第三十二話 遺跡内の攻防(Ⅹ)~真の絶望の先に
レエテが己の出生の事実を受け入れられず、狂気の淵に立つ、その10分ほど前――。
彼女らのたどりついた地下牢とは別の場所の通路をひた走る、数人の人影。
これまでの中で屈指の強敵“短剣”ギルド副将ヒューイ・マクヴライド、それに随伴する副将アズラハム。
そして彼らの挑発に乗り、ナユタを救出するため猛然と追い続ける、ホルストースとランスロット。
ナユタを助けつつも彼らをなだめ御するべく、その後を追うキャティシア。
戦局の見極めなど全く得意ではないキャティシアであるが、そんな彼女でも現在の絶望的な戦力差は火を見るより明らかに理解できていた。
今はいないシエイエスを含めて、こちらの主戦力が束になってかかっても軽くあしらうほどの圧倒的強者、ヒューイ。
加えてナユタを連れ去った犯人であるロブ=ハルスは、そのヒューイが唯一敗北したという究極の強者、将鬼だ。
現在ナユタがどのような状況にあるのか全く読めないが、彼女が戦えたとしても加勢は手負いのホルストースとサブ戦力であるランスロットと自分の2人。傍から見ても馬鹿らしい位の戦力差だ。
シエイエスに自分が託されたように、ナユタの救出のみを主眼に置き、いかに安全で早く戦場を離脱・逃亡できるかが、現在の戦術の全てと云ってよい。
キャティシアはようやくホルストースに追いつき、彼の脇腹の深手に、できる限りの出力で法力を当てた。そして言葉をかける。
「ホルストース! あんた、頭を冷やしなさいよ!? 私達のなすべきことは、ナユタさんの救出のみ。あの化物達と交戦するなんて考えないで、すぐに逃げるのよ、わかってる?」
「……ああ、わかっちゃあいるさ。だがそれは――ナユタの状況次第だ。なあ、ランスロット?」
傍らを走るランスロットは、それに応えた。
「その通りだ、ホルストース。
キャティシア。ナユタに万が一のことがあった場合、いかなる状況であろうが――僕らは、報復せざるを得ないんだ、奴らに」
――シエイエスの云った通りだ。彼らは完全に頭に血が上っている。
やはり自分が、これを止めるしかないんだ、そう思っていた時――。
一行は、目的地に、到着してしまったようだ。
前を行くヒューイらが入っていった、松明が煌々と燃える、地下の広大な空間に――。
カマンダラ教中枢部が建造した防護室。
すぐに内部に踊りこんだホルストースやランスロットと異なり、入り口で様子見に待機するキャティシア。
が、すぐに、鬼の形相に変化し、身体を震わせ始めたホルストースとランスロット。
何事かと、彼らの視線の先を見たキャティシアは、驚愕した。
広大な防護室の中心に設置された台。
その傍らで、おぞましい恍惚の表情を浮かべて着衣を身に付ける、ロブ=ハルスの姿。
そして台の上で――。貌を覆って寝そべった状態の、ナユタ。
剥ぎ取られめくられた衣服は、首周りしか残っておらず――。
剥き出しになった両の乳房、白い肌。露わになった下半身。
全裸同然のその全身のあらゆる場所に見られる、陵辱の痕跡。
あの、自信家で気の強い豪放磊落なナユタが――身をよじり貌を覆ってすすり泣きながら、小声で哀願していた。
「やめて……見ないで……ホルス……皆……。お願い……あたしを見ないで……うう、ううう……」
それを見たキャティシアの中で――何かがプツリと切れる音がした。
「外……道!! 淫魔ども……が!!」
そして番えた弓と矢を手に――激情にまかせて室内に侵入してしまった。
その瞬間。室内と通路を隔てる出入り口は――上から落下してきた石の扉で完全に塞がれた。
ヒューイが、スイッチを操作したのだ。
(しまっ……た!!!)
