第三十一話 遺跡内の攻防(Ⅸ)~地下牢の邂逅
誰かが、自分を呼ぶ声が聞こえる。
遠くから聞こえるように感じるが――とても近い、ようにも感じる。
誰が呼ぼうが、同じだ。もう少しだけ、眠らせておいてくれ。
今、現実には、戻りたくない。いくつもの、心の傷を思い出すから。
……い! ……ろ! ……ぞ、レエテ……!
――レエテ? 今、レエテ、と云ったのか?
そこに、居るのか、レエテが?
――あわせる貌が、ない。だが同時に、もっとしっかり謝りたいとも、思う。
もう、安息の時は終わりだ。目を、覚まそう。
そう思い、目をこじ開け、外を見る。脳が覚醒し、外界の情報を処理し始める。
「やっと、目を覚ましたか、小僧! アンタの力が必要だ!
すぐに、法力をかけろ! アンタのレエテに! 一刻も早く再生する必要がある!!」
大声で自分に呼びかける、聞き慣れないが聞き覚えのある声。
その方向を見やると、そこには――。かつてドゥーマで相対した、強敵の姿があった。
「オマエ……! 確か、シェリーディア、だったか。なぜ、ここに……!」
「んな事はどうでもいい! 今台の上に転がっているあいつに、早く法力をかけろって云ってるんだよ!!」
血と臓物にまみれ、必死の形相で部屋の奥を指差す、その金髪の美女シェリーディア。
その先に居たのは――ひと目で貌をしかめたくなるような、無残な――通常でいえば、死体、以外に形容しようのないものだった。
2m四方の台の上に横たわったその女性の身体。個人を識別する頭部は失われていたものの、間違いなく――。
自分、「ルーミス・サリナス」が欲望のままに襲いかかり、信頼を裏切ってしまった愛しい相手、レエテ・サタナエルに他ならなかった。
「レエテ!!! 何て、ひどい……! 一体、何があったっていうんだ!」
身体を前に出す。まだ若干の痛みはあるが、少しずつ法力による回復を経た身体は十分なまでに回復している。そして、自分を束縛していたオリハルコンの鎖は、錠前を破壊されて外されていた。
シェリーディアの手によるものだろう。
すぐにレエテに駆け寄り、すでに驚異の再生を始めているレエテの傷口に、全力の法力を当てていく。
それを見て、ようやく落ち着いたシェリーディアは、付近の石の上に腰掛けてルーミスに話し始めた。
「小僧。おそらくアンタは、今自分がどこに囚われていたのかも正確には分かってねえだろう。
ここはな、グラン=ティフェレト遺跡の地下。そこにある、おそらくは古代の人体実験場も兼ねた地下牢の中だ。アタシ達は隠し通路をたどってきたが、アンタはあっちのでかい廊下から運ばれてきたんだろうな。たまたま同じ場所でかちあったってわけだ。
話はレエテから聞いてる。サロメはアンタを餌にレエテをおびき寄せた。こうしてレエテが遺跡までやってきた今、利用価値のなくなったアンタをひとまずここに放置したんだろう。邪魔されないよう拘束はした上でな」
そして、これまでの経緯をかいつまんで説明する。
策略により仲間から分断したレエテに共闘をもちかけ、現在は自分と彼女が打倒サロメの味方同士であること。
自分たちは北から、ルーミスの仲間たちは南から侵入し、罠をしかけて待ち構えたサタナエルと現時点で戦闘状態に入っていること。
そして先程サロメと右腕の女と対決。いずれも“純戦闘種”の最難敵であること。そして――自分の衝撃の出生の秘密を知ったレエテが理性を失い、結果敗北して一時撤退を余儀なくされたことについて。
「何……だって? 信じられない。あのサロメが、レエテの……実の母親!?
そして……“魔人”ヴェルが、レエテの、双子の兄、だって……!?
