第二話 修羅の闘争
15mもの高さの城壁の頂から跳躍しつつ降下し、3m以上の長さにおよぶ斧槍を振り下ろす、“流星将”シャルロウ・ラ=ファイエット。
高位置からの落下運動、長尺武器のもたらす遠心力と高速の振り、見た目は短躯だが驚異的筋肉の塊である彼自身の体重。
これら「力」の集約されし斧槍の刀身が、一切の容赦なく、極限の殺意をもってシェリーディアの脳天を襲う!
瞬時に、重量感に満ちた鈍い金属音が響く。
斧槍の刀身が、“魔熱風”の刃と打ち合う音だ。
己の頭上に左手を添えた両手で掲げた“魔熱風”により、刀身の襲来を見事防御したシェリーディア。
彼女は元“投擲”ギルドNo.2。自身が射撃という攻撃の達人であるのは勿論だが、防御に関しても、射出された矢やボルトを目視せずして感知し、それをことごとく正確に撃ち落とす絶技の持ち主だ。
相手がいかなる怪物であろうが、反応することは容易い。かつてサロメの神弓“神鳥”の一矢を撃ち落としたように。
しかし――何という、強大な圧力か。
これまでにシェリーディアが立ち会ってきた、人外に値する強敵の中でも屈指の強撃だ。
完全に――。“将鬼”に比肩する力。
こらえきれない。10秒とは保たず、競り負ける。
歯を食いしばり、焦燥の表情を浮かべたシェリーディアは――。
その頭上にある“魔熱風”本体の、撃鉄部分に向けて帽子ごと頭突きを喰らわせる。
瞬時に動作した機構により、本体と刃機構の中間に位置するハンマー部分の微細な孔から、無数の神経毒針が発射される!
すでに着地していた白銀の重装鎧姿のラ=ファイエットは、これを即座に見極め、斧槍を引いて後方へ数m飛び退った。
その着地を待つことなく、すぐに持ち手を変えたシェリーディア。今度は装填されたボルトの先端をラ=ファイエットに向け、“魔熱風”後端のハンドルを高速で回転。自動連射機構により瞬時に10本もの矢を乱射した。
先刻ビラブドの肩を撃ち抜く際にも用いた攻撃手段だが、それとは比較にならぬ大量射撃だ。
その音は、空気を切り裂く音が重なって一つの大音量となり、鼓膜にすら打撃を与える。
正確無比な射撃ではないものの、ラ=ファイエットの胴と、射撃を回避するであろう周囲のコースを正確に捉えた超コンパクトな範囲射撃。
だがラ=ファイエットは完全に、冷静であった。
斧槍の柄の中間点付近を持ち、手首を中心に振り回しながら「8」の字を描き、全てのボルトを叩き落とした。
完全に両目を閉じた状態で。
おそらくは、教え子であるシエイエスに授けた“沈黙索敵”によるもの。音への一点集中で、視覚の限界をも超えた超速物体を正確に捉えたのだ。
それも脅威だが、捉えることと実際に身体を反応させることとの間には、さらに途方もない隔たりがある。過去にこの高次元の防御を成立させ、“魔熱風”の同時最大射出数を完全に防ぎきったのは――。
この男の他には、僅かに一人。シェリーディアの師、サロメ・ドマーニュの他には誰一人いないのだ。
(化物が――)
心の裡で毒づきながら“魔熱風”を引き、次なる攻撃体勢に移ろうとしたシェリーディアの眼前に――。
すでに、斧槍の刀身が、あった。
刃渡り70cmにもおよぶ、鈍色に光る白銀の刃と切っ先は、すでにシェリーディアでさえも防御の間に合わない距離にあった。
「くっ――!!!」
呻きながら身体を捩らせ回避を図るも、その馬鹿げた疾さの踏み込みで繰り出される突撃は、シェリーディアの右肩を捉え、切り裂いた。
ジャケットごと切り裂かれた皮膚から、血液が噴出する。
だが怯むことなく反撃を繰り出すシェリーディア。側面からの水平斬撃は完全に見切られ、かわされて空を切った。
ラ=ファイエットはそのまま数m後退し、地につき立てた刀身を軸に柄を垂直に起こすと同時に、自身がその上に飛び乗った。
