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サタナエル・サガ  作者: Yuki
第九章 血の宿命と、親子
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第五話 宮中祝賀会(Ⅱ)~男達の想い

 レエテの危機(ピンチ)を颯爽と救い、堂々たる誘いを以ってダンスの相手を射止めかけていたホルストースの前に立ち塞がった、シエイエス。


 彼らは互いを、一流の戦士であり男であると認め合っている。が、だからこそ一歩も引くことは出来ない。

 何としてでもレエテという女性を自分のものにしたい。男としての強い思いと(おす)としての凄まじい本能は、大袈裟でなく血で血を洗う戦いの寸前であるところの、恐るべき闘気と敵意を周囲に撒き散らさせた。


「てめえこそ、その手を放しやがれ、シエイエス。

ここは宮中の正式な場。てめえのやってることは、著しく礼儀から外れた行為だぜ。レエテに公の場で恥をかかせてえのか?」


 ホルストースが云う。表情は穏やかだが、その言葉と物云いは、凄まじい怒気のこもった獰猛さをまざまざと感じさせる。

 シエイエスも、表情はいたって穏やかながら、目の奥に只ならぬ眼光を湛えて言葉を返す。


「すまんな。俺はお前と違って不調法で礼儀を知らん、無骨な一介の軍人上がりの男なのでな。

――それゆえ、関係ない。

レエテは、俺と踊る。お前は、レエテの手を放せ」


 再び、男たちの視線の火花が散る。


 すでに決闘寸前となった只ならぬ雰囲気を感じ取り、周囲には見物の人だかりが出来ている。


 ナユタは腕組みをしながらこの様子を見守り、キャティシアと、その肩に飛び乗ったランスロットは興奮の面持ちで興味津々のかまえ。

 そして――。その後ろでルーミスは一人、唇を噛みしめ、両の拳を握りしめながら様子を窺っていた。


 当のレエテは二人の男が自分を巡って奪い合う様を、仲間にまじまじと見られているうえ――さらに見物人が集まってきたのを見て、羞恥心で貌を再び赤らめた。

 こういった場面など全くの想像の外の彼女ではあるが、ひとまず自分が当事者で、何とかする責任があることだけは十分に自覚していた。


「あの……その……や、やめて、二人とも……?

何て、いえばいいか……。そこまで……私なんかと踊りたいと思ってくれるのはありがたいけれど、私……。二人に、ケンカはしてほしくない……」


 おずおずと発された言葉を聞いて、ホルストースとシエイエスは鋭い眼光をレエテに向けた。


 その本気の目が、云っていた。「そういうお前は、じゃあどちらの男を選ぶんだ?」と。


 レエテは困り果てて、泣き出す寸前の貌になった。

 ここで彼らのうち一人を選ぶということは、少なくとも自分がどちらの男に好意を抱いているのかを、仲間を含めたこれだけの衆人に対し正式に公表することになるのである。


 恥ずかしい。本来とてもではないが意思表示などできるものではない。だが……。

 レエテの心は、決まっていた。その相手に、自分の心もはっきり伝えたい。

 その強い思いが、彼女を行動に踏み切らせた。


 レエテはうつむいて貌を真っ赤にしながらも、ススッ……と忍ぶように歩き、一人の男の腕を、そっと両手で掴んだ。

 その相手は――。シエイエス、だった。


 その結果におおっ……とどよめくノスティラスの観衆。ナユタは目を閉じて満足そうな笑みを浮かべ、キャティシアは目を輝かせて、ランスロットは三日月のような目をしてその様子を見た。ルーミスは――。もうすでに、その場から姿を消していた。


 そして、レエテに見事に二度振られた、当のホルストースは――。一度ギラリと鋭い眼光でシエイエスを睨みつけた後、すぐに表情を崩して肩をすくめて笑い、手を振りながら場を後にしていった。


「ホルストース! 私、私――」


 それに鋭い視線を向けて首を振るナユタに気が付き、レエテは黙った。

 そう、ナユタの示唆するとおり、レエテの口から「嫌いな訳ではない」「感謝はしてる」などという言葉をかければ、ホルストースの思いと男のプライドをより傷つけることになるのだ。


 シエイエスは笑顔でレエテに向き直り、右手で彼女の手を取り、左手を貌の横にそっと添えて銀色の髪に触れた。

 それに一瞬ビクッと身体を震わせるも、すぐに上気した潤んだ瞳で彼を見返し、貌の横の左手に触れるレエテ。


「ありがとう、レエテ……。不調法者の俺ではあるが、一曲、踊ってくれるか……?」


「シエイエス……ええ、喜んで……。一曲といわず、いつまででも……」


 そして始まった、ヴァイオリンメインのムーディな曲とともに、シエイエスはレエテの手を引いてホールの中央へと向う。


 レエテの腰にそっと手を添え、もう一方の手を握って軽く引き、ダンスをリードする。


 ――その流れるようなステップ、優雅なターン。

 不調法者などとは謙遜も甚だしい、一流のダンスの腕前だった。

 周囲で踊る貴婦人も、思わずそのシエイエスの姿に見惚れる。


 一方のレエテは全く初体験の、音楽に合わせて踊るという行為に対し――。シエイエスに合わせようと必死で手足を動かした。

 しかしシエイエスのリードの巧みさと、レエテのあまりに突出した運動神経、意外なリズム感の才能によって、曲の中盤にさしかかるころには周囲の姫君と全く遜色ないレベルで踊れるようになっていた。


