第三話 ルルーアンティア孤児院
北の大国ノスティラス皇国を、40年に亘って支配し続けたサタナエル“斧槌”ギルド、将鬼レヴィアターク・ギャバリオン。
その死によってもたらされた軛からの解放は、皇国にとって紛れもない朗報であった。
しかし、その引き換えとしてもたらされた犠牲は、大きなものだった。
皇国の守護神ともいうべき英雄、“三角江”の四騎士の一人、エティエンヌ・ローゼンクランツの戦死という、甚大な被害。
皇帝ヘンリ=ドルマンの勅命により、皇国は皇都ランダメリアにおいて、エティエンヌの盛大なる国葬を執り行った。
四騎士はランドルフ・シュツットガルトに加え、サッド・エンゲルス、リーダー格のレオン・ブリュンヒルドが仮統治先から一時帰都し、主カールとともに大いにその死を悼んだ。
それが滞りなく済むと、一週間の喪に服するべしとの通達を行ったのだ。
ヘンリ=ドルマンが服喪を命じたのは皇都でありエティエンヌの故郷でもあるランダメリアだけであったが、各統候領も自発的にそれに従い、結果的に皇国全土に広まっていった。
音楽や祭り、娯楽の一時的自粛、皆が思い思いの黒い腕章であったりフードを身につけるなどし――。エティエンヌの没時とされる午後5時には、毎日国民が黙祷を捧げた。
悲しみに包まれる皇国だったが、同時に憂慮すべき大問題も発生していた。
国内最大の経済力を誇る統候領ノルン。その統治者たる名君といわれたメディチ・アントニー・テレスの麻薬「メフィストフェレス」蔓延に絡む大犯罪と、皇帝の命を畏れ多くも狙った大反逆。そして皇帝自身による誅殺といった衝撃の大事件があった。
代替えの仮統治者としてランドルフがノルンに赴いたものの、皇国としての弱体化は避けられず、無血占領によりせっかくの領土拡張となったドゥーマが、却って重荷となるという皮肉な状況を生み出していた。
すでに空位のミリディアを含めた新しい統候2名を早急に選出するべく、残る統候3名――ガリオンヌ統候オヴィディウス、ラウドゥス統候ロヴェスピエール、デネヴ統候ミナァンがランダメリアに集結しつつあったのだった。
*
そして、レエテ・サタナエル一行は、様々な記憶の染み付いた因縁のハッシュザフト廃城を後にし、馬車で100kmの距離を移動し――ランダメリアへの入都を果たしていた。
ただし、シエイエスとルーミスのみは、ある目的のため一時的に一行を離脱していた。
国内でみれば未だレ=サークを始めとした“幽鬼”の存在はちらつくサタナエル。
しかしながらランダメリアに限ってみれば事情は異なる。レヴィアタークの死に加え、その腹心であった絶対監視者ベルザリオン・ジーラッハが死亡したことにより、一時的にサタナエルの目からは逃れられていると皇国は判断。
それにより、都市部へ入ることを拒絶していたレエテに対して、大手を振って歓迎したのである。
今回の動乱解決の英雄である彼女らを、称え感謝するために。
もちろん、サタナエルの影響を元より知らぬ一般市民にとっては、レエテは大陸に名を轟かす不気味な女怪“血の戦女神”に過ぎないため、彼らにその入都を知らせることはない。直接ランダメリア城塞への招待という形となった。
まずは、ヘンリ=ドルマンから約束された、城塞地下でのビューネイ・サタナエルの遺体安置を依頼。
レエテから手渡された小さな棺桶代わりの箱は、複数人の兵卒の手によって極めて丁重に運ばれていった。
最後の名残を惜しんだ後――。一時外出しレエテらが向かった先は、ランダメリアの郊外に存在する「ルルーアンティア孤児院」だった。
そこは――。ナユタ・フェレーインが、エティエンヌやトリスタンとともに育った、まぎれもない故郷。
