第八話 魔の女羅刹(Ⅱ)~血の狂宴【★挿絵有】
サロメは肩に両手をやり、留め金を外して重装鎧を、脱ぎ捨てた。
途端――。身体から離れた鎧があまりに途轍もない重い音をたてて、地面にめり込んでいった。
ザンダロスらの表情が、一瞬にして強ばる。
尋常な音ではない。凄まじい重量をもった金属である証だ。
それを脱ぎ捨て、豊満な乳房の大半も露わに白黒と白銀の軽装鎧姿になったサロメは、背後から直径30cmほどの研ぎ澄まされた刃の輪――。「チャクラム」と呼ばれる武器を2つ取り出し両手に構えた。
「この意味が、分かるか……。私は『枷』を、外したのだよ。
重量100kg以上もの、『枷』をな!!!」
叫びとともに――。サロメは両手のチャクラムを、全力で左右に放った!
そして――踏み込んだ。いや、所作は一切見えず、すでに男達の眼前にその姿が、あった。
ザンダロスの脇をすり抜け、その背後にいた“短剣”兵員の男二人の間に瞬時に入り込み、両手を伸ばして男達の首を掴む。
間髪入れず、魔物じみた筋力で――太い筋肉をものともせず首を握り潰し、そのまま首の骨を直接掴んでそれも握りつぶして折り取った!
地に落ちていく二つの首が失われた部分からは、噴水のごとく血が噴き出し、サロメの手、腕、肩、貌に返り血が大量に付着する。
――生身であるのに、血破点を打った“背教者”をも上回る度外れた敏捷性と怪力。
ようやく初手の反応ができた、後ろに控える“剣”ギルド兵員二人は、両側から一斉にサロメに剣を振り下ろす。
しかし――信じがたいことに、目の前の女は、それらの刃を左右のそれぞれの手でいとも容易く白刃取った。
動きを止めた剣を、またしても魔物じみた握力と膂力で引いて交差させ、手から強引に奪い取る。
体勢を崩した、右側の男に対し、巨大な地響きを伴う震脚とともに、サロメは掌底を繰り出す。
掌の一撃はぐにゃりと風圧で空気を歪めつつ、男の胴体に炸裂。
胴体を貫通したばかりか、途轍もない衝撃波は肋骨を破壊しつくし内臓を粉々に吹き飛ばす。
ついでサロメは後方を振り向き、地に落ちた己の剣を拾おうとする左側の男に対し、メキ、メキ……と背筋を軋ませながら一気に拳撃を解放。放物線を描く拳は、戦鎚のごとく振り下ろされ、姿勢を低くしていた男の脳天に炸裂。頭骨と脳は一瞬にして熟れた柘榴のごとく弾け飛び、脳漿を辺り構わずまきちらす。
そして、背後から攻撃を加えようとする、“斧槌”と“剣”の男達は――。
その攻撃をサロメに届かせることは永遠に叶わなかった。
サロメが初手で放ったチャクラムが、遠方にて折り返し戻り――。
男達の背後から、超高速で回転する極限の細い刃の輪が、まっすぐに首を通過してサロメの両手に戻る。
ゆっくりと――二人の男の首は身体から斜めにずれ、地に落下していった。
――6人もの強者が、残忍極まる肉体破壊を施され、尽く絶命するまで、わずかに数秒。
それを成し遂げた血塗れのサロメは、残忍冷酷なる鋭い眼光で、足元の肉塊を見おろす。
もはや赤黒い色一色となった肢体のシルエットの中で、両眼だけが光を放ちギラつく様は、女羅刹と表現しても到底足らぬほどの一個の魔物であった。
そして何と、手にした二つのチャクラムを猛然と何度も、何度も振り下ろし、肉塊となった屍体をさらに切り刻み破壊しはじめたのである。
「――思い、知ったか!!!! んんんんーー!!?? 汚らわしい、カスで虫けらで排泄物の分際で!!!! 私の――この偉大なる存在、“魔人”の生母の身体に侵入し!!! 低俗極まる〇〇を○○してくれおってえええええ!!!! 足らぬわ!!! 地獄に落としても足らぬ!!!! 細切れにしても血肉にし葬ってもまだ足らぬ!!!! 存在全てを消してやる!!! 私の前から!!!! この世から完全に消えよ!!! 消えろ!!! 消えろおおおおお!!!!」
狂気の叫びを撒き散らしながら、目にした者すら狂気に引きずり込む途轍もない狂気を貼り付けた女悪魔の表情で――。
屍体を、臓物を切り刻み、撒き散らし、足で捻り潰す、その魔の存在。
ザンダロスは、恐怖の余り全身の血が抜き取られた感覚で硬直していた。数えきれない死線を越え、凄惨な現場も同じくらい目撃してきた彼が――なんと失禁して小水を足下に垂れ流していた。
将鬼の中で最弱など、とんでもない。彼は“剣”ギルドの副将として、亡きソガール・ザークの闘いを何度も間近で見てきた。「枷」を外したサロメは、武器を持たぬ格闘術のみで、おそらく剣を持ったソガールを凌駕している。その上チャクラムを使った変幻自在の遠距離攻撃は、「氣刃」より恐ろしい武器。ましてこの女は――。白兵戦を苦手とするはずの“投擲”ギルド将鬼なのであり、まだ本領である「弓」の攻撃を出していないのだ。
サロメ・ドマーニュは間違いなく、将鬼の中で最強クラス――いやもしかしたら、最強の実力者。ましてや、この――狂気。女ならではの理屈の通じぬ激烈な感情をともなったこの狂気は、ソガールも及ばぬ、魂をも恐怖させる――「最凶」のものだ。
狂おしいほど、逃げ出したかった。この女の表面的な美しさに惑わされ、手を出したことを全身全霊で悔いた。
だが、もう遅い。土下座して詫びようが何をしようが、この女羅刹が情けをかけることは寸分たりとも有り得ない。覚悟を決めるしかない。前進するしかない。
「ア――アリオン副将!! ゾンダイク副将!!! い、今が好機だ!!