 見惚れずにはおれない、神話の登場人物のような美男美女が、極めて優雅に舞うその様子は――。

 いつしか、会場の大半の視線を釘付けにするに至っていた。


 そしてレエテも、恍惚感が羞恥心を超えて、どんどん大きくなる。

 恋い焦がれ、再会できた愛しい男が自分を選んでくれ、目の前にいる。そして一体になって踊ることが、これほどの高揚感と幸福感をもたらすとは。


 そして曲が終わり、二人は身体を寄せたまま停止した。


「シエイエス……逢いたかった。私、私……」


 夢見心地に目を潤ませながら、開こうとするレエテの口を、シエイエスはちょうどステップが停止したところで人さし指で塞ぐ。

 そして、慈愛に満ちた、真摯な眼差しで、彼女に向かって、云った。


「……レエテ。俺から、云わせてくれ。

お前を……愛している。……心から」


 ついに口をついて出た、愛の言葉。

 レエテは嬉しさのあまり貌を上気させ、艷やかな笑みを浮かべて、言葉を返した。


「……ああ……。シエイエス……シエイエス……。好き……大好き。

愛して、いるわ……私も……」


 そして目を閉じて貌を近づけるレエテの唇に――。

 シエイエスはやや荒々しく、自分の唇を、重ねた。



 *


 背後から聞こえる、観客たちの歓声と、割れんばかりの拍手。

 それによって、自分の望まない結果がそこで繰り広げられていることを理解した、ルーミス。

 彼は、会場の外に設けられたバルコニーの一つに出て、柵にもたれかかりながら――。涙を流していたのだ。悔し涙を。


「くそっ……! くそお! ううう……」


 もちろん、レエテがついに他の男、それも自分の兄のものになったことは最大のショックだ。

 ルーミスは、兄よりも前にレエテと知り合った。それも、自分の行動、人生を決定づけるほどの劇的な出会い。自分の中では、誰よりもレエテへの思いは負けないつもりでいた。

 だが、彼女はルーミスを男として見ることはできなかった。最後まで完全な一方通行だった。


 その恋破れたのと同じくらい――。ホルストースのように大人の男として堂々と名乗りを上げ、行動に移すこと。それができなかった自分にショックを受けた。

 何も、できなかった。大人ぶってみても所詮自分はあまりに子供で、圧倒的な大人の男二人の前で無力感に囚われた。それが、悔しかった。歯がゆさ、始めてもいないのに終わってしまったことが。こんなにも、恋焦がれているのに――。 


 と、突然背後に気配を感じ、振り返る。

 そこには――手を前で揉みしだき、心配そうな貌を自分に向ける、キャティシアの姿があった。


 ルーミスは慌てて、ハンカチで涙を拭き、取り繕い、ぶっきらぼうに云った。


「な……何の用だ、キャティシア。すまないが、少し一人にしておいてくれないか……」 


「ルーミスさん……」


 キャティシアは小さくつぶやいた。

 彼女は、尊敬するレエテとシエイエスが互いの思いを確認し合ったことに対し、嬉しくて興奮して我を忘れていた。が、すぐに――存在を消しているルーミスと、彼の思いに気が付き、後を追ってきたのだ。


 キャティシアは、あえてルーミスの言葉どおりにせず、逆らった。

 彼に近づいていくと、柵の隣に身を預けて、外を見ながら話しかけた。


「そう云わず……。少し、私とお話しませんか、ルーミスさん……」


 その言葉に対し、ルーミスは云い返さなかった。――受けれてはくれたと感じたキャティシアは、話を続けた。


「あなたが、その……ずっとレエテさんのことを好き、なことは私も、知っています……」


 突然の直球の話題に、ルーミスは貌を赤くしギョッとしてキャティシアを見た。

 が、彼女も決意を秘めて、意図し出している話――。そのまま、続けた。


「レエテさんは、私も凄く尊敬している素晴らしい人です。その態度はいつだって誰にだって公平で優しくて、いわずとも人の気持ちを汲み取ってくれる人ですけど――。あの人だって、一人の、女性です。好きになる男性は一人ですし、自分を好きになってくれる人の気持ちだって、云ってくれなきゃ分からない、当たり前の一人の女性だと思います」


「……」


「今は結果としてああいうことになりましたし、今後もそれは変わらないかも知れないけど……。ルーミスさんは、本当にそれで終わっていいんですか?」


「……」


「ルーミスさんは……ホルストースと違って、一度もレエテさんに気持ちを伝えていないですよね?

