第二十七話 遺跡内の攻防(Ⅴ)~残酷なる陵辱
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「う……」
ナユタは意識を取り戻し、吐き気を伴う悪心に耐えながら、ぼんやりする視界が回復するのを待った。
どうやら、自分は台か何かに乗せられ、寝かされているようだ。
視界が回復しはじめ、そこに捉えられる石づくりの天井。
はるか10m以上までの高みに在るその天井は、松明の光に照らされている。
そしてそのまま視線を下げたナユタは――信じがたい光景を、その目に捉えた。
いつのまにか露わにされていた自分の下腹部に――。
舌なめずりをしながら貌を近づけようとしている、スキンヘッドの魔物のような男の、欲望が溢れ出た醜い貌を。
「いっ――いやあああああああああ!!!!!」
ナユタは絶叫し貌を恐怖に歪め、素手で放てる渾身の爆炎魔導――魔炎煌列弾を至近距離でその魔物に放つ。
発生した地獄の業火はしかし――瞬時に、魔物の眼前で虚しく消え失せてしまった。
自分の現時点の奥義が、構えすら取らない相手に打ち消された。その絶望的な魔力の差に、ナユタの貌が青ざめる。
「おやおや……目を覚ましてしまわれましたか。まあいい。それはそれで楽しみがあるというもの。貴方の可愛らしい身体を味わいつくす、新たな楽しみがね。
お久しぶりですね、ナユタ・フェレーイン。このロブ=ハルスを覚えておいでですか?」
その魔物――ロブ=ハルスの身の毛もよだつような欲望に満ちた貌を見て、普段強気なナユタの表情は少女のようにうろたえ、目に涙が溢れ出す。
人外の怪力に両足を押さえ付けられ、身動きひとつ取れない。上半身は動かせるが、魔導が完全に通じない現状――。魔導士の自分ごとき非力な腕力ではその抵抗は生身のキャティシアにすら及ばず、蚊が刺したほどのものですらない。
普段は常人が及ばぬ力を誇り、自信に満ちているナユタにとって、突如訪れた抵抗もできぬ無力感はより強い恐怖をもたらした。
「ここがどこか、知りたいですか? ここはね……。所謂、防護室というやつですよ。古代カマンダラ教の教祖や配下の連中が、地上を攻め込まれた場合、最後に逃げ込むために作った場所。
まあ最終的には、彼らの永遠の眠りを確保するための安置所に成り果てたようですが」
それを聞いたナユタが周囲を振り返ると、そこには、豪華絢爛たる台座に寝かされた無数のミイラの姿があった。身につけた服装からして、最高位の僧正たちであろうことは容易に読み取れた。
「貴方を拉致し、地下道を走ってここまで来ました。
あの場所で、貴方が嬲られる様をお仲間に見せつけることができれば、まさに最高でしたが……。さすがに難しい。ひとまずあの場はヒューイにまかせて、かなり質は落ちますがミイラが見物人というこの場所を選んだ訳です」
この男は――何を云っているのだ? ナユタは身震いしたが、彼女も世間知らずの生娘ではない。異常な嗜好を持つ性的倒錯者について、知識がないわけではない。
まさにそのような常を超えた異常嗜好の持ち主が、自分を辱めようとしているのだった。
「ナユタ。ダブラン村の私の店でお目にかかってから――貴方には極めて興味をそそられていました。有り体にいってしまえば、理想に近い『好みのタイプ』でしてね……。
その胸の膨らみを自由にし、貴方の身体に分け入ることを……心待ちにしておりました。
今回サロメの共闘依頼に乗った動機の多くは、正直なところ貴方をほしいままにするため。
貴方の今の男が、その結果を見せつけられてどんな貌をするか、楽しみでたまりません」
再び舌なめずりをする、その地獄の淫魔のようなおぞましすぎるロブ=ハルスの姿を前に、ナユタの身体はおこりにかかったように震えた。
ナユタは、多くの男性と積極的に関係を結んできた、どちらかと云えば奔放で男好きな女性だ。
しかし、いかにその経験が豊富であろうと、関係はない。
完全に自分の意志に反し、おぞましい欲望のもとに身体を陵辱された経験などないし、女性としてのそれに対する嫌悪感、恐怖心は生娘となんら変わることはないのだ。
強がって威勢のいい言葉を放つどころではない。
これから起こる事態に心底恐怖し、涙を流して哀願することしかできなかった。
「……やめて……お願いだから。
やだ……やだあ……。
他のことならなんだってするから……。あたしに、触らないでよ……お願い……やめてえ……。
