第三十話 遺跡内の攻防(Ⅷ)~呪われし、魔の真実【★挿絵有】
レエテが“螺突”を放とうとする、その直前。
前に踏み出、接近してきたサロメが、レエテの突き出した左手首、力を充填していた右の肩に手を触れた。
「――!!!!」
レエテは驚愕した。動かない。“螺突”を放とうと思っても微動だにしない。
力点を押さえられているわけでもない。自分の腕力を考えれば、全く動かせないことなど有り得ない。
これはサロメの腕力が、サタナエル一族である自分を圧倒的に上回っているという事実を示している。
それに加え、隙なく鍛え上げてきた“螺突”の構えに、いとも容易に近づき正確に動作の起点に触れる馬鹿げた敏捷性と戦闘技量。
「驚いたか? 私の実力が、よもやここまでのものとは想像していなかったのであろう?」
「――っ!!!」
レエテは何条もの冷や汗を流しながら、サロメの手を振り払い大きく後方へ飛び退った。
着地したレエテは、焦りと恐怖心で息を乱し、荒く息をついた。
サロメはそれを見て、肩をすくめてため息をついた。
「まったく、嘆かわしいな……。
実はな、シェリーディアよ。お前にも隠していたが、私自身も、“純戦闘種”に他ならぬのだ」
シェリーディアは目を見開き、驚愕した。
「な……に?」
「私の場合、能力に目覚めたのがサタナエルの一員となってからであるゆえ、私が実力を隠してさえいれば組織に“純戦闘種”である事実を知られることはなかった。ゆえに、隠し続けた。
なぜだと思う?」
「……“魔人”の存在、ですか?」
「そうだ。最初のうちこそ、戸惑い悩み云い出せなかっただけだった。が、そのうちに先代“魔人”ノエルの子――。すなわち我が最愛の息子、ヴェルを身ごもったと知ってからは、自分の意志で徹底的に隠した。優れた戦闘者であればあるほど、前線に送り込まれる。我が子の側に居られなくなる。それゆえに、だ」
「それで、それなりに地位は築きつつも、重い『枷』をはめて自分の実力を隠し続けた、というわけですか」
「その通り。我が息子、ヴェルはこのサロメのすべてであり、生き甲斐であるゆえな。
しかしレエテ。貴様が現れてしまったことで、全てが狂ったのだ」
サロメの意味ありげな視線を受け、レエテは問いただした。
「どういう……ことだ?」
「私は、貴様のことなどとうに忘れていた。20年ほど前、『ヴェルとともに生まれた時に』殺すことを阻まれはしたが――。施設で育ちジャングルに放逐され、他の女子と一緒くたになってしまえば、私の汚点となる事実を知られることはない。脅威になることはない。そう思っていた。
だが、一年前、マイエ・サタナエルのコミュニティに居た貴様に遭遇した時――。やはり『血は争えぬ』のだろうな、私はすぐに貴様が『その呪われた赤子の成長した姿』だと気づいてしまった」
一瞬の呆けたような表情の後――。
レエテは、これまで感じたことがないほどの早い動悸を打つ、自分の心臓を自覚した。身体は止められないほどガクガクと震え、完全に血の気が引いた貌は、褐色肌とは思えぬほどに白くなっていた。
目は剥かれ、紫色に振るえる唇の横で冷や汗の雫が流れ落ちる。
「何を……云っている? サロメ……お前は……一体……何を、云っているんだ……?」
「私は貴様がアトモフィス・クレーターを脱出したことを知り、すぐに本拠の施設の記録を調べ上げた。やはり、間違いはなかった。レエテ・サタナエル。私が生まれてしまった貴様を殺そうとしたとき、それを止め、連れ去った女が自分の子の双子と偽って申請していたのだ。
私は、どうにかして貴様の息の根を止めねばと機会を伺っていた。だが、うかつに本拠から離れれば、いつフレアめに謀られてヴェルと引き離されるか知れたものではない。しかもフレアは独自に施設の記録を調べ、事実を知って、ヴェルにもそれを話したのだ。
先日機会がめぐり、フレアが不在のときにヴェルに謁見でき、此度の遠征を正式な命令として受けることができた。ヴェルも事情を察して貴様の討伐を譲ってくれてな。これで、憂いなく貴様を殺すことができると――」
「何を云っていると!!!!! 聞いているんだ!!!!! 答えろ!!!!!」
レエテが恐怖に耐えきれず、絶叫した。「声」の一歩手前の強力な音波は四方の石壁をビリ、ビリ……と揺らした。
言葉を遮られたサロメは、全く、何の感情もない乾いた声で、云った。
「何だ、これだけ云ってまだ分からぬのか?
