第十二話 ガリオンヌ謀殺行(Ⅳ)~死への抗戦
想定されうる中でも最悪に近い状況下、一行に襲いかかった明らかな罠。
一行の誰もが強烈な反応を示さざるを得ない「餌」を以て、仕掛けられた――死。
正体を失い取り乱し、完全に動きと思考を止めてしまったナユタを狙い振り下ろされた巨石。それは、彼女を巨樹の幹との間ですり潰し赤い血肉のみの存在に変えようと襲いかかった。
「ナユタああああああっーーーー!!!!」
絶叫とともに飛び出した――レエテ。全力の跳躍だったが、ナユタとの距離は約5m。
何とか辛うじて――レエテの手はナユタの背中に届いた。
そして、決死の氷結魔導でナユタを守ろうとしていたランスロットごと、数mの距離を突き飛ばした。
飛ばされ、正体を取り戻したナユタは――。その視界に――。
巨石と巨樹の間に重い、重い衝撃音とともに、自分の代わりに身体を挟まれすり潰される、レエテを捉えた。
「レエテ!!!! レエテーーーーッ!!!!!」
またも半狂乱になり叫ぶナユタ。驚愕に目を見開く、ランスロット。
しかし――上がった大量の鮮血で思い込んでしまったものの、レエテが潰されたのは全身ではなく、下腹部より下の下半身のみ、だった。
「う……ぐううう……うううう……」
苦悶のうめき声を上げるレエテは、残った上半身のみを地に横たえる。そして結晶手を出現させ、激痛に備えて目を閉じ――。すり潰された下半身との間で辛うじて上半身とを接続している背骨と僅かな筋繊維を自ら一気に切断した!
「ぐあっ!!!! ああああああ!!!!」
叫び、切り離された上半身をうつぶせに地に横たえるレエテ。苦痛と出血により虫の息だ。常人なら即死か、長くはない。だがレエテならば上半身さえ無事なら――時間をおけば肉体を再生させられる。
顔面蒼白になりながらレエテに駆け寄ろうとするナユタ同様、愛する女性の凄惨な状況を目の当たりにしたシエイエスも、血相を変えて駆け寄ろうとする。
が――その時。沈黙探索で鍛え上げたシエイエスの両耳は、周囲360°より迫る無数の脅威の襲来を感知した。
そしてナユタとランスロット、後方より追いついてきたホルストースとキャティシアに向かって絶叫した。
「ナユタ!!!! レエテを守れ!!!! 皆!!!! 『矢の雨』に周囲を囲まれている!!!! すぐに全方位を防御しろ!!!!!」
その最大警告が終わりきらぬうちに――。
前後左右、水平天方向全てから襲いくる、鋼矢の雨!
シエイエスはその矢の雨の中心に位置し、最大密度の矢が迫った。やむを得ずその場に停止し、瞬時に伸長させた両手の鞭をしならせ神速で振り撃ち落とす。かわしきれない矢は変異魔導による身体変形により常人に不可能な回避を行う。
キャティシアは血破点を打ち、強化した肉体と反応速度で対応しようとするが、防御の技術自体が未熟だ。
ホルストースがキャティシアに覆いかぶさるようにしながら、ドラギグニャッツオを縦横無尽に振り、どうにか矢をすべてしのぎ切った。
そしてナユタは、どうにか集中力を取り戻し、“赤雷輪廻”を繰り出し、その業火の輪で矢を焼き尽くすそうとする。自分とランスロット、レエテを守るため。
しかし――。リカバリーのタイミングはほんの僅か、遅かった。
数本の矢が生き残り、うち一本がナユタの左腕を貫通。もう一本が――無防備なレエテの頭を、貫通した!
「レエテッ!!!! あああ――!!!」
ナユタが涙をしたたらせ叫ぶ。すでに意識が朦朧としていたレエテは、白目をむき完全に意識を失った。
「気をしっかり持て!!! ナユタ!!!! レエテは大丈夫だ!!! 今は周囲の敵に集中するんだ!!!!」
ランスロットが絶叫する。精神のダメージを振り払うようにナユタは一度強く左右に頭を振ると、樹の幹と自分の身体でレエテを守るように、移動し構えをとった。
「サタナエルだ!!! 敵の距離はおそらく30m四方!!! 弓を持った兵20人!!!
