第十一話 ガリオンヌ謀殺行(Ⅲ)~“背教者”ルーミス
美女の姿をした魔性の女羅刹、“眼殺の魔弓”サロメ・ドマーニュ。
その標的としてルーミスに、高らかに云い渡された瞬殺の宣言。
体勢を立て直した時点で自身に血破点を打っていたルーミスの身体は、膨張し戦闘準備は万全だった。
“聖照光”のもつ増幅、中継機能によって以前より強化された武器である法力の準備もしかり。
あとは行動の選択だ。隙を見出し、戦術をもって攻め込むか、全力をもって逃走するか。
しかし逃走は――選択できない。相手はあのサタナエルの“投擲”ギルド将鬼。かつてドゥーマで遭遇して手も足も出なかった相手、統括副将シェリーディアより上の遠距離攻撃の使い手なのだ。狙撃によって負うリスクがあまりに大きすぎる。
まだしも、敵が苦手とするであろう近距離白兵戦に持ち込んだ方が望みがある。
ほんのコンマ秒の思考の後、ルーミスが一気に踏み込もうとしたその瞬間。
――まるで、瞬間移動したとしか思われぬ様相で――。
美しい魔物の凶悪なる表情の貌は、すでにわずか1mの距離に迫っていた。
周囲の空気がブンッ! と震えるのを感じると同時に、両脇から驚異的速度で迫った両の手が、ルーミスの両肘付近を獲物に相対する猛禽類の爪のごとく捕らえる。
形容しがたい握力を感じたときには、すでにあらぬ方向に両腕の肘下が曲げられ、極めて不吉な鈍い音とともに上腕骨を開放骨折させられていた。
電気が走る、などという表現では到底表しきれない、全身を貫く激痛。
「――1――」
サロメの口から、低く発されるカウント。
次いで、腰を低く落とし、上体を屈め、左足を震脚させ、右足から右手先に集約された掌底が――。
下方から、ルーミスの鳩尾付近に突き上げられる。
掌底は胃の付近を陥没させ、めり込んだ衝撃が胸骨に損傷を与え、内部を破壊する。
したたかに吐かれたルーミスの血を髪や貌に浴びながら、立ち上がるサロメ。
「――2――」
サロメは腰の背後にセットされた二枚のチャクラムを取り出し、山なりに流麗な放物線を描きながら下方へ流し、ルーミスの両の太腿を切り裂く。
魔工品の加工のように正確に水平に刻まれた、乱れのない赤い直線のような傷から、鮮血が噴き出す。
「――3――」
崩れ落ちるルーミスの上体の、頸の後ろへ向けて、サロメが右の肘打ちを繰り出す。
衝撃により彼の身体と貌は、強烈に大地に叩き付けられる。
岩盤すら陥没させ、衝撃音が周囲に木霊する。
「――4――」
そしてサロメの右足のブーツの踵が、ルーミスの後頭部を踏みつける。
「ぐっ――!!! ああああああああぁぁぁぁあ!!!!!」
上げる暇も許されなかった、ルーミスの時間差の悲鳴の絶叫が、この時点でようやく森林内に響きわたった。
「――5――。
有言実行だ、ルーミス・サリナス。
大人しく、このサロメ・ドマーニュの虜囚となるがよい。貴様には、重要な役目がある。
まあ、すでに男との恋に夢中だというレエテが、貴様をどこまで本気で助けにくるのか多少疑問ではあるが。
奴も最早、いつ何時その男との赤子を腹に宿してもおかしくない事態。サタナエルの血の流出を何としても防ぐためには、事は急を要するのでな」
全身の激痛の中、ルーミスの耳には、サロメの言葉はとぎれとぎれにしか聞こえていなかった。
何を、されたのか分からなかったも同然。これだけの身体破壊を施された「5」つの連撃は、ルーミスにとっては一瞬のうちだった。
油断していたつもりは、微塵もない。相手が弓にだけ頼る程度の戦闘者だとも思っていない。将鬼とは、観戦経験も実戦経験もある。次元の異なる強さを想定していたつもりだ。
にも関わらず――。
まさしく、赤子の手を一捻りにされたのだ。
何という、化物、魔物――。
