくもありません。無理やり引きずり出されはしましたけど、セリオスはたぶん私の本性なんです。たとえセリオスが消えても、また何かの形で私は本性を現して、罪のない人を殺し続ける。止めるには……死ぬしかないんです。
本当にひどい人生でしたけど、統括副将、あなたと仲間達と一緒だったときは、ちょっとだけ楽しかった。だからあなたの手にかかるなら、少しは満足ですよ。
さようなら。すごく苦しいので……私もう、消えます……」
「わかった。安心しろ、セーレ。アタシは決して、悪いようにはしない」
そして穏やかな表情は吸い込まれるように消えていき――。
セーレが半分表出していたその貌は、再び凶人の支配するところとなった。
「……なんか勝手に話進めてくれちゃって、しかも、ゲロの出そうなぐらいのお涙頂戴の茶番劇! 気が済みましたかねえ!?
殺して、とか殺す、とか、さも当たり前みたいに云ってますけど……。
あんたごときが、あたしを殺すとか!!?? 寝言は、寝てから云えやああああ!!!!」
激怒の表情で、巨大なボルトのごとくシェリーディアに殺到したセリオス。
「ぐ――!!」
今までよりも、疾く、強い。気づいたら近づかれ、“魔熱風”を左手で掴まれていた。
「おおらあああ!!!!」
セリオスが気合一閃、下半身の絶大な力を腰の回転で伝え、極めて強靭な膂力も利用して“魔熱風”に強大なる前方ベクトルの力をかけると――。
大きく鈍い音が響き、シェリーディアの右肩後方に大きく骨が、突き出た。
一瞬のうちに、完全に脱臼させたのだ。彼女の強靭な肉体をものともせず。
シェリーディアの全身を、雷で打たれたかのような激痛が襲う。
「っぬううううう――!!!」
「まだまだあああ!!!」
そのままの勢いでシェリーディアの身体を地面に押し倒すと、左腕に向かってハンマーのように右足を振り下ろす。
足はシェリーディアの、地面に投げ出された左腕の肘に命中。大地との間でその骨を粉々に、砕いた。
「――!!!!」
「おお!!?? 失神しそうに痛いだろうに、耐えるねえ、あんた!!!
けど耐えたところで無駄だろおお? あんたの天才的テクニックを司る両腕は、これで使いもんにならなくなったんだから!!
あとはさあ、抵抗もできずに蜂の巣にされるだけ!! 地獄に堕ちるだけなんだからさあ!!」
叫びつつ左腕を踏みつけたまま、両手の“乱雨”を真っ直ぐにシェリーディアに向け、発射の構えを取る。
乱射を受けた者はもはや蜂の巣どころか、はじけ飛ぶ赤い肉塊に変貌するしかないほどの、至近距離だ。
「あばよ、元サタナエル一の天才さん。あんたの偉大な仕事は、セーレの身体をもらったあたしが受け継ぐよ!!!」
まさに無数のボルトの雨が降り注ごうとした、その瞬間。
シェリーディアの双眸が強烈な光を放ったかと思うと、彼女は腹筋と腰を大きく反らせて、長い左足で思い切り蹴り上げた。
蹴撃の先は――セリオスの唯一負傷した、右肩だった。
「いっ――痛えええええああああ!!!!」
再戦の開始時、レエテの投擲したオリハルコンの錠前によってえぐられた深い傷跡。
痛みに耐性のないセリオスにとっての激痛が全身を襲い、彼女はたまらず肩を押さえて後方によろめいた。
その隙が表出した瞬間にシェリーディアは、上体を大きく曲げ、次いで右肩から後ろに突き出た、脱臼した腕骨を花壇の石垣に激突させて腕をはめこんだ!
外れるより痛いとされる、腕骨の強制接続。まさに失神しかねない激痛をこらえた鬼の表情のまま、シェリーディアは立ち上がり“魔熱風”をセリオスに向けた。
そして通常のトリガーではなく最後部の撃鉄を操作。
発射されたのはボルトではなく――後部持ち手からワイヤーにつながって分離射出された、刃の突き出た“魔熱風”の本体だった。
「ぬおおおお!!!!」
必死の形相で叫ぶセリオス。どうにか体勢を整え、鮮やかな身のこなしで複合武器の体当たりともいえる大技を見事にかわす。
“魔熱風”はむなしくセリオスの脇をすり抜け、3mほど先の背後の石壁に刃が突き刺さる状態で停止する。
冷や汗をたらしながら、セリオスがシェリーディアに云い放つ。
「へへへェーー!!! 残念、だったなあ!!!
ヒヤヒヤするぐらい、見事な攻撃だったが、最後の最後で詰めが甘かった――」
シェリーディアは――セリオスの口上に構うことなく――。両眼を光らせ――。
自分の手元に握られた“魔熱風”の持ち手の部分を持った右手を――。
一気に左側へ引きながら、疾風のように身体ごと移動した。
それと同時に、壁に固定された本体と、彼女の手にある持ち手をつなぐ細く強靭な金属性ワイヤーが。
セリオスの、身体の中心。鳩尾の高さを水平に、通過する。
「――――お――」
「“鋼糸斬殺”」
シェリーディアの、静かな死の宣告とともに、セリオスの胸から上は、ゆっくりと水平に下半身とずれ――。
地面に落下し。傷口から洪水のような血液を芝生に吸わせていった。
下半身も、なすすべなく崩れ落ち、倒れた傷口から血液と腸を大地にぶちまける。
ビクビク、と身体を震わせ、白い貌の中で両眼を向いて口を開閉していたセリオスであったが――。
間もなく、それは一度穏やかな表情へと変わり、そして永遠に、その両眼を閉じていったのだった。
「アタシはな。最初から最後までレエテがつけた、アンタのその傷しか見ちゃいなかった。
アタシは知ってる。サロメは戦闘技術しか教えられない。精神面は、自分で鍛えて強くなるしかない。アタシは自ら武者修行できたが、アンタはぬるま湯――自分は無傷で一方的に虐殺する場しか与えられてないんだろう。
ずっと無意識に、かばってたぜ、その傷をな。だから誘導もしやすかった。このワイヤーでの斬殺という、“魔熱風”の最後の隠された攻撃方法で仕留められるこの場所へな。
――その貌、最後に、自分に戻れたんだよな、セーレ。
もう解放されたんだ、束縛から。安らかに眠ってくれ。アンタの人格が、天国へ逝けることを祈ってるぜ」