第二十三話 愛おしい存在の、残骸
ホルストースの報せにより、廃城の北東側外壁に向かうレエテとエティエンヌ。
走りながら、ホルストースが経緯を説明する。
「俺は厨房を出た後、警戒がてら外の空気を吸おうと外壁に出て、上を歩いてた。
そこで、出くわしたんだ、『そいつら』に。
昨日までに、お前に話を聞いておいて良かったぜ、レエテ。でなけりゃああいつらが何者か分からず、余計な時間を費やしたかも知れねえ……。
……着いたぜ。あそこの外壁の手すりから外を見ろ、レエテ。
何度も云うが、できる限り、冷静にな……」
促されたレエテは、急いで手すりにより、外を見た。
そこに展開される光景は――ある部分で彼女の想定の範囲内であったが――。
ある部分では、大きく想定の範囲外であり、脳天を割られる衝撃を与えられるものであった。
アルケイディアに向かう前のナユタに、事前に聞いてはいた。覚悟もしていた。
だがあまりの衝撃に、レエテには驚愕と悲しみと怒りが同時に襲い――。貌を歪め青ざめさせ、身体を震わせ、両目を剥き潤ませた。
「おおおーー!!!! ちゃんとレエテを連れてきたじゃないー!! 偉いよ、王子さまあ!!! それじゃ約束通り、『こいつ』の首を刎ねるの中止ねーー!!!!
レエテーー!!! ずいぶん、久しぶりだねえ!!!! 約束どおり、また戻ってきたよ!!! あたし『たち』は!!!
なあー!!! 『あんた』も、嬉しいだろお!!??」
その表面的には無邪気そのものの少女の口調でありながら、途轍もない邪気と嗜虐性の匂いを放ち――高音で良く通る耳障りな嬌声。
「レーヴァテイン・……エイブリエル……!!!」
歯ぎしりした奥歯の間から、声を絞り出すレエテ。
そう――およそ50mほど先の草原に立ち、小さいながらも禍々しいその身体をそびやかしていたのは、サタナエル“魔人”親衛隊所属、副将レーヴァテイン・エイブリエルに他ならなかった。
当然、一緒に居るのは――。
「そおだよ!!! あたしだよ!! レーヴァテインだ!!! そして、またまた連れてきてやったよ!!??
あんたの愛しい愛しいご家族をねえ!!!」
そう云ってレーヴァテインは――地に伏せる一人の女性――。
いつもの仮面を外して、長く乱れた白銀の髪を地に這わせ、土下座の姿勢で腕だけ後ろに伸ばされ、貌を地面に押し付けられた無様な姿の――。ビューネイ・サタナエルの頭を思い切りその土足で踏みつけた。
レエテの貌が蒼白となり、怒りのあまり身体が目に見えてブルブルと震える。
「ビューネイ……ビュー……ネイ……」
ホルストースは冷や冷やしながらその様子を見守った。
当然これを懸念したからこそ彼もレエテに警告を発した。レエテを連れて来ねばビューネイの首を刎ねるというレーヴァテインの脅しに、連れてくるしかなかったのだが――。この状況を見てレエテに冷静でいろというのも、全く酷な話であることは分かってはいた。
ファルカタを抜き、密かに雷撃魔導を蓄え始めるエティエンヌを見咎め、レーヴァテインが制止する。
「おおっとお!! エティエンヌ・ローゼンクランツ!!! 皇帝陛下仕込みの雷撃を使おうってんならやめときな!? ヤレばそれこそこいつの命はないよ!?
さあ!!!! ビューネイ!!! あんたそろそろお薬が切れる時間だよねえ!!??
そういうときは、何て云うんだっけ!? 云ってみてえ!?」
ビューネイの身体はおこりにかかったように震えていた。
目は恐怖に見開かれ、焦点が合っていない。口をパクパクしながら、苦しそうに舌を出している。
おそらく、「メフィストフェレス」の効果が切れ、禁断症状が出始めているのだろう。
このまま放置すれば極めて危険な状態になる。すぐに「メフィストフェレス」を投与しなければならない。
ビューネイは虚ろな目で涎を垂らし、苦しそうに声を絞り出した。
「は……はい……。 御主人……さま……。どうか薄汚い……奴隷のあたしに……お恵みくだ……さい……。クスリ……クスリ……を……」
「やめろ……ううう……やめろ……やめて、もう……やめて……」
レエテは、この世で一番愛おしかった存在の見るに堪えない状況に耐えられず――両手で口を押さえ、洪水のように涙を噴き流した。
いや――それはもはや彼女の知っているビューネイなどではなく、「かつて愛おしかったものの残骸」と呼ぶべき状態の抜け殻であった。
レーヴァテインは一度わざとらしそうに首をかしげ、次いで――。
狂気の笑みを浮かべた鬼の形相で、何度も何度も――ビューネイの頭を、貌を、思い切り蹴りつけ始めた!
「あああ!!?? 聞こえねえよ!!! 全っ然聞こえねえええええ!!!! このカスが!! あたしの、このレーヴァテインさまの命令だぜえええ!!??
あたしを舐めてんのか!? ああああああ!!?? 犬っころ以下の家畜、いや虫けら以下のゴミクズのくせによおおお!!! あたしに手間とらすんじゃねえええよおおおお!!!!