超一流の曲芸師も青ざめる軽業だ。地に垂直に立った斧槍に微動だにせず片足で乗るラ=ファイエットは、3mという高さからシェリーディアを見下ろした。
その両眼――は冷たい侮蔑に満ちていた。
そして低く重々しい声で、彼女に話しかける。
「――シェリーディア・ラウンデンフィル。元“統括副将”だそうだな……。
だとすれば……サタナエル、恐れるに足らず」
「……エストガレス王国元帥、シャルロウ・ラ=ファイエット将軍。
それは、サタナエルへの侮蔑というよりは、ひとまずアタシへの挑発と受け取るよ。その言葉の真意は?」
「全くもって言葉どおりだ。貴様程度の女が統括副将を名乗れる組織など高が知れる、というな。
実力が、ではない。器――というより、背負った『覚悟』の程度が、だ」
「何……?」
「公爵殿下より貴様の話伺ってより、私は極めて不愉快であった。
貴様がサタナエルの裏切り者であるから、ではない。出自で人間を判断する主義ではないゆえ、如何に敵の裏切り者であろうが、十分な理由と覚悟がある者ならば私は喜んで受け入れる。
しかし……貴様は作戦に失敗し死罪を言い渡されたにも関わらず……主君が自分を裏切っていた、という理由だけで組織に反逆し逃亡した。この時点でまず組織に属する武人としての忠義も理も覚悟も皆無」
「……」
「さらには、孤独に耐えることができない、などという極めて身勝手な理由でかつての大恩ある組織の敵対勢力配下に寝返り、身体を求められても唯々諾々と従うその心根の弱さ、性根の卑しさ。
我らと共に戦う理由も覚悟も、到底あるとは認められぬ。
そして今立ち会って、私のその考えが間違いでないことが証明された。
貴様、躊躇したろう? この私を殺すことを。
私が、貴様を全力で殺しに来ていることは、最初の一撃で知れたはず。その後に及んでも軟弱な攻防をしかできぬのは、貴様の中身が『空洞』であるゆえの覚悟の無さを証明するものだ。
もはや、生きているとも云えぬ、さも見苦しく哀れな抜け殻。この私がここで引導を渡してやるのが相応しかろう」
「――テメエに――アタシの、何が分かる!!!」
己を中身の無い存在と断じ、見下す侮辱の言葉を投げつけるラ=ファイエットに対し、シェリーディアの両眼が激憤に燃えた。
そしてそれまで開放していなかった魔導を発動する。
全身から戦慄するほどの強力な魔力を放出しながら、“魔熱風”を水平に構えてラ=ファイエットに襲いかかる。
狙いは、ラ=ファイエットが足場としている、垂直に立った斧槍。あえて武器を奪われ無防備となるリスクを犯すようなこの体勢、罠であろうとは見抜いていた。しかしあえて誘いに乗る積りだ。
柄の中心を両断するべく、“魔熱風”を振り抜こうとするシェリーディア。
それを目視したラ=ファイエットも、行動を起こした。
身体を屈め、柄を掴み、その後――。
柄を中心として己の身体を高速回転させたのだ!
回転すると同時にラ=ファイエットのブーツの踵からは、刃渡20cmほどのオリハルコンの刃が突出している。
まるで、刃の竜巻。近づけば瞬時にズタズタに切り裂かれる。
この男は長尺重量の武器を振り回す技量だけでなく、自分の肉体をも武器として振り回す技を持ち、短躯という欠点を長所に変換している。かつ、短射程に弱いという己の得物の欠点をも補うものだ。
だがシェリーディアはこれに即座に反応し、振り抜きを中断して防御に切り替える。己の前面を狙う攻撃に刃を当てて弾き、2mほど後方に下がる。
そして酸素濃縮魔導を発動させて、刃に触れないよう周囲に纏わせると、再び火山弾のように激しい襲撃を開始する。
回転体となったラ=ファイエットへの射程距離に近づくと、今度は完全に振り抜く体勢で、一気に刃に爆炎魔導を纏わせ、集約した酸素で爆発。驚異的加速力で刃をラ=ファイエットに叩き付ける!