そして実力もさることながら、その決して巨体でも異相でもない身体から発される圧倒的プレッシャー、残虐性は身体の芯からルーミスの体温を奪うほど悍ましかった。
自分が利用されてはならない。女でありながらソガールも、レヴィアタークも凌駕するこの魔物相手に、レエテを不利な状況に追い込んではならない。何としても自分の連行を阻止しなければ――。
そのために、最も手っ取り早い方法といえば――。
強力な決意を固めたルーミスが、行動に及ぼうとしたそのとき。
サロメの手が、ルーミスの両頬を万力のごとく掴んで引き上げた。
舌にわずかに歯が入っていた彼の口から、血がしたたる。
「私の許可なく、勝手なことをするな……自殺など、させん。噂通り、ずいぶんとヤンチャな坊主のようだな、貴様。
死ぬより辛い仕置を――くれてやらねばな」
云うとサロメは、ルーミスの折れた左手を無造作に掴み、折れたのと反対方向に回転させながら掌底を食らわし潰した胃の付近に向けて、背中からグリグリと押し付けた。
「ん!!!! んんんんんんんんんんーーーー!!!!」
この世のものとも思えない、想像を彼方に追いやる極限の激痛。
ルーミスは白目を剥きながら、己の口を押さえるサロメの手に全咬筋力を以て噛み付いた。
貌をしかめるサロメだったが、その眼には、悍ましい愉悦が爛々と輝く。
虐待・苦痛を与え、その反応を見ることに性的快感を覚える、真正のサディストだ。
サロメは左手を掴んでいた方の手を放し、懐から刃渡り10cmほどの鋭利な小刀を取り出す。
「良いことを思いついた……。貴様への仕置と、レエテらへの心理的苦痛を同時に与える、一石二鳥の方法をな……」
*
その頃、レエテら一行の間では、恐慌状態が巻き起こっていた。
ルーミスが居ない、どこにも。時間が経過したが、戻ってくる様子もない。
行方をくらましたのだ。最初に探し始めたレエテとナユタをはじめ、ランスロット、起こされたシエイエス、キャティシア、ホルストースも動員して、周囲の捜索に当たっていた。
それだけ手を尽くしても、周囲には全く居ない上、歩いた形跡もない。
一行は、元の場所に一旦集合していた。これからどうすべきか、議論するために。
「本当にすまない、みんな……。僕が、しっかり見ているべきだった。見張りをしていたのに、全くルーミスに気づかなかっただなんて……」
視線を落とすランスロット。ナユタが云う。
「よしな……ランスロット。あんたのせいじゃあない。
状況を総合すると……ルーミスの奴は、あたし達一行から抜けるつもりだ。ならば行き先は、おそらくランダメリア。あんたの警戒が最も薄かった方角。しかも、あいつはあんたに気づかれないように、ある距離までは気配を消し、痕跡を残さずに立ち去ったはずなんだ」
そう結論付けたナユタ。ことここに至っては、ではルーミスがなぜそのような行動に出たのか仲間に明らかにせざるを得なかった。覚悟を決めて皆に全ての事実を話す。
自分とシエイエスの関係、ルーミスにそれを知られたこと、レエテにルーミスが襲いかかったが思いとどまったこと、その際自分とシエイエスの関係をレエテが知ったこと。さきほどレエテの誤解は解けて和解したこと。
その話を聞いたシエイエスは眉間に皺をよせて両目を閉じ――。キャティシアは嫌悪感に満ちた目でそのシエイエスとナユタを交互にみやり――。ホルストースは険しい貌で一つ舌打ちをした。
心に何かを思いつつも、現在の状況を鑑みて言葉を発さない彼らをみやり、ナユタは云った。
「そう、何か云いたいことを云うのは、後だ。シエイエス。あんたのクピードーは、今何処にいる?」
シエイエスは、低く答えた。