……助けて……レエテ……ホルス……。いや、いやああ……」
鼻をすすり泣きべそをかくナユタの身体に、容赦なく、淫魔は覆いかぶさっていったのだった。
*
その頃――遺跡地上の大街路では、死闘が繰り広げられていた。
見た目には、正々堂々とはいい難い、五対二の戦いが。
しかしながら、見た目に反し少数の側が多数を圧倒する戦い。
多人数のレエテ一派側が、その不利な状態に陥っている理由は――もちろん、最強クラスの副将、ヒューイ・マクヴライドの実力によるものだった。
一刻も早く、この男にロブ=ハルスの行き先を吐かせたいホルストース。脇腹の激痛と出血のダメージをこらえながら、射程を増した絶対破壊力の武器を振るうも、神がかった流麗な受け流しは一切の有効打を与えない。
さらに、畳み掛けるように仕掛けるダフネの技、「鬼影流抜刀術」も――。ヒューイには通用しなかった。
神速の先端速度を誇るブレードの先端が、たやすく見切られ、ジャマダハルなどという搦手の武器に簡単に受け切られる。ダフネも驚愕するしかなかった。レエテすら怯ませた自分の抜刀術。これまでそれが完全に通じなかった相手はラ=ファイエットと、その互角の実力をもつシェリーディアのみだったからだ。
そしてそれら正面からの攻撃に追い打ちをかける、シエイエスの音速を超す鞭の先端も――通用はしなかった。
目で追う必要すらなく、二本のジャマダハルで尽く鞭の先端を叩き落とす。これだけの変則的な動きにも対応する相手に、もはや為す術はなかった。
そして全ての攻撃を撃退し、汗一つかかず、眉も動かさず、相変わらず眠くてたまらぬといった表情のヒューイの背後から――。迫りくる刃の旋風が、一陣。
両手のブレードによる回転連撃で迫る、“夜鴉”のビラブド中尉だった。
しかしながら、当然この不気味極まる強者に通用するはずもなく――。
目すら振り返ることなく後ろ手に繰り出したジャマダハルによって、やすやすと回転を止められると――。次に神速で振り返ったヒューイの右手の一撃が、ビラブドの左肩を水平に深く――深くえぐった。
「ビラブド!!!!」
叫ぶダフネの眼前で、大量の噴血とともに吹き飛ぶビラブド。
彼もその歴戦の経験から身につけた反応により、攻撃方向の反対側へ跳躍し若干の防御に成功していたため、絶命は免れた。しかし左腕は皮一枚でぶらさがり、明らかに動脈を傷つけたと思しき出血量。軍人としての知識で必死の止血処置をとっさにとってはいたが、もはや完全に戦闘不能だ。
「貴っ様あああーー!!!!」
仲間を傷つけられ、再び前に出るダフネ。
「鬼影流抜刀術――“鷹落の閃”!!!」
抱えあげるようにした鞘から、一気に抜刀し振り下ろす超上段の抜刀。
幾多の標的の脳天を叩き割ってきた攻撃だが――。
やはり、通用するものではなかった。
薄目で見上げるヒューイの頭上に現れたジャマダハルが、無情にも一撃を受け止め――。
もう一つのジャマダハルが、水平にダフネの腹部を薙いだ。
「ダフネ!!!!」
シエイエスが叫ぶのと、ダフネの身体が猛烈な力で後方に引っ張られるのとは、ほぼ同時だった。
彼女の身体は、その背後から伸びる重力波の、通常の斥力とは逆の引力によって引っ張られていたのだ。
建物上のサタナエル射手との戦闘を部下に任せ、後方に駆けつけたデレク大尉だった。
それによって絶命を免れたダフネだったが、腹は切られてしまっていた。
倒れ伏し、出血と内臓の流出を防ぐため両手で傷口を押さえるダフネ。もはや虫の息だ。
デレクは冷静に、彼女とビラブドに「止血灰」などを用いながら応急処置をほどこしていく。
これでもはや、この場の全員が攻めあぐんだ。動くことができない。
唯一無傷のシエイエスも、変異魔導による防御は可能でも、攻撃を当てる方策が思い浮かばず、歯噛みをする。
ヒューイはまさに、見た目とはかけはなれた、難攻不落の個人要塞だ。
云うなれば、「物量」が違う。技の数、技量の厚み、超越的戦闘センス、それを間違いなく実戦で出力する確かな戦闘経験。
相対している絶望感は、間違いなく将鬼の、それだ。
ヒューイは心底うんざりしたような表情で、両手を広げて云う。
「気が済んだか……おまえら? もうあきらめちまえよ。
おれは、ロブ=ハルス様以外にゃ生まれて一度も負けてねえ。統括副将ベルザリオンすら、おれの相手じゃなかった。
どんだけ束になろうが、おれを斃せる見込みなんてねえさ。ただおれの仕事が面倒くさくなるだけだから、そこでじっとしててくれねえ?
