第十話 ガリオンヌ謀殺行(Ⅱ)~傷心の童子と、試練
夜も明け、空が白み始めようとする、午前5時頃。
やや明け方の低下した気温のために、身震いしたナユタ。
彼女も、普段はキャティシアなどと並んで寝ることが多いのだが、今晩はたまたま一人での就寝であった。
あまりに下半身に肌寒さを覚えたため、裾を直そうと薄目を開け、上体を起こした、そのナユタの視界に。
突如、あまりに近い場所にレエテが横座りの状態でいることが認識され、肝を冷やして小さな悲鳴を上げるナユタ。
「わっ……! な、何だい、レエテ……。驚かすんじゃないよ……、びっくりするじゃないか。
いつからそこに、居たんだい?」
「…………」
ナユタは問うたが、レエテは黙っていた。
ナユタは目を細めて、レエテの様子を見た。明らかに、何かがおかしい。いつもの彼女では、ない。
話しかけているナユタと目を合せない。下の一点を見たその目の下には隈ができ、昨晩の酒盛りをしていたレエテとは別人だ。おそらく全く眠れていない上に何らかの心労が影響しているのか、3日4日眠っていない人間の状態であるかに見えるほどだ。
何か深刻な問題をかかえ、ナユタを起こして相談しようとしたが躊躇し、そのまま側に座ったまま行動を起こせないでいたところに、ナユタが自分で目を覚ました。そんなところだろう。
「レエテ……あんた、まともな様子じゃないよ。いったい、何があったんだい? あたしに何かを相談したくて来たんだろ? どうしたっていうのさ」
「ナユタ…………。
相談…………そうね、そうとも云う、かしら。
いろいろと……聞きたいことが……あって……。
話が、したいの…………あなたと…………シエイエスの、こと…………で」
低く、低く発されるそのレエテの言葉を聞いたナユタの貌が――。
一瞬にして、凍りついた。
聡明なナユタのこと。レエテの深刻な様子に加えて、「あなたとシエイエスのこと」……。その言葉で、即座に察した。
そう、レエテは問い正しに来ているのだ。何らかの手段でナユタとシエイエスの過去の関係を知り、それは一体どういうことで、今もそれは続いているのか。その事実関係について。おそらくはナユタに対する激しい怒りと、ともに。
「あ、あ、ああああ………ううう…………」
ナユタは激しく狼狽した。彼女がこのように取り乱したのは、ドミナトス=レガーリアでのルーミスの危機のとき以来だが、ある意味それよりも狼狽の度合いは大きかった。
背筋が硬直し、冷や汗が何条も流れる。大きく生唾を、飲み込む。
そこまで狼狽する訳は――。今や魂を分けた親友になれたといえる大好きなレエテに、絶対に嫌われたくないからだ。
レエテがどこまで知っていてどの部分に怒っているのかわからないが、場合によっては自分と恋人になった男と関係した女として罵詈雑言を投げつけられ、絶交に加え憎悪の対象となる危機だ。レエテの放つただならぬ怒気が、ナユタを心底恐怖させた。
「その反応……! あなた、やっぱり……やっぱりシエイエスと……!!」
「あ……の、その! ごめん!! 本当にごめんなさい!!! レエテ、許して……!!」
ナユタは大慌てで、その場に突っ伏し、レエテに深々と頭を下げた。
「あたしが……あたしが軽率だったんだ。考えなしだったんだ。
本当に、率直に云って、悪気はなかった!