逃げても樹上を追ってくる!!! ホルストース!!! 俺と一緒に奴らを叩き潰すぞ!!
ランスロットとキャティシアは今いる樹を背にして、扇状に150°の範囲で相手が見えたら樹上を狙え!!! ナユタは防衛に徹しろ!!!」
シエイエスの瞬時の的確な状況判断と指示が、一行に飛ぶ。それを聞いた全員がすぐに動作を開始した。
申し合わせたようにシエイエスとホルストースが別々の方向へ、敵を求めて飛び立つ。
同時にランスロットとキャティシアは樹まで後退し、周囲を見渡しつつ攻撃準備に入る。
二本の鞭を枝に巻き付け、樹上まで一気に飛び上がるシエイエス。
枝への着地と同時に、離れた樹上で弓を構える3名の射手を捕捉する。
射手は即座に矢を放ったが、シエイエスは鞭の柄の仕込み短剣で見事弾き飛ばし、そのまま鞭を打ち付ける。
矢よりも速いスピードで敵に到達した、黒い鋼線で構成された鞭の先端は、一人の敵の手首を切断、弓を取り落とさせる。
次いで二本の鞭を同時に伸ばし、二人の敵の頸と肩にそれぞれ巻き付け、一気に引いて微細な刃の食い込みによって瞬時に切断する。
ホルストースは、助走の後剛槍を地に突き立てて大きく身体を高跳びさせ、放物線を描いて樹に足がついたところで槍を引き抜き構える。
付近にいた2人の敵射手を捕捉。皇都で仕入れた、槍の先端に装着し柄を伸長する魔工具の部分を握り込む。そして柄の先端を長く持った、直径8mにおよぶ死の旋風を繰り出す。ドラギグニャッツオの破壊力を利用した切断により、葉、枝、幹ごと敵の頸と身体を切り裂き仕留める。
ナユタは、なおも防戦を余儀なくされる。この場でサタナエルが、本当に仕留めねばならないのはレエテ一人だ。未だ何人かの射手が矢を放ってくる。が、今度の体勢は万全だ。負傷した左手は使えないが、右手による炎の輪により、尽く攻撃を無効化する。
接近戦に持ち込まれ、混乱を生じた射手達を、地上で目を凝らすランスロットとキャティシアが捕捉。
ランスロットは氷の矢を、キャティシアは皇都で仕入れたオリハルコン製弓と矢を構え――。
視認できた、逃走を図ろうとする射手を次々射殺した。
(仕留めたのは……8人、か……)
シエイエスは、大半の敵が逃走した西方面への追跡を決意。
「ホルストース!!! 自分の速度で、付いてきてくれ、奴らを追う!! ナユタ!!! 皆と周囲を警戒し、レエテを守りきってくれ!!!」
仲間に指示を飛ばし、シエイエスは移動を開始する。
その2つの鞭を極めて巧みに使い、猿も遠く及ばない速度で樹を一足飛びで移動していく。
それを舌打ちしながら地上に降り、走って追跡するホルストース。
「速えんだっつうの……! 馬で地上走ってんのと変わらねえじゃねえか、てめえ……。こっちは徒立ちなんだからよ!」
やがて樹が途切れる開けた場所に出た、シエイエス。
樹を降り、切り立った岩場の間を駆け抜ける。
岩――というか岩壁は高さ10mにもおよび、その間にある幅3mほどの通路が奥行き100mほどに渡って伸びている。
30mほど入った、その時。
周囲の岩壁の上から、異音が響き渡り――。
それは徐々に、徐々に――大きくなっていく。
(――しまっ――た!! まずい!!!!)
