第十九話 遺跡のスキュラとガーゴイル(Ⅰ)
期せずして、かつての大敵シェリーディアと手を携え共に闘うことになった、レエテ。
出会いと再会の一戦の後、そのまま野営地で一夜の休息をとった二人。
すでにエストガレス王国領コルヌー大森林に足を踏み入れている彼女らは、西へ西へと進路を取る。
レエテは当然、ナユタ、シエイエスら仲間との合流を目指すつもりだった。
が、ネツァク川の流れは想像していたよりも速く、自分がはるか下流にまで流されてきていることを、シェリーディアより聞かされた。さらにおそらく自分が落ちた地点から、逆方向の上流にある橋に向けて進路をとったであろう仲間たちとの距離は、絶望的に遠かった。
やむを得ず、目的地であるグラン=ティフェレト遺跡での合流を目指し、自分も直接遺跡に向うことにしたのだ。
朝もやと木漏れ日、爽やかな小鳥のさえずりに包まれた、穏やかな広葉樹の森は――。
レエテの中に、かつての懐かしい記憶を呼び覚ました。
最初の仲間であるナユタ、ランスロットとともに、同じ風景の中を歩いたことが昨日のように思い出される。そして同時に――。
「レエテ。アンタにとっちゃあ、この森は――。宣戦布告後、初めてサタナエルと闘った場所でもあるんだろう?
副将トム・ジオットと、レーヴァテイン・エイブリエルの2人に、襲撃を受けた。
そのときの闘いの様子は、サタナエルの中でもしばらく語り草になってたよ」
後ろを振り返り話しかけるシェリーディアに、険しい表情で返答するレエテ。
「ああ……とても、記憶に残っている。厳しい闘いだった。ナユタ達と一緒でなければ到底、勝ち目はなかった」
「10ヶ月ものブランクがありゃあ、そうだろうなあ。そのうちの一人、レーヴァテインはまだ生きてて、今や副将にして“魔人”の親衛隊にまで出世してるけどね。
以前アタシは武者修行のため各ギルドを回って、“短剣”の門を叩いたときにあいつに会ってる。
大した実力でもないのに、ロブ=ハルスの娘だってことを傘に着て――本当にくそ生意気で傲慢な、いけ好かないガキだった。それでつい本気を出して、コテンパンにのしちまったのが失敗だったな。ロブ=ハルスと右腕の男が出てきて、だいぶひどい目に遭わされたぜ。
ただあいつの恐ろしい魔導の才能――アタシは見抜いてた。何の訓練もなく、気づいてないようだったけど、何かの拍子に大化けするとは思ってた。それが的中しちまったが」
「この前エルダーガルドでナユタと闘ったが、次元の違う強さになっていた。フレアの腹心のようだし、これからも私達を襲うだろう。
私にとっては――。この世で一番大事だった人の、直接の死の原因を作った憎い――憎くてたまらない、仇だ。奴、レーヴァテインは必ず、この私の手で殺す」
そして一瞬、鬼とも悪魔ともつかない憎悪の表情を浮かべ、拳を握りしめたレエテは――。
その次の瞬間、両目を大きく開けてハッと貌を上げた。
「? どうしたんだ、レエテ?」
訝しむシェリーディアの問に答えず、両目を閉じてじっと耳を澄ますレエテ。
その鍛えた鋭敏な耳は、迫りくる確実な危機を察知した。
「近づいて、来る。巨大な――生物だ。
一体は、地上から。もう一体は、空から――」
その言葉に、シェリーディアは表情を固くして西の方角を見た。
「とうとう現れたか。カマンダラ教の連中が、あの遺跡の中で育てたという旧世界の遺物が。
丁度、いい。虎狩りの前の、いい肩慣らしだぜ。相手になってやろうじゃないか」
もうすでに、シェリーディアの耳にも、感じられるほど大きくなってきていた。
木々の間を進み、近づいてくる、巨大な足音と振動。上空をゆっくりと進む、極めて大きな翼が繰り出す、羽音。
レエテは両手に結晶手を出現させ、シェリーディアは“魔熱風”を抜いて構え、軽く弦を引いて機構を点検する。
やがて――。
まず、上空からの羽音が、より大きくなり距離を急速に縮めた。
甲高い怪鳥音のようなものも聞こえ、完全に襲撃方向が定まった。
次の瞬間。
「危ねえ!! 耐魔しろ、レエテ!!!」
シェリーディアの警告の叫びが響くと同時に、赤い一筋の光線が上空から降り注ぎ、レエテの眉間を狙う。
