第十九話 聖照光(ホーリーブライトン)
工房の外では――ナユタとキャティシアが絶対絶命の危機を迎えていた。
周囲をぐるりと取り囲む、詳細所属不明のノスティラス皇国騎士十数人。
その中で迫る最大の脅威、統括副将ベルザリオンの2本のモーニングスター。
すでに起き上がりナユタの元まで移動していたキャティシアは、彼女と背中合わせに構えて絶望に貌を歪めていた。
敗北は決定的。ナユタは自分が犠牲になる前提で騎士の壁を爆炎でこじあけ、身体能力の高まったキャティシアを逃がすことを考え始めていた。
ベルザリオンも、憎き敵を葬るという目的達成を確信したのか、笑みを浮かべながら歩みを進めてくる。
「これまでだな、ナユタ・フェレーイン……。
すでに貴様の“紅髪の女魔導士”の名は、サタナエルでもレエテに次ぐ悪名として轟いているぞ。事実、貴様がいなければ我が組織はここまでの被害を被ることはなかった。まして、“将鬼長”フレア様の姉弟子にして、あの方の命を付け狙うなどという格別の存在。
貴様を討ち取れば、我が将鬼レヴィアターク様の組織内での地位も上がろうというもの」
ナユタは、青ざめた貌の中で皮肉を込めた笑みを返した。
「そうかい……あたしの首にそこまでの価値がついたってのは、ありがたすぎて感激しきりだよ。
にしてもあんたら……本当に仲間想いだよねえ。自分が成り上がるんじゃなく、将鬼に花もたせようなんて発想が出てくる時点でね」
「当然だ……。レヴィアターク様は実力はもちろん、人間的に極めて優れた英雄たる御方。
この異様な身体を持って生まれ、実の親にも貌に焼き鏝を当てられ捨てられた私を、実の子以上に目をかけてくださった。私だけではない。バルテュークスも、ガリアンも……皆そうだ。あの方に拾われ育てられ、今がある。あの方のため、仲間のため、家族として我らは命を惜しまぬ」
ナユタはベルザリオンのその台詞を聞いて、表情を一気に憤怒の形相に変えた。
「麗しい家族愛だねえ……。バルテュークスもそうだが、あんたら個人のそれにかける誇りや気高い自己犠牲の覚悟についちゃあ認めるとこさ。
だがそれに陶酔し満足し、自分らが組織で特別と思ってることについちゃあ……ちゃんちゃら可笑しいね、話になりゃしない!
その睦まじい家族とやらが、やらかしてきた所業ってのはどうなんだい? 王侯軍属を恐怖で支配し煽る片棒をかつぎ、何万もの罪のない人間の命を奪ってきた。あんたの崇拝たてまつるレヴィアタークもねえ、レエテの……一つの睦まじく幸せな家族をズタズタに引き裂き殺したんだ。
あたしは絶対に認めないよ! あんたらのそのエセ家族愛ってやつをねええええ!!!」
その両手に業火を充填し――まずは、キャティシアを逃がすべく魔導を発動しようとしたナユタだったが、唐突に、自分の身体が宙に持ち上げられる感覚に驚愕した。
それは――キャティシアが両手で自分を抱きかかえて持ち上げたことによるものだった。
彼女が何をしようとしているか――。ナユタは瞬時に察した。
バレンティンのコロシアムで、彼女がレエテにされた動作。グラドでルーミスが自分にした行為。それを自分に対してしようとしていることを。
「やめろ!!! キャティシア!!! あんた自分が――」
「ナユタさん。ここで生きるべきなのは私でなく、あなたです。お願いします、ルーミスさんを必ず生かしてレエテさんのもとに帰してあげてください。
皆さんに、ありがとうって伝えてください。そしてルーミスさんに……大好きでしたって伝えて……」
云うとキャティシアは、血破点打ちで得た怪力で、一気にナユタの身体を放り投げた!
放物線を描いたナユタの身体は、兵士たちの遥か頭上を抜け、草原の上に落ちた。
辛うじて着地前に体勢を整えた彼女。
振り返ると、怒りのベルザリオンと数名の兵士に距離を詰められ、風前の灯火状態のキャティシアの姿が、あった。
構えを取りながらも、絶望的な戦力差にすでに戦意を失っている彼女。
覚悟はしたが中身は普通の少女であるキャティシアは、死への恐怖のあまり青ざめ涙し、小刻みに身体を震わせていた。
「ルーミスさん……ルーミスさん……」
「キャティシアああああ!!!」
ナユタが、その絶望的状況に悲痛の叫びを上げた、その時。
彼女は、見た。一直線にキャティシアに向けて伸びていく、太陽光にも勝るまばゆい一筋の光を。
それは途中の兵士の二人ほどを一撃でなぎ倒し――。
キャティシアに向かって振られていた死の鉄球――二つのモーニングスターの前に立つと、それぞれ片手で完全にその勢いを止めた!
