第二十四話 荒れ狂う、人災ならぬ災害【★挿絵有】
レエテが、レーヴァテインの外道なる挑発に乗り、怒りに我を忘れて彼女らを追跡し始める、その3時間ほど前――。
北ハルメニア自治領とノスティラス皇国ノルン統候領を隔てる、国境線の長い城壁。
やや南よりに位置するそのポイントは、北ハルメニアからランダメリアへの直線ルートから大きく外れているゆえか、警備兵の数は比較的少なかった。
昼下がりの時刻のため、警備兵たちは昼食をとった直後で、中には気だるそうに欠伸をするものもいた。
おそらくは何年何日も続いてきたであろう平和な日常が、いつもどおり過ぎ去っていくだけだと、何の疑いを持ちようもなかった穏やかなその時間。
最初に気づいたのは、痩せぎすで背の高い神経質そうな一人の兵士だった。
耳に、感じた。いつもと違う違和感ただようかすかな異音を。
彼は異音の感じる方向に、魔工品の単眼鏡を向け、それを覗き込んでみた。
そこに映った光景は、彼にとってまったく腑に落ちなかった。
目が疲れているのか? それとも寝不足よるものか昼食後のものかで、眠気が襲い寝ぼけているのか?
一旦単眼鏡から目を外し、こめかみを押さえ、目をこする。
そして再び、単眼鏡に目を戻す。
その瞬間、彼の身体は異常なほどの震えに襲われた。
――――夢うつつなどでは、ない――。これは、現実だ。
単眼鏡の中に映るその光景。それは、太い広葉樹を戦鎚でなぎ倒しながら全力で進撃してくる、身長3mを超す完全重装の禍々しい巨人の姿。
「総員に告ぐ!!!!! 襲撃!!!! 襲撃!!!! “竜壊者”!!!! “竜壊者”だ!!!! 隊長おおお!!!!! ご命令をををお!!!!!」
喉が裂けんばかりのその大絶叫に、平和な場は一瞬にして修羅場となった。
20年もの間現実とならなかった最大の災厄が、ついに現実のものとなったのだ。
大きく動転しながらも、マニュアルにしたがい司令を次々飛ばす、隊長と思しき男。
まず巨大なラッパを持った兵士二人が、ノスティラス皇国側領地に向けて大音量の警告音を鳴らす。
それに呼応し、数km先で小さくそれに答えるラッパの音が鳴り響く。それは、さらにその向こう側へと。
警告音のリレーだ。音を繋ぎ、いち早く「災害」の接近を知らせるのだ。
迎撃、というよりは――避難、のために。
警備兵に与えられたマニュアルは、国防軍人としてはあるまじきものだが、極めて理にかなったものだった。
“竜壊者”襲来の際は、基本一切の迎撃・反撃を禁じる。
注力すべきは民衆の安全である。彼らを避難させ、もし彼らに危害加わるときのみ、命を捨て全力にて迎撃せよ、と。
20年前、民衆のみならず“竜壊者”を仕留めようとしたがために却って彼の怒りを買い、軍に甚大なる被害をもたらしたことによる教訓であった。
警備兵達はほうほうの体で逃げ、この巨人が通るであろう城壁部分から避難し、「道を開けた」。
すでに、その行き先の兵士たちには、警告音ををもって伝達した。彼らの仕事は終わったのだ。
もう――巨人の姿は、はっきりと肉眼で視認できる距離まで近づいて来ていた。
恐るべき、神話の魔物の域に達する光景だ。
3m半に達する、異形の人影が、自分の身長以上の金属塊を目にも留まらぬ疾さで振るい続け――。
その一振りで一気に数本の大木がなぎ倒され続けるたびに鳴る、爆弾が間断なくはぜ続けるかのような――。聞いたこともない、耳をつんざく轟音。
そしてついに城壁に到達した巨人。大きい。間近で見ると、その放つ瘴気と闘気の巨大さも相まって、3m台どころではない――10m近い、城壁を軽々超えるようなドラゴン以上の巨体かと錯覚する。
「オオオオオオオオオオオーーーーーーー!!!!! オオオオオオォォォ!!!!!」
魂をかき消されるかのような、身の毛もよだつ極大の悪魔の咆哮。
それとともに一気に巨人の戦鎚が上から振りおろされ、石造りの高く分厚い城壁が一撃で粉々に粉砕された!
「うおおおお!!!!」
「ひいいいい!!!!」
巨人の進行部を避けて避難していた警備兵達が、怯えた声を次々に上げる。
だが、これで終わる。悪夢は終わる。あとは巨人が通りすぎさえすれば、それっきりだ。
もう少しで平穏な時が戻ると信じていた、その瞬間――。
彼らは、見た。
地面から跳躍し――7mのこの城壁の上までその禍々しい仮面の貌と上半身までを見せた、巨人のその姿を。
その手に握られた戦鎚――“デイルドラニウス”を、張り詰めた筋肉が悲鳴を上げるほどに、水平に振りかぶって。
何が起きるか瞬時に理解した警備兵達の表情が、極限の恐怖と、絶望に歪みきった。
ある者は両親を、ある者は子供を、ある者は恋人を――。故郷に残した愛しい人を思い描く十分な時間すら与えられることなく――。
「積乱雲!!!!!」
一気に円を描くように振り回された、暴虐的速さと衝撃力の――この世で最も硬い金属塊は、哀れな10人もの人間をただの――。肉塊とすら呼べぬ、叩き潰された柘榴のような爆ぜる赤い液体へと無残に変えていった。
そして巨人は地響きと轟音を立てて着地した。
その仮面から生える、牙と牙の間にある通気口から暴風のような吐息を吐き出すと、あまりに耳障りな低音のしゃがれ声で言葉を発した。
「今ノ……儂ヲ、過去ノ儂ト同ジト思ウナ……!!!!