おれと3方向から一気に攻めるぞ!
オロバス副将!!! 遠距離で援護してくれ!!!」
そう、この場で生き残っているのは、強者たる副将4名。一縷の望みに賭け、総攻撃を仕掛けるしかないのだ。
大鉈の二刀流である自分、拳に3本の刃を装着したジャマダハルを持つ“短剣”ギルド副将のアリオン、巨大メイス二刀流の猛者“斧槌”ギルド副将ゾンダイク。まずはこの近距離戦闘者3名で同時に攻め込む。
ザンダロスの声に呼応し、怯えながらも決死の攻撃を仕掛ける2名。
さすが、副将として鳴らしただけのことはあり、両者とも隙の全くない恐るべき強撃。
二方向からの攻撃は、到底かわしきれるものとは思えない。
しかし――我を忘れていたかと思われたサロメの反応は、極限に速かった。
ついに彼女は――血を被った禍々しい神弓、“神鳥”を背から取り出し、即座に――。何と地面に突き立てた。
そして矢を2本、取り出すと、弓に備えられた二本の弦それぞれに左右逆方向を向かせて番える。同時に荘厳な弓柄が何と二つに割れ、一つにして左右対称の二つの弓の形となった。
両目をぐるんっ、と左右別々に外へ向かせて相手を見定め、瞬時に弦を引き絞り、解放した。
矢は弩弓のごとき速度で、左右から迫っていたアリオンとゾンダイクの――眉間を正確に打ち抜いた。
この超近距離の射撃を防ぐことは、副将の白兵戦技量を持つ彼らにも、不可能であった。
サロメは動きを止めることなく、弓を畳んで背に収め、ザンダロスに向けて突進する。
恐慌状態に陥るもザンダロスは、己の強靭極まりない手首の力を利用した必殺の大鉈の振りを、魔物に向け繰り出す。
しかし――例によって、捉えられぬ神速の踏み込みによって容易く攻撃範囲のはるか内側まで入り込むサロメ。
その両手は、肘の部分で容易く女の細腕によって停止させられた。
見た目からは信じがたい、超々怪力。その気になれば両腕がたやすくねじ切られるのが容易に理解できた。
恐怖に刮目し、震え声で命乞いを始める、ザンダロス。
「ゆ……ゆ……許して……。恐ろしい……あなたには、殺されたくない……サロメ様。本当に……魂に誓ってお詫びを、お詫びを申し上げます……。あなたは、あなた様は最強の将鬼です。後悔しています。何でもします。何でも差し出します。助けて……殺さないで……お願いです」
サロメは、一転して潤んだ上気した目でザンダロスを一瞥し、云った。
「それでは……今この場でもう一度、聞かせよ……。あのときの、貴様の声を。
云ったであろう……『愛しているよ、サロメ』、とな」
意図は分かりかねるが――。涙目になりながらザンダロスは、云われたとおりに行為の際の言葉を繰り返した。
「あ……あ、愛してるよ、サロメ――」
その言葉が終わりきらぬうちに――。
瞬時に獰猛な獣の形相に変わったサロメは、思い切り口を開け、貌を突き出して――。
その歯と恐るべき咬筋力で、ザンダロスの喉笛を、脛骨が露出するほどに食いちぎった!