シエイエスが、敵の策略と己の失策に気づいたときには――全てが手遅れだった。
岩壁の上から、幾つもの巨石が転がり落ち、谷場にいるシエイエスを押しつぶそうと迫る。
巨石の数と大きさは、岩壁の間を埋め尽くさんばかりであった。巨石を破壊する力に欠け、得意とする変異魔導が回避するに向かない巨大物体の攻撃を前に、歯噛みするシエイエス。
一か八か、鞭で地面を掘り、身を隠すしかないと考え始めた、その時――。
「シエイエス!!!!」
鋭い叫び声とともに――追いついたホルストースが跳躍してシエイエスの前に踊り出る。
「おおおおおおらあああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
裂帛の気合とともに、ドラギグニャッツオの絶対的破壊力と強力な膂力を武器に――。巨石を両断し、吹き飛ばし、頭上への落下の脅威を排除した、ホルストース。
周囲は落下した岩石で埋め尽くされてしまったが、命の危機に対し乗り切った安堵で大きなため息をつくシエイエス。
「――礼を云う、ホルストース。お前が来てくれなかったら、俺はこの岩石に押しつぶされて即死だった」
「ハッ、正直全力でお前を助けたいかというと、『そうでもねえが』……貸しは貸しだ。
ただ、そいつは俺を付いて来させたお前の戦略眼の成果だし――。さっきのお前の凄まじく的確な指示のおかげで俺たちは助かったことを考えりゃあ、おあいこってところだな」
ニヤリと笑いを交わした2人の男の頭上から――何やら、わざとらしい拍手が鳴り響いた。
「――お見事。お見事としか、いいようがない!
サロメ様が考案し、我ら“投擲”ギルドの兵力を結集した殲滅作戦をしのぎ――。見事生き残って見せた手腕。
シエイエス・フォルズ。君という司令塔の判断力と指揮力、一派の団結力、個々の戦闘力など、あらゆるものの勝利だ。今回は潔く、僕も負けを認めよう」
その男は――。慇懃無礼といえるその台詞を発する非常に甲高い声とは裏腹に、極めて筋骨隆々の、190cmは超えると思われる大男だった。
身体も、引き締まった筋肉質の肉体。白の軽装鎧に黒い手袋とブーツ、白いフードの下に垣間見える整った金髪。その下の白い肌の、目庇の深い、非常に彫りの多い印象的な貌。
そして背に負われた――あまりに太い木製の、巨大な弓。名乗ったとおり、“投擲”ギルドらしい。
シエイエスは、男を憎悪に満ちた眼で睨みつける。
「白々しい台詞を吐くな……! 貴様らの手には俺たちの仲間、俺の家族である男の身柄がある絶対の、有利な状況。それによってほぼ目的は達しているんだろう?
それに甚だ礼儀も失しているな。せめて、まずは自分の名を名乗ったらどうだ?」
「おおそうだ……たしかにねえ。僕の名は、ゼグルス・フェリシアー。“投擲”ギルド副将だ。
付け加えておくとシエイエス、君がドゥーマで戦ったというシェリーディア、あいつさえいなければ統括副将になっていた男だ。すなわち現在のギルドNo.2。以後お見知りおきのほど」
うやうやしく礼をするゼグルスに対し、ギリッと一度歯を噛み鳴らすシエイエス。
「教えろ……ルーミスは、どこにいる?」
「よくぞ聞いてくれた。君の愛しい弟はね。エストガレス王国、コルヌー大森林北部に広がる広大なカマンダラ教の遺物にして迷宮、グラン=ティフェレト遺跡に連行された――」
その台詞を終わる直前にゼグルスは、死の気配を瞬時に察し、首を大きく右へ曲げた。
かわす前には頸動脈があった部分を、下から上へ猛烈な速度で付き上がる「刃」。
刃渡り20cmほどのその刃は、黒い鋼糸の鞭の先端にアタッチメントとして取り付けられていた。
シエイエスの、皇都で入手した新規の道具による、不意打ちだ。
刃はゼグルスの左頬をかすめ、縦にまっすぐ赤い傷を生成した。
「くははっ!!! 全く食えない男だね、シエイエス・フォルズ。喋らせるだけ喋らせて油断を誘い、必要な情報を聞き出すと同時に地獄へ落とす、と?
気に入ったよ、お前。おそらくこの話を聞けば、サロメ様も同様だろう。
今回のところは――深追いはしないよう、あの方から指示を受けている。さっさと退散するよ。
まあせいぜい、小賢しい知恵をこねくりまわしてやって来るがいい。肝心のレエテ・サタナエルを『必ず』連れてな――」
云い残すと、ゼグルスは岩壁の向こうに姿を消していった。
切り立った岩の上の位置を取られ、無数の岩で機動力を封じられているシエイエスとホルストースには、彼を追う術はなかった。
シエイエスはゼグルスの去った後を睨みつけ、次いで、北西のグラン=ティフェレト遺跡の方角に遠い目を向けるのだった――。