第三十三話 永遠の、別離
「レエテ…………。オメー……殺ったのか、あの、デカブツ、を……」
薄く目を見開いたビューネイが、言葉を発する。
レエテは大きく頷き、ビューネイの身体を膝の上に乗せて抱きかかえ、頭を撫でた。
ビューネイの身体は――。鳩尾より下が完全に失われ、レエテに切断された左腕も、そのままだった。
内臓が飛び出した状態の胴体、腕の切り口とも――。傷口は、全く再生していなかった。
やはり、ビューネイの肉体はすでに――ほぼ屍同然であったのだ。
体組織が死に、神経が感覚を完全に失った状態。
おそらくは僅かな生命力を、ルーミスの法力で危うく保っているのだ。
蝋をほぼ失ったロウソクに、なけなしのわずかな蝋のかけらを足したような――そんな状態。
「ええ……レヴィアタークは、死んだわ。あなたのおかげよ、ビューネイ……。
私の命を救い、あいつに深手を負わせてくれたおかげ。
あいつのせいで死んだ、ターニアやアラネアの命に報い、あなたや……ドミノが捕らわれた復讐も……果たせたわ」
と、突然、「ドミノ」の名を聞いたビューネイが――目を見開き、歯をむき出し――。悪鬼のごとき形相となって天を睨みつけた。
「あいつ――を探すな、レエテ……!! あいつの姿を目に、するな……!!!
それが……!! オメー……のため……だ……!」
それだけ云うと、魂が抜けたように元の表情に戻ってしまった。
今の状態では、それ以上の激情を表に出すことはできないようだった。
レエテは――思わぬ一言でドミノの手がかりをビューネイから引き出したが、それ以上問うのをやめた。
どうやら「生きている」ことがわかった。今はそれでいい。おそらく今のビューネイの言葉からして――。ドミノも、ビューネイと同じく囚われ地獄の責め苦を受け続けているのだ。それを目に触れさせたくない程に――。
今はそれよりも、ビューネイに残された僅かな時間を、ともに過ごしたかった。話をしたかった。
「ビューネイ……今は、つらい? 痛いところは、ない?」
「ああ…………。大丈夫だ。どこも全然痛くは……ねえ。
て、いうか……。身体のどこにも、感覚が、ねえ……。オメーの手の感触すらも、全く、感じねえ……。
ハハ……こうなってくると……さすがにちょっと怖えな……。もうあたしの身体は、死んでるんだ、てことが実感できて、さ……」
その言葉を聞いたレエテの目から、たまらず涙が一気に溢れ出た。そして声が、聞き取りづらい涙声に変わる。
「だい……じょうぶ。大丈夫……。わたし……ずっと、ついてるから。あなたが眠るまで、けっして、そばを、離れない、から……。
ごめんね……ごめんね……ビューネイ……。ほんとうに……ごめんね……。
前にあなたに云われたとおり、わたしの……せいだ。わたしがあなたを……置きざりにしたせいで、あなたはこんなボロボロに……。わたしがちゃんと助けて……いれば、薬なんかに……侵されることなんてなかったのに……恨まれて、当然なんだ……ごめんね」
泣きじゃくるレエテの貌に――。
震えの止まらない手をゆっくり上げ、ビューネイは指でそっと、彼女の涙をふいた。
「泣くんじゃ……ねえよ……。オメーは……強えのに相変わらずの、泣き虫だな……。
恨んでなんか、いねえよ……。レエテのことは誰より知ってる。オメーが全力で、自分を顧みずにあたしたちの心配してくれて……必死になってくれたこと……ぐらいわかってるさ……。
けど……あまりにも、あの地獄は、つらすぎて……死んだ方がマシで……。その苦しみを、目の前に現れたオメーに、ぶつけるしかなかったんだ……。
あのときは、ひでえこと云って、ごめんな……」
レエテは目に涙をためながらも、必死で笑顔を作って、云った。
「そんな……大丈夫よ、ビューネイ……ぜんぜん……大丈夫だから……」
「やっと、笑ったな……。そう……オメーは、笑ってるのが……一番、いい。
むかしあの……丘で、デンドロビュウムの花をつけて……笑ってくれたオメーの貌。今でも、忘れねえ……。ほんとうにこっちまで、幸せにさせてくれる……いい笑顔なんだからよ……。」
「覚えててくれたんだ……ビューネイ……」
「その証拠に――。今のオメーには、いい仲間が……いっぱいいるじゃねえか……。
どいつも……オメーが好きでたまらねえって……貌してる。そいつらを……悲しませるな……」
レエテがハッと振り向くと、皆、集まってきていた。
ルーミス、キャティシア、ランスロット、ホルストース、シエイエス――ファルカタを両手で持った、ナユタでさえも。
二人の邪魔をしないように、距離を置きながらも、心配して見守っていた。
それは、フレアによって明かされた、レエテの「寿命」の事実――。その事実が仲間たちの間に悲壮感を漂わせているのが、目に見えて分かった。
「『寿命』なんかに……負けんじゃ、ねえ……。生きるってのは、長さじゃねえよ……。
そいつらと一緒に……生き抜いて……必ず幸せに、なれよ……。
あたしたち家族の分まで、必ず……生きろ、レエテ……」
「わかった……わかったわ……、ビューネイ……」
「ハハ、何だか、オメーの貌が、見えなくなってきた……レエテ。
もうすぐ……会えるんだな……マイエに……アラネアに……ターニアに……。
すげえ、楽しみだなあ……。どうだ……羨ましいだろ……レエテ」
「ええ…………ええ! うっ……うう……そうね……羨ましいわ、すごく……! ううう……」
「オメーは、まだだ……すぐに来たら……承知しねえ……。
ほんとうに……いままで……ありがとうな……レエテ。オメーといっしょだった……10ねん……。
すごく……すごく……しあわせ……だった。
オメーのこと、大好きだ……。ともだちで……いてくれて……ありがとうな……」
それまで虚ろで乾いていたビューネイの瞳に――、一筋の涙が光り、こぼれ落ちた。
レエテは打ち震え、止まらぬ嗚咽を漏らしながら、より強く、強くビューネイの身体を抱きしめた。
「うっ! ううう……ええ、わたしもよ、ビューネイ……あなたのこと、一番、大好き……。ううう……いつまでも、ずっと友達よ……ともだち……だから」
「ターニアの、やつ……あたしみて……なまいきなくちきいて……マイエには……おこられる……かな……。ああ、みんな……みんな……あたし……いきた……レエテを……たす……」
その言葉を最後に――。
口は、目は――完全にその動きを止め――。
レエテの貌から、ゆっくりと落ちた右手は、だらりと力なく垂れ下がり――。
ビューネイ・サタナエルの、生命の火は、消えた。
「――ビューネイ」
一瞬、表情を固まらせて、開いたままのビューネイの目を見つめる、レエテ。
数秒の後、手でゆっくりとその両の瞼を閉じる。
その手に感じられ、そして身体全体で感じる、彼女の失われていく体温。
それが、実感させた。レエテの掛け替えのない家族であり友との、永遠の別離を。
「う………ううううう……ビューネイ!! ビューネイ!!!!
うう……ふううううう……ううううう……。ビューネイ――!!!!!」
声を圧し殺しながらも、湧き上がる哀しみに止まらぬレエテの慟哭は――。
しばらくの間、日の落ちかかった黄昏のエルダーガルド平原に、木霊し続けたのだった。