脱出不可能。やってはならない、大失策――。せっかく、出入り口の確保、もしくは連絡役となりうるよう待機したのに――。状況を伝えてシエイエスを呼び戻すこともできたのに――。自分が頭に血が上り率先して全員を罠にはめる結果となってしまった。
一瞬激しい後悔に駆られたものの――。それですら、もうどうでも良かった。
大事な仲間、それも女性が――汚らわしくも陵辱されつくされ、傷ついている。
先程のホルストースらの言葉の意味が、キャティシアにも良く分かった。これで尻尾を巻いて逃げることなど到底できない。奴らに、思い知らさねばならない。
その一行の憤怒の視線を受けたロブ=ハルスは、余裕の表情で、いつもの慇懃無礼な言葉を放つ。
「ごきげんよう、諸君。ずいぶんと、遅いご到着でしたな……。
おかげさまで、私としては心ゆくまで楽しむことができました。
貴方がたのお仲間のこの女性は、私の思い描いた理想に違わぬ上物でしたよ。
ヒューイ、アズラハム、リーデル、ゴディファス。お前たちも、この後存分に楽しむがいい。
私の好みではないが――今入ってきた、そちらの弓を持った可愛らしいお嬢さんも、好きにするが良い。許可する」
ヒューイらよりも前に防護室に入っていたロブ=ハルスの部下―― リーデル、ゴディファスは歓声を上げて喜んだ。そのねめつけるような視線を受けたキャティシアが、怯えて青ざめ、身体を震わせる。
ヒューイは気だるそうな表情でそれに応えた。
「ええー? なんか面倒くせえなあ、それ。でもまあ、姦るとスッキリして、後で良く眠れるし――悪くはねえかもな……」
その台詞の直後――。
ホルストースが、強烈な怒気とともにドラギグニャッツオを振るった。
これまでにない、剛槍の激烈な振りは、一陣の風をロブ=ハルスの元にまで届かせた。
「ふざけんじゃ――ねええええええええ!!!!!」
怒気をも爆裂させたその音波は、あたかもレエテの「声」であるかのような空気の振動を引き起こしたように感じられた。
「てめえら――ブチ殺す。皆殺しにしてやる! よくもナユタを!!! ハゲ野郎……!!! てめえは最初にその汚え物から切り落としてやらああああ!!!!!」
血管を隈取のように貌にめぐらせたホルストースは――。ドラギグニャッツオを突き出し、一気に踏み込んだ。
疾い――! これまでのホルストースからは想像もできぬ、神速の踏み込みだ。込められた膂力も、闘気も、これまでとは比較にならない。
しかし――。ロブ=ハルスは厭らしい表情を微塵も変えることなく、瞬時に両腰のジャックナイフを伸長させ――。左刃でドラギグニャッツオの刀身を迎え入れた。
そして、ヒューイの技すら児戯に見えるような、見惚れるほどの鮮やかで滑らかな捌きで、刀身を後方に向けて受け流す。
そして前につんのめったホルストースの背中に向けて、右のジャックナイフの先端を突き立てた!
「ぐあっ!! ああああああ!!!!」
「ホルス!!!!」
鮮血を上げ、床に倒れ込むホルストース。その苦悶の叫びと、ナユタの悲鳴が交錯する。
ロブ=ハルスはこれ以上ない程の愉悦に貌を歪ませたあと、一気にその場から跳躍した。
そのまま、5mほど上部の壁に設置された通風口まであがり、屈んでこちらを見下ろし、云った。
「いい貌……そしていい様ですね……満足です。私は極めて、満足です。
これで熾烈な命のやりとりができたら、云うことはありませんが――。残念ながら貴方がたはそれに値しない雑魚。ナユタの良い男、神槍の王子よ。貴方は仲々惜しいですが、“剣”属性にあたる貴方の得物と技であろうと、対するはこのロブ=ハルス。相手が悪い。
一方的な虐殺は、私の最も嫌いな作業です。そしてもう、サロメの依頼には十分応えました。我々の完全勝利は間違いないでしょう。
ゆえに――私は遺跡から去り、ダブラン村に戻り――いや、少々王都まで足を伸ばしましょうかね――。
ヒューイ、後のことはお前に任せます。
それでは、ごきげんよう!」
その台詞が終わらぬうちに、普段からは想像もできない、ランスロットの極限の怒声が響き渡った。
「ロブ=ハルス!!!!! 逃さん!!! 充填した全力の矢を、喰らええええ!!!!!
“|零天山氷砲《アブソルテル=ヌルグラド》”!!!!」
ランスロットの小さな身体から放たれる、直径2m、長さ5mにもおよぶ氷の巨大円錐。
30分は魔力を充填し続けなければ放てない、彼最大の氷結魔導。
広大な室の温度を確実に急激低下させるその攻撃は、まっすぐにロブ=ハルスに向かっていった。
しかし――ロブ=ハルスの笑いを消すには、及ばなかった。
彼は交差させたジャックナイフに耐魔を充填。攻撃の到達に合わせて振り払った。
それにより――。氷矢は霧散し、四方八方に弾き飛ばされてしまった。
「悪くない攻撃でしたな、魔導生物。しかし――この私を、一体誰だと?
