第二十七話 背信者と、偉大なる大魔道士
レエテとビューネイとの闘いに決着が着く、その2時間ほど前。
アルケイディアからおよそ60kmの南東部を往く、一軍。
およそ1000人ほどの軍勢に護られた、4頭立ての豪華絢爛たる馬車。
馬車の頂には、紫の錫杖の紋章が鮮やかに彫られている。
その紋章が示すとおり――馬車は、ノスティラス皇国皇帝“紫電帝”ヘンリ=ドルマンⅠ世の所有であった。
内部のソファに腰掛けるのは――。ゆったりとした魔導衣の上から宝石を纏わせたアミュレットと紫のマントを掛け、アップした髪に帝冠の代わりに大きな花の髪飾りを乗せた、ヘンリ=ドルマンその人。
傍らに座るのは、彼がこの皇国で最も信頼を置く男、ノルン統候メディチ・アントニー・テレス。
彼らが向かうのは、レエテと仲間の一行の滞在するハッシュザフト廃城。
サタナエルに常時狙われる彼女の元に赴くことに、危険が伴うのは承知だ。が、公務に都合をつけられそうなこのタイミングで舞い込んだ、メディチからの廃城での会談の話である。
以前ドゥーマで柄の間の面会を果たして以来、日に日にレエテとの膝を突き合わせた会談の機会を望む気持ちが高まっていたヘンリ=ドルマンは、これに一も二もなく飛びついたのだった。
無論――ヘンリ=ドルマンは預かり知らぬことではあるが、メディチがこのような提案を持ちかけたのには、裏の意図があった。
「このまま行けば、日没前には廃城に到着しそうね、メディチ」
ヘンリ=ドルマンの声掛けに、柔和な人格者そのものの笑顔で答えるメディチ。
「左様にございますな。廃城内の伯爵妃の居室はレエテどのに使わせておりますゆえ、伯爵本人の居室しかお使いいただけませぬが、ご容赦のほどを」
「そんな、この大陸で最も強く勇敢なる淑女に、一番の居室を使ってもらうのは至極当然のことよ。
今回は妾からの、レエテに対する表敬訪問なのだから。
会ったの自体は妾が先だけど、エストガレスのオファ二ミス王女がバレンティンで彼女と親しく会談したと聞いたときは妬けたものよ。ようやく念願が叶うわ。
――ところで、現状、サタナエルや“竜壊者”の動きはどうなのかしら?」
「サタナエルは、数日前にレエテどのが入城した直後に襲撃を実行、失敗して以来――。鳴りを潜めております。直近では再度の襲撃はございますまい。
“竜壊者”に関しましては、今の所まったく音沙汰はございません。サタナエルの動きが沈静化しているということは、かの存在の動きも当面はないものと考えてようございましょう」
「そう――なら、いいわ。妾はレエテとの会談を奴らに邪魔されたくはない。
この度の機会は、妾の個人的感情以外に、重要な目的を含んでいるの。
メディチ。貴男の領内を汚染する忌々しい薬物『メフィストフェレス』の根絶について、レエテの協力を仰ぐという目的がね」
「……ほう!! 何と、そのようなお考えであらせられたとは――」
驚きの表情の中に、一瞬とてつもなく邪悪な光を放ったメディチの貌。
「本来我が国に縁もゆかりもない一女性に、このような想いを託すことはお門違いなのだけれど――。レエテにならばできると妾は考える。
妾とひとかたならぬ縁をもつナユタと親密な仲間同士であるなら、全くの縁がないというわけでもない。もし話を受けてくれるなら、どのような報酬であろうと報いる用意はある。
いかなる手段を使ってでも、我が皇国を救わなければ――」
「陛下……」
自国の国民を憂い、真に有効な手立てを探ろうとする、名君にふさわしいその行動、振る舞い。
メディチが腹の底で、継ぐべき言葉を選んでいた、その時――。
突如、後方から甲高い少年の大きな声で、叫ぶようにかかる呼びかけ。
「――陛下!!!! ヘンリ=ドルマン陛下!!!!」
驚いたヘンリ=ドルマンが窓から馬車の後方を見ると――。
外壁から突き出た彫刻にしがみつく、一匹のリス、いや魔導生物――。
ナユタの従僕たるランスロットの姿があった。
彼はほんの半日少し前の朝、ランダメリアを発って主のナユタの元に向かったはずだった。
彼は――あまりに重要な知らせを携えて戻ってきたのだ。
ランダメリアに向かう途中、街道の通行人の会話からヘンリ=ドルマンがメディチとともに南東に向かったことを知ったランスロット。己の魔導で濃縮酸素を吸いながら、不休で走り続け、どうにか馬車に追いついたのだった。
「ランスロット。貴男、もう戻ってきたの? ナユタには会えなかったの?」
「それどころじゃありません……陛下! すぐに、馬車を止めて、降りてください!!
