第六話 宮中祝賀会(Ⅲ)~想いの結実【★挿絵有】
一方――。一人険しい表情で人垣の間を抜けようとする、ホルストース。
その間聞こえてくる、ホールの方からの歓声は、彼にとってひたすら耳障りな雑音だった。
一刻も早く、廊下に出て、一人になりたかった。
(クソが……畜生……)
表面上は冷静に振る舞ったが、はらわたが煮えくり返った。
ライバルの男への怒りや、公衆の面前で赤恥をかかされたことへの怒りも、ないわけではない。
だがそれらより圧倒的に――。惚れに惚れ抜いた女を自分のものにできなかったことへの憤怒が勝った。
今までインレスピータ宮廷や、バレンティン城下において、反乱軍に参加してからでさえ――ホルストースは女に不自由したことなど、なかった。
才覚にあふれ、明るく如才なく、それでいて野性的な雰囲気と長身、何よりもずば抜けた美男。
それを武器に何百人という少女、女性を取っ替え引っ替え抱いてきた彼ではあるが、レエテという女性はそのどれとも違う、あまりに特別な存在だった。
もちろん、抱けた女性の数だけ、振られた回数もそれなりにはある。しかし、今回の「敗戦」は、次元の異なるダメージを彼にもたらしたのだ。
全てが、あまりにも魅力的だった。貌も身体も、声も性格も、生き方も。こんな気持になったのは初めてだった。
全力を尽くした。ライバル不在の時も、現在も。さっきは、ぐうの音も出ない得点とともにレエテを救い、彼女もホルストースを半ば受け入れ同意していた。彼女の優しさにある意味つけ入り、物分りの良いライバルがこの場だけでも身を引くだろうという期待は打ち砕かれた。予想以上に、彼女とライバルの相思相愛の度合いは大きかった。
振られた今も、レエテの心と、身体を占有し貪りたいという強すぎる思いが、体の中に残留し渦巻いている。何かで発散させなくてはどうにかなりそうだ。
そんなタイミングで――ホルストースの背中に声をかける者がある。
「ホルストース!! ホルストースではないか。しばらく振りだな! 五年ぶりか!」
その声の主は――できれば彼が今一番遭遇したくない、人物であった。
「……ああ。ずいぶんご無沙汰しちまってるなあ……。キメリエス兄貴……」
杯を片手に、一人の軍人と話に興じていた一人の男。
背は高い。190cm弱。すらりとした体型で、ややゆったりとした貴族正装とマントに身を包んでいる。その長い黒髪は完全に引っ詰めて髷のように頭頂部で結わえ、先端を長く背中に垂らす。貌は全体的に細作りの仲々の男前で、細く切れ長な目を流し目のように視線を送っている。
そう、この男こそ――ドミナトス・レガーリア連邦王国第一王子、キメリエス・インレスピータ。
国王ソルレオンの嫡子にして、ホルストースの兄。
彼は現連邦王国宰相の地位にある。実質的な執務は副宰相であるネイザンに任せ、長期視察と云う名の政治留学に赴いているのだ。ノスティラスの政治手法を学ぶことと――ソルレオンが苦手とするこの口やかましい息子を体よく遠ざけるために。
「まったく、反乱軍などに身をやつしたかと思えば、今度はレエテ・サタナエルの同志の一人、か。
相変わらずわが弟ながら、その場の感情で動き、将来のビジョンのない浅はかさだ。昔からよく云っておるだろう。学を身に着け、己と向き合い、行動について熟考せよと」
ホルストースは貌をしかめた。この兄は、悪い人間ではない。むしろ人一倍家族や国民を思う気持ちが強いことはよく知っている。だが、いかんせん堅苦しすぎ、融通がきかなさすぎる。そして一言でいえば、あまりにくどくどと口やかましい。
5年ぶりの再会であろうと、まず説教から入るこの兄に、今は到底付き合っていられる気分ではない。
「兄貴。申し訳ねえんだが、俺は今そういう話をしている気分じゃあねえ。明日までは居る予定だから、改めてお伺いさせてもらうぜ――」