すなわち――。レエテ、貴様はこのサロメの全く望まなかった不肖の『娘』であり――。
同時に忌々しくも、“魔人”ヴェルの『双子の妹』である、ということだ」
一瞬――。
その場が、水を打ったように静まり返った。
10秒――レエテが異常なまでに震え、汗で覆われた貌を硬直させ、焦点の定まらない目を一杯まで見開いて沈黙していた時間。
やがて、わなわなと唇から、ようやく声を発する。
「嘘だ――。
そんな、はずはない――。嘘だ、絶対に――。
認めない、そんなことが、あるはずが、ない――。
嘘だ、嘘だ!! 嘘だああああああ!!!!!」
完全に正体を失ったレエテが、滅茶苦茶な構えでなりふりかまわずサロメに殺到しようとする。
「バカ、やめろ、レエテ!!! 止まれ、止まるんだ!!!!」
焦ったシェリーディアが、レエテを必死に制止しようとするが、遅かった。
すでにサロメは、“神鳥”を降ろしていた。そして3本もの矢を手に取ると、2本の弓の弦を重ね、その上に3本を同時に重ね合わせて引く。
つぎの瞬間、“眼殺の魔弓”の最大の技のひとつ、“倍弦弓射三連”は炸裂した。
大砲をも超える破壊力を持った三連の矢が、レエテの胸に迫る。
点ではなく、面の破壊力を有したこの魔技を受ければ、レエテの心臓は粉々に破壊される。
「レエテッッ!!!!!」
シェリーディアが絶叫し、背後からレエテの腰へ体当たりを仕掛ける。
その衝撃で、レエテの体勢が崩れ落ち――三連の矢は狙いより遥か上部の、頭部に命中し粉々に破壊した。
上顎よりも上を完全に失い、下顎と舌、気道や神経をむき出しにした状態で血を噴き上げ、完全にシェリーディアに倒れ伏すレエテ。
シェリーディアは、頭と身体にレエテの脳漿や眼球、大量の血を被ったまま、即座にレエテの身体を肩に抱え上げた。
そして踵を返し、全速力である方向に向かって走る。
西側の壁だ。
「おおーーーーと!? どこへ行くんですかああああ!!!! 逃しませんよお!!??」
即座に、セリオスがクロスボウの連射を放つ。
シェリーディアはこれを読み、左に飛び退って無数のボルトを回避した。
すなわち、西側の壁はフェイクで、目指したのは南側の壁だ。
一箇所、色の異なる石を押し出す。すると仕掛けが作動し、入り口と階段が姿を現す。
すかさず身を翻して入り、階段を降りたところで振り向くと、入り口に火薬の入った瓶を投げつける。続けざまに魔導を込めたボルトを撃ち出すと――。
起こされた爆発により壁が崩れ、シェリーディアとレエテの姿は見えなくなった。
「ちいっ!!! 小賢しい!!」
追おうとするセリオスを、サロメは制止した。
「やめておけ。これ以上追うのは労力のムダだ。
レエテは死んではおらん。シェリーディアはどこかに隠れ、あやつの再生を待つ腹づもりだろう。
放っておけ。奴らに逃走の選択肢はない。私を確実に殺すために、再戦のために必ず戻ってくるであろう。のんびり茶でも飲みながらここで待てば良かろうぞ」
冗談めかして不敵に笑う、サロメ。
標的たちが去った先の石壁を、しばらくの間見つめ続けていた。