何てことだ……何て、残酷な……! レエテ……オマエは……何て、何て……」
哀れ、なのか。
掛け替えのない存在を皆殺しにされた復讐に、短い残りの人生の全てを賭けた、レエテ。
その怨念の復讐相手が、実は――。よりにもよってこの世で唯一の、同じく掛け替えのない肉親だったとは。
確かに自分も初めて会った穏やかな表情のサロメに対し、一瞬レエテの姿を重ねてしまった。
それは気のせいなどではなかったのだ。
「アタシは行動をともにするようになって、レエテの貌を間近で見ているうちに、もう内心では気づいていたんだ。
アタシが長年見慣れたあの女と、あまりにも似ている。貌立ちも、身体のパーツも、何もかも。
アタシが出会った頃の若いサロメの、髪と肌と目の色を変えただけ、にすら見える。――まあ、案外その差ってのは大きいからな、外見だけで完全に分かるのは、両者を間近で観察したアタシぐらいかもだが。
考えてみるとサロメの異常な激情家ぶりといった性格面、基本的戦闘センスも受け継いでいるしな」
それを聞いたルーミスは、きわめて不快そうに貌をしかめた。
「外見はよく似ているかもしれないが……。内面が似ている、というのは到底賛成できないな。
サロメは、人間と呼ぶ価値もない外道、悪魔だ。レエテは、それとは似ても似つかない、むしろ正反対の――人としてとても素晴らしい、素直で綺麗な心の女性なんだ。
それは、オマエも幾らか行動をともにしたなら、良く分かっていることじゃないのか?」
シェリーディアは、ルーミスのその言葉に、素直に頷いた。
「確かにな。撤回するよ。仲間のアンタらが羨ましい位、レエテは本当に良い奴だ。
あの女と比較するのは、失礼にあたるよな」
そう云ったシェリーディアが貌を上げてレエテのほうを見ると――。
ルーミスと話している間に、失ったほぼ全ての頭部のパーツを再生し終えたレエテの目が、うっすらと開き始めていた。
「レエテ!!! 大丈夫か、オレが分かるか、ルーミスだ!!!」
その声に、かすかに唇を動かすレエテ。
察したシェリーディアが駆け寄りレエテの頭を抱え上げ、すぐにバックパックから取り出した水嚢の口を唇につけて、水を与える。
二口、三口と喉を嚥下させて水を飲んだ後、言葉を発した。
「ルーミス……なの……? ああ、無事……だったのね、良かった――」
そう云って、ゆっくりと上体を起こしたレエテは、ルーミスの身体を強く抱きしめた。
ルーミスは、目をぎゅっと閉じて、ゆっくりレエテの身体を引き離した。
「レエテ……。オレは、本当に取り返しのつかないことをした。もう、オマエと行動をともにする資格はないし、貌をあわせることすら申し訳ないと思っている。ただこうして会えたからにはちゃんと、謝らせてほしい。本当に、すまない……!」
そしてその場で、今一度深々と土下座する、ルーミス。
レエテは、若干ふらつきながらも、台から降りてルーミスの身体を起こす。
「もう、やめて……いいのよ、ルーミス。過ちは、誰にだってある。あなたがあんなことをした原因には私の行動もあるし――気にしてなんかいないわ。ナユタも、シエイエスもよ。あなたはずっと、私達の、仲間よ」
「レエテ……! ありがとう……」
涙ぐむルーミスの背中をさすりながら、視線をめぐらせて、シェリーディアの存在に気づいたレエテ。
レエテの脳は、一瞬にして真っ白になった。
次いでようやく――先ほどの、悪夢のような――夢であってほしい、頭から消し去りたい衝撃の真実が、まざまざと記憶に蘇ってきたのだ。
レエテは見る見る貌を青ざめさせ、頭を抱えて床にへたりこんだ。
「ああ……ああ……。そんなこと、ありえない……。そんな……それが、本当だったら私は……!!
シェリーディア、さっきの『あれ』は……嘘でしょう? 何かの、間違いなんでしょう……?
お願い…………嘘だと、云って……」
シェリーディアは哀れみをにじませた表情でかがみ込み、穏やかな口調でレエテに云った。
「残念だが……レエテ。
さっきのサロメの言葉は、本当のことだ……。アンタは、あいつと、先代“魔人”ノエルの間にできた娘であり――。すなわち、“魔人”ヴェルの妹であるということ。
アタシも薄々は感じていたが、自分からそれを口に出す勇気がなかった。
何て云っていいか、分からないし――。すごく同情するよ。
とても、辛いだろうと思うが――。現実を受け入れてくれ」
レエテは、それに返答する代わり、さらに地に突っ伏し――。額を床につけ、背中を丸めてさらに頭を抱えて殻に閉じこもった。
ついに、女児のようにすすり泣く声が聞こえ始める。
「いやだ……そんなの……受け入れる、ものか……!
今まで……私がやってきたことは、何だったの……!
