第四話 宮中祝賀会(Ⅰ)~銀髪褐色の美姫【★挿絵有】
ルルーアンティア孤児院への訪問を終え、ランダメリア城塞へ戻ったレエテ一行。
すでに時刻は夕刻を過ぎ、夜の帳が空に降りようとしていた。
一行は、迎えに出た衛兵に慌ただしく迎えられ、追い立てられるように男女に分けられて案内されていった。
その理由は――今宵催される予定の、宮中祝賀会へ彼女らを参加させるための準備、だった。
四騎士エティエンヌの死を悼む、1週間の服喪が明けた今日。
悲しみを乗り越え、皇国にとって祝うべきサタナエルからの一時解放に対する祝賀の場として。そしてその立役者であり英雄であるレエテ一派への称賛と感謝のため。設けられた場なのであった。
そのような理由も間違いなくあるが、参加を希望する軍人や貴族の本心としては――。噂に名高い“血の戦女神”、そして仲間である“紅髪の女魔導士”、“背教者”、“漆黒の双鞭”、“神槍の王子”の姿をひと目見、あわよくば近づきになりたいという「好奇心」が多くを占めていたのだ。
この輝かしい盛大な場で披露をするゆえ、レエテらの身支度に関しては、美の追求者でもある皇帝ヘンリ=ドルマンの力の入れようは大変なものだった。
一人に対し数十人もの衣装係、化粧係、世話役を用意し、一人ひとりを最大限に輝かせるための準備に余念がなかった。
一行の大半は、そのような上流階級交流の場との関わりなどかけらもない。
とくに――ソファに座れず、ベッドで寝ることもできない、文明とさえ無縁である野生児のレエテにとっては、ある意味そのような状況は恐怖ですらあった。
助けを求めたいナユタとも引き離されてしまい――。一人豪華絢爛な控室で輝かしい光を放つドレッサーの前に座らされ、大量の世話係に髪をとかされ、服を着替えさせられ、ましてや化粧などというものを強制される状況は、怖くて心細くて、涙が出てきた。
(ああ……イヤだ、こんなこと……。しかも大勢の人の前に出るだなんて……。
でも、陛下やこの国の人々が、好意でやってくれてること。
我慢しなきゃ……)
一時間以上の間、レエテは目をぎゅっと瞑ったり、拳を握ったりして得体の知れないことをされ続ける恐怖に耐えていたのだった――。
*
そして、午後7時過ぎ、祝賀会は開催された。
ランダメリア城塞で最大の面積を誇るホールに、紫を基調とした豪華な装飾、立食のテーブルと豪華な料理と酒、ダンスホールと、音楽を奏でる器楽隊――。心踊るようなセッティングの場に、300名を超える出席者が歓談していた。
そして最奥部の舞台に登場した皇帝ヘンリ=ドルマン。
相変わらず紫の多い豪華礼服に身を包んでいる。だが、洗練されたセンスであり、趣味の悪さは感じさせない。
静かに右手を上げて一同に静粛を促すと、高らかに、厳かに話し始めた。
「――忠義にして勤勉なる、親愛なる我がノスティラス皇国の臣民よ。本日は、万難を排しての参集、誠に感謝しておる。
また、過日命を落とせし英雄、四騎士エティエンヌ・ローゼンクランツに対する服喪実施についても感謝を述べさせてもらう。今宵は、かの英霊の魂を偲ぶ意味で、思い出話に華を咲かせてくれることを妾は希望する。
さて今宵、祝賀会と銘打つ訳は、長年に亘り我が皇国に忌まわしい影響を及ぼし続けた、“竜壊者”の滅びと、かの者が属せしある組織を、我が国よりの排除に至ったゆえの祝いである。
これには、エティエンヌも功績あることは勿論だが、それ以上に――。絶大なる功績を、ある者達が成し遂げてくれたゆえのこと。彼女らの存在なくば、此度の快挙は在り得なかったであろう。
それでは、紹介しよう。ダリム公国の騒動および、我が皇国によるドゥーマ無血開城にも絶大な功績あった、大陸最強の女戦士――レエテ・サタナエルと、その同志である!」
ヘンリ=ドルマンのコールとともに、隣の扉が開けられ、その向こうから――。
まずはシエイエスがキャティシアを、ホルストースがランスロットを肩に乗せたナユタをエスコートして現れる。
普段の彼らからは、及びもつかないような、荘厳できらびやかで、美しい姿であった。
