第三十二話 憎むべき全ての元凶と、一族の定め
突如として現れた、組織サタナエル随一の大物“将鬼長”フレア・イリーステス。
彼女にとってのかつての姉弟子であり――この場で真っ先に始末して厄介払いしておきたい人物、ナユタ・フェレーイン。
その生命を狙った魔導を四騎士の男に邪魔され、不愉快そうに眉をしかめるフレア。
そのまま、騎乗するグリフォンに話しかける。どうやら、これほど巨大ではあるがこれが彼女の魔導生物のようだ。
「ベルフレイム。もう少し近づきなさい。レーヴァテインを回収できないわ」
「失礼いたしました、フレア様。すでにレーヴァテイン様は移動しているようです。そちらに向けて接近いたします」
低音の、年配の男性の声で話す魔導生物・ベルフレイムは、羽音を立てながら目標に向けて距離を詰める。
圧倒的存在感をもって空という場所から劇的に出現したフレアは、すぐにホルストースらやレエテらにも存在を認識された。
特に彼女に対し仇敵の一人としてナユタと同じく憎悪を燃やすレエテは、足元のビューネイからしばし目を上げ、憎しみの眼光を向けた。
「フレア・イリーステス……!!!」
一方、エティエンヌの犠牲という混乱に乗じ、ナユタの元から脱出に成功していたレーヴァテイン。
足元をふらつかせながらも出来うる限りベルフレイムに近づき、残された渾身の魔導を推進力に、上空へ飛び上がる。
それにより10mほどの高さに飛び上がることができ、飛来したベルフレイムの背に飛び乗ることができた。
「ご苦労、レーヴァテイン。だいぶ手ひどくナユタにやられたようね?」
「フレア様……申し訳、ありません。ナユタを倒すことができず……」
「あら、いいのよ、気にしないで。あの女の潜在能力は私がよく知っている。貴方に太刀打ちできる相手でないのは最初から承知よ。そんなことよりも、しっかりと私の思い通りに動いてくれたことで、貴方のことは最大限評価しているわ」
涼しい貌で「実力は当てにしていない」と云い放たれた屈辱で、レーヴァテインはギリッと音が鳴るほどに歯ぎしりした。
そして地上から5mほどの高さまでベルフレイムを移動させたフレアは、まずナユタに話しかけた。
「お久しぶりね……ナユタ。5年ぶりの再会、だったと思うけれど、元気そうで何よりだわ」
ナユタは地に膝をつき、エティエンヌの遺したファルカタを握りしめていた。
フレアの声を聞きビクッと肩を震わせたナユタは、恐ろしい憤怒を内包した眼光でフレアを睨みつけた。
普段ならば表面上は皮肉を発したり軽口を叩いたりするナユタも、今回ばかりはその余裕は全くなかった。
「ふざけやがって……!!! てめえ……フレア……!
その卑しい身体で大導師を誘惑し、油断を誘い、殺し……!!! 身につけやがったその絶対破壊魔導で!!!
今度は……あたしの掛け替えのない幼馴染を殺しやがった……!!!」
エティエンヌの最後の「愛している」という言葉が、頭から離れない。
気づかなかった。そう想ってくれていたことに。
自分もトリスタンを失って後、淡い感情ではあるが、にくからず彼を想っていた部分はあった。
生きていてくれれば、より大切な存在同士になれたかもしれない。だがその機会は、もはや永久に失われた。
「……てめえ……許さねえ……絶対に、殺す!!!! 殺して、やる!!!!
その身体焼き尽くして、引き裂いてこの世から消してやる!!!!」
「どうやって? 貴方もよく分かっているでしょう? 今の魔力の天地の差を。
できれば忘れて欲しいものね……過去や現在の怨念などというものは。私貴方のこと、とても高く評価しているのよ。
弟子入りした時期は違えど、同い年の元友人同士じゃない。私と貴方が組めば、サタナエルですら問題にならない、偉大なる魔導組織が形成できる。
どうにかして、私の元に来ていただけないものかしらね?」
「ふざけんのもいい加減にしろ……! てめえの軍門になんぞ、天地がひっくり返っても下ることはねえ……!!! あたしはてめえとは!!! 相容れねえ!! 今すぐにでも!!! この世から消してやりたいんだよ!!!」
ナユタは叫ぶと、もはや耐えきれなくなり、電光石火の疾さで立ち上がった。そして抜いた両のダガーで、自身の渾身の魔導の技を放ったのだ。この距離ならば、届く。
「魔炎業槍殺!!!!」
放たれた、絶対高温の地獄の業火。しかしフレアの表情は眉一つ、動かない。
「愚かね……。どういう結果になるか、分かってるでしょう?
