第三十四話 眼殺の魔弓サロメ(Ⅰ)~再び、戦場へ
グラン=ティフェレト遺跡、人体実験場兼、地下牢。
精神に甚大なショックを受け、膝をかかえてぼんやりと視線をさまよわせるしかなかった、レエテ。
その彼女に、突如急激な変化が現れた。
急に目を最大に見開き、飛び上がるように立ち上がる。
「な……何だ! どうした、レエテ!!」
ルーミスの呼びかけにも全く応えず、数分の間、両手で頭を押さえたまま一点を見つめ続けるレエテ。
しばらくして、身体を震わせ始めたレエテが――ゆっくりと呟いた。
「ルーミス……。私は、今、夢と現実の境にいるような、感じだった。
そんな状態だからなのか……魔力を、感じたの。この遺跡の、他の場所で闘っている、仲間の魔力を」
「何だって?」
不可能な、話ではない。例えばかつてエルダーガルドの決戦のとき、皇帝ヘンリ=ドルマンは遥か遠方よりエティエンヌの魔力を察知し、変化を読み取ることでその死の事実をいち早く知った。
強大な魔導士であれば、他者の魔力を受信できる。取り立てて強い魔力をもたない人間でも、先程のレエテのように自分の外のあらゆる情報を自ら遮断した、一種のトランス状態であったのならそれと同じことができても不思議ではない。
「その魔力は、一度信じられないぐらい大きくなった後――。完全に、消えてしまった」
そう云うレエテの目からは、突然に大粒の涙が溢れ出し――。震える唇から、言葉を発する。
「ルーミス…………。ランスロットが…………死んで、しまったわ……。
そんな……なんて、何てこと……ううっ……うううう……」
「……何だと? ランスロット、が……?
そんな……馬鹿な!!!」
ルーミスも青ざめ――拳を強く握りしめて視線をさまよわせる。
「同じ場所に――ナユタの、魔力を感じた。彼女は、生きている。
ナユタを……護るために……? そんな……!」
レエテと、ルーミスは、絶句し、その場にへたりこんだ。
ルーミスは、震えながら頭を抱えた。彼にとって、ランスロットは同年代の少年の心をもつ者として、親友のような間柄だった。軽口をたたいたり、思春期の少年同士の独特の会話もした。
本当ならば途轍もないショックだが、自分の目や感覚で直接情報を得た訳ではない彼は、そんな事実に対して実感が沸かない。
しかしレエテは、自分の感覚ではっきりと、間違いなくそれを感じた。
痺れる脳裏に、ランスロットとの記憶が蘇る。
(ランスロット……!!)
ダリム公国で、ナユタとともに颯爽と現れ、言葉をかわし――。
ともに落ちたレナウス瀑布で、レエテの不死身ぶりを最初に目撃されたのが、出会い。
その後急速に距離を詰めていき、もともとの気さくでひょうきんな性格から、すぐに友人同士になった。
皮肉屋だが、おしゃべりで、いつも誰かに語りかけ、場を和ませる。ついこの間も、シエイエスとの恋を実らせた自分を、冷やかしながらも祝福してくれた。皆を明るくしてくれる、マスコットのような存在でありながら、いざというときにはその能力と、成長した精神力で支えになってくれた。
その存在が、永遠に――失われた。もう会うことも、言葉を交わすことも、かなわない。
「――っ!!! ううっ!!! ランスロット……! うううう!!!!」
己の余りに強い哀しみ。それと同時に、親友ナユタの想像もできない哀しみを思っての、心の激痛。
レエテは胸を押さえて身悶えし、しばらくの間床に突っ伏した。
数分が、過ぎた後。
ルーミスは、突然感じた身の毛もよだつ殺気に身体を総毛立たせて青ざめた。
シェリーディアも、同じく感じているようだ。
そのどす黒い殺気は――背中を丸めたレエテから放出されていた。
彼女は、貌を上げ、低い声を腹の底から押し出した。
「とうとう……殺したな。
私の、仲間を。今の掛け替えのない、存在を。
許さない……! サタナエル……!! 報いを、受けさせて、やる……!!!
サロメ……!!!
お前が、私の何であろうが……もう、関係ない……!!!