シエイエスは引き締まった軍服姿で、髪も普段のラフな様子とは一変、オールバックに整えて後ろを結んだ、ダンディズム漂う装い。
ホルストースは、ノスティラス男性貴族の正装だ。髭を剃り、長い黒髪をきれいに整えた姿は見とれるほどの美男子であった。
彼らはきわめて堂々としつつ洗練された振る舞いを見せ、一同に会釈をし、笑顔を見せるそつのない様子。
キャティシアは、薄い黄色の生地を用いた可愛らしいドレスに身を包み、花で編んだティアラを頭に乗せていた。薄く化粧もし、普段の自然体の彼女とはまた違った、可憐な美少女の様相であった。
きれいになった自分や、このような場に居られることが夢見心地で嬉しくてたまらぬかのような恍惚の表情を浮かべている。
ナユタは、彼女らしい真っ赤な色の、スレンダーな肢体を強調するかのような大人の雰囲気のドレスを身に着けていた。頭は普段の魔導器でもあるティアラではなく、銀の装飾を施された女性らしいティアラに替えていた。
彼女らしく、全く動じず堂々とした振る舞いで、妖艶な微笑を浮かべて近くの中年貴族たちの視線を釘付けにしていた。
ランスロットも、極めて小さくあつらえた貴族服に身を包んでおり、極めて満足そうな表情だ。
――なおこのエスコートは、シエイエスとホルストースが揉めることを見越した、ナユタによる采配であった。キャティシアもホルストースのエスコートは嫌がると思い、この組み合わせになった。
と、いうことは、当然残る一組の男女は――。
最後に姿を現した、レエテとルーミスであった。
ルーミスは、ハーミア教信徒としての厳かな正装に身を包んでいた。全体的に黒く地味ではあるが、きれいに立った襟や、広い肩幅の部分や袖に施された装飾はとても洒落ていた。
彼は――周囲の様相などまるで目に入らぬといった様子で、ただひたすら、腕を組んでエスコートしている相手の女性に完全に見とれきっていたのだった。
それは、無理からぬことであった――。
相手の女性、レエテは――。ただでさえ彼の憧れの想い女であるのに、今やもはや言葉も出ないほどの、絶世の美姫に変身を遂げていたからだ。
彼女が身につけていたのは、純白のドレスだった。それが褐色の肌とのコントラストで、よく映えていた。またレエテの魅力的な肉体を際立たせるように肩と胸の上部が露出し、シックでありながら際立って洒落たデザイン。ヘンリ=ドルマン渾身のコーディネートであることが伺えた。
長い銀髪は、頭頂部できれいに髪留めで結わえ、それでも大分余る髪を、額や肩に流している。普段は隠れているうなじが露出し、可憐さの中に妖艶さもしのばせている。
そしてもとより絶世というべき美貌は、薄い化粧で整えられて、真に女神というべき美しさに昇華していた。
だが本人はこの状況への困惑、得体のしれない場所への恐怖、あまりに違和感を感じる衣装、衆人の好奇の目で見られることへの羞恥心と緊張で――目を上げることもできず真っ赤な貌で唇を噛むことしかできなかった。
その不安な様子が、普段の勇ましい様子とのギャップでとてもいじらしい。ルーミスは飛び出しそうになる心臓の鼓動を抑えながら、紅顔のままレエテから目を離すことができずにいたのだった。
ヘンリ=ドルマンはその様子を満足そうに見届けた後、衆人に向き直り、云った。
「この後、希望する者は心ゆくまで、彼女らと歓談するが良い。
我が皇国の社交とは、常に自由であり無礼講であるゆえ。
まずは、レエテらのその功績を讃え、妾より杯を取らせてもらう。
一同、杯を掲げよ。
――乾杯!!!」
ヘンリ=ドルマンの号令で、一同は唱和し、それぞれの杯の中身に口をつけた。
レエテも、手渡された大好きなワインを飲み干して、少し落ち着いたようだった。
「……大丈夫か、レエテ」
ルーミスのぎこちない問いかけに、ようやくレエテは笑顔を見せて、云った。
「ええ、ルーミス……。少し落ち着けたわ。
もう、本当に何もかもが怖くて不安で……この服も靴もすごく歩きづらいし、正直早く帰りたい……。
今の私の格好、とっても……変でしょう……?」
おずおずと問いかけるレエテに、ルーミスは思わず剥きになって否定した。
「――そんなことはない!!!