今、私を曲りなりにも殺せる力を持つ魔導士は、この大陸で『たった一人』……」
云いながら涼しい貌で――絶対の耐魔、“全反射”を放つフレア。
それに跳ね返され、全魔力が自分に返ってくる。この状況下では、自分でも防ぐことはできない。
ナユタが無念の目で見つめた、降りかかる自分の業火はしかし――。直前で、恐ろしく強い別の魔導が横合いから干渉したことにより、弾き飛ばされた。「紫の雷撃とともに」。
「あら、噂をすれば……いらっしゃった。嬉しいわね、こんなところで同窓会ができるなんて……」
フレアが言葉と裏腹に冷ややかに見詰めた先には――。豪華絢爛たる馬車が進み出てきていた。
頂きに、紫の錫杖の紋章を備えた馬車の前に立ち、魔導を放っていたのは――。
無論、ランスロットを伴ったノスティラス皇国皇帝、ヘンリ=ドルマンⅠ世その人だった。
「ご機嫌麗しゅう、ヘンリ=ドルマン師兄。ちょうど貴方の噂をしておりましたのよ。
この私が大陸で唯一恐れる、偉大な魔導士である貴方のことを」
「……フレア。貴女のような汚れきった裏切り者に、師兄などと呼ばれる謂れはないわ。
しかも先程魔導の変動を感知して、妾は知っている。よくも、我が皇国の掛け替えなき忠義の士を、この世から消し去ってくれたわね……。
妾はレヴィアタークを止めるために来たけれど、予定変更よ。
妾の命に替えて、貴女を殺す、フレア・イリーステス」
怒りに燃える、自分と唯一比肩する大魔導士に対し、しかし冷ややかな笑みを向けるフレア。
「レヴィアタークは、もうレエテに殺されました。それに悪いことは申しません、やめておいたほうが『貴国』のため、ですわ……。
皇帝である貴方自身が、私に指一本でも触れたりこれ以上の干渉をすれば、貴方の大切なノスティラス皇国は完全なるサタナエル反逆国家とみなされ――。
想像するも悍ましい、『メフィストフェレス』など比ではない災厄が国民の全てに降りかかることになるでしょう。それでもよろしくて?」
ヘンリ=ドルマンは、拳を握りしめて恐ろしい音で歯を噛み鳴らした。それを人質に取られてしまっては、手も足も出ない。国民は彼にとって、自分の命なぞ比較にならない尊いものだ。
「さて、レエテ……。貴方の力量だけは、今回私にとって唯一想定の範囲外の要素だったわ」
声をかけられたレエテは、殺気を込めてフレアを睨みつける。
「貴方の大事なビューネイを存分に利用し、おびきよせうまく貴方の戦意を削ぎ、レヴィアタークの前にその生命を散らさせるのが私の計画だった。かつて、私を死の淵にまで追いやってくれた礼もしたかったしね……。
ところが想像を超えた成長と強さを、貴方は示した。はっきり云って、脅威、といえるレベルにまでね。
ナユタはともかくレエテ、貴方だけは、この場でどうしても葬っておかねばならない。
すぐに、死んでもらうわ。
“原子壊灼烈弾”」
そう云いつつ、掌に再び極大の魔導力を充填するフレア。先程と同様の、巨大な三角錐に触れればどうなるかは、エティエンヌが身を犠牲にして示してくれている。
もはや、これを防ぐ手立ては、ない。唯一これを防げる人物、ヘンリ=ドルマンも手を封じられた。
ビューネイを置いて逃げることもできない。死を避ける術はない。
――と、その時。ナユタの背後から、恐ろしく疾く前方に踏み出していく、一つの黒い影。
その黒衣の人物は、瞬時にベルフレイムの直下にまで躍り出ると、腰に下げた「漆黒の鞭」を取り出し――。
その瞬間、上半身が一気に「崩れ」――。
異様に長く、長く伸びた右腕により、手に握られた鞭の柄がフレアの脇腹にまで到達し――。
そのまま柄から伸びた短剣を、深々と柔らかい脇腹に突き刺した!