「なんと、ホルストース殿下ではないか! いやいやお会いできて僥倖。私、ぜひ貴殿と一度お話したいと思っておった! ちょうどキメリエス殿下から色々伺っておったところでな!」
突然、キメリエスと会話していた軍人の男が会話に割って入ってきた。その男は――。よりにもよってこの皇国最高の軍人にして軍神、カール・バルトロメウスだったのだ。
「カ……カール元帥……」
ホルストースは一瞬驚いたが、すぐに――このノスティラス皇国で一番会って話さなくてはならない人物に会えたことに思い至り、正式な礼をとった後に話しはじめた。
「カール元帥。まず俺は貴殿にお詫びせねばならない。四騎士のエティエンヌどのが斃れた場には、俺もいて闘っていた。貴殿と貴国にとって掛け替えのない男を守れなかったことは、慚愧に堪えない」
「殿下……そのようなこと、私からすれば感謝こそすれ、貴殿を責めるようなことなど断じてありえん。エティエンヌは己の強い意志で、無二の忠義に従いまごうことなき職務を全うしたにすぎぬ。まして聞いたところでは――この世でただ一人の愛する女性を守って果てたとのこと。男としても悔いはなかったであろうと、私は満足と共に受け止めている」
「そう云っていただけて、恐縮だ。
そしてもう一つ。俺は貴殿の親友にあたる男を、殺した。
元皇国准将、ジークフリート・ドラシュガンを」
それを聞いたキメリエスが驚愕し口を挟む。
「なんと……! お前、ジークフリートを……? あれだけ師として慕っていた男を……?」
カールは、両目を閉じて口を引き結ぶ。
「……あやつが、私との元帥位争いに破れたのち、貴国に入り――。ソガール・ザークに降ってサタナエル副将に堕ちたことは、キメリエス殿下よりお聞きしておった。
かつて我が国の将だったとき、ジークフリートは全皇国のあらゆる騎士の規範であり目標たる男だった。その軍略、精神力、武力――あらゆる面で私は足元におよばず、周囲の人々に助けられてあやつに勝ったようなもの。
なのに自らを進んで貶め――いわれなき殺戮に加担し、その手を大量の血で染め上げた報いが巡ってきたのであろう。
私はあやつは10年前に死んだ、と思うことに決めた。あやつも、その積りであったろう。
だから、貴殿もそれを気に病むのはやめられよ。つらいのはむしろ、私より貴殿であろうしな」
それを聞いたホルストースは、目を閉じて再び一礼し、踵を返して出入り口に向かっていった。
後ろでキメリエスが自分を呼ぶ声と、周囲に群がり始めた姫君の相手をし出したカールの様子が感じられたが、もはや脇目もふらない。
途中、ウエイターが持つ火酒が目に入り、荒々しくそれを掴んで一気にあおった。
そしてドアの外に出、廊下の壁に手をつくと、息を荒げて歯をギリギリと鳴らした。
「クソッ!! 畜生め!! ――畜生、畜生!!」
苛立ちは収まらず、拳骨を思い切り石壁に叩きつける。
まったくの素手である拳からは、血が滲んだ。
「おや、おや……ずいぶんと荒れてらっしゃるようだね。私でよければ、力になるが? ホルストース殿下……」
ホルストースの背後から、よく通る透明感にあふれた女性の美しい声が、かかる。
振り返るとそこに居たのは――。
「貴殿は……たしか、デネヴ統候……ミナァン・ラックスタルド卿……」
その女性は、身長170cm弱。手足の長い細身の身体を、上品なスカイブルーのドレスに包んでいる。
細身ながら乳房は大きく、彼女もそれを誇っているのか、胸を大きく開け、腰にはコルセットを締める挑発的な装いとしていた。
そして髪型は、襟足を短く切ったショートヘアの栗色の髪。貌だちはクールながら睫毛は長く、鼻は高く、肉感的な唇の振るい付きたくなるような美女だ。