ホルストースは……言葉も汚いしがさつだしデリカシーのかけらもないように見えて……。すごく洗練された大人で、堂々としていて、他国の貴族達をしかりつけるぐらいの、男らしいやつです。私あいつのこと嫌いですけど、正直最近見直しています。あれだけ全力で自分に恥じない振る舞いをした後で振られれば、ショックでしょうけどきっと後悔はないんだろうと思います」


「……わかって、いるさ……」


「だったら。必ず、気持ちを伝えましょうよ。

レエテさんに迷惑だからとか、考えなくていいと思います。あの人も、どう応えていいか困るかもしれませんけど、ルーミスさんが自分に恥じず行動してくれた方が、きっと嬉しいと思います。

そういうものだと、思います……。

だから、だから……その……私も、私も…………自分の……ええっと……」


 キャティシアは、突然真っ赤になってしどろもどろになった。

 あろうことか、肝心の、自分の気持ちを伝えるところで言葉がでなくなったのだ。

 何ということか。これだけ偉そうなことを云っている自分がそれでは……。


 ルーミスは、それに気づいてか気づかずか、フッと笑いをもらしてようやく明るい言葉を返した。


「そうだな……。本当に、オマエの云うとおりだ、キャティシア。

ホルストースを見習うべきだし、こんなところでメソメソしていたり、余計なことを考えるのは、全てレエテに自分の気持ちを伝えてからにするべきだ……。

ありがとう。なんだか気が晴れて、少し清々しい気分だよ……」


 キャティシアは焦ってあうあう、と口を動かした。ルーミスが元気になってくれたのは嬉しいが、自分の気持ちを伝えられなくては、決意してここに来た意味を果たせない。


 そうしているうち、ホールのほうから一際綺麗なピアノ曲が聞こえてきた。

 キャティシアも聞き覚えがある。エストガレス伝統のもので、ハーミア教の祭典などでもよく演奏される、“実りに感謝を、母に愛を”という曲。


「懐かしいな……。母に感謝を捧げる歌詞の内容が大好きで、オレも良く歌っていた……。

“雨の恵み 大地に恵む  母の愛 子の心に恵む  ああ大いなる 大いなる 感謝を捧げたい……”」


 口ずさみ始めたルーミスの歌を聞いたキャティシアが、驚愕の表情を浮かべる。周囲に居たノスティラス貴族たちも同様だ。一斉に振り向いた。


 上手い。いや、上手いなどという平易なレベルではない。

 その透き通るような声、声量、正確な音程と抑揚、心に染み入るような絶大な表現力――。

 大陸のいかなる吟遊詩人もおよばないかと思われる、超一流の芸術というべき歌唱力だ。


「ルーミスさん、あなた……。すごい、すごいじゃないですか!!!

なんて……なんて素晴らしい歌声。聞き惚れちゃいました!!!」


 感動のあまり自分の両肩を掴むキャティシアの勢いに、戸惑うルーミス。


「そ、そうか? オレは全然いつもどおり普通に歌っただけだが……あ、ありがとう」


「もっと、もっとお歌聞かせてください!! ぜひ聞きたいです!!!」


 

 *


 そして――続く曲に合わせて歌い始めたルーミスの周囲には、すぐに黒山の人だかりができ、一種のコンサートの様子を呈し始めた。


 意外な才能を発揮したルーミスの歌声は、ホール内にまで届いてきていた。


 それを聞いたレエテは、うっとりと聞き惚れた。


「ルーミス……。素晴らしいわ。あなたにこんな凄い才能があっただなんて。

ああ、すごく綺麗な歌声……」


「ああ、あいつは、3歳のときすでにかなりの歌を歌えていた。母さんの死がなければ、もしかしたら楽隊のソリストか、吟遊詩人になっていたかもしれないな」


 そう云いながら、曲に合わせて自らも歌を口ずさむシエイエス。


 それを聞いたレエテは――。驚愕し、瞬時に貌をしかめて彼に叫んだ。


「待って!!! シエイエス!!! 

その、ええと……あ、あなたは……。うん、そう、お、踊りましょう?

ちょうど、いい曲もかかっていることだし!」


 そう云って、シエイエスの手を引き踊りに誘うレエテ。


 そう、シエイエスは――、音痴だった。それも壊滅的な。


 シエイエスは、やや不服そうな表情を浮かべながらも、レエテに従い優雅に舞った。


 だが完璧な男性に見えたシエイエスの意外な欠点は、大いなるギャップとしてレエテのシエイエスへの愛情をますます強くした。

 彼により身体を密着させながら、レエテは女として幸せを存分に実感していたのだった――。

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