衝撃を受けた身体が若干のミシリ、という軋み音をたて、両足が草原の大地に深々と沈み込む。
驚愕の表情を浮かべ、一端後方へ大きく退いたベルザリオン。
その視線の先に立っていたのは――ルーミスに他ならなかった。
法王庁正式の、ハーミア紋が彫られた伸縮自在の純白軽装鎧の上にまとった黒いマント。その下で異様に盛り上がる筋肉。血破点打ちによって強化された肉体だが、目を見張るのはその右手だった。
金属板で形成され、先端が爪状となったそれは、ベルザリオンも初めて目にする「魔導義肢」であった。
しかし、その仮初めの右手はあまりにまばゆく白い光を放ち、それは眼前の少年の身体全体を生命の波動でもあるかのようなその力――法力で覆い尽くしていた。
まるでその魔導義肢が、生きて持ち主の法力を増幅してでもいるかのように。
「ああ……あああ……ルーミスさん、ルーミスさん……」
キャティシアが心の底からの安堵の表情とともに、先ほどとは違う涙を流し、恍惚の表情で目の前の恋しい相手を凝視する。
「キャティシア……大丈夫か? すまない、遅くなって……。もう少し早ければオマエを“背教者”になどさせずに済んだ。
だがオマエ達のおかげだ。無事施術は済んだ。もう大丈夫だ、安心しろ。
ナユタ!!! 一緒に斃すぞ、このサタナエルの怪物を!!
イセベルグ!!! 騎士共の相手はよろしく頼んだぞ!!!」
ハッとキャティシアとナユタがルーミスの声をかけた方向を見やると、そこでは気難しい職人としか思っていなかったあの男が――。全身の筋肉を膨張させた“背教者”の姿で十人を超す騎士たちとの戦闘に入っている驚愕の光景が展開されていた。
「ああ!! こいつらは任せてお前はサタナエルに集中しろ、ルーミス!!!」
イセベルグは肩からの浴びせるような体当たりで騎士を吹き飛ばすと、近くにいた別の騎士の腕を掴んで地に投げ落とした後、脚で踏み抜き首の骨を寸断。返す両手で別の騎士の胸部の血破点にルーミスから与えられた法力を流し込み、その肉体を内部から破壊する。
自らの法力は失われたものの、元“背教者”としての実力は卓越したものであることが見てとれる。
それを横目に見ながら、素早くルーミスの元に駆け寄ったナユタ。
「まあ……事情は後でゆっくり聞くとして――ルーミス、頼むよ。その新しい右手の力、とくと見せてもらおうじゃないか」
ルーミスは目だけ振り返って微笑みを返すと、電光石火の疾さでベルザリオンに突進する。
何という疾さか。ナユタが知る“背教者”ルーミスに倍するかと思われるスピードだ。
「ぬううううう!!!!」
その巨躯を超越した動きの疾さを誇るはずのベルザリオンの反応が間に合わない。
並ぶと小人にしか見えないルーミスの光の軌跡が、二つのモーニングスターの間を掻い潜り、巨躯の手元に到達する。
そして素早く敵の巨大な右腕を両手でホールドし、勢いよく地面に自分の右足をめり込ませて固定する。
次いで、一気にその腕をむしり取ろうと渾身の力を込める。
その力が、事実自分の腕を破壊しうることを瞬時に見抜いたベルザリオンは、腕の損傷を防ぐべくその力の方向に沿って自分の身体を跳躍して移動させた。
結果、腕を取って巨躯を投げ飛ばしたような形となり、ベルザリオンが地に倒れ伏すのと同時に、身を反らせたルーミスの両手も離れる。
隙を見逃さず、ベルザリオンは即座に立ち上がり距離を取った。
「――“背教者”ルーミス・サリナスだな……? イセベルグめの義肢の施術は成功したようだが、その右手、並の出来ではないな……?