訪れる目的は、2つ。
彼女の5年ぶりの里帰りであると同時に――。エティエンヌの死の報告のため。
そして、エストガレスを逃れたブリューゲル・フォルズの受け入れを依頼するため、であった。
*
150万の人口を擁するランダメリアには、高く林立する石造りの建造物の間を、整備された道路が縦横無尽に駆け巡る。その中でも、最大の幹線道路であるジェミニウス街道をまっすぐに西に向けて走る、レエテ一行の馬車。
街道には、無数の馬車、歩みを進める市民、旅人、行商たち。
行き交う彼らに対し無用の騒ぎを起こさないため、容姿の知られているレエテらは荷台の幌の中にじっと身を潜めていた。
だが、外の雑踏の様子をじっと耳で聞いていたナユタが貌を上げ、最後尾に座っていたキャティシアに声をかけた。
「――そろそろ街を抜けたね。もういいよ、キャティシア。幌を開けてくれるかい?」
その言葉に従ったキャティシアが、後部の幌を全開に開けると、そこには――。
澄み切った青空の下で、一面の、紫色の絨毯が草原上に展開していた。
「――わああ!! 何てキレイな、お花畑!!! 石造りの街の外に、こんな景色の場所があるなんて! ――それに、ああ、何ていい香り!」
目を輝かせてはしゃぐキャティシアに、笑みを浮かべてナユタが答える。
「ラベンダー畑さ。ここ一面に広大な作付けがされてるんだ。
もともと紫が大好きなヘンリ=ドルマン師兄が、どこかにラベンダーを大量栽培したいと考えていたところ、あたしの出身であるこの孤児院のことを思い出して、その周辺に作ってくれたんだ。
子どもたちもおばちゃんも大喜びで、あたしも大いに感謝したもんさ」
ナユタの言を受けて、レエテが言葉を挟む。
「そうなのね。子供達は幸せね、こんな良い環境で暮らすことができて。
――シエイエスやルーミスも、安心すると思うわ。ブリューゲルを素晴らしい環境に預けられて」
「ああ、そうだね。シエイエスとルーミスの奴、待ち合わせ時間通りに来られてるかな。
早めに出立したとはいえ、ミリディアからはだいぶ遠いからねえ」
そう、シエイエスはエストガレス脱出後、エルダーガルドの決戦に駆けつけるまでの間ミリディア統候領に立ち寄っていた。
そして仮統治者であるサッド・エンゲルスに会い、レエテとナユタの名前を拝借して交渉しブリューゲルたちを一時預けていた。
現在ルーミスとともに別行動をとっているのは、彼女らを迎えに行くためだったのだ。
話しているうち、馬車が停止した。目的地に到着したのだ。
馬車を次々降りる、キャティシア、ランスロット、ホルストース、レエテ、そして――ナユタ。
ナユタは、懐かしいラベンダーの香りを胸いっぱいに吸い込みながら、あまりにも懐かしい故郷の景色を感慨深げに眺めた。
周囲を見渡し、孤児院の門の方をみやると――。
すでにもう一台馬車が到着しており、その前に居る4人の人物がこちらに歩み寄ってきた。
シエイエス、ルーミス、一人の老婆、そして――シエイエスの背後に上目遣いでおずおずと隠れる、長い金髪の美しい女性。
レエテは、彼らを見て満面の笑みを浮かべ、シエイエスとルーミスに声をかけた。
「シエイエス、ルーミス。時間どおりね。そちらの方々が――」
「ああ、そうだ。まずこちらは、俺たちの乳母でブリューゲルの世話をしてくれている、ベルーナ・ローレン」
シエイエスの紹介を受けた老婆ベルーナは、噂に名高い“血の戦女神”に対し恐れをなしているのだろう。小刻みに震えながら一礼して後ろに下がってしまった。
レエテも深追いはせず、一礼ををするに留めた。
「そしてこちらが――。俺の妹でルーミスの姉、ブリューゲル・フォルズだ。