このハルメニア大陸において、最強の使い手。“耐魔匠”ロブ=ハルス・エイブリエルを、魔導で斃そうなどとは、全くもって片腹痛し。
私ほどではないが、そこに居るギルドの者どもも、相当の使い手。魔導が通ずるなどと思わないことです。
さて今度こそ、お暇しますよ。ナユタ、私は恋しくなったらいつでも、また貴方の可愛らしい身体を戴きに参りますからね――」
不気味な台詞と笑いを残しながら、将鬼 ロブ=ハルスは、通風口の闇に消えていった。
「ぐっ、待てええええ!!!! てめえ、戻って来やがれ、ロブ=ハルス!!!! おおおおおおお!!!!!」
よろめき立ち上がったホルストースが絶叫する。
それを見たヒューイが、ため息をついて首を振りながら云う。
「もうムダだろ。熱くなってんじゃねえよ、みっともねえ……。おまえみてえな、何か一生懸命で暑苦しいだけの男って、おれの一番キライなタイプなんだよな。
そっちのリスともども、すぐに死んでもらうぜ。その後は女どもを姦らせてもらって、最後は灰になってもらう。油の匂い、分かるか?」
聞かれるまでもない。充満している。室内の周囲にまんべんなく可燃性の油がまかれているのだ。
「おれらが通風口に上ったら、火を付けさせてもらう。ここに居る、昔の坊さんらのミイラともども、きれいに灰になって地獄に行ってくれよ」
そして相変わらずの無感動で不気味な表情で迫る、ヒューイと他3人のギルド副将たち。
絶望――。まさに、その表現がこれ以上なくふさわしい状況。
一分の勝ち目も、ない。ホルストースは深く傷つき、ナユタとランスロットの攻撃は最悪の相性の相手に打ち消され、キャティシアの戦力ではどうにもならない。
男は殺され、女は犯され、最後は灰にされる。その外道の業の犠牲に、なるしか、ない。
誰もが死を覚悟した、その時。
「ナユタ……! 許可、してくれ……!
僕に、“極武装化”の、許可を……!!」
低く、低く唸るような声を上げたのは、ランスロットだった。
台の上で上体を起こしていたナユタは、それを聞いて瞬時に顔面蒼白となり、両眼を極限まで見開いた。
そして激しく首を振りながら、震え声で叫んだ。
「い……イヤだ!!! そんなこと……!!! そんなこと……あたしにはできない!!!! イヤあっ!!!!」
「何を怖気づいている!!!! もう、それしか方法はないんだ!!!! 皆がここで死んでもいいのか!!! 君や、キャティシアまでもが、あんな下衆外道どもの慰み物になってもいいっていうのか!!!!」
通常、人間に比べて乏しいランスロットの表情は、誰の目にも明らかなほど――。恐るべき決意に満ち、その黒い両眼は強烈な意志をナユタに向けて放っていた。
「だって!!! だって――!!!! 一度『それ』になっちまったら、あんたは!! あんたは!!!!」
「早くしろ!!! そんな覚悟、僕にはいつだって、できている! 魔導の補佐以上に、主人の身を、心を護るのが、魔導生物の努め!!! 僕のその生の意味を、無駄にするっていうのか!!!!
主人の君の許可が必要だ!! 許可しろっ!!!! してくれ!!!! ナユタ!!!!!」
それを聞いたナユタは――。
押しつぶされそうな悲しみをこらえて、ようやく、決意した。
そしてそれまで以上の大粒の涙を、両眼からあふれさせた。
視界が歪み、見えにくくなったが――彼女を長年、支えてくれた最高の相棒の姿を、しっかりと目に焼き付けた。
ランスロット――。
そして強く、強く握りしめた拳を、胸に押し当て――。必死の思いで、声を、ようやく、押し出した。
「ランスロット……“極武装化”を……許可する」
「ありがとう……ナユタ」
その声とともに――。
ランスロットの身体に、驚異の異変が現れた。
突如、その小さな身体が沸騰するかのようにボコ、ボコと激しく波打ち始め――。
細胞が高速で分裂するがごとく、恐るべき速さで巨大化を始めたのだった!