ただ――そろそろ、『あのおっさん』のお楽しみも、終わったころだろうなあ。
時間稼ぎも、ここまでだ。おおい、アズラハム副将! そろそろ行くぜ」
ヒューイが声をかけたのは、キャティシアとランスロットの組と戦闘を繰り広げていた、両刃の短剣を使う中年の男だった。
「――おまえらさあ、今からおれたちは紅髪の女魔導士の居場所まで行く。
来たら間違いなく死ぬが、それでもかまわねえって物好きな奴はついてこいよ」
云うとヒューイは、付近の建物に歩み寄り、石壁の一つを押し下げる。
それがスイッチとなっていたのか、建物の壁が音を立てて地面下に下がり、階段を形成した。
その現れた地下への階段を、ヒューイとアズラハムの両副将は駆け下りていく。
「野……郎!!! 逃がすかよ!!!」
「ついてくに――決まってるだろう! ふざけるな! 僕の命にかえてもナユタは助け出す!!」
血相を変えたホルストースと、ランスロットがそれを追い地下への地獄の穴を下っていく。
キャティシアは、迷いを貼り付けた表情で、シエイエスを見た。
シエイエスは、大きくうなずいた。
「彼らについていってくれ、キャティシア。とくにホルストースに追いついて、できるだけ法力で治癒しながら行くんだ。十分、気を付けろ。これは100%罠だ。危険が迫ったら、頭に血が上ったあの二人を止められるのはお前だけだ。
大丈夫だ。お前ならできる。頼んだぞ!」
その言葉を聞き、決意の表情でうなずき返して地下へと降りていくキャティシア。
シエイエスは、ダフネの方を振り返り、云った。
「ダフネ。悪いが俺は行かせてもらうぞ、天守閣へ。
サロメ・ドマーニュと、レエテは――そこに居るんだろう? 俺はレエテのもとに行き、彼女を助ける」
戦場を撹乱しきるつもりが、想像を超える強敵の前に沈んだダフネ。息も絶え絶えに、消え入るような無念の声で云った。
「勝手に……しろ……。だがそこに居る敵は……さっきのジャマダハル使いよりさらに……次元の違う……魔物だぞ……。
私は貴様の無事は、祈らんが……せいぜい、気をつけることだ……」
シエイエスは小さくうなずいた。
「分かっている……。貴官も、死ぬなよ……ダフネ少佐」
云い残すとシエイエスは、双鞭を腰に下げ、一直線に天守閣に向けて駆け出していった。
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その頃、大街路からやや反れた路地に向かい、急降下する存在があった。
デレク大尉の魔導生物、隼のザウアーだ。
「おい、クピードー!! そこにいんのは分かってんだあ!! 姿を現せ! で、止まれ!
さもなきゃあ切り刻むぜ、ああ!? 空飛べんのに地べたをこそこそしやがって!」
その言葉に、透明化を解いて姿を現した3mの翼蛇、クピードー。
「……久しぶりですね、ザウアーどの。
地上を行くのは当然、私は貴方と違って、ガーゴイル達を振り切れるほど速く飛べませんからね。
食物連鎖上は貴方が上ですが、身体の大きさの差からすれば互角。ひけを取るつもりはありませんが……。
ここは柔軟に、お互い協力し合いませんか、ザウアーどの」
「協力、だあ!!??」
「そう、私はこれより天守閣に赴き、将鬼やレエテ様の情報を収集するつもりです。
これは、地上や建物の隙間を移動できず、透明にもなれない貴方には難しい芸当。
それに対して貴方は、再度上空に赴き、残るサタナエルの勢力状況を見極める。
お互い情報交換し、それぞれの勢力に活かす。悪い話ではないでしょう?」
「ケッ!!! 相変わらずつらつらとお上品な理屈を並べやがって!!
……が、確かに悪い話じゃあねえ。乗った。
お互い、30分後には、またこの場所に戻ってくる。いいな!?」
「ご理解いただき助かります。では、もう敵同士ではありますが『幸運を』」
「フン! 『幸運を』! いいかバックれんじゃねえぞ! 必ず戻ってこいよ!!」
そして二体の魔導生物は、それぞれの特性を活かせる戦場へ去っていたのだった。