さあ、ブリューゲル。この人が話していたレエテだよ。挨拶して」
子供に話しかけるような言葉を投げかけられたブリューゲル。人見知りをしているのか、身体をよじらせながら下を向き、口で何かもごもごと云っている。
レエテはさらに優しい笑顔を浮かべながら、ゆっくりとブリューゲルに近づき、その両手をとった。
女性としては背の高いブリューゲルは、レエテとさほど目線が変わらない。
ブリューゲルはビクッと身体を震わせる。
「こんにちは、はじめまして、ブリューゲル。私がレエテよ。
お兄様やルーミスとは仲のいいお友達なの。私、あなたとお友達になりたいと思っているのよ。
怖がらなくていいのよ。仲良くしましょう? ね?」
その一言一言云って聞かせるような、優しさにあふれた語りかけに、ブリューゲルの表情は一転して晴れて明るくなり、無邪気な笑顔を浮かべてレエテの手を握り返した。
「うん!! あたちもー、レエテと、おともだちーなりたい。あたちーブリュー、ゲル。よろしく、ねー! いっしょに、あそぼー!?」
レエテの優しさを子供の心で見抜いたのか、一辺に心を開いてくれたブリューゲルに、レエテは胸が熱くなった。
「そうね、あとで一緒に遊びましょう。他にも、あなたと遊んでくれるお友達が、ここにはいっぱいいるわ。……行きましょう」
手をつないで一緒に門に向うレエテとブリューゲルを追って、一行も続いた。
歩くシエイエスの脇に、さりげなく寄って並んだのは、ホルストースだった。
「よお、シエイエス。しっかり話す機会もなかったんで、改めて挨拶だ。
無事の帰還、心から祝福するぜ。今後ともよろしくな」
そして差し出された大きな手を、シエイエスは握り返してガッチリと握手をかわした。
「こちらこそ、よろしく、ホルストース。ハッシュザフト廃城でのことは、ルーミスから詳しく聞いた。皆を、レエテを守ってくれて、本当に感謝している」
「なに、レエテを殺そうとしたフレアを止めたお前に比べりゃあ、大したことはしちゃいねえ。
それにしても、レガーリアのムウルもそうだが、子供の心ってやつはレエテの本質を見抜いてくれるんだな。何だか、ちゃんとあいつの良さを分かってくれる人間がいるのは、嬉しくなるね」
「本当にそうだな。ムウルも、俺たち以上にレエテのことを分かってる部分があった。
そこまでではないにせよ、ノスティラスは他の国に比べてレエテに対する理解があって好感がもてている。俺も妹を預けるには安心していられるよ」
「ちげえねえ。盛大に葬式をされたエティエンヌも、本当にいいやつだったしな。
そんな連中からご招待されてる、今晩の城塞での祝賀会、てやつも楽しみだよな……」
ちらりと横目を投げかける、ホルストース。
互いを一流の戦士と認めつつも、何気なくレエテを巡り張り合う二人の男の火花は、この時点ですでに発生していたのだった――。
そして門をくぐると、質素ながらも大きな教会風の建造物が目の前に展開された。
正面玄関の大きな扉の前に――歳のころおそらく60代と思われる、老女が佇んでいた。
ハーミア教の正式な尼僧としての、黒い衣装に身を包んでいる。身体は小さい。150cmそこそこだろう。だが裏腹にその身にまとった巨大な存在感は、この女性の大いなる器と慈愛を現していた。
小太りで、皺のよった貌の中で炯々と光る眼光は、レエテをも一瞬おののかせた。
しかし、その後すぐに相好を崩して湛えた笑顔は、この場の全員を大いなる安心感に包んだ。
ナユタは足早にこの女性に駆け寄り、力いっぱいに抱きついた。
そしてやや涙声になりながら、子供に戻ったかのような口調で語りかける。
「ただいま……ただいま、おばちゃん!