それでも未だ、このベルザリオンには届かぬ。貴様も、ドゥーマで幾人もの我がギルド兵員を葬ってくれた仇敵。ナユタともども、我が鉄球によりこの草原の肥しと変えてやる!」
叫びとともに、またしても信じられない疾さの動きで踏み込み、両手の死の鉄球を振りかざし迫るベルザリオン。
おそらく――この男の完全なる本気の一撃。さしものルーミスもかわしきることができず、瞬時に左腕に“定点強化”を打ち込み攻撃を受ける。
鉄球の巨大なトゲが肉を切り裂きつつも防御には成功し、ルーミスの身体を大きく吹き飛ばす。
そして付近の岩に衝突し、粉々に吹き飛ばさせる。ルーミスは血を吐き出し、地に倒れ伏す。
「ルーミス!!!」
ナユタが叫び、“灼熱焔円斬”二本をベルザリオンの背に向け放った。
ルーミスへの打撃の隙を狙ったにも関わらず、ベルザリオンは易易と右手のモーニングスターを返し、その強力極まる耐魔で業火の輪を弾き飛ばす。
と、その動作を終えたベルザリオンは、背中に――。鋭い痛みと、身も凍りそうな冷たさを同時に、感じた。
彼が首を振り返り己の背中を見やると――。
そこには、長さ1mに達する氷の矢、の先端が突き刺さっていた。
「ぐ……な、何……!?」
「ナユタ!! ルーミス!! キャティシア!! 大丈夫かい!? 遅くなった!」
その、彼女ら3人にとって待ち望んだともいえる懐かしい声――。
混乱の戦場に現れた、ナユタの忠実なる従僕、リスの魔導生物――。
ランスロットが、付近の岩の上にその姿を見せていた。
ナユタが、歓喜の声を上げる。
「ランスロット!!! よく来てくれたよ!!!」
「ぐっ……この畜生めがああああ!!!」
激怒するベルザリオンだったが、今度は左脚後部に激痛を感じる。
いつの間にか混乱に乗じて足元にまで迫っていたもう一人の“背教者”、キャティシアの渾身の手刀が左脚の腱を砕いていたのだ。
体勢を崩しながらキャティシアに攻撃を加えようとするベルザリオンだったが、背後にさらなる気配を感じた。
ルーミスだ。
自分のうなじか肩付近の血破点を狙っている。距離からすれば十分に対応可能な距離だ。
かわせる。そう確信した、その時。
うなじに突き刺さる、鋭い痛み。
それは――ルーミスの右手、“聖照光”の鋭い指先、だった。
有り得ない。彼の身体は、ベルザリオンの感知では2mは後方にあるはずだった。
事実そのとおりルーミスは、己のリーチでは届き得ないその場所にまだ居た。
ベルザリオンの想定と異なっていたのは――“聖照光”の指先のみが、1mほども長く伸長していたことだ。金属片の間を繋ぐ鋼糸、「イクスヴァ」の伸長によって。
「喰らうがいい。経穴導破法・聖照光!!!」
指先を含めた“聖照光”のまばゆい発光とともに、それによって増幅された恐るべき強さの法力が一気にベルザリオンの頸部の血破点に流し込まれる。
「ぐっ!!!! おおおおお!!! おおおおおおお!!!!」
肩が、胸が、首が、貌がボコボコと波打ち、血管がミミズにようにのたくり――。
不自然に膨らみ始めた身体の各部が、崩壊を始めた骨格とともに次々と破裂し始める!
辺り構わず噴出する血液が、足元にいたキャティシアの頭上から、ルーミスの身体前部に対し降り注ぐ。
「うおっ!! おの……おのれええ!!! ルー……ミス、ナ、ユタ……!!!
わた…しはここまでかも知れぬ、が、ああ!! レーヴァテイン、は動いている……!!
レヴィアターク様の、始動とともにぃ……レエテ・サタナエルの命運も……尽きる!
く、くくくく……残念……だった……なああああ!!!! ぐあ!!!!」
捨て台詞を放ち終えると同時に、ついに脳が変形後に破裂、四散したベルザリオン。
頭部を失ったその巨体はついに――ドウッと草原の地に倒れ伏した。
一行にとってもこれまでで屈指の強敵だった存在をついに撃破した安堵で、力なく崩れ落ちるナユタとキャティシア。
同時にキャティシアの血破点打ちの制限時間が切れ、肉体が通常に戻っていく。
ルーミスは周囲を見渡し、先程ここを取り囲んでいた騎士たちが全て斃され地に伏していることを確認した。そしてそこに立ち尽くすイセベルグに声をかける。
「イセベルグ!! 大丈夫か!?」
「大丈夫だ。騎士どもは俺が全て片付けた。それよりも、見ろ。こいつらの持ってたこの薬瓶を」
こちらも血破点打ちの制限時間を過ぎ、通常の肉体に戻ったイセベルグの許に駆け寄る一行。
彼らに、イセベルグは手に持った2本の薬瓶を掲げて見せた。
「これはな……『メフィストフェレス』の瓶だ。こいつらはここに来る前に、瓶の中身を2本飲み干してから来たんだ。
こいつらの力は人間離れしていた。『メフィストフェレス』は禁断症状を迎えるか、過剰摂取するかのいずれかによって人間の力を増幅する。
こいつらは主人の命令によって、瓶を持たされ摂取させられた」
そのイセベルグの言をついで、ナユタが云った。
「あんたのいう、この騎士どもの主人ってのは、最も皇帝の信頼を得――この地を治める、あの男のことだね……?」
イセベルグは頷き、言葉を返す。
「その通りだ。お前らを嵌め、この騎士どもを差し向けた相手は――。
ノスティラス皇国ノルン統候、メディチ・アントニー・テレスだ」