地獄の鬼――悪魔!!! 今から私は、お前を!!! 殺しに、行く!!!!」
ビキ……ビキ……と、爆ぜんばかりの何かを筋肉からみなぎらせたレエテ。
何らかの、化学反応のような変化が生じていることを感じさせるかのような、戦慄するほどの生命力の発露。
突如立ち上がり、飛びかからんばかりの闘気と殺気を撒き散らせて、レエテはシェリーディアを睨みつけた。
「シェリーディア……案内を。奴の、所まで……すぐに!!!!」
シェリーディアは――。
一筋の冷や汗を流しつつも、ニヤリと笑いを浮かべ、自分についてくるように促した。
ユラリ……とそれに続くレエテの後を、我に返って追いかけるルーミス。
レエテが、己の内の絶体絶命の危機を脱したことに安心はしつつも、ぞっとする戦慄を禁じ得なかった。
そして内心ではいみじくも、先程否定したシェリーディアの見解を肯定している自分が居た。
すなわち、性質は善と悪正反対ではあるが――。
母親サロメの、異常なまでの激情。それを、レエテは色濃く受け継いでいることを。
*
その頃、グラン=ティフェレト遺跡、地上。
天守閣中庭、花に包まれた祭壇の、石垣の上、思い思いの場所に――。
サロメと、セリオスは腰掛け、敵の再登場を今か、今かと待ちわびている様子だった。
神像の直下に、股を開いて座り、瞑想するかのように目を閉じるサロメ。
その脳裏には、己の過ぎ去った光景が明滅し、それを彼女に見せては通り過ぎていった。
*
サロメ・ドマーニュは、エストガレス王国の衛星国の一つ、カンヌドーリア公国にその生を受けた。
父はカンヌドーリアきっての大貴族、レント伯爵、ロデリック・ドマーニュ。
母は正室の伯爵夫人レーニアであり、押しも押されぬ公国有数の大令嬢として、なに不自由ない生活を送った。
国主カンヌドーリア公爵は、隣国のエグゼビア公爵とは対照的に公明正大なる名君であり、国も穏やかで富み、平和であった。支配者も国民も笑顔の堪えぬ、理想的な国家。
しかしそんな故郷とは対象的に――サロメの心はごく幼い頃より病みきっていた。
能力は、優秀だった。いやむしろ、あまりに優秀過ぎた。
勉学もそうだが、運動能力が抜きん出ていた。あらゆる男子よりも剣が使えた。外見も絶世の美貌、スタイルにも突出して恵まれ、国内の名だたる子息から求婚を望む声が絶えなかった。
だが、その内面は大きく他人と違う。他人が嬉しいこと、他人が悲しいこと、他人が怒ること。自分は、すべてその真逆の感性を持っていた。
人の笑顔よりも、苦痛に歪んだ貌を見るのが大好きだ。人の生よりも、死を見るのが幸福。人の幸せを見ると腹わたが煮えくり返り、不幸を見ると心から落ち着いた。
何よりも――。度を超した自尊心の持ち主だった。あらゆる人間を自分に傅かせたい。支配したい。思い通りにし、一声で死を与えられる存在になりたい。虐げたい。
抑えようとしたが、抑えるのは、無理だった。異常な行動を繰り返し、他人を傷つけては、父伯爵に火消しの手を焼かせた。
16の誕生日を迎える頃には、貴族子女に友人の一人もなく、引く手数多だった求婚の声も聞かれなくなっていた。
しかしただ一人、自分に恋し続けてくれたカンヌドーリア公爵令息ジョナスがサロメを訪ね、指輪を携えて求婚してくれた。
だが彼の地位やステイタスを持ってしても、サロメを満足させることは到底叶わなかった。
『その程度で、このサロメに本当に求婚してくるとは――身の程知らずが!』
激情がほとばしるのに任せて、サロメはジョナスを切り伏せ、殺害してしまった。
駆けつけた父母が絶望に嘆き、自分をなじり倒すのを見て、さらなる激情がこみ上げ――。
ついには父母をも惨殺。
屋敷を馬車で脱出した彼女は、エスカリオテ王国に達したところでサタナエルの使者に、出会い――。組織へといざなわれたのだ。
だが組織では――つらい毎日が待っていた。
彼女が見込まれたのは、突出した異常性と残虐性のみ。それ以外は――才能に恵まれているとはいえ、大陸の頂点たるサタナエルには、その程度の人材はゴロゴロといた。
かえって、蝶よ花よと育てられた環境が邪魔をし、入った“投擲”ギルドでも兵員にすら選出して貰えず、訓練生の日々が続いた。