あたしは確かに、シエイエスと何度か寝た。それは事実だ!」
「……どうして、それを、黙って……!! いえ、じゃああなたは、いえ、あなた達は……私をだまして、のぼせている私を、あざ笑っていたの……!?」
「? あなた達……? あざ笑う? よく分からないがこれだけは云っとくと、シエイエスを誘ったのは、あたしだ。もちろんその誘惑に乗ったのもあいつだけど……許してやってくれ。そのときは名前だけであんたという人間のことなんてあいつは知らなかったし、あたしだって……。シエイエスとあんたがそういう関係になるって知ってたら、絶対に手なんて出さなかった」
「?? 私という人間を、シエイエスが知らなかった……? ちょっと待って、じゃああなた達2人が関係していた、というのは一体いつのことなの?」
「時期を、知らないで聞いてたのかい? ドゥーマでシエイエスとあたしが会った最初のときから2週間の間さ。ドゥーマ伯に化ける予定だったあいつと、作戦を練ってる間にね……。あたしは大分男とご無沙汰で、あいついい男だから……。けど、あたしもあいつも性格の相性は全然合わなくて、そのときは……云い方良くないんだけど身体だけの関係で、その後はそれっきりさ。まず誓って云えるのは、あんたとシエイエスが出会ってからは一切関係していないし、そのよりを戻すなんて金輪際考えてないってこと」
早口で弁解をまくしたてるナユタ。それを聞いたレエテは――魂が抜けたように脱力し、大きなため息を漏らした。
貌の険が取れ、次いで、ポロポロと大粒の涙を流して泣き出し始めた。
「……良かった、良かった……。私、てっきり彼とあなたが深い仲で私を騙しているか、彼があなたと私と同時に関係しているんじゃないかと……思って。もう、どうしようもなく悲しくて、腹立たしかったの……。眠れなくて……。憎しみさえ感じてここへ来てたの。
私を知る前に他の女性と何かあるのは、当然のことだし、何も私が云うことじゃないし気にもしないわ。良かった、本当に良かった……」
シエイエスもナユタも、ごく自然に行動した結果関係し、その後シエイエスは自分と知り合い愛し合うことになった。全くの潔白で誰も悪くないことが分かった。その安心感からの涙だった。
ナユタも心底ホッとした様子でようやく貌を上げた。
「あたしも安心した……。あんたは過去のことに怒ってたんじゃなく……。あんたが怒ってた部分が、誤解だってことが伝わって。まあ、知り合う前の関係した女が、あんたの知ってるあたしだってことは、そうは云っても感覚的にすごく引っかかるところかもしれないが……そこは勘弁してくれるかい?」
「……ええ、正直に云うと、そこは頭で分かっていても、どうしても気になるところではあるけど……。気にしなくなるよう努力する。
……正直に、全てを話してくれて、ありがとう、ナユタ」
「いやいや、いずれは話さなくちゃいけないことだったかも知れないし……。何せ、まずシエイエスじゃなくあたしに問いただしに来たのは、大正解だ。万が一にも、このことで折角くっついたあんた達がギクシャクなんかしたら、あたしは耐えられない。このことは、シエイエスには話すんじゃないよ」
「ええ……そうするわ」
「ところで……。あたしとシエイエスのこと、一体どうやって知ったんだい?」
レエテは視線を落として、押し黙った。
ルーミスが秘密を暴露した、などと云えば彼とナユタの人間関係にヒビが入る。
彼は確かに衝動的にレエテを無理やり暴行しようと――それがレエテほどの腕力の女性に実現不可能であったろうことは別問題として――したかもしれない。が、すぐに己の過ちに気づいて未遂に終わったし、すぐに謝罪をした。秘密の暴露についても同様だ。
レエテはルーミスに対して全く怒ってはいないし、責める気もない。彼の不利になることを云いたくなかったが、レエテは嘘が下手だ。何も云えないでいた。
その様子を目を細めて見ていた鋭いナユタには、案の定見破られてしまったようだ。
「――ははあ、そうか。ルーミスの奴がバラしたんだね。ランスロットの奴はああ見えて口が固いからね。おそらく兄貴にあんたを奪われた悔しさが募ったあいつがとち狂い、普段の理性を失ってつい兄貴を貶める事実をあんたに口走っちまった、そんなところだろ?」
レエテは青ざめ、目を見開いてナユタに云った。