凄く……凄く……その……綺麗――――」
その言葉を最後まで云い終えることはできず――。
彼を含めた一行は、押し寄せた出席者たちにもみくちゃにされ、一気に引き離された。
その国風から普段は分をわきまえ、自制を知るはずの彼らも、さすがに相手が“血の戦女神”一派という稀代の存在であることで、興奮に我を忘れてしまっていた。
ことに――レエテに群がる、主に男性出席者は興奮の度合いが大きかった。
人間離れした怪物という認識しかなかった彼女が、このようなまさかの、現世のものとも思えないような魅力的な美女であったことで、その興味が一気に別の方向に引き寄せられたからだ。
「レエテどの! サタナエル将鬼を斃したという噂は本当か?――」
「まさか、貴殿のような美しい女性が、あのような闘いを成し遂げていたとは――」
「レエテどの、ぜひとも、某と一曲、踊っていただけまいか――」
「レエテどの――」
「レエテどの――」
その様子に、レエテの貌が恐怖に引き歪んだ。
それが命をかけて争う敵なら、サタナエルであろうと恐れはしないが、このような市井の人々の好奇と欲望に満ちた視線に、対処するすべを彼女は持たなかった。
レエテは助けて、という救いの目をルーミスに向けた。
しかし、戦士でありかつ紅顔の美少年である彼に興味を持った女性たちに取り囲まれてしまい、動くことのできないルーミス。
歯がゆい思いで彼女を見つめることしかできないルーミスの前で、一人の、衆人より頭一つ高い大男が颯爽と横切り、毅然とした大声で云った。
「ノスティラス皇国の紳士淑女諸兄!! 少し落ち着いていただこうか!
レエテも、我々仲間も、度重なる闘いと犠牲への悲しみで疲れている。しかし、我々も貴国への感謝の念を表したいと、ここへ参加させていただいている!
できうるならば、我々も節度を持った貴殿らと、歓談させていただきたいところだ!」
その人物は――ホルストースであった。
ノスティラスの人々も、隣国の第二王子である彼の言に対し耳を傾け、そしてその言葉の正しいことに感じ入り、節度を失った自分たちを恥じた。
そして後で出直すことに決め、皆ぞろぞろと身を引いていったのだった。
「あ、ありがとう――ホルストース。助かったわ……。
さすがは、一国の王子ね。毅然として凄く頼もしかったわ」
レエテが安堵の表情でホルストースを見、感謝の言葉を述べた。
ホルストースは、やや気障な笑いを口元に浮かべ、レエテに近づいてその手を優しくとった。
「なぁに、大したこっちゃねえし、淑女を守るのは男の努めだ。
本当に、こういう場を設けてくれたノスティラスには感謝してもしきれねえ……。
お前のこの姿を、拝めたんだからな。
本当に綺麗だ、見違えたぜ、レエテ。正直、この世の女だとは信じられねえくらいだ。
僭越ながらお願いするぜ。俺と踊ってくれ、レエテ。
エスコートなら、心配するな。俺はダンスに関してはみっちり仕込まれて一流の腕だ。
曲も始まったようだし、一緒に行こうぜ……」
そして中央へ促し優しく手を引くホルストース。レエテはダンスなどという、遙かなる未知の領域に対するおののきと――。一人の男性への想いがあって少し躊躇したが、自分を助けてくれたこの頼もしい男性の誘いを断るのも気が引ける。
誘われたとおり、一緒に行こうとしたそのとき。
当のホルストースの足が、止まった。
彼の肩を、強く掴む一人の男の手によって。
ホルストースは笑みを浮かべながらも、鋭い眼光でその相手を振り返った。
「何の真似だぁ……? てめえは、完全に出遅れたんだよ、『シエイエス』。
負け犬は、すっこんでてもらおうか……?」
そう、彼の肩を掴んで止めた相手、シエイエスは、眼鏡の奥で鋭い眼光を返しながら、低い声で応じた。
「確かにな……。だが、その手を放せ、ホルストース。
レエテと踊る相手は、俺だ」
極めて明確に発された、その言葉。
ホルストースの眼光が、鋭さを増す。
その二人をおずおずと見比べながら、困惑の表情を浮かべて唇を噛み締める、レエテ。
しかしその表情の中に、嬉しさを表すものが見られたことを、後ろで見ていたナユタは見逃さなかった。
(さあ、いよいよなったね、修羅場に。
どうする、レエテ? こいつらは本気だよ。意志を見せて、この場を収められるのはあんたしかいない。
下手な優しさや公平性はいらない。あんたの想い通りにはっきり云うのが、こいつらのためだからね……)