しかしそんな時――サロメは、己の爆発的な能力の目覚めに遭遇した。
訓練で相対した3体のケルベロス。何かが全身を貫く感覚が訪れると、恐ろしい力が漲り――。
武器すら必要とせずに、素手で赤子の手をひねるように魔獣達を惨殺したのだ。
その力に恐怖したサロメは、ケルベロスが共食いしたように見せかけ、自分の身体を切り刻み――。駆けつけた教育役にわざと助けを求めて、この事実を隠蔽した。
その力が、“純戦闘種”の証であることは、調べてすぐに分かった。
一人、その己の秘密を抱え思い悩んでいるうち――。
ギルドの女達に、“生母”の募集がかかった。
“生母”とは、サタナエル一族の生殖能力を有する男子たる“屍鬼”、もしくは“魔人”と交わり、その子を生むための存在。
男子を産めば、名誉はないが莫大な報奨金を受けることができる。結果として、今後の組織での道筋に弾みがつく。
サロメは迷いなく、その募集に応じた。
それが功を奏した。絶世の美貌と身体をもつサロメは、すぐに一族男子たちの奪い合いになり――。最終的に、若干14歳という若さで地位を継いだノイエマール・サタナエル――最高峰の存在“魔人”ノエルの目に止まった。
経験のあった17歳のサロメは、女性を知らなかった初なノエルをリードし、無事彼の子供を腹に宿した。
一転して最高の種を受ける存在となったサロメがその後考えたこと。それは、己の“純戦闘種”の血を、生まれてくる子に引き継ぐことだった。
“純戦闘種”は、突然変異的な遺伝子の発現。子に受け継がれることはない。
しかしサロメは、調べた文献のほんの片隅にあった、8年前に生母となった女性のある記録に目を止めていた。
その女性は生母になった時点で、メフィストフェレスの常用者だった。だが“屍鬼”との間に元気な女児を生んでいた。さらに調べてみるとその子は、施設で史上最強といえる能力を発揮するまでに成長していたのだ。
女性自身は――その出産直後自ら命を断ったということだった。
リスクはあるが、賭ける価値はある。どうせおめおめと生き延びても、自分にとっては惨めな人生が待つだけ。そう考えたサロメは、妊娠中にも関わらず密かに入手した大量のメフィストフェレスを服用した。
驚くべきことに――。常人ならば恐るべき中毒症状をもたらすはずのメフィストフェレスをいくら服用しても、サロメには何の変化ももたらさなかった。これで、確信した。かの女性も、おそらく“純戦闘種”だったのだ。そしていかなる効果か、この死の麻薬が血統を引き継ぐ役目を果たしたのだ。
これで自分は優秀な子を残し、その子はゆくゆくは大陸の頂点、“魔人”となって、自分の狂おしい自尊心を頂点に押し上げてくれる。
そう信じ、出産に臨んだサロメ。
しかし――。男児は生まれたものの、それは女児との二卵性双生児、だった――。
サタナエルでは、女児を生んだ生母は女腹の烙印を押され、嘲笑の的になる。自ら命を断った、常用者の女性のように――。
そんなことは、気高き誇り高き自分に断じてあってはならない。
サロメは迷いなく、己に汚点を残す忌々しい女児を、亡き者にし消滅させる決意をした――。
*
「――来たか」
過去の記憶から覚醒したサロメは貌を上げず、上目遣いに、見た。
その、殺害を決意した当の女児。それが成長した21年後の姿である、宿命の相手を。
視線の先には、自分の特徴を、遺伝子を受け継いだただ一人の「娘」――。
レエテ・サタナエルの闘気と殺気に満ちた姿が、あった。
「ほう……この短時間で何があったのかは知らぬが、いい貌になったではないか、レエテ。
まあ全くの腑抜けよりは多少、殺し甲斐があったほうが良いかも知れぬな」
不敵に嗤い、云い放つサロメに向かって――。
静かな憤怒の表情で、右手の先の鋭い刃の先端を向ける、レエテ。
「減らず口は、そこまでだ。
私は、お前の息の根を止めるため、戻ってきた、サロメ。
今しがた――私の掛け替えのない仲間が一人、死んだ。
1年前、お前が殺した私の家族に加えてな。
決して、許さない。
お前が、たとえ本当に――私の『母親』などというものであろうとも、今の私には微塵も関係ない。
その忌々しい血の繋がりごと、お前の存在を、消し去ってやる。
完膚なきまでに、殺し尽くしてやる!!!!」