「うおおおおおおおっーーー!!!!」
滾る気合、そして完全に殺し尽くすという殺気を纏わせた刃は、ラ=ファイエットの踵の刃と接触。
「――!!!!」
その圧力は――。ラ=ファイエットの筋力による回転を止めたばかりか、柄にも強烈な力を加え、刀身を地から引き剥がし――。
彼の身体を得物ごと完全に吹き飛ばした!
10m近く弾き飛ばされたラ=ファイエットは、どうにか体勢を整えたが、その視界には――。
刃を高々と振り上げたシェリーディアの姿が捉えられていた。
そしてその刃が真っ直ぐに振り降ろされると同時に――。
刃の軌跡から三日月状の炎の刃が形成され、これまでラ=ファイエットが目にしてきたどの魔導からも想像しようがない、驚異的スピードで直進してきた。
耐魔を纏わせた斧槍で応戦しようとするも、間に合わない。
回避はしたが、奇しくも――シェリーディアに負わせたのと同じ右肩を切り裂かれつつ焼かれた。重装鎧が無残に切り裂かれ、出血する。
離れた場所で地に伏せ、法力の治療を受けるダフネは、この闘いに完全に圧倒されていた。
彼女はラ=ファイエットの尋常ならざる実力を知っているつもりだったが、それは極々一部にしか過ぎないことを思い知らされた。相応の怪物、強敵を相手取った今、初めて王国最強の将の本気の実力を目にしていると感じた。
(す――凄い。もはや人間同士の闘いじゃあない。
将軍の本気も凄いが、シェリーディアもだ。こんな化物より、まだまだ上が居るサタナエル……。
彼らを相手取り、またその宿敵であるレエテ・サタナエルと闘うということは、このような修羅の闘争の只中に身を投じるということ……。
恐ろしい……恐ろしいが、試して、みたい。自分がどこまでそこで通用するのかを……)
ダフネのそのような裡なる想いをよそにシェリーディアは、負傷し一旦動きを止めたラ=ファイエットに刃の先端を向け、静かな怒りを秘めた鋭い声を投げかけた。
「ラ=ファイエット。アンタの云ってることは理屈では正しいが、それは恵まれた騎士、選ばれし者の論理だ。
サタナエルはね……アタシのような身寄りがなくなった極貧か、殺人狂の犯罪者のおよそどちらかの人間で形成される組織だ。
どちらもその論理の根底にあるのは、『生きる』ことさ。
まずアタシたちは、生きるためなら殺しでも何でもする。組織は、それに付け込んで、死を恐れるアタシたちを恐怖の戒律で支配する。
裏切りにより戒律を逃れたアタシも、まず生きるためにこそ仲間を欲した。そして、ダレン=ジョスパンに受け入れられた」
「……」
「そしてアタシは、元々サタナエルの中でも異端といえる思想を持ってた。
それは、仲間と協働してともに生き、その仲間を尊重し命がけで守る集団の論理。
かつてもそうだったように、今もその考えは変わらない。ここで仲間と認識した人間を、アタシは命がけで守る。そして生き抜き、あわよくば組織に目にものを見せる。それが全てだ!
これは、アタシの人生で最も掛け替えのない亡き親友の魂に立てた、誓い。
アンタらのように最初から何もかも――金も、名誉も、家族も仲間も全て持ってる騎士の論理なんざ、悪いが『クソくらえ』だ!