あたし、戻ったよ。ごめんね、長い間便りもよこさないで、心配かけて。
会いたかった……会いたかったよお、おばちゃん……!」
そのナユタの紅い頭髪に包まれた頭を、皺だらけの手で優しくなでる、女性。
「おかえり、ナユタ。
本当にあんたは、昔っからそうだね。一度決めたらどこまでも突っ走っちまうから、こっちはヒヤヒヤして気の休まるヒマもありゃしない。何だか“紅髪の女魔導士”とかいう話が聞こえてくる度、心配はしてたんだよ。
けど本当によく帰ってきたよ。五体満足で無事なあんたが目の前にいれば、あたしは何も云うこたない。ありがとね、帰ってきてくれて……」
そしてナユタをそっと引き離すと、まずはレエテに向かって声をかけた。
「どうも、初めまして。あんたが、レエテだね。あたしは、このルルーアンティア孤児院の院長をしてる、尼僧ラーニア・ギメル。
まずはうちのナユタがお世話になってることに対して、お礼を云わせておくれ。
本当に、いい目をしてるね……。ナユタが惚れるのもよぉくわかるよ。
後であんたとはじっくり語りたいけど、先に中へ案内させておくれよ」
そういって、 尼僧ラーニアは開いた正面玄関の扉から一行を建物内へと案内した。
正面にあった礼拝堂を抜け、居住フロアへ入る。
そこには、快適な生活に必要な、全てがあった。
清潔な食堂と厨房、浴場、集会場や遊戯室、元気に子どもたちが跳ね回る広場――。
ナユタも、懐かしさを堪えきれないように、レエテに解説する。
それらを抜けて、一番奥にある、応接室と、尼僧の居室。
そこへ通された一行は、まずブリューゲルの面通しをし、その境遇や経緯をラーニアに説明した。
そしてシエイエスから正式に申し入れた受け入れの依頼を、ラーニアは快諾し、控えていた職員の女性に案内をさせた。それについて、シエイエスとベルーナ、ブリューゲルは応接室を後にした。
そして応接室にホルストース、キャティシア、ランスロットを待機させ、レエテ、ナユタ、ルーミスのみを居室へ招き入れた。
執務机を挟んで、椅子に腰掛けた面々。
ナユタが、ラーニアに向けて重い口を開く。
「それで……おばちゃん。もう、あたしが云わずとも嫌というほど聞いてるだろうけど……。
エティエンヌが、死んじまったよ……」
「ああ、聞いているよ」
「あいつ、四騎士の一人として、進んであたし達に協力してくれて……色々助けてくれて……。
最後は、敵の魔導からあたしをかばって……霧になって、消えちまったんだ。
この形見の武器を、残して」
そう云ってナユタは、腰のファルカタを差し出してラーニアに見せた。
「これは……陛下からありがたくも頂戴した。だから……国葬された墓じゃあなくって、ここに置いてやって欲しいんだ。
あいつもきっと……ここに帰りたかっただろうから」
そう云ってナユタは貌を伏せて身体を震わせた。泣いていたのだ。
レエテがそっと背中に手を当てて、優しくさする。
「おばちゃん……あたし、自分が情けない。
あたしが不甲斐ないばっかりに、あいつを死なせてしまった。それに……あいつ、死ぬとき云ったんだ。あたしのこと……『愛している』って……。
それに応えてもやれなくて……一緒になれたかもしれないのに……。あたしに、もっと力があれば……」
その様子に、さしも気丈なラーニアの目にも、一筋の涙が流れた。
「……よしなよ、ナユタ。エティエンヌは、あんたが泣くことも、自分を責めることも望んじゃいない。
あの子は、そういう子だ……。いつだって、自分のことより友達だったし、友達の幸せが自分の幸せ。トリスタンが死んだときだって、あんた云われてたろ?
あんたを好きでたまらないことも、前から知ってたよ。あんたは自分のことは鈍いし、トリスタンに夢中だったから気づかなかったろうけどね。
あたしは何度も悩みを相談されてた。色々云ったけど、あの子は自分にふさわしく、陰から健気にあんたを支えることを選んだんだ。だからあの子の死に責任があるとしたらあたしで、あんたじゃあない」
「そんな……」
「あんたは元通り傲岸不遜に、笑って自分の道をこれからも突き進んでいきゃあいいんだ。尼僧のあたしが云うのも気がひけるけど、どうしてもブッ殺してやりたい畜生もいるんだろ? そいつは今やあたしにとっても憎き仇だ。仇をとっておくれよ、あんたの魔導でさ。
とにかく泣くのも、自分を責めるのも、これっきりにするんだ。わかったね」
ナユタは涙を拭きながら、ようやく笑顔を見せた。
「ハハ……本当だよ、おばちゃん。殺生を勧めたり、魔導を認めたり、神に仕える身として風上にもおけないよね。