一瞬にして白目を向いて、地に仰向けに倒れ伏したザンダロスに向けて、サロメは食いちぎった肉片を勢いよく吐き出した。
そしてチャクラムを取り出し、彼の屍の下半身に向けてめった刺しにした。
「痴れ者が!!!! 醜いゴミの分際で悍ましい言葉を吐きおってえ!!! 死ね!!! 消え去れ!!! 貴様のここも、ここも、ここも!!! 全てを葬り去らねば気がすまぬ!!!! 貴様は一番念入りに全てを消し去ってくれるわ!!!!」
そして、もはや怯えきって震えることしかできない、唯一の生き残りであるオロバス副将を振り返り、乾いた口調で云った。
「オロバス……貴様には、チャンスをやろう。
私に向かって、魔導を放て。私より先に打たせてやる。よけることも、せぬ。貴様の魔導がスピードで私の技を上回れば、貴様は勝利できる。……さあ、やれ」
それを聞いたオロバスは、恐怖の中にも一筋の眼光を目に宿らせ、魔導の構えをとった。
彼は炎系魔導の使い手で、ナユタがドゥーマで用いた“炎魔弾”と同種の超遠距離技を得意とする男。相手は魔物に違いないが、まだ魔導に対する適性は見せていない。攻撃をよけない以上、耐魔を透過すれば逆転の勝利だ。
即座に指先に炎を充填し、狙いすましてサロメの心臓を狙い、炎弾を打ち出す。
するとサロメは――。射抜くような恐ろしい眼光とともに、神がかった速さで“神鳥”を取り出し――。
矢を番え、狙い、放つアクションを瞬時に完了した。
矢はオロバスの炎弾に正確無比に命中し――いつ矢に充填されたのか、強力極まりない耐魔を以て炎弾を「消滅」させ――。
直進した矢は脅威の貫通力で、オロバスの脳を突き抜け、その衝撃力で後頭部に巨大なクレーターを開けた。
後方に倒れ伏すオロバスを確認し、“神鳥”を収める、サロメ。
「愚か者が……。このサロメに死角は、ない。魔力も貴様程度の花火を打ち消せる程度には鍛えている。
なにより私が“眼殺の魔弓”と呼ばれる所以――。
眼で射殺されたと思った瞬間には、現実に脳か心臓が貫かれている――。それを止める術は、ない」
そして、収まらぬ怨念と激情を、地に伏した屍に再びぶつけようとした、その時。
「サロメ様、サロメ様――大変です!! 書状が届いて――ひっ!!??」
一人の若い女性が片手に書状を携えて走ってきたが、そこに展開される血と臓物の地獄絵図に恐怖の声を漏らしたのだ。
「どうした……セーレ。今は邪魔をするなと云っておいた筈。よほどの火急の件か?」
その茶髪の若い女性副将、“投擲”ギルド、セーレ・イルマは、震えながらサロメに書状を渡す。
どうやらこの状況もそうだが、日頃から心底サロメに対して畏れを抱いている様子だ。
「い、今レエテ・サタナエル討伐に向けて先遣している我がギルドの人員のうち、国境付近の段取りを任せていましたロゼマイヤー副将との連絡が、到着後間もなく途絶えました。そしてそれと時を同じくして国境付近に巻かれたビラによって、判明した場所に――ロゼマイヤー副将の遺体があり、この書状が置かれていたそうです。
――あ、あの裏切り者の――シェリーディア元統括副将名義で書かれた……」
その名を聞いたサロメの表情が一転して凍りつき、セーレから書状をひったくるように奪い、凝視した。
“サタナエル“投擲”ギルド将鬼、サロメ・ドマーニュ
貴様の最前の我への裏切り行為は、未だ許す事能わず
多数の刺客が我に襲い来たが、雑魚をどれだけ投入しようが無駄なり
貴様当人が我の元へ来い
場所はコルヌー大森林内、グラン=ティフェレト遺跡
現在、貴様が標的とするであろうレエテ・サタナエルもおびき寄せるが良い
貴様ら二人の血を、我が“魔熱風”の刃の露としてくれる
くれぐれも、尻尾を巻いて逃げぬようにだけは警告しておく
さらなる犠牲者を出したくなければ
元“投擲”ギルド統括副将 シェリーディア・ラウンデンフィル”
サロメの額に紫の血管がビシリッ! と浮き上がり、次の瞬間書状を力任せに引き破いて地に放り捨てた。
「ひっ、ひいいっ――!」
怯えるセーレ。その両眼に憤怒の眼光を燃やすサロメ。
「この私に一丁前に挑発とは……。増長したな、シェリーディア……!
しかも、レエテも連れて来いだと……? 私を何だと思っている……舐め腐りおって……!
だが……私にとっても漁夫の利を得る好機でもある。
セーレ。ガリオンヌにおけるレエテ謀殺は予定どおり行う。シェリーディアはおそらくだが……国境付近、それもエストガレス側に居る。時間の制約はないゆえ、作戦は中止せず様子を見る。
そして――、一度私は、ロブ=ハルスに会おうと思う」
「ええ……!? ロブ=ハルス様にですか?」
「そうだ。そのためのメッセンジャーをお前に頼みたい、セーレ。
気をつけろ……。あいつは、いい女と見れば見境がないからな」
そう云い残すと、サロメは再び、己の激情を発散させるための、悍ましい残虐行為へと戻っていったのだった――。