本当の生きるか死ぬかの世界で生み出された、アタシの思いの方が、遥かに強い!!」
話すうちに極限まで昂ぶった己の思いをぶつけるように、再度魔導を発動させつつラ=ファイエットに攻撃を仕掛けるシェリーディア。
その恐るべき攻撃に備え、防御と反撃の準備を固めるラ=ファイエット。
両者の刃がまさに打ち合わんとする、その瞬間――。
ある人物の気配で、シェリーディアも、ラ=ファイエットも、ピタリとその刃を打ち合う直前で止めた。
その刃の中間に横合いから突き出されたのは――、一本のオリハルコン製レイピアの、抜身の刃。
それをいつもの不気味な表情を崩さず、髪一本乱さぬ様相で持つ人物は、云うまでもなく――。
ダレン=ジョスパンだった。
「そこまでだ。双方武器を収めよ。
今以上続ければ、お主らのうちどちらかか、あるいは二人ともを失うこととなろう。
それは全く余の望むところではない。
此度の試合の目的は、達した。これ以上の闘いは、無益だ」
互いの共通の主人である人物の介入により――シェリーディアとラ=ファイエットは睨み合いながらも、ゆっくりとそれぞれの武器を収めた。
これを目にしていたダフネは、背筋が凍りつくのを感じていた。
人間離れした超スピードで打ち合おうとした二人の超人の間に割り込んだ貴人は、一瞬姿を消した後に『瞬時にそこへ姿を現した』。
自分たちの上官はラ=ファイエットであるため普段接する機会もあまりないのだが、このダレン=ジョスパンこそがこの場で最大の化物なのだということを、“夜鴉”最強の実力者であるダフネは肌で感じていたのだった。
そして、斧槍を三節に折りたたんで背中に収めたラ=ファイエットが、まず丁重に主に膝をついて騎士の礼をした後に口を開いた。
「申し訳もございませぬ、公爵殿下。このラ=ファイエットとしたことが、つい頭に血が上り、出過ぎた真似をしお見苦しい所を。
ですが私も、目的は達しました。ひとまずこの女を共闘相手として迎え入れることには、私も同意いたします。特殊部隊から殿下のためよりすぐった“夜鴉”の指揮を取ることも、許可いたしましょう。
私は先日のシエイエス仕損じの失態による責任で、当分謹慎の身分でございますゆえ」
そして立ち上がり、シェリーディアを鋭く睨みつけ、云い放った。
「シェリーディア。貴様の圧倒的実力、そして――その背景や『思い』については、理解し、ひとまず認めてはやろう。
だが、勘違いするな。私は一定の理解はするが、貴様に一分たりとも『共感』はしておらん。
指揮した“夜鴉”に被害、ましてや死者を出すなどという事態になってみよ。
そのときこそ、私は真っ先に貴様の息の根を止めに向かうゆえな。肝に銘じておくが良い」
それを睨み返したシェリーディアが、言葉を返す。
「ああ。アタシも、理解はするがアンタに『共感』は一分たりともしない。
指揮権は、ありがたく頂戴するよ。ヘマはしないから、安心して待ってろ。
云っとくが、万が一殺しに来られても、大人しく殺されてやる気はない。そのときは、心置きなくアンタを殺してやるから、十分覚悟して来い」
ラ=ファイエットは表情を変えずにダレン=ジョスパンに向かって一礼すると、そのまま城壁外に向かって歩き去っていった。
ダレン=ジョスパンはそれを見送り、肩をすくめてため息をついた。
「やれやれ……。お主らの相性が悪いであろうことは余も予想しておったが、ここまでとはな……!
まあ実力者同士ゆえ、ということにしておこう。
正直、お主の実力は余の想像を超えておった、シェリーディア。
ラ=ファイエットの許可も得たし、どうだ? “夜鴉”を指揮する自信は十分か?」
シェリーディアは真っ直ぐにダレン=ジョスパンを見据え、返答した。
「ああ。実力を見せてもらって確信した。彼女らは、かつてのアタシの部下たちに勝るとも劣らない。あとは実戦しだいでもっと強くなる。
そして一度レエテ一派を相手したアタシの戦術があれば、成功は確実だ。
サタナエルの手をはねのけ、レエテを手中に収めてアンタに渡し、アタシ自身の因縁にも決着をつけてやる」
「結構なことだ。では余は退散するゆえ、ダフネらと十分親交を温めるがよい。
とにかく、一刻も早く任務を全うし、余の元へ戻って来い……」
手を振りながら居城へと戻っていく、ダレン=ジョスパン。
正直シェリーディアとしては、また望まない夜伽を命じられるゆえに早く戻りたくはなかったが――。
射程距離に入った、彼女の宿敵二人に思いをはせ、遠い空に目を向けるのだった。
(待っていろ……レエテ・サタナエル。そして……サロメ・ドマーニュ。
テメエらを同時に、一網打尽にする策を、アタシは練っている。そして今、それを実行するに十分な仲間も得た。
策に乗り、アタシの設定する最終決戦の場所まで、ノコノコやってくるがいい――)