「ルルーアンティア孤児院だ。まだランダメリア周辺には“幽鬼”がうろついている可能性がある。3日は様子を見て張り付くように指示をしてある」
「わかった。空からの捜索は諦めて、あたし達でルーミスを探そう。まずは、北に進路を取る。皆、協力してくれ」
そう云って、荷物は一旦置いて歩き出すナユタに、一行は従った。
すでに完全に夜も開けた森林内。朝の爽やかな空気とは正反対に、その中を歩く一行の雰囲気は重苦しかった。
しかしながら、ルーミスを見つけ出したい気持ちは、皆が強く共有していた。周囲を見回し、気配に耳と肌の感覚を澄まし、怪しい箇所があれば脇道に逸れて捜索する。
ランスロットが、気配に神経を集中しながらも、ナユタに話しかける。
「ナユタ……。何年前だったかな……。アリストル大導師が、作られて間もなくの僕を見て君に諭したことを覚えているかい?」
ナユタは、険しい貌をしたまま応えた。
「ああ……なんとなくは、ね。もう昔のことだ。詳しくは覚えちゃあいないよ」
「魔導生物を創造するのは、一流魔導士の登竜門だ。大導師は君を祝福するのと同時に、こう云った。
『お主は力がある。知恵もある。歯に絹着せぬ言動と行動力がある。しかし同時に――。情もある。今おまえがランスロットに抱いておる情はあまりに深すぎ、それはいずれおまえを滅ぼしかねん。おまえを案じるからこそ云う。意識して、距離を置くのだ、ナユタ』ってね。
正直、今の君の貌――そのときと、そっくりだ」
「何が、云いたいんだい?」
「あまり、彼に情を募らせすぎないでくれ。
……残酷なようだけど、今ルーミスは危険だ。どういう状況に――なっていてもおかしくはない。
そのもしもの状況を目の当たりにしたとき、君が自分を見失ってしまったら、もう僕たち一行はどうなってしまうかわからない。
少しでいい。意識して冷静になってほしいんだ」
「――おばちゃんと、同んなじこと云うんだね、あんた。心配は無用だよ。あたしはいたって冷静さ。もちろん、ルーミスを見つけ出すそのときまでね」
そう云って、ランスロットを振り向いたナユタの顔色が、変わった。
ランスロットは、その真っ黒な瞳を、極限にまで見開いていた。
そして、そのげっ歯類特有の前歯をむき出しにして、口を大きく開けていた。
さらに、はっきりと視認できるほどに、上下に身体が震えていた。
ナユタが青ざめ、ゆっくり、ゆっくりと――ランスロットの視線の方向を振り向こうとする。
ランスロットの、あまりに強い調子の、警告の叫びが響き渡る。
「ダメだ!!! 見るんじゃない!!! ナユタ――!!!!」
しかし、遅かった。
ナユタは、見てしまった。
彼女らの視線の先は、ひときわ目立つ巨樹の幹だった。
そこに、奇妙なものが短刀で打ち付けられていた。
一見、小さいが何かのビラのように見えたが、紙にしては、白さの中に黄味がかかっている。
中央には、2つの、黒いルーン文字。
10cm四方ほどの、風にはためく正方形の「それ」は――。さらに、縁から見える色が赤黒く――大量の血を、滴らせていた。
それは――紙などでは、ない。
人間の――「皮」だ。
二文字のルーン文字は、「背教者」――すなわち「それ」は――。
深く切り取られた、ルーミスの、頸の後ろの、皮だ。
ナユタの、恐るべき絶望を貼り付けた蒼白の貌。
その中で、極限に見開かれた両眼同様、大きく開いた口から、悲痛を極る悲鳴が響き渡った。
「い、い、い……………いやああああああああああああ!!!!! あああああああああっ!!!!!」
ナユタは頭を抱え、地にうずくまった。
悲鳴を聞き、即座に振り返ったレエテが見たものは――。
その、ナユタの背後から迫る、巨樹の枝にくくりつけられた鎖に繋がれた――。
3m四方もの、数十トンに及ぶであろう、巨石――死の鉄槌であった!