いや……隣にいる男から、離れてください!!!」
「なんですって……!?」
衝撃の表情で、対照的に表情一つ変えず隣に居る男――メディチを凝視しながら、手を伸ばして天井のロープを引いてベルを鳴らすヘンリ=ドルマン。
ベル音とともに御者は馬の手綱を引き、馬車を急停車させる。
同時に、随行する1000の軍勢も行軍を止める。
そして馬車の二人の男達も、ゆっくりと地に降り立つ。
ヘンリ=ドルマンは、ランスロットとメディチを交互に見ながら、ランスロットに問いただす。
「どういうことなの、ランスロット……? 説明してくれるかしら?」
「はい。単刀直入に申し上げれば、その男――メディチは、このノスティラス皇国に仇なす、重大なる裏切り者にございます」
「――!!!」
「その男は自らが合成麻薬『メフィストフェレス』の重度の中毒者。そしてあろうことかサタナエルと結託し、『メフィストフェレス』を自領内に蔓延させた、言語道断の罪を犯した男。
また、我らレエテ・サタナエル一派を狙うサタナエルに有利となるよう、ハッシュザフト廃城を提供するなどあえて協力。情報を逐一サタナエルに流し、結果廃城の襲撃に至り、勝利したもののあわやの状況に陥りました。
その真の狙いと動機は不明ながら――これらは紛れもない事実。事の次第を陛下に告発せよとの、主ナユタの命にございます!!」
そのあまりに急転直下ともいえる衝撃的な内容の告発に、ヘンリ=ドルマンはしばし険しい表情で両目を閉じて熟考し――やがてゆっくりと首を振った。
「……ランスロット。貴男や、貴男の主を疑うわけではないけれど、それは到底――信じることができない告発だわ。
何かの間違いだと断定したい。妾はほぼ人生と同じ期間にて、このメディチのことをよく知っているけれど、この清廉潔白にて深謀遠慮の人物に限ってそのような悍ましい行動をとることはありえない。
彼は皇国にも多大なる貢献をしてきた、ノスティラス史上に名をなす名統候。
妾は現状では、このメディチのことを信じるわ」
「陛下!!!」
「貴男はどう、メディチ? この驚くべき告発に対し、貴男の立場から申し開きはあるかしら?
妾個人としては何かの間違いだと断定するけれど、公人として妾は、あくまで中立の立場で公正に物事を判断する義務がある。
貴男にも、告発を受けた人間として、申し開きをする義務はあるわ」
メディチは相変わらず柔和なその表情を変えぬまま、まっすぐにヘンリ=ドルマンを見据え、穏やかな口調で答えた。
「陛下……。すでに有難くも仰せいただいていますとおり、このメディチは陛下、そしてノスティラス皇国に愚直なる親愛の情と、揺るがぬ忠誠を誓いし者。
ハーミアに誓って、背信行為に手を染めてなどおりませぬ。『メフィストフェレス』を摂取したこともなければ、サタナエルと結託したことも、レエテどのを陥れた事実もございません。
ナユタどのや、ランスロットどのがなぜそのように申されるか分かりませぬが……。私も陛下と同じく、何かの間違いであろうとしか申せませぬ」
「……だ、そうよ。ランスロット。そもそも貴男たちは、どこからそのような事実を知ったというの?」
ランスロットはおもむろに、首に布を巻き背負っていた物を取り出した。
地に広げられた布の中心に置かれた、本物そっくりの目――義眼に、二人の男たちは険しい貌で目を細める。
「この事実は――主ナユタが状況証拠より推測し、それを――。アルケイディアの魔工匠、イセベルグどのの証言により確証を得ました。
イセベルグどのはメディチの魔導義足をメンテンナスする際、走査魔導により中毒の事実を確認。
そしてこの義眼は――。アルケイディアで我らを襲撃せし過剰中毒に陥った騎士の刺客が身につけていたもの。魔工匠施術の公式記録をたどれば、この持ち主がメディチの親衛騎士であった事実が割れるだろうと確信いたします」
そのランスロットの証言には――ヘンリ=ドルマンは大きな衝撃を受け、貌を青ざめさせた。
メディチほどではないにせよ、曲がりなりにも彼が信頼を置く人物が二人も、揃ってメディチを告発している。しかも、走査魔導によって判明したという確証と、おそらくは動かぬであろう「物証」。
信じたくはない。信じたくはないが、己の信頼する盟友が、黒き裏切り者という事実がほぼ突きつけられた。
苦悩の表情で振り返った先にいた、盟友は――。
およそ、同一人物とは信じがたい――陰鬱で邪悪な表情に、引きつったような笑みを浮かべながら――。いつの間にか懐から取り出した2つの小瓶――青き液体『メフィストフェレス』の入ったそれを片手に持ち高々と掲げていたのだ。
「――メディチ。貴男――。まさか、そんな……。
なぜ……なぜなの……?」
呆然と言葉をつぐヘンリ=ドルマンに、別人のような低く押し出すような声で返答するメディチ。
「なぜ……? くくくく……なぜであろうなあ。聞かれてみると、仲々に返答が難しいな。