彼女こそ、この大皇国の誇る5大統候の一人、デネヴ統候ミナァン・ラックスタルド。統候家の跡目を継いでいる立場上別姓ではあるが、カール元帥の歴とした妻である。
魔導大国である皇国の大家にふさわしく、彼女も代々魔導士の家系である。ことに彼女の才能は突出し、氷雪魔導を操り、最強魔導士ヘンリ=ドルマンの教えも受け、皇国有数の使い手であると云われる。
ミナァンは、恐れ気もなくホルストースに肌が触れるほどに接近した。そして、艶めかしい指で彼の頬を愛おしそうになでる。
「……見ていたよ。無様に振られたものだね。まったく、こんな最高にいい男を無下にするとは、レエテ・サタナエルも見る目がない……」
ミナァンの潤んだ瞳と美しい貌が、10cmほどの距離にまで近づき、息遣いが貌に感じられる。
確か年齢は32歳だったはずだが、とてもではないがそうは見えない。どう見ても20代前半、自分と同年代の容姿だ。
ホルストースは、男としてのどうしようもない欲情が強烈に立ち上がってくるのを感じていた。
「ミナァン卿……。貴殿は、カール元帥の御奥方。その立場として、俺のような危険な男に、こんな思わせぶりなことを仕掛けていいのか……?」
「ああ……問題ない。私とカールは、常に心通じあい、互いを一番尊い存在として愛している。その分、互いの色恋沙汰には一切干渉しない主義だ。
現に、カールもたくさんの美姫に囲まれてご満悦じゃなかったか?
私はな、ホルストース殿下。先程に登場されてからというもの、ずっと貴殿を見ていたのだ。
今はもう、貴殿が……欲しくて、たまらないの。
抱いて……私を」
熱い吐息とともに発される言葉に、ホルストースの理性のタガは完全に外れた。
どうせすでに自暴自棄になっていたところだ。今夜はこの美女を存分に、荒々しく犯してやる。
即座に迷いなく、ミナァンの唇を貪るように奪うホルストース。
次いで、その身体を軽々抱き上げ、近くの控室のドアを開け入る。そして施錠した。
大きなソファの上にミナァンの肢体を荒々しく横たえ、引き破らんばかりにドレスを、下着を脱がし――。己の服も脱ぎ捨て、女の柔肌に身体を重ねていった。
*
そして4時間の後――。
祝賀会も終了し、それそれの参加者は居室へと引き上げていった。
レエテはシエイエスにエスコートされながら、城塞に用意された居室へと辿り着いた。
ドアの前でもう一度口づけし、シエイエスが自室へ戻ろうとしたとき。
彼は自分の腕が強くレエテの両手に握られているのを感じた。
「レエテ…………」
「嫌、シエイエス……。
私、今夜は……あなたと……。は、離れたく、ない……」
真っ赤な貌でうつむきながら、発された精一杯の、言葉。
だがその言葉は、鉄の自制心を発揮して身を引こうとしていたシエイエスの理性を吹き飛ばすには、あまりに十分に過ぎた。
彼は再びレエテの唇を奪いつつ、身体を抱きかかえて部屋に入る。
そして中央のベッドにレエテを横たえて、その上に覆いかぶさる。
「……本当にいいのか、レエテ?」
その問いは、当然ながら一度も男性との経験がないレエテに対する、確認だった。
レエテはゆっくりと、貌を縦に振った。
「……いいわ。
知っているでしょう……? 私、明日にだって死んでもおかしくない、身体なのよ……。
こうしてあなたと恋人同士になれた、夢みたいな時に……。
離れるなんて、耐えられない。
ずっとずっと、私と、一緒にいて。シエイエス。
どうか今のこの瞬間に、幸せを、感じさせて――」
そして自らドレスのホックを外し始める、レエテ。
顕になる、両の巨きな乳房。
その想いを、十分に感じたシエイエス。
全身全霊で、愛そう、この女性を。今この瞬間に。そしてこれからも。
同時に、これまで彼女に対し滾りに滾った自らの思いもぶつけるようにレエテのドレスを脱がせ、その唇を褐色のみずみずしい柔肌に、触れさせていった――。