「ナユタ……ルーミスを、どうか許してあげて。彼もすごく感情的になって私に色々と過ちを犯してしまったけれど、その秘密のことも含めてすごく反省していたし――。しっかりしているとはいえまだまだ……子供だもの、仕方ないわ。さっきのあなたの言葉じゃないけど、このことであなた達2人が険悪になったら、私耐えられない」
「……ほんっとにあんたは、優しいよね……レエテ。たぶん今想像した、あいつがあんたにしたことをもしあたしがされたら、引っ叩いてやるだけじゃすまないけどね。秘密はまあ元はあたしのした事だし、ルーミスには恩義もあるし、あいつをそこまで責めようって気はあたしにもないよ。もちろん、キツい刺さる一言ぐらいは云ってやらないと気が済まないけど」
その言葉にほっとしたレエテは立ち上がり、踵を返した。
「それじゃあ、ルーミスを探しに行ってくるわ。今頃もう、こっちへ戻ってきているかも知れないけど」
それを聞いたナユタも、肩をすくめながら立ち上がった。
「それなら、見張りをしてたランスロットにまず聞きにいこうよ。必ずあいつが捕捉してるはずだからね」
*
その頃、一人森林の中を呆然とさまよう、ルーミス。
彼は1時間ほど前、彼にとって許されない過ちを犯した直後、全力で逃げ出した。
もう、一行に身を置く資格もないと思った彼は、見張りのランスロットの目にも止まらないように巧みに「脱出」をしていたのだ。
自己嫌悪の、極みだった。最初は、自ら命を断つことすら考えた。
それは思いとどまったが、もうレエテらの元に帰るつもりは、なかった。
故郷の法王府に自分の居場所は、ない。ランダメリアに戻って、カール元帥かランドルフを頼り、独自にロブ=ハルスへの復讐を模索するしかない、などとぼんやりと考えながら北に向かって歩いていたのだった。
明け方の小鳥のさえずりが響き始め、一日で最も冷たい風が木立を抜けて、身にしみてくる。
目の下は落ち窪んで、瞳も生気を失い、足を引きずるように歩くルーミスは、前方に――。
一人の、人間の気配を感じていた。
朝靄の中を、こちらに向かって近づいてくる人影。
まず目に入ったのは、背負われ肩から突出した「弓」だ。この森林地帯であれば、狩人など珍しくはない。
次に、175cmほどの身長、すらりとした姿勢の良い姿、肩までの黒い艷やかな髪、などが目に入り、何とか女性であることが見て取れる。
ただ身体を黒いマントで完全にすっぽりと覆っているため、服装ははっきりとわからない。
貌は――薄暗い上に靄の中ゆえ、はっきりと見えないが――極めて、美しい女性と見えた。
ルーミスは、その姿に、彼の想い人の姿を重ねた。
「レエテ……?」
低くつぶやいたルーミスの声を聞いた女性が、それに応えた。
「レエテ……? はははっ、それは、誰のことだ? 人違いさ。
私の名は、サリー。この森で、一人で狩人をして暮らしている女だよ。
君は……その格好、法王庁の関係者か何かなのか? どうして、この森へ?」
ルーミスは力なく引きつった笑いを浮かべ、その女性、サリーに返答する。
「まあ、な……。『元』法王庁所属、だが。名は、ルーミス、という。
オマエは……どこに住んでいて、どこから来たんだ? すまないが……少し水を、恵んでくれるとありがたい。ちょっと事情があって、着の身着のままで来てしまったんだが、ランダメリアまで歩かなくてはならなくなってな……」
サリーは首をかしげ、次いで微笑むと、それに応える。
本当に……美しい女性だ。雰囲気からして実年齢は若くはないのだろうが、それを感じさせない特徴――。肌のつやといい、ハリのある身体のシルエットといい、ややクールながらも絶対的な美貌といい――。思わず見とれてしまうほどだった。
「おかしな事だね……。30kmも離れたランダメリアから、着の身着のままで来たっていうのかい……? まあいいや。水も食料も衣服も、何なら路銀になる金貨も、分けてあげられるぐらいには有る。ついておいで。私の小屋は、ここから1kmぐらい北の高台にあるんだ」
踵を返し歩き出し、ついてくるように促したサリーに付いて、ルーミスも歩き出した。
並んで歩く2人は、身長差から姉弟か、母子のように見えた。
500mは歩いただろうか。
徐々に木漏れ日も差し始めた森林は、川のせせらぎと鳥のさえずりが交差し、立ち止まって深呼吸したくなるほどの爽やかさに満ちていた。
「ここは、本当にいい環境だな……。オマエは、ずっとここで暮らしているのか……?」