だがはっきりと云えることは、私がお主や、お主のまばゆいばかりの綺羅星のごとき人材たちに嫉妬し――強い憎しみを抱いていたことだ、ドルマン」
そのドス黒い本性を現したメディチは自白し、ヘンリ=ドルマンを、幼き日のような愛称で呼んだ。
「憎しみ……?」
「私はな、元来極めて野望多き人間だ。ノルン統候の家に生まれつき、ずっと夢見てきた。皇帝の地位を。
この国では、才覚さえあれば誰であろうとチャンスはゼロではない。私は己を磨き、ランダメリアに出て皇帝家に認められ、直属の仕える身になった。夢に近づいたと思った」
「……」
「だがそこに、お主がいた。その教育係についた時、子供のお主に、私は敗北したと思った。
何から何まで、違った。私のような凡人と。
それだけならまだしも、成長したお主には、私には及びもつかぬ英雄たちが次々と集った。
カール。ミナァン。レオン。ランドルフ……数えればキリがない。
完膚無きまでの敗北感を、私はノルン統候という元のサヤに収まってからも味わい続けた。まさしく、生き地獄だった。自暴自棄になり、糖尿の病にもかかり、両脚を切断した後――。現れたのだ。私の目の前に」
「サタナエル……」
「そうだ。“幽鬼”レ=サークと名乗るその男から入手した『メフィストフェレス』の快楽に、私は溺れた。そして奴が持ちかけた、皇国汚染の計画にも、すぐさま乗った。
神々しく美しい、目障りなこの国を破壊してやる。それと同時にドルマン、お主らに対する憎しみも濯いでやると。いずれ混乱に乗じ、ランダメリアに攻め入り、力ずくで中央を取る。そう考えた」
「よく……分かったわ。メディチ……。貴男の気持ちは……。
それでは当然、今回のレエテとの会談の誘いについても――罠だと、考えて良いのかしら?」
「無論。すでに廃城近くには複数人のサタナエルの手練が包囲網を敷いており、それだけでもレエテに勝ち目はないが――。それに加え、やってくる。“竜壊者”がな。
今頃、とうに国境線を突破し、廃城近くのエルダーガルド平原に向け一直線に進撃しているはずだ。その事実が、エティエンヌに伝わらないようにすることも、手配済みだ。
お主もあわよくばもろとも、“竜壊者”の手にかけるために、な!!」
それを云い終えると、メディチはすぐさま手にした「メフィストフェレス」2本を一気に飲み干した。
過剰摂取により即座に肉体に変化が現れ、腰の剣を抜き放ったメディチは、身体を硬直させ、一気にヘンリ=ドルマンに襲いかかる。
高品位の魔導義足を付けた彼の跳躍は疾く、一流の戦士の攻撃速度だ。
「さらばだ!!! ドルマン!!!」
ヘンリ=ドルマンは、極めて深い険をその貌に刻み、両目を閉じた。
すでにその全身からは、無数の紫電が立ち上っている。
危機を察知したランスロットは、すぐさま義眼を持って飛び退った。
「それは……こちらの台詞。さようなら、メディチ。
とても、残念だわ。貴男の想いはどうであれ、妾はその大恩に感謝する――“巨下垂雷撃”」
その言葉が終わらぬうちに――。光速にて天より飛来した、まさしく自然の大落雷そのものが――。メディチの肉体を襲った!
耳を貫く、大轟音だった。
それにかき消されたのか、悲鳴を上げる間もなかったのかは分からぬが――。一声も発することなく――。
次元の違う落雷の直撃を受けたメディチは、黒く焼け焦げた肉塊となって地にへばりつき、潰れた全身から体液を溢れさせ、地に吸わせた。辺りに異臭が立ち込める。
間髪を入れず、彼は襲いかかる体勢に入っていた1000人の軍勢に向けて、手を横に一閃した。
「“連追撃雷光”!!!」
発生した――紫の、太さ2m、長さ数百mにおよぶ巨大極まりない紫の稲光は、竜が大地を縦横無尽に舞うように走り抜け、1000人からなる軍勢の隅々にまでその雷電を浸透させた。
またも、耳をつんざく大轟音。今度は攻撃が到達するまでの時間差ゆえか、若干の悲鳴や断末魔の声が大きく混じった。
前列にいる者は主人メディチと同じ運命をたどり、後列や端に居るものも重大な傷を負い、倒れ伏して戦闘不能となった。
一瞬の、出来事であった。
地面にうずくまるしかなかったランスロットは、この偉大なる大魔導士の未だ衰えぬ神がかった強さを、改めて実感していた。
大陸最強はフレアで自分ではない、と云っていたというが、到底信じられぬ。ナユタがもう一度限定解除を果たしても太刀打ちできるのかどうかは分からない圧倒的な実力だ。
ヘンリ=ドルマンは、怯えてうずくまる御者の隣に座り、ランスロットを招き寄せた。
「……さあ、行くわよ、ランスロット。もはや一刻の猶予もない。
レエテの危機、そしてこの皇国を“竜壊者”の脅威から救う。
最終的にレヴィアタークが残るのならば……妾は命と引き換えに奴を斃さねばならない。
かわいそうだけど、妾の紫電を少し神経に流して、馬を操らせてもらうわ。急ぐわよ」