シェリーディアは即座に前に出、強力な耐魔を帯びた“魔熱風”の刃をかざしこれを弾く。
光線は屈曲し、彼女らの背後にある樹木の幹を貫き、黒く焦がした。
そして間断なく、その死の光線を放った張本人が上空より姿を現す。
枝葉の向こうに現れたのは、一見人の形をとった造形の背面に、蝙蝠の翼を広げたような、黒光りする全身の、怪物。
2m半ほどの体格。細身だが筋肉の発達した全身。しかし人に比べ異様に腕が長く、その先の巨大な手と足には鋭利な爪が飛び出している。
その頭部は皮を貼り付けた骸骨のように痩せこけ、毛の一本もない頭部には、二本の巨大な角が突き出ている。だらりとした顎が形成する巨大な口には、涎まみれの牙がびっしりと生えていた。その上に――鼻のない貌の上部で開く二つの、妖しい光を放つ白い眼。先程はここから、魔導による光線を放ったようだ。
彫像に宿った魂が命を宿すもの、という伝説のある怪物、ガーゴイルだ。
シェリーディアは躊躇することなく、“魔熱風”の後部ハンドルを動作させ、ボルトの超連撃を繰り出す。
瞬時に放たれた10本のボルト。ガーゴイルは怪鳥音を発し、これをかわそうとするが、うち2本をかわしきることができず――肩と太腿に突き刺さる。
「キィアアアアアアアーーーー!!!!」
悲鳴を上げ、一旦上空へと逃れるガーゴイル。シェリーディアは緊迫した声をレエテに投げかける。
「レエテ!! あの野郎はアタシが引き受ける! アンタは今から来る地上の奴の方を頼んだ!」
シェリーディアはそう云うと、ガーゴイルが退避していった方向へ走り去っていった。
レエテは、それを目で追うことなく、西の方角一点を睨みつけた。
ズウゥウン……。ズウゥウン……。
地響きをたて、樹々を押しのけ枝を折る音。
目前の一本の樹が、手前に倒れたかと思うと――。
「それ」は、姿を現した。
体高は、およそ5m。体幅はおよそ7m。
そのおぞましい異形の特徴は、人間と動物の複合生物であること。
体躯の大部分を占めるのは、山の中腹~裾野のように広がる、合計12個の巨大な犬の頭部と、1個のずんぐりした胴体、数十に及ぶ足。体毛は暗灰色で、剣山ででもあるかのように鋭い。犬の頭部は、それぞれが獰猛に赤い目を光らせて牙を剥き、唸り声を響かせる。
その、1個の胴体の頂上部から、まるで大きな菌類ででもあるかの如く生えている、人間の、身体。
それは――ひとりの可憐な少女の、下腹部より上の上半身、だった。
美しい。むき出しの、きめ細かな白い肌。ほっそりとした体つき、たわわに実る乳房。つややかで真っ直ぐなさらさらの長い髪の下に見える貌も、極めて整っている。ただ人間と違うのは、口から突き出た牙と、妖しいルビーをはめ込んだかのように紅い、獰猛な両眼だった。
レエテは、アトモフィス・クレーターの家にあった書物で読んで、知っていた。
過去、人工的に生み出された複合生物の中でも、非常に危険な部類に入る強大なる怪物。
その名は、スキュラ。
レエテは、動きを止めて自分を観察するスキュラと、しばし睨み合った。
焦りは、禁物だ。このようなパワー型の巨大生物との戦闘においては、カウンターを取ることが上策であり先手は下策。
過去自分とアリアが、相対したトロール・ロードとの戦闘において犯してしまった過ちだ。
レエテは後にマイエからこれを教わり激しく悔い、以後アトモフィス・クレーター内での巨大生物との戦闘においてセオリーを守って確実に勝利してきた。
これまでの例外として連邦王国ガルゴ洞穴のヒュドラがいるが、神代の生物に敬意を表したものであり、特例といえる。
数十秒の睨み合いの後――ついにスキュラが、動いた。
「アアアああアアあアーーーー!!!!!」
この怪物の頭脳にあたる頂上部の少女が、大音量の奇声を発する。
その音波は空気を振動させ、周囲の葉をざわめかせる。
当然ながら人間の聴覚にもダメージを与えるものだ。しかし自らも同種の、しかもより強力な技を使用するレエテは対処も早く、すぐに耳を塞ぎ、鼓膜へのダメージを回避した。
間髪入れず、スキュラは突進を開始した。
その強靭な無数の足のなせる業か、巨体に見合わぬ恐るべきスピードだ。
前方の突端から突き出る、2つの犬の頭部を突出させ、牙を剥かせて襲いかかる。