儂ハ今ヤ、復讐ノ鬼。我ガ息子モ同然ノ『家族』タチ――レイド、ガリアン、バルテュークス――。ソシテマダ知ラセハ無イガ、恐ラクハ最愛の息子タル、ベルザリオンモ――モウコノ世二ハオルマイ……! 儂ニハワカル。許スマジ、レエテ・サタナエル!!! ナユタ・フェレーイン!!!!
儂ノ怒リノ道ノ路傍二存在セシモノハ――コノ収マラヌ怒リノ贄トシテクレル! 殺シテ殺シテ殺シテ殺シテ!!!! 殺シ尽クス!!!!!」
*
巨人レヴィアターク・ギャバリオンは、70年ほど前、未だ建国成される前のドミナトス地域にその生を受けた。
一時はインレスピータ族やゴグマゴグ族とも対等に渡り合った有力部族、グレンデル族の中心戦士の息子としてだった。
すでに生まれたときから8kgという巨大な赤子であったレヴィアタークは、将来有望な戦士になるとの期待をかけ育てられた。
5歳ごろまでは、良かった。その時点ですでに150cm、70kgという規格外の巨体であったが、その怪力と身体能力とともに、怪物的ながらも大男の人間の範疇で活躍してくれるものとの思いで周囲は見てくれた。
だが13歳にまで成長する頃には――。もう既にレヴィアタークは、周囲から恐怖を持った極限の嫌悪で見られる異形の怪物と成り果てていた。
その年齢時点で身長は260cm、体重は250kg。伝説のトロール級以上の巨躯に加え、あまりに異常な成長を遂げた骨格は――。肩や腰、膝が異常に突き出、そして何より貌が――頬や額、顎が醜く突き出た、見るに耐えない醜悪な貌となった。
もう部族では誰も――両親ですら、レヴィアタークを追い出したくて堪らなくなっていた。誰も彼に近寄らない。口も聞かない。関わらない。
――恐怖だ。レヴィアタークは見た目とは裏腹に理性的・理知的であり、決して感情に任せて周囲に暴力などは奮って来なかった。しかし時折見せる、敵部族や獲物に対するその奮戦ぶり、腕力の強さ。これがいつか自分達に向くのではないかという、利己的な疑心暗鬼による恐怖だった。
それには曲がりなりにも理由はあった。
その地の宗教シュメール・マーナにおける、暗黒神テオドル・ゴランの眷属の一人、ギャバリオン・ガルム。戦鎚“デイルドラニウス”を振るう、剛力の神。ドミナトスの人間が残らず恐れるその魔神の再来ではないかという、迷信から来る恐れでもあったのだ。
ある祭りの夜、つまづいて転んだ女児に思わずレヴィアタークが手を差し伸べた、そのほんの小さな出来事がきっかけとなり、事件は起きた。女児の母親が半狂乱になって戦士たちをレヴィアタークにけしかけた。押し止められたダムの水が決壊するかのように、部族全員の攻撃がレヴィアタークに向いた。それには、彼の父親も、母親も加わり、その巨躯に攻撃を加えた。
レヴィアタークは慟哭を上げながら、部族から逃亡した。総攻撃を受けても死ぬことはなかったどころか、無数の部族戦士を返り討ちにした。そしてその姿を密林に消した。
以来、彼は本来の名前レヴィアターク・グレンデルではなく、ギャバリオン・ガルムと呼ばれ密林において狩られる側の怪物となった。
そして幾多の激戦を経て、無数の戦士の血でその手を塗れさせる間に彼は成人し、ついに身長360cm、体重390kgという正真正銘の巨人と化した。もはや人間の範疇ではない自分を自覚したレヴィアタークは、北部にある封印されたギャバリオン・ガルムの祠に向かい――。力づくで封印を解き神器、戦鎚“デイルドラニウス”を奪い得物とし、己の名をレヴィアターク・ギャバリオンと定めた。
この時点において実質、彼は人間であることをやめた。
祠を出たレヴィアタークは、その噂を聞きつけ訪れていたサタナエルの使者に誘われ――。組織の一員となった。
それ以来50年の間――組織の第一線で活躍したレヴィアターク。その間彼を受け入れず排斥した同胞部族、グレンデル族を両親もろとも虐殺し絶滅させた。
そしてその後彼らへのアンチテーゼでもあるかのように、己が率いることになった“斧槌”ギルドを強固な家族として、絆を高めることに拘った。副将や兵員たちに己の子のごとく目をかけ、彼らが自分を父親と慕うその状態に陶酔した。
家族以外には、極限の敵意と、容赦ない殺戮を行う悪魔となるために――。
*
現在。レヴィアタークは再び雄叫びを上げ、森林の樹々を草葉のごとく刈り取りながら、猛然と南西の方角――赤き狼煙が上がる方角へ突進していく。
その速度は、巨人たる彼の歩幅も影響はしているが、その巨躯から想像もできない健脚での疾走により――。馬車の全力疾走に匹敵する時速20~30kmという信じがたいものだ。
副将レーヴァテインに指し示されたエルダーガルド平原まではおよそ100km。4時間とは経たずして到着するであろう。
もう、待ちきれぬ。己では気づいていない、偽りの家族愛に報いるという虚像の向こうにある、殺戮の狂気。それを満たすことに。虚像の憎悪の対象である、二人の女性の存在をこの世から消滅させる、その機会に至るまでの、時間が――待ちきれぬのだ!