「ぐ……ふっ!! な……に……!?」
「フレア様!!!」
予想もしなかった事態。レーヴァテインが叫ぶ。
フレアは血を吐き、その魔導を消滅させた。
左手で、脇腹を押さえる。急所ではなく、直ちに命に影響はなさそうだが、かなりの痛みと、出血だ。
短剣を突き刺した手は、すでに下方の人物の元へと戻っていた。
あまりにも、予想しない動きゆえに、決定的にフレアの反応は遅れたのだ。
それを可能にする「変異魔導」を操る、レエテに味方する人物。
その姿を見たレエテは、一気に貌を輝かせて、叫んだ。
「シエイエス!!! 来てくれたのね!!!!」
そう、それは――。ドミナトス=レガーリアでのソガール討伐後、自身の目的のために別行動をとっていた、シエイエス・フォルズその人の姿であった。
後ろで束ねた白い長髪と、トレードマークである眼鏡。見た目は以前と全く変わっていないが、内面の頼もしさは、大きく増しているように、見えた。
「遅くなった、レエテ、皆……。おかげで、俺の目的は、果たした。
今はこの外道どもに対抗するため、全力で加勢する!!」
上空を見上げ、自身を睨みつけるシエイエスの姿を、睨み返すかと思いきや――。
予想に反して貌を上気させ、うっとりと恍惚の表情を浮かべる、フレア。
「貴方が、シエイエス・フォルズ……。噂以上にキレイないい男ね……。
私、痛いのは嫌いじゃないの。貴方みたいないい男に刃を突き立てられるなんて……ゾクゾクする。すごく、身体が熱くなるわ……。
いいわ。今回は貴方に免じて、身を引いてあげる。また今度機会があったら、じっくりと、遊びましょう……」
そして、レエテの方を向き直り、云った。
「レエテ。また近いうち、貴方の命を貰い受けに伺うわ。
どうせ、貴方のような一族の人間がこのまま外界をさまよっても、『寿命によってあと10年も生きられない命』……今死んだところで大差はないのだし」
その言葉に――。
レエテ以外の、全ての人物が心からの驚愕の表情を浮かべ、レエテを凝視した。
レエテは、表情を固くし、目を下に落とす。
その様子を見て、フレアは全てを察したようだった。
出血で血の気の引いてきた青白い貌の中に、嗜虐的な笑いを浮かべ、続けた。
「貴方……もしかして、仲間に教えていないの?
貴方たち一族は例外なく、その特殊な身体と引き換えに、『30年程度しか生きることができない』、という事実を。
これは傑作ね。このような特殊な不死身の身体が、何の代償もなしに得られているとでも思っていたの?
貴方達が慕うこの女は生まれながらに、貴方達の半分の人生も生きることができない定めを背負っているのよ。
貴方達がいくらこの女に尽くし、生かそうと思っても、後の人生はわずか。
甲斐のない闘いに、せいぜい命を賭けるといいわ――」
云い残して、レーヴァテインと共にベルフレイムの背に乗ったまま、南の方向へと飛び去っていったのだった。
重苦しい、沈黙が、場を支配した。
エティエンヌの死に打ちひしがれるナユタですら、しばしそのレエテの「寿命」という重大なる事実に打ちのめされているようだった。
するとその時――。
「う…………」
ルーミスの法力の甲斐あったのか、レエテの眼下のビューネイの両眼がうっすらと開いたのだ!
「ビューネイ!!! ビューネイ!!! 気がついたのね!?」
歓喜の声を上げたレエテが、ビューネイを抱きしめ、語りかけ始めたのだった――。