復讐のため血にまみれてたどり着いてみれば……。自分の母親、血を分けた兄。この世で唯一の肉親を殺す、そのために、全てを犠牲にしてあれだけの人殺しを重ねてきたっていうの……?
私は、どこまで……罪を重ねれば良いって云うの……? 地獄の底に、たどりつくまで?
もう……私は……どうして、いいか……どうしたら!
苦しい……苦しいよ……頭が……痛い……。
もう……この世から、消えて……なくなりたい……! 苦しい……!
だれか……ナユタ……シエイエス……! 誰か、助けて……ううっ!」
過呼吸のように荒く息をついだ後、レエテは身体を起こしてしたたかに嘔吐した。
胃液だけだったが、すべての内容物を外に出し、身体を上下させて呼吸をする。
そしてまた、頭をかきむしりながら抱え、苦悶の表情で何事かつぶやき始める。
非常に、危険な兆候だ。かつて、ビューネイの呪詛を受けて自責の念にかられたときより、危険だ。
自分のアイデンティティを揺るがす衝撃の事実を受け入れることができない。整理することもできずに押しつぶされ、正気から狂気への境にいる状態。このままでは本当に自分で自分の命を絶つか、狂気に陥る。
かつて自分のアイデンティティを失いかけ、同様の状態に陥ったシェリーディアには理解できた。何とかしなければ……。
その傍らでルーミスは、意を決した。本当は、レエテにとって最愛の相手、シエイエスこそがその役目にふさわしい。が、彼がいない今、役者不足かもしれないがレエテと苦楽をともにした自分が代わって彼女を引き上げるしかない。
彼は、思いがこみ上げ熱くなって、レエテにまくし立てるように語りかけた。
「レエテ、聞いてくれ! 知ったようなことを云うかもしれないが、許してくれ。
たしかに、期せずして今、本当の肉親がオマエの前に現れたかもしれない。それは、この世で唯一の存在で、本来尊いものだ。
しかし、サロメと“魔人”ヴェル。奴らを見ろ。奴らの人間性は、尊いなどといえるものなのか! オマエを肉親と知りながら、虫けらのように殺そうとする奴らが! あえて云うが、奴らを殺すのに罪の意識など必要ない。
オマエにとって、真に尊いものとは、何だ。オマエにはあるんだろう、血の繋がりなどというものを超えた、真実の絆、そして家族の存在が!!!
奴らは、オマエにとって真に尊いものを汚し尽くした、許しがたい外道でしかない。マイエも、ビューネイも!! 皆むごたらしく殺されたじゃないか!!!
そしておこがましいが、俺たち仲間も――。奴らのただの血の繋がりなどというものとは比べ物にならない絆を、愛情をオマエに対して感じている!!! オマエが奴らごときのためにここで終わってしまったら、オレたちはどうなるんだ、レエテ!!!」
ルーミスは、いつのまにか、泣いていた。話すうちに、感情が止められなくなった。
そう、自分たちも、自身が彼女を思っているように、レエテにとって大切な存在でありたいのだ。
シェリーディアも、いつしか必死の表情でレエテに語りかけた。
「そうだ! 小僧の云うとおりだ。自分を責めるな。
アタシも、血を分けた肉親がいるが、全身全霊で拒否され自分の存在を否定された。アンタと同じく苦しんだが……。アタシは自分の真に尊いものの声を聞き、何が自分にとって大切かを、見つめ直した。
大事なのは、血の繋がりじゃない。心の絆だ!
アンタは、アタシにマイエのことを話してくれたよな。それだけの素晴らしい人で、命がけでアンタを守ってくれた。それこそが真に尊いものだと思うし――。今こいつが云ったように、仲間どもだって、同じくらいに命替けでアンタを守っているんだろう? よく考えてくれ、『何が本当に大事なものなのか』を!」
レエテは2人の必死の言葉を聞いて、頭をかきむしるのとすすり泣きをやめ、大人しくなった。
しかし、その視線はなおもぼんやりとし、何も考えることができないようだった。
膝をかかえ座り、視線を固定させて押し黙る。
説得が功を奏し、急激に危険な状態は脱したものの、通常の思考や気力を取り戻すには時間が必要なようだ。
たしかに、今が平時ならゆっくりと回復を待つのが正かもしれない。だが今は敵陣の真っ只中、しかも圧倒的に不利な状況下。
ここでいたずらに時間を費やし続けるわけにはいかない。
これ以上もうどうすることもできず、手をもみしぼり立ち尽くすことしかできない、ルーミスとシェリーディアだった――。