「ああ、そうさ。元々、寡婦だった母と二人で暮らしてたんだが、10年前に母が亡くなってからはずっとひとりさ。まあ賑やかな街は好きじゃあないし、こういう落ち着く環境だし、私はとても気に入っているよ……」
と、数歩歩いたところで、サリーの歩みがピタリと止まった。
「……どういうことだい、ルーミス、だっけか……説明してくれるかい?」
歩みを止めた訳。それは、サリーの首後ろにピタリと突きつけられた、ある「凶器」ゆえだった。
わずか1cmの距離でサリーを狙っているのは、「金属の指」だった。
金属の指は1mほども伸び、その根本の金属の拳を経由して、同じく1m伸びた手首を経て――ルーミスの、右腕に達していた。
魔導義手“聖照光”の伸長機能による、サリーへのルーミスからの攻撃準備、だった。
「動くな……。両手を、上げろ。
云うとおりにしなければ、即座にオマエの頸部血破点に強力な法力を流し込む。オマエの血流と血管運動は過剰な反応を始め、その頭が血の詰まった風船のように破裂することになる」
サリーは表情をこわばらせ、云うとおりにした。
「私は、こんなことする理由を説明してくれ、といったんだが」
「してやるとも。まずオマエは、嘘をついている。オマエはここに住む狩人なんかじゃない。
ここガリオンヌ統候領は、海岸線の豊富な水産資源で成り立つ地域。一般民衆の女は基本的に、海岸部で漁をする海女か、水産品を加工する仕事に従事する義務がある。それを免除されるのは、海以外の仕事に従事する夫や父親をもつ家族だけだ。『女手ひとつ』だとか、女一人で狩人などということは、ここでは有り得ない。四騎士のエティエンヌという男が、教えてくれた。
オレがよそ者だと思って、油断したな」
「……」
「もうひとつ。オマエが今背負っているバカでかい弓――。布で覆いをするところまでは良かったが、詰めが甘かったな。ほんの数mm、隙間から中身が見えているぞ。その、独特の光沢――。つい最近、立て続けに、見た。最硬金属『アダマンタイン』。一般人に手に入れようもなく、東の連邦王国王族以外にこれを持つのは――。オマエ達以外には、有り得ない――。
そうだろう!!! 『サタナエル』!!!」
それを聞いたサリーの貌が――。
一瞬にして、悪魔のごとき邪悪な様相を、帯びた!
そして――およそ人間には成しえない速度を以て、上げていた右手を首の後ろに動かし――。
“聖照光”の指をがっしりと、掴んだ!
それは――。まさに化物じみた、超々怪力だった。
血破点を打った自分でも足元にもおよばないのが、手に取るように分かる。
「ぐ、ぬうううううう!!!!」
すぐに、自分の右腕に“定点強化”を打ち込み、反撃に移ろうとするルーミス。
しかしその動きは――信じがたい動きで180°後方を体ごと振り返ったサリーの、強引な手首の振りによって、中断させられた。
怪力によって、まるでワイヤーハンマーのように軽々と放り投げられるルーミスの身体。
彼は、5m先にある巨木の幹にしたたかに身体を打ち付けられ、強烈な内臓の衝撃に、大量の血を吐いた。
「ぐあああ!!! ああああ!!!!」
苦痛に貌を歪め、辛うじて整えた体勢から相手を見上げる。
今や、明確な敵となった相手、サリー――いや、「サロメ・ドマーニュ」は――。
両手を一気に広げ、マントを後方へ跳ね上げる。
そこには、抜群のプロポーションの肢体を、白黒と白銀の軽装鎧で覆った、正真正銘の戦闘者の姿が、あった。
まるで悪魔の、蝙蝠の翼のごとく広げられた両手。そびやかされた胸と貌。何よりも――邪悪極まる、魔物の形相。
形の良い唇が開き、ついにその本性を明らかにする。
「よくぞ、見破ったものよ……。褒めてやろう、“背教者”ルーミス・サリナス。
だがアルケイディアで得た折角の魔導義手も、この“投擲”ギルド将鬼、サロメ・ドマーニュの前では全くの、ゴミ同然。はっきりと宣言しよう。貴様はこのサロメに指先一つ触れられず、『5秒』で倒れ我が手に落ちる。
貴様には――私のある目的のため、地獄へ来てもらわねばならぬ。抵抗せぬことを勧める。すればするほど、貴様が苦しみもがくだけゆえな」
――絶望。ルーミスの頭をよぎったのは、その二文字だった。
仲間はいない。すでに負傷をした。そして相手は――よりにもよって、“将鬼”。
こういう形を望んだ訳ではないが、死神が用意した、これが、自分自身の最期、なのか――。