その巨体、重量のためとてつもないプレッシャーだが――。
レエテは冷静に対処する。
噛み付く2つの頭部の動きを見極め、ひらりと身体を翻して攻撃をかわし、結晶手を振り下ろして1つの頭を切り落とす。
「がアアアアアアーーーー!!!」
少女の口から苦痛と怒りの綯い交ぜになった叫びが発される。
間を置かず、犬の頭部を横に振り打撃を繰り出すが、これも問題なく上体を大きく下げてかわし――。そのまま腰を落とした体勢を活かし、左手を突き出して右手を後方に捻って瞬時に力を溜める。次いでこれを開放し、回転を加えた必殺の刺突を、目の前に露わになった胴体に向けて、繰り出す。
「螺突!!!!!」
その凄まじい破壊力は、胴体を深くえぐり、体内にまで破壊を及ぼし、スキュラの身体を大きくぐらつかせた。
しかし――あまりに巨大な体躯ゆえ、絶命させるには至らなかった。
少女の貌が、激怒のあまり大きく歪み、次の瞬間――。
複数の犬の頭部の口から、緑色の液体が強い勢いで吐き出された。
そのうち一体からの液体が、レエテの右腹部を直撃。
その液体は強酸性と思われ、焼けただれるような激痛とともに腹部を溶かし、内蔵をも溶かし、おびただしい出血とともに大腸がはみ出る。
「ぐあ!!! ああああああ!!!!」
螺突を放ったと思って、油断した。苦痛の恐るべき激しさに、身体を丸めて傷口を押さえる。
だが瞬時に正体を取り戻し、なんとか後方へと下がり距離を取る。
(――倒すには、やはりあの女の身体を攻撃しなければダメか――)
そう考えたレエテの脳裏に――まずはこのような状況において最適最強であろう、仇敵レーヴァテインの全身を使った回転斬撃技が浮かび――。次いでそれに良く似た、はるか昔、親友アリアが自力で編み出したある技の事が思い出されたのだ。
それは、一族女子といえど通常10歳の女児が繰り出すことなどできない、あまりに高度な技だった。
訓練の最中に一度見せてくれたが、到底真似のできる代物ではなかった。アリアの突出した身体能力がなせる業だった。
ただアリアも、「たたかいで出すのはまだまだできないんだけど」、と前置きしていた。
しかし――今の自分ならば、あの技を再現することができる。それも、完全なる実戦レベルで。
(アリア――。私に力を貸して。あなたの遺した技、今私が完成させて見せる!)
苦痛をこらえた決意の表情で、レエテは一気に踏み出し前進した。
スキュラは、それを見て即座に、強酸性の体液を吐き出すべく向けられるだけの数の犬の頭をレエテに向ける。
そしてレエテがスキュラに肉薄し、まさにその体に向けて液体が吐き出された瞬間。
レエテは走力をも変換し、爆発的に垂直跳躍する。
そして――奇妙な構えを取る。右手を肘を曲げて前に突き出し、左手を後ろに突き出す。あたかも走っている最中の腕の振りを途中で停止したような状態のまま、膝を曲げて折りたたみ――。跳躍時にかけていた前転の回転力をもって、垂直の「円」を描くように猛烈に回転する。
前後に突き出した結晶手が、まるで円盤上の刃のように長い軌跡の鋭利な刃物となって、敵を切り刻まんとする。
「円軌翔斬!!!!!」
回転上昇する一筋の刃となったレエテは、瞬く間に5mの高さを上昇しきり――。
そこにある、スキュラの司令塔たる少女の肉体を、縦に切り裂く!
上昇し終えたレエテの身体は後方に反れ、そのまま数m離れた地面に無事着地する。
その眼前で――スキュラの少女の肉体は、驚愕の表情を貼り付けたまま左右真っ二つに――鮮血をあげながら分断されていった。
同時に、頭脳を失ったスキュラの体躯は完全に死に絶え、眼の色を失った犬の頭ともども、大音量を上げながら大地へと崩れ落ちていった。
大きく息を荒げてがっくりと膝をつき、レエテはつぶやいた。
「ハア、ハア……見ててくれた、アリア……? あなたのおかげよ……。
ふふっ……何だかこの技を使うと、あなたの魂と一緒に戦えているようで凄く嬉しいわ。
…………さて、早くシェリーディアを、助けにいかないと……」
息も絶え絶えながら、レエテは立ち上がり、シェリーディアがガーゴイルを追っていった方角に歩みを進めるのだった。