第二十一話 鳥籠の中の鳥
統括副将ベルザリオンが、ナユタらの命を賭けた総攻撃によりついに討伐された、その同じ頃。
エストガレス王国、ファルブルク公爵領内、ファルブルク城。
抜けるような青空が広がる昼下がり、その爽やかさとコントラストをなす陰鬱な雰囲気を内包した、歴史の重みに彩られる古城塞である。
その天守閣上階にある、城主ダレン=ジョスパンの居室。
華美ではないが高級な、数々のインテリアが並ぶ広大な居室内。
近習が代行する調理場・洗濯場以外の生活必需設備は概ね揃っている。厠も、浴室も隣接しており、事前にベルで下階に知らせれば湯浴みもできる環境だ。
その中心に位置する、天蓋付きの巨大なベッド。
5人は寝ることができそうな広大さ。スプリングがふんだんに使われたふわふわのマットレスの上の純白のシーツ。
その中心に――薄手のブランケット一枚を身体にかけた一人の大柄な女性が横たわっていた。
「う……」
昼過ぎという時間帯だが、今目覚めたようだ。
けだるそうに額に手の甲を置き、一度寝返りを打ってからその上体を起こした。
はだけそうになるブランケットを胸のあたりで押さえた。彼女は、一糸まとわぬ全裸であった。
ブランケットの上から、その艶めかしい肢体が確認できる。
大人の男性の手でも大きく余る巨大な乳房、それと対称をなす引き締まりくびれた腰。臀部も大きく、そこから伸びる長い脚、その横でベッドについた手から伸びる長い腕。同時に、非常に鍛えられた細い筋肉の様子もよく見える。
ブランケットの外のむき出しになった肩や臀部の一部を覆う肌は、抜けるように白く美しい。湯浴みをした直後であるかのようだ。
そしてその上の長い首の上にある小さな貌。頭身の高い抜群のスタイルだ。
髪はきらびやかな金髪。ストレートで、腰まで届くほど長い。
その貌は、あまりに魅力的な肉体にそぐわない、美少女といっていい童顔。ただし表情は――魂を失ったかのように空虚で、哀愁を漂わせている。
数日前の嵐の夜、匿って貰うことを目的にこの居室に忍び込み、主であるダレン=ジョスパンとの直談判の末――。完全に主導権を握られ、配下となること、妾となることを強制された、元サタナエル統括副将。
シェリーディア・ラウンデンフィルの姿に他ならなかった。
「……もう、こんな時間。『あいつ』、起きて公務に行ったのか……」
シェリーディアが寝起きのかすれ声で呟く。
「あいつ」――ダレン=ジョスパンは、今のように公務で部屋を空けているときを除き――。
四六時中、時間を置かずシェリーディアの身体を求めてきた。
この数日、部屋から出ることも許されず、彼がいないときに食事をとり湯浴みをした。
すでに、ダレン=ジョスパンのシェリーディアに対する執着は度を越していた。
彼に云わせると、シェリーディアは女性としての「機能」があまりにも突出して優れているらしい。
そのかつてない溶けるような快楽により、ダレン=ジョスパンは完全にシェリーディアの虜になっていたのだった。
シェリーディアも――自分がこれほどまでに必要とされること自体には、満ち足りたものを感じてはいた。
だが、自分の本分は戦闘にあり、娼婦となることにはない。
そんなことを考えているうち、部屋の外に荒々しい足音が響き、勢いよくドアが開けられた。
そこには、青を基調とした簡易礼服姿のダレン=ジョスパンが立っていた。
彼は公務を終えた後と見え、ドアを元通り締め施錠すると、荒々しく上着を脱ぎ捨ててベッドに近づいた。
シェリーディアは首を振りながらベッドの上で後ずさる。
「ちょっと……待って。昨日だってほとんど一日中、五回も、六回も……。
もうアタシ、これ以上は無理――――」
言葉を継ごうとしたシェリーディアの口は、ブーツを脱ぎベルトを外したダレン=ジョスパンの口で強引に塞がれた。
そしてそのまま押し倒され、これまで幾度となく続いたのと同様、激しい行為に突入していったのだった――。
*
そして夕刻――。
ようやく落ち着いたダレン=ジョスパンは、シェリーディアの脇に全裸で寝そべり、彼女と同じブランケットを上にかけていた。
シェリーディアは、貌を横に向けて彼に話しかける。
「なあ……ダレン=ジョスパン。もう……満足したろ?
もうアタシを……一度解放してくれないか? アンタの手駒として諜報や戦闘にアタシを使った方が、今の何倍もアンタの利益に……なると思うけれど」
ダレン=ジョスパンは、シェリーディアと目を合わせることなく、天井を見詰めたまま断固とした口調で云った。
「ダメだ。お主は、余だけのものだ。放しはせぬ。当分、ここに居て貰う」
「そんな……今さら外に出たからって、アタシはアンタの許から逃げて行ったりはしないよ……いや、できないよ……。
それはアンタも良く分かっているだろう?