わかった、もうくよくよすんのはこれっきりにするよ。ありがとう……おばちゃん」
「どういたしまして。わかってくれたなら、あんたはちょっと外して、サディの奴に挨拶でもしてきな。一番奥の遊戯室で、子どもたちの面倒みてる筈だから」
サディは、ナユタと同年の幼馴染で、現在は孤児院の職員だ。会いに行くのは良いのだが、あからさまに自分だけを外させようとする様子に一瞬ムッとする。しかし頭の切れる彼女のこと、すぐに意図を理解し、大人しく部屋を後にした。
ラーニアはそれを確認すると、レエテとルーミスの方に向き直った。
「さて、レエテと……ルーミス、だったね。あんた達に残ってもらったのはね……。あんた達が、今のナユタにとって、一番大切な人間だからさ。ちょっと話したいことがあるんだ」
レエテとルーミスは、思わずお互いの貌を見合わせる。
「何で分かったかって? あたしを甘く見ないことだね。ナユタのことは、ミルクで生きてた赤ん坊の頃から知ってる。仕草や視線で、すぐに分かるんだよ。ことに知ってのとおりあの子は、あれだけ頭が良く演技もできるのに、愛情を隠すのがとびっきり下手ときてるからねえ」
それを聞いたルーミスは――。バレンティンで脱獄を果たした直後の、溢れ出る愛情を止められないかのような熱烈なキスで、ナユタに初めての唇を奪われたことを思い出し一人貌を真っ赤にした。
「もう云わずとも分かってるだろうけど、あの子は賢く行動力があり大胆だ。意志も強い。それはもちろん長所でもあるけれど、同時に短所でもある。たぶんあんた達は、あの子の危なっかしいところに何度も遭遇し、助けていることもあるだろうと思う。
それに加えてもう一つ……情にもろいところも大いに長所であり短所だ。
あの子はリスクを犯しながらも、いつもは冷静に計算をしてる。ところが、大事な人が絡んで感情が高ぶると、完全に見境がなくなっちまうんだ」
それを聞いたレエテの脳裏に、全く勝ち目のないフレアに対して、憎しみに任せて魔導を放ってしまったナユタの姿が思い出された。
「それも……分かるわ、尼僧。エティエンヌの死に逆上したナユタは、普段の彼女ならしないような無謀な行為で命を危険にさらした」
「そうか……もう、そういう事態になってたんだねえ。そういうことさ。
さっきも本人に云ったように、あの子は本当に危なっかしいんだ。一番死ぬ確率が高いと思って諦めていたけれど、生きていてくれた。
こんな孤児院なんてやっているとねえ、育て送り出す子達の成長とともに、いろんな運命をたどった末の死に別れにもイヤというほど直面するのさ。トリスタンしかり、エティエンヌしかり。
けど、『心配かける子ほど可愛い』って言葉もあるだろ? ナユタはね……あたしの可愛い子たちの中でも、特別な存在なんだ……」
そう云うと、ラーニアは突如立ち上がり、大粒の涙を浮かべて机に突っ伏し、レエテらに頭を下げた。
「赤の他人であるあんた達に、こんなお願いするのはお門違いだけれど……。
お願いだ。ナユタを、死なせないでおくれ。
たぶんあの子は、あんた達二人に何かあったとき、自分の命を捨てようとするだろう。
命を粗末にする人間をなじるのは、自分がそういう人間だから。
大切な人のために、命を投げ捨てるに違いない。そうなってほしくないんだ。
約束しておくれ。あんた達が無事でいてくれること、ナユタを危険にさらさないこと。
どうか、どうかお願いだよ。あたしの大切な『娘』を、生きてあたしの元に返しておくれ……」
そしてすすり泣くラーニアの元に駆け寄る、レエテとルーミス。
レエテはその様子に――かつてマイエがビューネイと自分を抱きしめて泣き崩れた時の姿が重なり、大粒の涙を流した。
「わかったわ……どうか貌を上げて、尼僧。私は約束する。ナユタは、絶対に死なせない。必ず、生きて目的を果たしあなたの元に返すと約束する。
私の、最も掛け替えのない家族に誓って、約束するわ……」
それらの、会話を――。
ドアの外で、立ち去らずにじっと聞き耳をたてていたナユタ。
一度は収まった涙が、比べ物にならない勢いで流れ出してくる。
嬉しかった。血がつながらないながらも、母親と慕う女性が、そこまで自分を思ってくれていたことが。
漏れそうになる声を両手で必死に抑えつつ、壁に背をついて、ずるずると床に座り込んだ。
「うっ、うっ、ううううううう…………」
生きて、ここに帰ってくる。必ず。
決意とともに泣き崩れるナユタの嗚咽は、しばらくの間小さく廊下に木霊していったのだった。