このカスが!! カスがあああああああ!!!」
小柄とはいえサタナエルの副将。その筋力での蹴りに、サタナエル一族として頑丈なはずのビューネイの貌は、見る見る紫色に腫れ上がっていく。
それだけでは飽き足らず、ビューネイが死なないのをいいことに、懐から取り出したダガーで、肩を、背中を、心臓の部分をうまく避けながらめった刺しにしたのだ。
おそらくそれは、今レエテに見せつけるための芝居などではない。きわめて日常的に、この人間の道を踏み外した異常なサディストの少女がビューネイに行っている暴虐的虐待だと、見ている者に即座に感じさせるものだった。
それは、ビューネイと縁もゆかりもない二人の男たちにも、極め付きの不快感と、怒りを喚起させるものだった。
レエテは、膨れ上がっていく憤怒の炎がもはや抑えきなくなりつつあった。
額にも、首筋にも、胸元にも――太い血管がピク……ピクと蠢き、歯ぎしりとともに歪められた貌は、人間でない獣のものになりつつあった。拳はあまりの力で握り込んだため大量に出血している。
その様子は歴戦の勇士であるホルストースとエティエンヌをも戦慄させ、恐れすら抱かせるものだった。
レーヴァテインは肩で息をしながら、一度ビューネイに対する攻撃の手を止めた。
そしてレエテの方を振り返り、云い放った。
「ハア、ハア……レエテ!! そういやあ、このビューネイは一族の女子じゃあ珍しく、ずっと髪を短く刈ってたそうだよねえ!!! 今の状態じゃ実感がわかないだろ!!! 今そいつを再現してやるよ!!!」
そう云うとレーヴァテインは、ビューネイの長い髪をひっつかんで力任せに引き上げ、手にしたダガーで一気に刈り取った。
そして余った髪もどんどん切り取り、丸刈りに近い――まさにかつてのビューネイの髪型にしたてていった。
それを見たレエテの心臓が大きくドクン! と大きく脈打った。
レーヴァテインは再び、その土足でビューネイの頭を貌が地にめり込むほどの足蹴にした。
「どうだ、レエテ!!! 昔のビューネイを思い出したかい――」
「殺すぞ!!!!! お前ええええええええええええ!!!!!
今すぐ!!!! その汚い足を!!!!! ビューネイの頭からどけろおおおおおおお!!!!!」
レーヴァテインの声を完全にかき消す、レエテの鬼神のごとき、激怒の咆哮。
表情も鬼気迫るものであり、城壁から飛び出さんばかりに身を乗り出している。
それはすでに人間の域を超えた、恐るべき極限の怒気、であった。
さしものレーヴァテインも一瞬、怯えたような表情を見せ身体を震わせた。が、すぐに己がそうなったことにプライドを傷つけられたか、貌を歪めて懐から瓶を取り出した。
青い液体、「メフィストフェレス」の入った小瓶4つを。
「レエテ!!! こいつを見な! あんたももう、よおく知ってるだろう!!!
この『メフィストフェレス』が、4つ!!! こいつを一度に過剰摂取させたら、ビューネイがどうなるかって事もねえ!!!
さあビューネイ!!! いますぐに口を開けな!!! お待ちかねのおクスリだよ!!!」
云うが早いか、恍惚の表情で口を開けるビューネイのその上で、4つもの小瓶を一気に手で握り潰すレーヴァテイン。
その手から悍ましい粘度をもった深い青の液体が滝のように溢れ出し、ガラスの破片とともにビューネイの口に流れ込んでいく。彼女はそれを喉を鳴らしながら飲みこみ続ける。
「ビューネイ!!!!! やめてええええ!!!!!」
絶叫するレエテの呼びかけもむなしく――ビューネイの身体の変化はすぐさま現れた。
全身に青紫の血管が縦横無尽に走り、音を立てて筋肉が膨らみ、骨は軋む。
まるで血破点打ちを行った“背教者”の――。実際にはありえないが肉体の強制活性の極めて過剰な状態。それを見せられているかのようだった。
事実、あまりに血圧と血流の上がった血管はあちこちが破裂し、赤い糸のような噴水を吹き出させている。
何か聞いたこともない音が響き、明らかに肉体を崩壊に向かわせているとしか思えぬ様相だ。
それを確認すると、レーヴァテインは踵を返し、廃城とは正反対の方に向かって駆け出した。
「付いてきな!!! ビューネイ!!
レエテ!!!! ビューネイを何とか助けたけりゃあ、あたし達に付いて来い!!!
あんたに相応しい死に場所を、あたし達は用意しているからねえ!!!」
それにビューネイも追随する。その動きは、機敏でありながらも力強く、恐るべき身体能力の内包を窺わせるものだった。
「ビューネイ!!!!!」
レエテは絶叫し、10mもの城壁を一気に飛び降り、全速力で二人の後を追った。
「レエテ!!! 畜生!!! ぜってえに罠だが……あいつはもう誰にも止められねえ!!
エティエンヌ!! しかたねえ、後を追うぜ!!」
ホルストースの叫びとともに、二人の戦士たちも城壁を駆け下り、先んじたレエテの後を追ったのだった。
廃城より北東の方角に広がる――「エルダーガルド平原」。
かつてレーヴァテインがある魔物に指し示した、その決戦の地に向けて――。