必ず、アンタの許に戻ってくる」
「……」
「今アンタの立場として、目的とするレエテ・サタナエルに再び捕獲を仕掛けるためには、あいつがエストガレスの領内に入るのを待つしかない。
オファ二ミス王女との約束なんだろ……?
今のところレエテがレヴィアタークを斃す、てことが第一条件にはなるけど、それが現実のものとなればアタシはあいつを中原におびき出し、格好の狩場を用意してみせる」
「……」
「あいつが復讐対象として狙っている標的――すなわち将鬼は、アタシが情報を持っていたり、その性格や内実を知り尽くしている奴ばかりだ……。
まずはそいつの方を中原なり、コルヌー大森林になりおびき出し、それをエサにレエテを呼び寄せることができると思う。
そしてアンタにも……元々手駒にしている連中もきっと何人かいるんだろう?
そいつらとアタシを協働させてくれ。チームを率いて成果を出すのは、アタシの最も得意とするところなんだ」
「……」
返事を一切しないダレン=ジョスパンだったが、彼も徐々に冷静な武人かつ策略家としての判断力を取り戻してきていた。
確かに、シェリーディアの云うことは理にかなっている。一部、彼が自分で描いていた策略と一致していることからも、彼女が作戦を担わせるに足る、いやそれ以上の働きをするパートナーたり得るであろうことは理解していた。
ここは、彼女の魅力的な身体も確保しつつ、真に忠誠心を得るのも悪くない。
自分の最大の悲願をそれで達成できるなら、一石三鳥ともいえる成果につながり得る。
「分かった。良かろう……。
しばし考えてみよう。お主の云うとおり、余にはいくらかの手駒がある。これを招集し検討する。
お主にも、本来の戦闘者としての役割を与えてみよう」
「本当かい……!?」
「それに当たっては……。余が一体何故に、レエテ・サタナエルの身柄をこれほどに欲するのか理解しておいて貰う必要があるな……」
「……え……?」
「服を着よ。この城の地下を案内してやろう。
余が10年以上に亘って実行してきた、数々の実験、その全貌を……見てもらう」
*
重い、軋む音をたてる地下へのドアをほうほうの体で開き、外に出たシェリーディア。
這いずるように外へ出るやいなや、壁際で背中を上下させながらしたたかに嘔吐した。
「ぐうっ……えええ……ううううう……」
その貌は、青黒く変色し、両眼には極限の恐怖が貼り付けられていた。
「どうだ……? シェリーディア・ラウンデンフィル。
サタナエルという非人道組織に身を置き、人間の血も臓物も死も見慣れているはずのお主でも、仲々に刺激的な見ものであったろう……?」
シェリーディアは息を荒げながら、目前の怪物に目を向けた。
ダレン=ジョスパンに案内されて見せられた地下の実験施設。
それは、この世の誰もが一片の想像すらできぬであろう、真の地獄であった。
数々の手を加えられた屍体。散乱した身体の一部。
それだけならばまだしも――生きている人間も、いた。
身体に手を加えられ、地獄の苦しみを与え続けられる、人間。
同じ環境にある、動物やドラゴンですら戦慄を禁じ得ぬのに、それが人間であることに――その悍ましさに耐えることができなかった。
目の前のこの男は――まさに、悪魔だ。
道を踏み外した、などという表現は生易しすぎてこの男にはそぐわない。生まれ持った、悪魔の性質だ。
しかもその数々の実験はある程度の成果を得て、何らかの帰結を得ようとしていることが、シェリーディアにも理解できた。すなわちレエテ・サタナエルの身柄を欲していることの意味が、ようやく理解できたのだ。
ダレン=ジョスパンは背中を向け、廊下を歩き出しながら口を開く。
「分かったであろう? 数々の失敗と成功のその向こうに、実を成そうとしている事実が。
その最後のピースが、レエテ・サタナエルなのだ。
協力してもらうぞ、シェリーディア。お主のほうから提案してきたからには、必ずチャンスをものにし、あの人類の奇跡の存在、至宝を余の許に持ち帰れ……」
自分は、道を誤ったのかも知れない。
けれども――。もう、後戻りは、できない。
悪魔に魂を売るしか、ない。
きっと自分だけではないだろう。この事実を知りながらダレン=ジョスパンに忠誠を誓う者――元帥シャルロウ・ラ=ファイエットのような人物が他にも居るということだ。
こみ上げる迷いを力ずくで押し込め、シェリーディアはダレン=ジョスパンの後を追った。
今やこの世で唯一自分を受け入れ、かつ初めての男となった存在に、付き従い――。
身も心も悪魔の使徒となる、その覚悟と、ともに。




